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2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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松尾まことの議員活動報告第13号

栄村の将来を占ううえで非常に重要な議会でした
    〜3月議会の結果をご報告します〜

 

 3月6日(月)から13日(月)まで実質6日間、平成29年第1回定例会が開催されました。
 3月定例会は新年度予算を審議・決定する議会で、年間の議会の中でもとりわけ重要な議会です。私自身は、新年度予算の審議は初めての経験。審議すべき内容は質・量ともに多く、かつ重大で、とても緊張し、正直なところ精力を使い果たしたという感じです。すべてをご報告するのは難しいですが、ポイントを絞って、村民のみなさんの暮らしを左右する問題について可能なかぎり詳しく、わかりやすくお伝えしたいと思います。

 

☆ 栄村の道路や橋、学校などはこれからも維持できるのか?
   ――「栄村公共施設等総合管理計画」について

 

 今議会で、私がある意味で最も衝撃をうけたものがこれでした。
 「公共施設等」とは、役場や学校、温泉宿泊施設などの公共施設の他、道路、橋、上下水道などの村が保有する施設のことです。簡単にいえば、私たちの日々の暮らしを支える“インフラ”と呼ばれるものです。
 建物も道路も建設が完了し、利用が始まると同時に劣化(れっか)が始まります。傷みが生じ、修繕、ひいては建て替え(作り替え)が必要な時がやってきます。

 

■ インフラ更新に総額500億円、年平均約13億円が必要!
 結論から紹介しましょう。
 「計画」は平成29年度から平成58年度までの30年間。平成29〜67年度の間にインフラ更新に約500億円(正確には497億1千万円)が必要だというのです。建物の寿命との関係で更新費用が最も多くなるのは平成54年度で、なんと30億円が必要になります。今議会で審議された新年度予算の総額は約35億円ですので、村の予算の1年分をまるまるインフラ更新に投入せねばならなくなるということですね。
 更新費用が少なくて済む年もありますので、平均すると1年あたりの更新整備費は12億7千万円になります。12億7千万円というのも大変な額です。栄村の年間予算額は数年の内に震災前の23〜25億円くらいに縮小すると言われています。ですから、年間予算の半分をインフラ更新費が占めることになります。そうすると、医療や介護の社会保障費、農業などの産業の維持・育成の経費はどうやって確保できるのかという問題が出てきます。

 

■ 国が「インフラ長寿命化基本計画」を推進
 いわば「インフラ更新長期計画」と呼ぶのがふさわしいこの計画、じつは国が4年前に「インフラ長寿命化基本計画」を作り、全国すべての地方自治体に同様の計画を作るように求めたことをうけて、村が検討した結果です。
 前の東京オリンピック(1964年)の時につくられた首都高速道路の傷みが激しいことはよく知られています。日本は高度経済成長時代にたくさんの道路や橋、建物をつくりましたが、それらがすべて寿命を迎えるわけです。

 

■ 私たちは何に注意すればよいか
 村が今回つくった30年間にもわたる「管理計画」は、あくまでも更新費用の試算であり、ただちに実施に移されるというものではありません。
 やはり今議会で決定された「第6次栄村総合振興計画」、そして3年毎に策定される「実施計画」で、更新時期を迎えた施設をどうするかが具体的に検討・決定されるという段取りになります。
 ですから、慌てる必要はありません。
 でも、「計画」の中にこんな文言があることに注意をはらうことも必要です。
    「人口減少時代を迎える中で、人口規模にあった公共施設等

     の統廃合や廃止による健全財政の推進を図る必要性が高ま

     ってくることが想定されます。」
 自分が暮らす集落に必要な村道が傷んだとき、これまでならば、「あそこの道路を直してください」と言えば、即時ではないにしても、数年内には直してもらえたのが、「人口が減ったから、その道路はもう維持できない、不要だ」という話になりかねないのです。
 大事なことは、みなさんの集落、地区で暮らしに欠かすことができない施設や道路がいまどんな状況なのかに関心を抱き、不安なことなどがあれば声をあげ、将来見通しについて尋ねることです。
 集落の人が少なくて、様子を見て廻ることや、将来見通しを考えることが難しいという場合もあるでしょう。そういう場合は、私のような議員に気軽に声をおかけください。震災の時、議員がそういう役割を果たしえたかと問われれば、たしかに疑問符がつくかと思いますが、私は頑張ります。集落のお話をお聞きし、現場を自らの目で見て、役場とのつなぎをきっちりやっていきます。是非、声をおかけください。

 


☆ 新年度予算から見える栄村の進路

 

■ 新年度予算に賛成した意味
 13日(月)の3月定例会最終日、新年度予算の採決が行われました。挙手採決ではなく起立採決ですが、私は起立して「賛成」の意思を表明しました。全会一致での可決です。
 私は新年度予算にまったく問題点がないとは考えていません。今回の本紙「議員活動報告」でもいくつかの問題点を指摘します。そのうえで、4月1日からの村民の暮らしに直結する行政の執行を円滑に進めるには、ひとまず新年度予算を成立させ、そのうえで必要な施策の修正・追加を求めていくのが適切ではないかと考え、「賛成」を選択しました。村(村長)にフリーハンドを与えたという意味ではありません。新年度予算の執行状況の厳しいチェック、不明な問題点のいっそうの解明などに努めていきます。

 

■ 暮らしに直結する新施策の紹介
 新年度予算に盛られた新しい施策のうち、みなさんの暮らしに直結するものを紹介します(なお、紹介すべきものは多々ありますが、この1年間、議会などの場で重要テーマとなっていたものを中心に紹介します)。

 

● 森集落の上水道
 「森地区水源転換工事」に5,530万円が計上されました。1号崩壊地横の震災前水源地に取水堰堤をつくり、導水管1,750mを敷設します。雪消え直後から工事を開始し、秋口までに完成することをめざします。
 また、「管路清掃委託料」4千万円が計上されました。マンガンで汚染されている管路を清掃するための経費です。(以上の森の上水道関係は「簡易水道特別会計」での事業です)
 なお、基本予算が28年度に確保されている開田用水の頭首工工事等も雪消えを待って実施されます。

 

● 青倉集落の中条川からの用水の沈砂池の建設
 青倉集落の用水に中条川から土砂が入って堆積する問題の対策。「青倉用水沈砂池造成工事」が「村単水路改修工事」として400万円計上されました(一般会計農林水産費、受益者負担金15%)。

 

● 高校生等通学費補助金
 高校生が通学のための定期券を購入した経費等を2分の1まで補助するもので、予算総額は262万円です(一般会計民生費の中の児童福祉費)。
 たとえば森駅から飯山高校に通う場合、年間4万2千円の補助になり、意義は大きいと思います。ただ、購入後の事後補助ですので、家計負担の軽減には十分でありません。今後、購入前の補助に変えるよう、要望していくことが必要です。

 

● 農業・水路に関わるもの
 農業は担い手の高齢化によって農地の不耕作化が生じる、水路維持作業が困難化するなど、深刻な問題に直面しています。この事態に対応する格別な新規事業は基本的にみられませんが、28年度創設制度の新規集落への適用などがありますので、いくつか紹介します。
志久見と野田沢の水路関係の補助

  「集落農業維持活性化支援事業」200万円。
  集落が水路管理道路の改修等を行うのに対して、重機借上料や燃料費を補

  助します。
農作業機械施設導入支援補助金の拡充

  「集落営農組織育成事業補助金」1千万円。
  集落営農に取り組む組織が作業施設や農業機械を導入するのを補助するも

  ので、28年度は600万円でした。なお、この事業はふるさと納税を活用す

  る農業振興基金を原資としています。
東部水路の詳細設計
  「県営中山間地域総合整備事業 栄地区」事業費が5,250万円が計上され、

  その大半は青倉集落の圃場整備に充てられますが、事業内容の中に「水路

  詳細設計3水路」が書き込まれています。坪野水路(上・下の2本)と野々

  海水路です。ただし、確実に東部水路(坪野水路)にいくらを入れるとは

  書かれていませんので、予算執行プロセスを注視していかないと、実施に

  至らない危険もあると思われます。
トマト苑1階の改修、加工品の増産
  トマト苑の1階は現在「遊休施設」化していますが、加工品の増産ができ

  るように改修を行う経費424万円が計上されました。

 

● 村史編纂(へんさん)事業を開始
 栄村の歴史が誰にもわかる「栄村史」をつくることが長年求められてきましたが、新年度、ようやく着手することになりました。新年度の予算額は896万8千円(一般会計教育費社会教育費)。
 新年度は村史編纂室を立ち上げ、編纂の方針及び計画の策定、編纂チームの編成などを進めます。村史の編纂には何年もかかりますが、ついにスタートすることになったことが重要です。今後、教育委員会から各種のお知らせがされると思いますが、みなさんの知恵、意見をどしどし出してください。

 

■ 問題点がある予算
 3頁でも書きましたが、新年度予算にはいろいろな問題点があります。
 振興公社に関わる予算、栄村高齢者福祉総合センターの社協(栄村社会福祉協議会)への指定管理とデイサービス事業の移行に伴う予算については別のところで取り上げますので、ここでは2つのことに限って指摘します。

 

● 切明の水道水源地を約100万円で買収とは?
 商工観光費予算の中にわずか1行、「公有財産購入費 103万1千円」というのが計上されています。「説明」欄にも「用地取得費」と書かれているだけで、どこの土地なのかも分かりません。
 議員からの質問への答弁ではじめて、「切明の水道の水源地。所有者は『雪あかり』さん」と明かされました。
 村の水道の水源地を村が用地取得する事例は過去に1例しかなく、ほとんどすべての水道水源地は寄贈または借地です。
 なぜ、購入する必要があるのか? 誰もが不思議に思います。森川村長は「中国人が日本の水源地を買いあさっている。第三者に渡ると厄介なことになるので、村で買い取りたい」と述べました。
 議論は平行線になり、私を含むかなりの議員は納得できませんでした。私は最後に、「所有者は村の人。そんな心配をしなければならないのは悲しいことです」と発言しました。「雪あかり」さんといえば振興公社の理事長を務める人。村長が信頼をおく人が水道の水源を村外の人に売り渡すなんて心配をすること自体が失礼な話だと思うのですが、どうなのでしょう? 理解不能な予算計上です。

 

● 28年度に実績がない「経営指導委託料」にまたも300万円
 一般会計とは別に「スキー場特別会計」(総額1億539万2千円)というものがありますが、その中に、「経営指導委託料 300万円」が計上されています。
 ここ数年、毎年計上されています。しかし、数年前に「非圧雪を売り出すと良い」というアドバイスがあった以外には、格別の「経営指導」の実績はありません。
 阿部伸治議員が質問したところ、「先方からは『もう引き受けたくない』と言われたが、昨年度も計上しているので、新年度も計上した」という答弁。
 典型的なムダ遣い予算です。これは議会で監視し、無駄な執行がされないようにしなければなりません。

 

■ 栄村の財政の中長期的な見通しは?
 予算の中には、「歳入」(収入のこと)の中に「村債」という費目があります。わかりやすく言えば、29年度、村が借金をいくらするかということです。新年度予算では3億9,070万円が予定されています。29年度の「歳入」に占める割合は11%(1割強)にのぼります。
 他方、「歳出」(支出のこと)には「公債費」という費目があります。これまでの借金の返済のために支払わなければならない金額です。29年度は2億9,679万1千円が計上されています。歳出の8.3%です。村債発行予定額は28年度よりも減っていますが、借金返済額(公債費)は28年度よりも増えています。
 借金に村の財政がどれくらい依存しているのかは、村の中長期の将来を見通すうえで、最も重要な指標の1つです。
 栄村の村債依存度(借金依存度)、歳出に占める公債費(借金返済費)の占める割合は、現在のところ、危険水域に入っていません。しかし、平成29年度予算を見るだけでは、今後5年、10年の見通しは見えません。私は、予算審議の中で、「借金の返済が今後どうなっていくのか。村は中長期的な見通しをきちんと算出しているのか」と問いました。村長の答弁は、「していない」でした。それでは困ります。私は「中長期の見通しをきちんと算出すべきだ」と言い、村長は「4月1日から県職員(係長級)が派遣されてくるので、その人のノウハウを活用してやる」と答えました。
 これまでの村議会での予算審議ではこういうことは質疑されてこなかったようですが、それでは予算審議を充分に尽くしたとはいえません。
 私は、「中長期見通し」を算出する作業の進展具合をきっちりとチェックしていきたいと思います。

 新年度予算に関して、みなさんにご報告すべきことはまだまだあると思いますが、ページ数の関係もあり、ひとまず以上とします。

 


☆ 振興公社をめぐる問題はどうなったか

 

 ここ数ヶ月、栄村の村政で最もホットなテーマとなってきたのは栄村振興公社をめぐる問題です。村民のみなさんは、「3月の議会ではどうなったのか?」、いちばん知りたいと思っておられることだと思います。

 

■ 指定管理料で1,850万円を投入
 新年度予算の商工観光費の中で、「振興公社観光施設管理委託(料)」として1,850万円が計上されました。
 7日午後に開催された議員全員協議会(村長提出)で、この指定管理料額の算出方法が示されました。施設の光熱水費の50%などを村が負担するというものです。しかし、実際のところは、公社の赤字を埋めることが狙いです。
 新年度は、指定管理の契約を更新する村の施設が数多くあり(物産館、絵手紙収蔵館、苗場山頂ヒュッテ等)、関係議案が数多く提出されましたが、既存の指定管理で村が指定管理料を支出しているのは振興公社だけです。なぜ、公社だけ赤字になるのか、検討が必要なところです。

 

■ 出捐金を2,900万円投入
 さらに、新年度予算とは別に、議会最終日に追加議案として「平成28年度補正予算(第12号)」が提出されました。振興公社への出捐金(しゅつえんきん)を2,900万円投入するというものです。「運転資金を金融機関から借り入れるための担保金とする」としています。
 しかし、議会に出された説明書では、「4月に指定管理料1,850万円が入金されれば9月末まで必要な支払ができる」とされていますので、この時期に村が2,900万円もの資金を投入する必要性はないと私は考えます。
 この補正予算に私は反対しましたが、採決結果は賛成10:反対1でした。
 これでは、「1月12日の議会は何だったのか?」と問われても答えようがありません。公社をめぐる問題は、別の機会に改めて詳しく書き、村民のみなさんのご意見をお聞きしたいと考えています。

 


☆ 高齢者総合福祉センターの社協への指定管理委託とデイサービス事業の社協への委託について

 

 最近、村内放送で「社協の事務所が森の高齢者総合福祉センターに引越しました」、「役場健康支援課の健康増進係が役場地階に移転しました」と告知されました。
 「引越した」ということは理解できますが、「なぜ?」は放送だけではわかりません。
 高齢者総合福祉センターと小赤沢の高齢者生きがいセンターの建物がすべて社協に指定管理委託され、森の高齢者総合福祉センターから役場の事務室はすべて撤退したのです。そして、デイサービスの事業も村直営から社協への委託に変わりました。
 平成30年度には「総合事業実施」ということで介護サービス関係のほとんどを社協に委託する方向のようですが、その制度設計はこれからということで、全容が見えません。
 介護サービスがますます重要になる中、社協の手でどのような事業運営(経営)が可能なのか、明確な像は見えません。今後、この問題も詳しく報告していきたいと思っています。

 


松尾まことの議員活動報告第12号

議員活動10ヶ月、いま、思うこと

 

 昨年4月の補選で村議会議員になって、早や10ヶ月となりました。その時々の状況については、『松尾まことの議員活動報告』でご報告してきましたが、このあたりで一度、10ヶ月間の議員活動全体の総括をしなければいけないと考えます。

 

〇 良かったと思うこと
 いちばんは、『松尾まことの議員活動報告』をお配りすることを通じて、議会とはどんなところか、何をしているのかについて、多くの村民の方々に広く知っていただけるようになったことです。
 率直に言いますと、配り始めた時、「こんな文字ばかりのもの、読んでいただけるかなあ?」という不安がありました。しかし、それは杞憂でした。みなさんから、「読んでいますよ。楽しみにしています」と言っていただいています。
   *「杞憂」とは、「心配する必要のないことをあれこれ心配するこ

    と」、「取り越し苦労」という意味です。
 ある人から、「父が松尾さんの『議会報』を読んで、『新しい議員が出てきた。栄村の議会は変わるかもしれない』と言っていましたよ」と話された時の感激は忘れられません。

 

 にばんめは、村のさまざまな施策との関係で、みなさんの要望や困り事をより具体的にお聞かせいただくことができるようになったことです。
 2つの具体例を挙げます。
 1つは、温泉共通入浴券をめぐってです。「入浴券はどうなるのあ?」という不安を持つ村民のみなさんが集まって下さり、様々な意見や要望を出して下さいました。
 2つは、子育て・教育支援の問題です。
 4月から村は高校生の通学定期券代の半額補助を始めますが、このことを口頭でお知らせした時、保護者の方から、「有り難いですね。でも、定期券を購入した後に補助というのではちょっと困ります。いちばん割引率がいい6ヶ月券は4万円以上かかります。そのお金を用意できないので1ヶ月券を買っています。事前に補助してもらえると6ヶ月券を購入できるんですが」というお話をいただきました。2月9日の議会全員協議会で早速、この声を行政側に伝え、検討してもらうようにしました。
 これまでも、『復興への歩み』を配りながら、いろんなお話を聞かせていただいてきましたが、議員となり、『議員活動報告』をお配りするようになって、村の施策に反映させるべき、より具体的な要望などをお聞きすることができるようになったのです。村政をみなさんにとって身近なものにし、みなさんの声を村政に反映させる一歩を踏み出せているのかなあと思います。

 

 さんばんめは、多くの人に議会傍聴していただけるようになったことです。
 1月12日の臨時議会では、「傍聴の呼びかけ」をしてきた私自身もびっくりしました。議会開会前に傍聴席が溢(あふ)れ、イスが足らなくなったのです。1月24日、2月9日の臨時議会も傍聴席は満杯でした。
 たくさんの人が傍聴することで、議会は変わります。傍聴席が一杯だと、議員は、「自分の言動は村民にどう思われるか」がとても気になり、発言内容をよく考えるようになります。
 これは、村民が議会の主人公になってきているということを意味しています。「議員は選挙の時だけ村民にいい顔を見せる」では済まなくなり、村民の声を常に意識し、村政に反映させなければならなくなるのです。

 

〇 困ったこと
 議員を務めることになって良かったことばかりではありません。いろいろと困っていることがあります。
 1つは、勉強が大変だということです。
 議会には村のありとあらゆることが議案として出てきます。農業のこと、観光のこと、介護や福祉に関すること、道路や橋のこと、村の暮らしに関わることのほとんどすべてが出てきます。
 議案を出してくる行政側には各分野ごとに職員がいて、その分野の経験と知識を持っているわけですが、議員はたった一人でその議案について考えなければなりません。国会議員であれば、秘書がいたり、政党のスタッフがいたりしますが、村議には秘書もいなければ、スタッフもいません。時に、同僚議員に質問や相談をもちかけたりもしますが、基本的に一人で勉強し、審議できるようにしなければなりません。

 

 2つは、議会予算が少なく、十分な審議ができる環境が整っていないことです。
 議会というものは議論の積み重ねが大事だ、と私は考えています。「この問題は、前の議会でどういう議論をしたか」、「村長はどう答弁したか」を議事録で確認して、議論を積み重ねられるようにしなければならないのですが、いまの栄村議会では議事録が出来上がるまでに1ヶ月以上かかることがあります。たとえば12月定例会の議事録が出来上がったのは1月末でした。
 担当の職員はとても頑張って下さっているのですが、たった一人で多種多様な仕事をされています。長野県の市町村議会の多くは、議事録作成のためのテープ起こしを専門業者に発注しています。栄村でも震災復興計画策定委員会は専門業者発注で、素早い議事録作成を実現していたのですが。
 議事録が遅いだけではありません。予算や決算の特別委員会の審議や全員協議会での協議については議事録がありません。
こんな状況がこれまで放置されてきたのが私は不思議でたまりません。本気で議会審議をするには、この現状は絶対に変える必要があります。

 

 3つは、議員であるがゆえの制約がいろいろあることです。
 私が一村民として『栄村復興への歩み』を発行しているかぎりでは、権力をもつ人からとやかく言われることはなかったのですが、議員になると、『議員活動報告』も『復興への歩み』も、「議員としてこういうことは書くべきではない」といったことを言われることがあります。公職にある人から「注意」として言われます。従わなければ「懲罰」に処せられる可能性もあります。
 「圧力に負けたらダメだぞ」と叱咤激励してくださる村民が多くおられますので、私は頑張っていきますが、大変であることは事実です。

 

〇 情報公開をさらに徹底させ、村民が主人公の議会を実現していきたい
 村会議員は言うまでもなく選挙で選ばれます。そして、選挙の時、候補者はたとえば「福祉を充実させます」というような“公約”を掲げます。
 しかし、私は昨年4月の補欠選挙の時、ポスターに「みなさんのために、私をとことん使ってください」と記しました。
 なぜでしょうか。
 議員にも議案提出権はありますが、予算編成権は村長にのみあり、議員にはありあせん。ですから、「〇〇政策を実現します」と“公約”しても、その実現は容易ではないのです。
 むしろ、村民のみなさんの声に耳を傾け、村民目線で行政を徹底的にチェックすることこそ、議員のいちばん大事な仕事だと、私は考えています。村長(行政)がどんな施策を準備しているかを不断にチェックし、それを村民のみなさんの気持ちや要望と突き合わせ、村民のみなさんの願いが少しでも村政に反映されるようにすることです。
 私はこの10ヶ月、『松尾まことの議員活動報告』でいろんな情報を村民のみなさんにお知らせしてきましたが、まだまだ不充分だと思っています。
 一人でできることには限りがあると思いますが、経験を積み重ねることで、これまで以上にもっと多くの情報を、そして可能なかぎり速くお伝えできるように頑張ります。
 そして、そういう情報公開の活動と合わせて、もっともっと多くの村民のみなさんに議会傍聴に来ていただけるようにしたいと思っています。そのためには、傍聴に来て下さったみなさんに、議案についての資料が配られるようにすることが必要です。予算審議などでは、質疑の中で色んな数字が飛び交いますが、傍聴者の手許(てもと)にはなんの資料もなく、何を議論しているのか、よくわからないですね。私も一住民として議会傍聴した時に散々(さんざん)苦(にが)い思いをしました。
 議員としての努力でこういう状況を変えていきたいと思います。目標は、〈村民が主人公の議会〉の実現です。
 今度の3月定例議会(予算議会です)でも、そういう思いで頑張っていきます。傍聴とご支援をよろしくお願いいたします。

 


☆ 新しい「栄村総合振興計画」について
 村はいま、第6次栄村総合振興計画というものを策定しています。
 役場の「庁内策定委員会」が村民の意見等を聴取したうえで「計画(案)」を策定し、2月9日の議会全員協議会に「案」を提示、さらに2月15日開催の総合振興計画審議会への諮問を経て、3月議会で議会の議決を求めるという段取りです。

 

■ 大きな問題があった「将来像(村の目標)」の記述
 「計画の草案」のようなものの段階から私は気になっていたのですが、2月9日の全協に出された「計画(案)」でも、「計画」の肝(キモ)とでも言うべき冒頭の「将来像(村の目標)」につぎのような記述がありました。
   「知恵と和で築く日本一安心できる村」
     「知恵」とは役場職員の存在を表しました。
 なんと不遜(ふそん)な物言いでしょう!
 これでは、「村民には知恵はなく、知恵があるのは役場職員だけ」と言っているに等しいではありませんか。

 

■ 2月全協での村長とのやりとり
 私は2月9日の全協で、この点を森川村長に質(ただ)しました。森川氏の答弁は、
   「役場は村のシンクタンクのようなものだということ」
      *「シンクタンク」というのは英語由来の言葉です

       が、日本語訳すると「頭脳集団」となります。一

       般に「政策立案のための研究機関」の意味で用い

       られている用語です。
というもので、私が求めた文言の変更には応じませんでした。
 私は、「村長の性格はよく知っているので、この場でこれ以上は言いませんが、よく考えてください」と釘をさしました。

 

■ 3月議会提出の「計画(案)」で修正
 2月24日、3月議会の議案が議員に配られました。早速、この問題箇所を見ると、つぎのように修正されていました。
   「『知恵』とは住民と役場職員が共に考える“力”を表しています」
 これならば、いいと思います。
 2月15日の総合振興計画審議会でも、この箇所が問題とされ、修正が求められたそうです。
 2月9日の全協に続いて審議会でも問題とされ、村長も「これは修正しなければ認められないなあ」と考えるに至ったのでしょう。
 この経過には、森川氏の性格がよく表れていると思いますが、チェックと物言いが大事だということを示しています。計画文書をはじめとする膨大な議案を読むことはけっして楽なことではありませんが、しっかり読み込み、チェックしなければなりません。

 


☆ 2月9日臨時議会での空き家改修補正予算の否決について
 2月9日、本年3回目の臨時議会が開催され、1,340万3千円の補正予算案が審議・採決されました。大久保集落にある空き家(村に寄付され、村所有になっているもの)を改修する費用が当初予算では足りず、増額が必要になったというものです。
 すでにご存じの方も多いことと思いますが、これは賛成3:反対7という大差で否決されました。
 この結果、その空き家はおそらく、もう改修・活用されることはないでしょう。
 私は、本件で「賛成」に手を挙げました。たった3票の賛成票の一人です。
 「1軒の空き家の改修に計約3,500万円。高すぎる。どうして、そんなものに賛成したの?」と思われることでしょう。
苦渋(くじゅう)の判断でした。少し説明させていただきます。

 

■ 国の補助金事業を使うと予算額が上がる
 この事業は、新設された国の「空き家再生等推進事業補助金」を使えるということで村が推進したものです。国からの補助金は総額1,955万2千円です。
 かなりの金額です。しかし、国の補助金を使う場合、いろんな条件がつき、〈村(民)の知恵と技を活(い)かして、手作りで改修する〉ということが著しく難しくなります。その結果、予算額がどんどん増えてしまうことになります。
 たとえば、「公正さ」を担保するためでしょうが、設計の仕事をする人(会社)と、建物修復の仕事をする人(会社)は、別の人(会社)でなければならないという条件です。村の経験ある大工さんたちが集まって、いろいろと意見を交わしながら、工夫を重ね、改修を進めていくということができません。

 

■ 「高すぎる! でも、当初予算で事業を認めた以上、金額にふさわしい活用法を実現しよう」――これが私の判断です
 私は悩みました。
 12月と1月の全協での協議で、予算が異常に膨らんだこと、批判する議員が多いことを認識していましたので、大久保集落側から「辞退」を申し出ていただくことも考えました。しかし、物件はすでに村の所有物になっていて、村の事業になっていますので、集落側にどうこう言うのも変です。
 その一方で、こういう問題があります。菅沢農場の担い手の高齢化です。大久保集落は菅沢農場に近い。だったら、「30年、40年にわたって菅沢で農業をやってくれる人に入居してもらえれば、この高い改修費も生きてくるのではないだろうか」と考えました。
 施策というものは、1つの施策をそれ1つだけを孤立させた形で考えるのではなく、他の施策と結びつけて、総合的に進め、施策効果を高めることが必要です。空き家改修、移住促進、農業の高齢者化の打破と活性化、一石三鳥(いっせきさんちょう)の考えです。
 2月9日の審議では、そういう総合的な施策推進の第一歩として、改修工事の中で予定されている「曳(ひ)き家(や)」作業の様子を公開し、いろんな人たちに参加してもらうという具体的な提案をしました。

 

■ 今回のことを教訓に、村のいろんな人と知恵・技を集めた空き家再生に取り組みたいと思います
 今回のことは、補助金頼り(依存)ではなく、村のいろんな人と知恵・技を集めて、栄村らしい空き家再生の方法を編み出していく必要性を突き出していると思います。
 私の『議員活動報告』第8号をご覧ください(発行が大幅に遅れ、本号と一緒にお届けします)。群馬県南牧村(なんもくむら)の経験から学びたいと思います。大工さん、水回りの工事屋さん、左官さん、いろんな人が空き家を点検してまわり、「最低、こことここを直せばいいんじゃないか」という診断をします。そして、その改修・再生案をもって、移住を希望する人たちに物件を紹介していく。そんな方法です。
 空き家の利活用には、持ち主さんのご理解・ご了承が必要ですが、ご理解を得ながら、〈国の統一基準によるお金がかかる再生〉ではない、栄村独自仕様を創造していきたいと思います。
 みなさんのご意見、お知恵を是非、お聞かせください。

 

(この「議員活動報告」第12号は、2月27日付で発行し、栄村村内で配布してきたものです。)


さかえ倶楽部少年スキー大会3月2日

 

 今朝9時からは男子の1本目。
 アルペン競技の撮影など初めての経験で、まったく手探りでの撮影でしたが、上の写真はコース脇から9:22に撮ったもの。
 この選手の様子は連写で撮っていますので、上の写真の前後を7枚、紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでの8枚を撮った地点のそばから本競技のコースの上方を撮影したもの。
 「この地点はどのあたりだろう?」と思い、ふと振り向くと、こんな景色。

 

 

 見えているカーブの坂道は「トマトの国」の手前。
 そこで、昨日、次のような写真を撮っています。

 

 

 カーブのど真ん中で撮影しているのですが、写真左手がスキー場で、左上に競技用のコースフェンス(橙色)がわずかですが写っています。
 毎日のように、この坂道を上がったり下ったりしながら、「ああ、スキー場のコースが見えるな」と思ってはいましたが、逆にコースの方から見ると、どんな景色なのか、今日初めてわかりました。


 競技の撮影地点から見たスキー場対面の景色も素敵でした。

 

 


 1本目の競技を終えた後の選手の様子も2枚。

 

 

 監督さんでしょうか、選手にアドバイスをしておられました。

 

 

 スキー場レストランでしばしの休憩をとる選手たち。

 

 

 この後、女子の1本目、そして男女それぞれの2本目が行われ、明日が3本目、4本目。
 残念なことに、栄村は今日の午後から雨。大会関係者はコース・コンディションの維持にご苦労されていることと思います。


松尾まことの議員活動報告第8号(2月27日付)

 この第8号は、当初昨年12月1日発行のために途中まで編集を終えていたものですが、第9〜11号で記した振興公社をめぐる問題等に関する報告を優先させたために未発行になっていたものです。

 このたび、追加原稿を書き、2月27日付で発行しました。取り扱っているテーマ自体はけっして時期遅れのものではなく、この後に掲載する第12号で報告する「空き家改修」問題とも密接に絡むホットなテーマです。

 是非、お読みいただけますよう、お願い申し上げます。

 

 

驚き! 3食付き1ヶ月5万8千円のケアハウス
 〜群馬県南牧村で視察・研修してきました〜

 

 11月14〜15日、「議員視察研修」というものに初めて行ってきました。視察先は、群馬県南牧村(なんもくむら)(14日)と、みなかみ町の「たくみの里」(15日)の2ヶ所。頁数に限りがありますので、今回は南牧村の視察結果を報告します。
   *長野県にも「南牧村」がありますが、長野県の方は「みなみまきむら」です。

 

■「働き場をつくる」、「国民年金で入れる施設をつくる」、「負担の少ない村づくり」
  ――長谷川最定村長が進める村づくりの3つの基本
 訪れた南牧村役場では長谷川最定(さいじょう)村長が自ら、南牧村の現状と村づくり方針・施策の具体的内容を説明して下さいました。2014年(平成26年)5月に就任された1期目の村長です。2007(平成19)年に栄村に研修に来られたことがあり、また、観光では秋山郷などに3回ほど来られているそうです。

 

私たちの質問に熱心に答えて下さる長谷川村長


 見出しに掲げた3つが、長谷川村長が推進している施策の基本です。簡単に説明します。
 「働き場をつくる」――とくに子育て世代の若いご夫婦が南牧村内で働く場をつくるということです。大企業誘致ではなく、村になくてはならない仕事で、若者世帯が暮らせる所得を保障することに 主眼があります。
「国民年金で入れる施設をつくる」――栄村でもそうですが、国民年金加入者の人の多くは1ヶ月あたりの受給額が約6万円ですね。その額で衣食住を満たせる高齢者住居を保障しようという話です。(詳しいことは次項にて)
「負担の少ない村づくり」――国民健康保険料は一昨年から2割引き下げられました。介護保険料は月額5千円を守り、値上げをしていません(群馬県平均は5,780円)。ケーブルTVがありますが、利用料は月額千円。公的料金はいっさい上げない方針だといいます。

 

 今年度の当初予算規模は特別会計を含めても約30億7千万円。人口は2,045人(2016年10月末現在)、「高齢化率日本一」で、話題になった「自治体消滅論」では「最も早く消える村」とされている村です。
 その南牧村でこれだけのことがやられている、出来ているのです。これは驚きであり、私たちはそこから多くを学ぶ必要があります。

 

■ケアハウス「いこい」を見学しました
 「国民年金で入れる施設」ということで昨年度に建設されたのは「いこい」という名のケアハウス(20室)。介護認定されていない人、要介護度2以下の人が対象の施設です。

 

「ケアハウスいこい」の外観

 

 「料金表」を見ると、年間収入が150万円以下の人の基本利用料は月53,700円。他に管理費、水道料、電気量がありますが、1人当たり月額4,810円。まさに国民年金で賄える額です。
 なぜ、こんなことが可能なのか?
 長谷川村長から説明していただきましたが、私たちも質問し、さらに突っ込んだ説明をいただきました。
 まず、30床未満の小規模施設には建設費及び運営に国から補助金が入ります。要介護の人に関わる経費は介護保険から支払われます。それによって運営経費として(入所者支払いの利用料以外に)月額約380万円が確保できます。
 2つ目に、職員ですが、NPO法人が運営にあたっていて、正職員4名をはじめ、准正規、パート(1日4時間)計15〜6名が働いています。驚きは、正職員の給与は公務員並みが保障されていることです。この点がじつは南牧村の村づくりの肝です。
 「高齢者に必要なサービスを保障する。そのための仕事を若者に担ってもらい、子育てできる所得を得られるようにする」ということです。
 先に、「南牧村は高齢化率日本一」と紹介しましたが、長谷川村長によれば「高齢者人口の実数はピークを過ぎた。若者家族の移住(Iターン、Uターン)を確保し、人口の世代間バランスをよくする」ことが当面の課題で、高齢者福祉(介護)の仕事の創造で人口バランスの好転を実現していくのです。じつによく考え抜かれた素晴らしいアイディア・施策です。
 今年度は「要介護度中クラス」用の施設を建設し、その後さらに「重度用」もつくる計画です。
 施設内をご案内いただき、私はお許しを得て、食堂の様子も撮影させていただきました。下がその写真です。大きな窓があって陽が燦々(さんさん)とふりそそぐ明るい場所。ちょうど昼食に集まってこられていたところで、私がカメラを構えると、「どこから来たの?」と大きな声がかかりました。みなさん、とてもお元気で、明るい雰囲気でした。

 

部屋はすべて個室(一人用と夫婦用がある)

 


 南牧村の視察報告、ひとまずここで閉じますが、もっと詳しく知りたいですね。
 南牧村を取り巻く状況はある意味で栄村よりも厳しいのだと思うのですが(村内の道路は狭く、マイクロバスが通行するのが大変でした)、その村でこんな素晴らしいことが実現している。さらに研究し、みなさんに報告したいと考えています。

 

 

 

「上毛新聞」の連載特集から学んだこと

 

 3頁までは11月末に書いていたのですが、その後、12月議会の報告や1月臨時議会の速報などの必要が生じて、続きを書くことが出来ていませんでした。以下は、今回の発行にあたって新たに書き加えたものです。

 

 

 視察にあたって、南牧村から「上毛(じょうもう)新聞」という地元紙の連載特集「えにし再生 第1部限界と呼ばれて」(2013年3月に連載)のコピー(全13頁)を資料としてご提供いただきました。
 視察前に読んだ時は、村の様子を知らないので理解しにくい部分もあったのですが、視察から帰った後に読み直すと、長谷川村長からお聞きしたことや南牧村で見たことがよりよく理解できました。
 1〜3頁で紹介した長谷川村長の施策は長谷川さんお一人のアイディアや力で実現したものではないようです。少なくとも8年間にわたる南牧村の人たち、とくに30歳代くらいの青年層がいろんな努力、工夫をしてきた結果なのです。
 「空き家」の問題と、「若い世代の移住が村で暮らせる仕事づくり」を中心に、年表式で紹介したいと思います。

 

2009年の暮れ
  ・舞台  村役場近くの居酒屋「かじか小屋」
  ・人物  居酒屋店主・米田優さん(当時62歳)

      役場職員・茂木毅恒さん(47歳)
      村商工会青年部の面々
  ・会話のやりとり
    「言いたいことがあるなら、村づくりの組織でもつくら

     ないか」
    「ああ、つくる。つくるから茂木さんが事務局やってよ」
    「みんなが本気ならやる」


数日後
  青年部理事・石井裕幸さん(36歳)、30〜40代14名の名が書き込まれた

  名簿を茂木さんに届ける。


2010年2月18日
  村づくり団体「明日の南牧を創る会」が正式発足
  ↓
  「創る会」メンバーの関心は空き家対策に向く
  ↓
2010年12月
  「創る会」母体に「南牧山村ぐらし支援協議会」設立
  ↓
2011年2月 空き家調査開始
  ・参加者  ガス販売業、大工、設計士、板金業など、30〜40代の協議会

       会員20人
  ・調査方法  休日に5人ほどの班をつくって集落ごとに調査
        「トイレは水洗かくみ取り式か」
        「手を入れれば住めるか住めないか」
        「ケーブルテレビは」
        「駐車場は」
     ――各人の職能を生かし、外観や立地状況から得られる情報を記録
  ・調査結果まとめ――半年後
     「手を付けるのが遅すぎたか」
     「構造材の太い築100年以上の古民家が多い」 → 「田舎暮らしを求

      める都市住民には魅力的なはず」
2011年8月 「空き家バンク」開設
         移住希望者に空き家を紹介するホームページ

 

2012年  「なんもく暮らし体験民家」を整備 → 10月から貸し出し開始

 

2013年1月  東京での山村移住相談会(群馬県主催)
  石井裕幸会長が、南牧の自然や子育てのしやすさをアピール

 

2011年8月から1年半の実績 ―― 問い合わせ300件超え、9世帯16人が移住


 ここまでで、空き家対策のいくつかのポイントが見えてきたのではないかと思います。
 1つは、行政主導ではなく、村民、とくに若者世代が空き家対策を考え、実行に移す中心になっていることです。
 2つは、役場(行政)がそういう動きをこころよくサポートしていることです。
 3つは、経費がたくさん必要になる方法ではなく、「暮らせる家にするには最小限何が必要か」を検討することを軸にやっていることです。


若者世帯が暮らせる仕事の確保
 ここからは、若者が暮らせる仕事づくりの話です。

 

● 2012年に移住した阿部哲也さん(名古屋市出身、記事連載時24歳)の話
  「困った時に助けてくれる人、頼れる人がたくさんいる。自分にとっては

   都会より住みやすい。」
  「働く場所がなければ、南牧に残りたくても名古屋に帰っていた

   と思う。」
 ――阿部さんは村社会福祉協議会で働いている。

 

● 2011年12月、補助金配分の県審査会で役場総務課長・長谷川最定さん(当時58歳、現在の村長さん)が熱弁
  「南牧で最後を全うしたいという高齢者が利用し、南牧で子育てしたい

   という世代が働ける。南牧に最も必要なのはそういう場所です。」
   ⇑
  村の総人口が減る中でも、増加の一途だった65歳以上の高齢人口が

  2006年に減少に転じた。今後は高齢化率の上昇に歯止めがかかる。
  ↓
  医療や介護サービスの必要量と財政支出が減る。
  長期的なサービスの供給計画が立てやすくなる。
  ↓
  減った支出を子育て世代の誘致策、たとえば村営住宅の建設や働く

  場所づくりに向ければ、移住者や村に残って仕事する若者を少しず

  つでも増やせるのではないか。
  ↓
  「高齢者向け住宅を運営するNPO法人をつくりたい。」

 

● 1か月後の2012年1月、県が提案採択

● 「NPOとは」から勉強会を進め、2013年度中にNPO法人設立へ
 長谷川最定さんは2012年末に役場を早期退職、住民の一人としてNPO設立に加わる。
 長谷川さんのイメージ ―― 「介護サービスを基幹産業とする人口800人の村」

 


 なんとか2頁半ほどにまとめてみました。これだけではわからないことも多々ありますが、南牧村の取り組みの肝(きも)はわかってきたのではないかと思います。
 私自身の思いとしては、「もう一度、南牧村を訪ねて、南牧で暮らすようになった若い人や、空き家対策を進めた人たちのお話を直接お聞きしたいなあ」というのがあります。いろんな用事があってなかなか実現できていないのですが、車で行けば栄村から片道2〜3時間で行けます。なんとか実現したいと思います。そして、その時は、私ひとりではなく、空き家対策などに関心がある人たちとご一緒できればと考えています。

 以上です。

 


明日、少年スキー大会

 

 明2日、さかえ倶楽部スキー場で、第19回さかえ倶楽部少年スキー大会が開催されます。
 この大会は全日本スキー連盟公認のもので、選手たちは今日1日から会場入りし、3日までの開催。
 野沢温泉、菅平、白馬、志賀、そして栄で5回の競技大会が開催され、そのトータルの成績でジュニア・オリンピックへの出場選手が決められるという重要な公式大会です。
 上の写真は、今日午後5時からスキー場研修室で行われたキャプテン・ミーティングの終了後、登録選手のゼッケンが配られている場面。長野県スキー連盟のゼッケンです。
 競技種目はアルペン(大回転)で、参加選手はK‐2(中学生及び高校1年生の早生まれ)男女です。
 競技会場はさかえ倶楽部スキー場のDコースで、今日の日中、コース両側のフェンス設置などの準備作業が行われていました。

 


 写真上部から滑降し、写真中央の林の右手を通り、橙色のコースフェンスが見えるところを経て、写真手前がゴール。

 

 

 コース・フェンスの設置作業。
 スタッフ総勢61名、栄村のスキー関係者は総力を挙げて、大会準備・運営に臨んでいます。

 

 

 

 選手のほとんどは中学生。1日午前から栄村入りし、スキー場で練習の後、「トマトの国」などに宿泊しています。今夕は、その中学生と一緒に温泉に入ってきました。選手たちも宿舎に入れば、ごく普通の中学生。「トマトの国」前で雪遊びに興じる姿も見られました。

 

 

 こちらはランニングの後、「トマトの国」への坂道を歩く選手たち。半袖姿にびっくり。たしかに日中はポカポカ陽気でしたが…。

 

 

 

 午後5時から開催されたキャプテン・ミーティング。

 

 

 競技委員長は栄村の藤木利章氏(写真右)。先日は銀嶺国体のスキー大会でも運営スタッフとして奮闘し
てこられました。技術代表はSAJ(全日本スキー連盟)の猪俣修氏。

 

 明2日の競技スタートは午前9時。その模様はまた明夜お伝えします。

 


春の訪れはかなり早いかも

  • -
  • 2017.02.27 Monday

 

 上の写真は、昨26日昼、「トマトの国」の横の断崖を撮影したもの。
 写真ほぼ中央部をズームアップしたものが次の写真。

 


 断崖の積雪が崩れ、落下しつつある。
 ただし、すぐに落ちそうに見えても、そう簡単には落ちない。
 この部分の様子を何日か追いかけてみた。

 

 24日午後5時半すぎ。
 26日と較べると、崖の土の色が見える部分が少ない。

 

 27日午後5時半頃。
 雪は落ちているというよりも、落ちかけていた雪がやせ細ったという感じ。

 

 じつは、この部分、20日には雪がほとんど落ちていた。21日に丸一日雪が降り、再び真っ白になった。その後、ここまでに見たように、再び雪が落ち始めた。
 私はここ数年、春の訪れにともなう山斜面・崖面の雪の崩落あるいは雪崩の様子に関心をもち、写真もかなり撮っている(ただし、写真データの未整理のため、あまり活用できていないが)。なかなか興味深いものである。

 「トマトの国」の横の断崖の様子をみると、2つのことがわかるように思う。

 1つは、断崖の落雪はもう不可逆的に進んでいて、春が訪れつつあるということだ。この先、雪が降り、この部分が雪化粧することはありうるが、もう真冬のように断崖に雪がへばりつくことはない。天気がよい日になれば、すぐに雪は消える。
 2つは、真冬の積雪は断崖にかなりしっかりとくっついていて、落下式の屋根の雪のように簡単に落ちるものではないということ。


 ここで、この断崖の1月26日の様子を示しておこう。じつに綺麗だ。

 

 

 

 さて、タイトルの「春の訪れはかなり早いかも」について述べたい。
 こういう積雪と落雪・消雪の観察をしていて、今日思ったのだが、家の周りの積雪や道路脇の雪の壁があまり硬い感じがしない。温泉でそんなことを話したら、ある作業で毎日積雪と格闘している人も、「硬い雪はちょっとしかない」と言って、手でせいぜい30cm程度の高さを示された。
 雨が降ったり、気温が上がる日があったりで、積雪のほとんどがザラメになっているのだ。こういう積雪は気温が上がるといっきに融ける。気温が高い日が2日も続けば、一日で30cmくらいは融けて消えてしまうだろう。

 そうなると、春の本格的訪れはかなり早くなる。山菜もけっこう早く出てくるのではないだろうか。
 ただ、小雪だった昨年のように、山菜が出る期間が非常に短くなり、味も例年ほど良くないということはないのではないかと思う。
 まあ、こんなことをあれこれ推測しても仕方ないのだが、長い冬を過ごすと、やはり春の訪れを「まだか、まだか」と思ってしまうものだ。

 

 最後に、「トマトの国」横から中条川を少し下った地点の雪崩の様子を2枚示しておく(26日夕撮影)。2013年9月の土石流災害の前、森林組合の事務所があった地点の対岸だ。当時、森林組合の人が「ここの雪崩は凄い」と話していたのを思い出す。

 

 

 

 

 


何気ない風景を撮る

 

 24日の午後4時すぎ、原向(はらむき)集落堀切(ほりきり)地区のたった1軒のお宅に配達して、次の登渡(とど)地区にむけて車をスタートさせようとした時に目に入った景色。
 この日は青空が見えながら雪が降るという変な天気だったが、ここでは雪は止んでいた。
 木の枝先にはすでに春が感じられる。東の青空から射してくる明るさにも冬の厳しさとは異なるものが感じられる。
 堀切で暮らすかあちゃんが、先日、「私は何気ない風景が好きなの」と言っておられた。
 たまに家から外に出た時、かあちゃんの目にもこの景色が入っていることだろう。
 右に見える建物は、留守屋の作業所・物置。住人は数年前に亡くなられたが、息子さんが首都圏から通い、田んぼを続けておられる。留守屋の冬の管理は大変だが、この建物からは人とのつながりがあることが感じとれる。


 今日は、「こんな風景を撮りたい」と思って、わざわざ出かけた先で撮ったものではなく、配達の途中で出会った「何気ない風景」を集めてみた。

 

 

 25日午前10時少し前、平滝集落にて。
 国道117号線よりも山寄りのゾーンを廻り、油科正一さん宅(屋号「ほしば」)と油科光子さん宅(屋号「新屋」)の間の道を進んだ先での撮影。25日の昼間は快晴でポカポカ陽気になったが、この時間はまだ雪。
 この道は野々海池に通じるもの。もちろん今の時期は途中で進めなくなる。私は写真手前の道分かれのところを右へ進み上倉重平さん宅(屋号「重介」)に向かった。

 

 

 

 私自身も初めて目にする風景。
 写真中央に見えるのは青倉集落の棚田がある西山田(にしやまだ)の山。
 写真左側に山に上っていく九十九折れの農道が雪に覆われながらも見える。杉の木も見える真ん中の小山は、火の神様・秋葉様が祀られており、また、現代においては携帯のアンテナなども設けられている。
 撮影地点は森集落中条地区の集落内道路。手前に見える雪は中条地区内道路の雪の壁の上部。午後2時すぎの撮影。

 

 下はほぼ同じ地点で撮ったもの。
 スキー場がいつもとは少し違う感じで見える。

 

 

 

 

 家の裏手の急崖に自然に積もった雪、家周りの雪をロータリーで飛ばしたもの、上の道路から除雪で飛ばされた雪、その3種の雪がつながりあって生まれた景色。
 坪野集落の斉藤英喜(えいき)さん宅(屋号「上の中段」)のポストに「復興への歩み」を入れ、振り返って車に戻ろうとした時にパッと目に入った景色。
 「上の中段」という屋号の由来が一瞬にして理解できる風景でもあると思う。

 

 

 

 22日朝9時半すぎ、精米のための米運び作業を始める直前に青倉共同車庫横の雪山から。
 雪崩防止柵が見えるのは冬期閉鎖の四ツ廻りの道路。
 この間、ブナの木の枝先の色の変化をできるだけ近くから撮ってみたいと思っていたが、意外なところで、その1枚が撮れた。

 

 下が撮影地点の雪山。道路除雪でタイヤドーザーが押し出した雪の山。右手の屋根は共同車庫のもの。

 

 

 

 

 22日正午すぎ、森宮野原(もりみやのはら)駅と五宝木(ごほうぎ)住宅。
 この地点からは線路もあまり見えず、右手に見えるものが駅だということは初めての人にはわからないかもしれない。
 五宝木地区は、冬期間、除雪が困難なために五宝木から山を下ってくる人たちが暮らす村営住宅。

 

 下は森宮野原駅前駐車場での1枚。駐車場の除雪で飛ばされた雪で駅のホームは辛うじて屋根だけが見える状態になっている。

 

 

 

 

 豪雪の村で、春の訪れを最も強く感じさせるのはぶ厚い雪が融けて田んぼの土が見えること。19日午後撮影。
 1週間前になるが、箕作(みつくり)集落のあるお宅に「復興への歩み」を届けた際に、この景色が目に入ったときは驚いた。「えっ!もう田んぼが出ているの?!」。
 その秘密は水。
 前回の配達の時、高齢のご夫婦が懸命に雪をかまっておられた。田んぼに流れ込む水路を開けておられたのだろう。下がその水の流れ。

 

 

 

 

 箕作のお宮のそばにて。千曲川に清水川原のスノーシェッドが映る。
 別のあるものを撮影しようとした時に偶然目に入ったもの。やはり19日午後の撮影。

 


配達日誌2月11日〜20日

11日(土) 8時半発で大久保、箕作、平滝などで74軒を配達。
 今日も、手許メモに「11:30、降り激しくなる」、「11:55、明るくなってきた」という書き込みがある。この数日はとにかくめまぐるしく天気が変わる。
 午後は遅めの昼食の後、次の「復興への歩み」と「議員活動報告」の準備を進めたが、その一環とすて、夕刻は「トマトの国」で温泉に通ってくる1歳児の様子を親御さんの許可を得て撮影。共通入浴券の問題を論じる際に添える写真の確保。
 「トマトの国」はスキー客の宿泊でにぎやかだった。何人かのお客に声をかけさせてもらったが、スキー場の評価はよい。今年をどのように総括し、次年度以降の営業方針をどう形成していくか。スキー場開設20数年目にして、スキー場飛躍へのチャンスを迎えているのではないかと思う。
 夜遅くは強風で、雪が渦を巻いていた。
 下写真は午後5時の「トマトの国」駐車場。車の半分くらいが首都圏ナンバーのスキー客車。

 

 

12日(日) 朝の新雪積雪は2〜30cm。数日ぶりに車庫前の雪の片づけに少し時間がかかった感じ。
 午前中は知人を訪ね、いろんな話。議会で問題が十分に解明されないまま審議「終了」となり、私自身はもちろんだが、村民のかなり人たちがもやもや感を抱いておられる案件がある。いろいろと話しているうちに、どのように議会で問題を出していけばよいか、アイディアが浮かび、深められた感じ。「議員活動報告」で書き、みなさんにお知らせするとともに、会話・議論の時間を増やすことも大事だ。また、この訪問の後にお訪ねしようとして電話したが、つながらなかった人から夜に電話をいただいた。その電話でも、大事な情報をいただくとともに、私が何をしなければならないか、具体的なアドバイスをいただけた感じがした。
 今日はスキー場の「村民感謝デー」。村内全世帯に配られているスキー場の割引券を持っていくと、スキー場レストランのメニューを基本半額で食べられる。高齢の人たちがシーズン中にスキー場にやってくる数少ない日。様子を見に行った。
 まず、村外からのスキー客の車が多く、ゲレンデも賑やか。12月17日のオープンセレモニーの日以上の賑わいを感じた。ここでも声をかけさせてもらったが、好評だ。
 そんな中、見覚えのある人がゲレンデを歩いて来られるのが目に入った。月岡の南雲成一さん。奥さまと一緒で、間もなく、息子さんご夫婦、お孫さんと合流された。先日は、議会傍聴にも姿を見せられたが、一昨年7月の事故で重篤な状況になられたのから驚異的な回復。奥さまをはじめとするご家族の手厚い看護があってこそのことだが、ご本人のリハビリへの取り組みも立派。高齢化が進み、高齢者は体力が衰える方向への片道街道と思われがちの中で、こういう姿は嬉しいものだ。

 


 午後は原稿書きをある程度進められた。

 

13日(月) スキー場が“ラッキーマンデー”なので、昼頃、スキー場駐車場の様子を見に行った。確認できた他県ナンバーを挙げてみると、とちぎ、群馬、山梨、新潟(2台)、豊橋(愛知県)、名古屋、相模(神奈川県)、多摩、品川、奈良、岡山。有名スキー場のような賑わいではないが、「復興への歩み」No.301にも書いたように、さかえ倶楽部スキー場の評価は確実に高まっていると思う。今季のデータをしっかり分析し、来季の営業方針を練り上げていくことが大事だと思う。
 スキー場を訪れた以外は、役場に資料を取りに行った程度で、あとは室内で、「栄村振興公社再建(案)」の分析・検討、「栄村鳥獣被害防止計画(平成27〜29年度)」の検討、そして「復興への歩み」No.302の編集。写真撮影は基本的になし。

 

14日(火) 朝食後、印刷や折り作業など、配達のための準備作業。その後、「復興への歩み」No.302を青倉50軒に配達。
 昼食を終えると、もう午後2時からの「振興公社理事と議員の懇談会」の開会時間が近づき、役場へ。
 懇談会はあくまでも「懇談会」ということなので、そういうものとして臨んだ。詳しい内容は非公開扱いなので、私も今回は書かないが、私の発言をめぐって、“切れた”公人がいたことには驚いた。議論のしかたというものを心得ておられないのだろうかと思わざるをえなかった。

 

15日(水) 朝8時より少し前だったが、部屋の窓からスキー場を眺めた時に興味深い景色が目に入った。

 


 いわゆる「中尾のつんね」(中条川上流、西入沢川と東入沢川の間の尾根。「つんね」は「尾根」の意)の上の方なのだが、白いものが点々と見える。「何だろう?」と不思議に思ったが、どうやら強風が木の幹に雪を吹きつけた結果、雪柱のようなものが出現したのだと思われる。
 配達に出て間もなく、電話が入って知り合いと会うことに。午前中はそれで終わり、配達は午後が主。白鳥の国道沿い、国道より下、月岡などを廻り、今日は96部の配達。
 配達で出会った“雪の階段”の写真を1枚。

 

 

 写真上部で道は2手に分かれる。この先に2軒のお家がある。雪とのつきあいが大変だろうなと思う。

 

16日(木) 平滝などで22軒を廻った後、10:17に津南町・大割野から国道405に入り、秋山郷へ。
 今日は天気予報通りで、ポカポカ陽気。上の原まで行ったが、基本的にアイスバーンはなし。
 上の原と屋敷の全戸、小赤沢の一部を廻ったが、各所で除排雪が行われ、1月18日に行った際にあった「雪に埋もれている」という感じはなくなっていた。
 ただし、屋敷の民俗資料館前の道は除雪ができず、通行不可のままだった(この道はもともと流水による除雪のみで、除雪車は入らないようだ)。下写真がその箇所。

 

 

 雪の少なかった昨冬は“天池”に何回か長靴で行ったが、今年の秋山は「下(しも)」よりも積雪が多い。なので、長靴で天池に行くのは無理。“かんじき”を用意し、天池に行った。観光宣伝の定番で紹介される「天池」を越え、本来の天池まで。気温上昇で雪がやっこくなっているので、往きはかなり大変だった。往復でかなり汗をかいたが、素晴らしい景色を見ることができた。その写真は「復興への歩み」で紹介することにしようと思う。


 昼食の弁当を食べるために「のよさの里」にお邪魔していた時、窓の外に突然、テレビカメラが…。窓を開けて尋ねると、テレビ東京の取材。外に出て、どの頂が鳥甲山なのか等を説明。なんでも、「お昼ごはんを見せてください」という内容の番組の取材。「お昼ごはんを見せてもらえますか」と言われ、「食べ終わったところですよ。しかも、コンビニ弁当ですよ」と言って、大笑い。AD(アシスタント・ディレクター)に名刺をもらったので、「初夏にまだ雪が残る野々海の水番小屋でタケノコ汁で昼飯」というのを取材してくれるように話を持ち込もうかな、などと考えた。
 天池を歩いたことなどもあり、結局、秋山を出たのは午後4時頃。
 今日はいい写真がたくさん撮れて、とりあえず、国道405で出会った「雪庇落とし」作業の様子をブログにアップ。

 

17日(金) 8時前に出発して、まず、津南町の朴(ほ)木沢(きさわ)から曲がりくねった坂道を上り、中子へ。「復興への歩み」の届け先が2軒ある。冬になってからはもっぱら加用から直線的な坂道を上がっていたが、今日は朴木沢からのコースを選んだ。途中で何枚かの写真を撮ったが、結構気に入った。1枚だけ紹介したい。

 


 「日誌」としては異例の大きさでの掲載。なかなか素敵な風景だと思う。ちょうど中央にさかえ倶楽部スキー場のゲレンデが見える。それよりも右手、いちばん高いのが天水山だと思われるが、頂上に近いところで、雪が落ちて、土が剥き出しになっている箇所がある。昨日から気温が上がっているので、山の各所で雪が落ちている。夕刻にはトマトの温泉の湯舟から見える「中尾のつんね」の断崖でかなり雪が落ちた箇所があった。
 中子から加用に下って、やはり津南町の羽倉へ。白鳥出身の久保田晋介さん宅に配達。久保田さん宅に行く時間は、飯山線のダイヤとの関係で調整していた。先日、羽倉に行った時、羽倉の道から見える飯山線が「いい絵だなあ」と思ったので、森宮野原9:06着の上り列車を撮れるようにしたのだ。しかし、時間計算をちょっとミスしたため、撮影地点に着くと、すぐに列車の音。慌てて撮影したのだが、なんとこれが「おいこっと」車両(土日以外は通常運行ダイヤに車両が使われている)。ラッキー!!
 その後、横倉集落を主に廻り、今日は計61軒。
 午後は室内作業で、昨日の秋山行きで撮った写真で2本のブログ記事を編集。「中津川下流の2つの景色」と「“かんじき”を履いて・・・」。
 午前中から雨になっていたが、11:20に森で9℃。しかし、午後3時頃、すごい強風が吹き、その瞬間は雨がみぞれに変わった。東京などでは「春一番が吹いた」と報道されているが、栄村は昨日と今日午前中からは一転、北風が入り込んだようだ。しかし、雪が予想された夜になっても雨のまま。

 

18日(土) 長野市で“ひんご遺跡”発掘の結果についての報告もある「掘るしんinしののい2017」という催しが開かれるので、その報告を聴くために朝8時頃出発で長野市篠ノ井へ。
 上信越道を長野ICで下りるつもりだったのが、いつもの習慣で長野東・須坂ICで下りてしまった。道路地図を所持していなかったので、大体の勘で篠ノ井までは行けたが、会場周辺の道が分かりづらく少々迷って、時間を喰ってしまった。催しは午後3時までのものだが、他にも用件があるので、谷主任調査研究員の報告約30分間を聴いた後、県埋蔵文化財センターでひんご遺跡出土で復元された火焔型土器などの展示を見て、篠ノ井を後にした。
 長野市では、人とお会いし、さらにその後、東急百貨店に移転した平安堂書店も訪れた。書籍売り場面積が大幅に縮小されていた。“本屋”としてはもはや二流の店になったと言わざるをえない。
 帰路、飯山日赤に入院中の知り合いに「復興への歩み」やブログ記事の印刷物をお届けした。飯山日赤にはずいぶんと多くの村人が入院されているようだ。夕食も済ませて午後6時頃に帰村。

 

19日(日) 昨夜から今朝にかけて積雪あり。

 


 朝、家の中(2階の窓)から面白い写真を撮った。上のものだが、屋根の雪が落ちきらずに、軒先にぶら下がっている様子。
午前中は東部方面の配達。天代の1軒を訪れたのが午前11時40分。その後、坪野、原向とむかうつもりだったが、出発時に給油を忘れ、燃料がなくなってきたので、引き返した。
 昼食後、泉平全戸と箕作の約半数を廻り、今日の配達を終了。
 朝、「今日は配達経路そのものを撮ろう」と思い立ち、午前の全経路及び午後の泉平の経路で数々の写真を撮った。夜、早速、「2月19日の配達路を辿る」というタイトルのブログ記事を編集してアップしたが、雪坪と極野一部のみしか編集できず。

 

20日(月) 一日中雨。今日は配達を休みにし、午前中は3月議会での一般質問の「質問要旨通告」の作成(午後1時締切)と、25日のお米発送用のシールの印刷や袋への貼付け作業。
 お昼は12時半頃から2時半頃まで昼食を兼ねて用談。その後、お米の袋詰め作業。
 夜は6時半頃から「トマトの国」で愛湯会の集まり。みなさん機嫌よく、たくさん飲まれたが、同時に、共通入浴券問題で“みんなの要望”についても話し合われた。「これを無くしたら、もうここに来る人はいなくなる。そんなことになったら、栄村はもう終わりだ」という声が共通の声だ。
 宴たけなわとなった頃から外は降雪が本格化。久々にお酒を飲んだが、帰宅後2時間ほどで醒め、昨日の続きのブログ記事を完成させ、アップ。今日は写真をまったく撮らず。


2月19日の配達路を辿る:その2の続編〜切欠から北野まで〜

 

 当初はこんなに長いものになると思っていなかったが、「2月19日の配達路を辿る」を3夜連続で編集することになりました。
 冒頭写真は長瀬集落から笹原集落に向かう途中のカーブ。いくつもの雪崩防止柵で県道が守られています。初めて通った時は驚きましたが、今ではすっかり慣れました。江戸時代の人たちはここに水路を通したというから驚きです。


 昨日の最後に紹介した切欠橋を渡ってすぐのところにゴミ収集ステーションがあり、そこを右折して切欠集落に入ります。
集落に入ってすぐ、右に少し入ったところに1軒のお家があります。進入路には少し雪がありましたが、車で入り、ポストに「復興への歩み」を入れた後に撮った写真がつぎのもの。

 


 写真奥のやや右寄りに山が見えますが、昔、ここにお城があったそうです。主は斉藤氏といい、切欠の住人はその家来ですべて斉藤姓だと、地元の人から聞いたことがあります。
 残念なことに6年前の震災で、お城の名残りをとどめるものがすべて焼失したとも聞いています。
 私が一昨年秋から昨年夏にかけて、四季折々の切欠集落の姿を撮影した(今年正月に編集したアルバム「栄村の四季を楽しむ」に収録)のは、その山の下を通る県道長瀬横倉(停)線からです。その地点がこの写真に写っています。

 

  


 左写真:公民館の横手で進行方向を撮影(右手前の建物が昨年新築された切欠公民館)。右写真:坂道になり、さらにカーブになる。道路に雪がある時は、この先が難所。

 

 

 道路右側手前に雪の切れ間がありますが、坂の途中のお家の入口。ここで配達のためにいったん停車すると、積雪時はスリップして上がれなくなります。
 ちなみに、そのお家の人は後に紹介する、上から集落に入る道を通ってこの坂を下ってきて、自宅前の駐車スペースに車を入れられるようです。

 

 坂を上がりきる前に右側にもう1軒。そのお家には下写真の雪道を歩いて進みます。写真左手に屋根が見えるお家です。

 

 

 上写真は、そのお家の玄関横から、切欠集落のいちばん上にあるお家の眺めたもの。
手前に“たね”が見えます。前回、この家の主にお会いした時は、「あっちの“たね”は雪に埋まっています」と話しておられたが、今日は水が見えています。また、切欠集落1枚目に見えた山も写っています。

 

 

 いちばん上のお家に向かう階段。
 きちんと雪かまいがされ、歩きやすくされています。
 上るのはきついと言えばきついですが、天気のいい日はこの階段の上からの眺めが最高! それが次の写真です。

 

 

 切欠集落に別れを告げる前に、いちばん高いところのお家の玄関前の写真をもう1枚。

 

 

 雪とのつきあいがとても大変だろうなと、いつも思っています。

 このお家の下にこの道があり、県道に出られます。

 

 

 県道に出てからの様子が次の2枚。そして、昨日の冒頭写真、「カタクリ街道」に進みます。

 

 

 

 

 

 長瀬集落。
 写真左側に薄緑色の建物が見えますが、旧農協事務所、現長瀬公民館です。

 

 

 いくつかある長瀬集落内道路の1つ。
 突き当りに雪の山が見えますが、車は手前を左へ。長瀬の郵便局の横に出ます。
 この日の長瀬での立ち寄り先は2軒のみ。

 

 

 県道沿いの南端のお家を越えたあたり。
 雪が降っているように見えますが、風で木の枝の雪が飛んできたもの。

 

 

 長瀬集落に別れを告げ、カーブしながらスノーシェッドに入っていきます。

 

 

 スノーシェッドを抜けたところ。冬季間はここに除雪車が置かれています。
 先に見えるカーブを曲がった先が本編の冒頭写真の地点です。

 

  

 

 左写真は雪崩防止柵のある箇所の先の直線コース。逆に進む時は、この直線路でスピードを出し過ぎると、雪崩防止柵下のカーブでブレーキを踏むことになり、積雪時はスリップ−回転の危険が生じます。右写真は笹原集落の手前。1月10日にイノシシに出くわしたところです。

 

 

 この日は笹原集落は通過の予定でしたが、進行方向右手にこの光景が目に入って、ピーンときました。18日にフェイスブックに投稿されていた「あなぐら掘り」の場所なのでした。
 雪穴の中のお二人を撮影させていただきました。

 

 

 笹原集落を過ぎて、右手に当部(とうべ)集落を見やりながら進む道はなかなかのドライブコースです。

 

 

 左手は北野川。
 停まって川を眺めると、絶壁がとてもきれいです。

 

 

 右手に当部集落。

 

 

 急坂を下り、次は坂を上がりながらカーブすると北野橋。

 

 

 北野橋の上からの眺め。

 

 

 北野橋を渡り切り、北野集落に向かう。とくに紅葉期が素晴らしい。

 

 

 北野集落県道沿い。

 

 

 県道から左に入った集落内道路。
 このあたりは冬は雪がやっかい。

 

 

 県道に戻ると、左手に赤い鳥居。
 北野天満宮の鳥居ですが、天満宮はこの鳥居の先にあるわけではありません。
 では、なぜ、ここに鳥居が?
 昔はこの鳥居の先の山・美座山の上に天満宮があったそうです。

 

 

 前方に杉並木。
 この杉並木の途中、左手に天満宮があります。


 最後に、北野天満宮を紹介します。

 

 

 写真中央に見えるのは社殿。その左に見える(鳥居から見ると、社殿の奥になる)のが本殿です。

 

 

 以上で、切欠〜北野間の紹介が終わりました。
 一昨日に極野集落を紹介していますので、これで2月19日午前の東部地区配達路を辿るアルバムは完結です。

 

 


2月19日の配達路を辿る:その2〜志久見から極野まで〜

 

 2月19日の配達路を当日のブログでは雪坪(ゆきつぼ)集落と極野(にての)集落についてのみ紹介しましたが、今回はその続きで、まず志久見(しくみ)集落からです。
 まず、上の写真は、雪坪→志久見→柳在家(やなぎざいけ)→切欠(きりかけ)と順に進み、長瀬集落に向かう途中の県道沿いでのもの。「カタクリ街道」の別名があります。下の写真は昨年4月12日撮影。今年は昨年よりも雪が多いので、カタクリの開花はもう少し後の時期になるでしょう。

 

 

 

 

 

 志久見集落の県道沿いゾーン。中央奥に火の見櫓が見えます。
 このあたりは消雪パイプが設置されていますが、大雪の時は消雪パイプの雪処理能力が追いつかず、道路両側に雪が積もって道幅が半分くらいになってしまいます。この日は朝方、積雪がありましたが、少量だったので、道路は対向ができる幅が確保されています。

 

 県道沿いの集落の真ん中あたりで右に入る車1台がやっとの道があります。下写真がそれ。

 


 写真右手奥に見える大きな屋根は林秀庵(りんしゅうあん)。

 上の写真の道を進み、左に曲がると坂道。上写真の左手に見える家はその坂道の脇にあります。その坂道の写真を2枚。

 

 


 坂を上りきり、少し進んで右へ曲がったところが次の写真。

 

 

 見える建物は志久見住宅。元々は教員住宅として建てられたものですが、現在は村営住宅(アパート)になっています。

 志久見住宅の方へ曲がらず、逆に左折すると県道に戻ります。県道に戻ってすぐに大きなカーブで、その先に歴史文化館「こらっせ」(旧志久見分校)が見えます。

 

 

 「こらっせ」の先に見える道路両側の家はまだ志久見集落。

 

 

 「柳在家」の看板が見えます。
 ただし、写真左手にごく一部が写っているお家は震災で壊れた柳在家の家の替わりに新築されたものなので、柳在家集落の一員として暮らしておられます。
 道路右側にほんの少し雪の壁がきれているところがあります。そこから4軒の家に通じる集落内道路があります。次の写真がその道。

 


 写真右手に見えるのは観音堂。ただし、もう10年ほど前のことでしょうか、土砂崩れの危険があって、観音堂の本体は写真左手に見えるドーム型車庫上の建物に移転したそうです。
 このカーブを曲がった先の写真もご覧ください。

 


 走った感じとしては、この道路、19日朝は除雪が入らなかったのかなと思われます。
 大雪で一日に2回除雪が入るような日、この道路に2回目の除雪が入るのは遅くて、積雪が15cmを超えているように思え、スタックを恐れて、今冬、走行を回避したこともありました。でも、この先から振り返った時の景色は私のお気に入りです。

 

 

 

 集落内道路沿いの1軒のお家の横で撮ったもの。
 電信柱(電話回線用ですね)がかなりのところまで雪に埋まっています。
 奥に見える山は志久見街道(江戸期からある旧道)の大峠(おおとうげ)のあたりになるかと思います。

 

 

 先ほどの集落内道路を引き返し、県道に戻って少し進んだ地点。写真左手、手前から2つ目の建物は柳在家公民館。

 

 

 県道をさらに進んで、柳在家の南の端へ。

 

 

 柳在家集落の南端のお家の玄関前からの眺め。
 “たね”(消雪用の池)が雪消しに役立っています。

 

 

 この写真を見て、何処の橋かを答えられる人は栄村の村民でも稀なのではないでしょうか。県道の橋ですが、県道を走っているかぎりでは赤色の橋とは思いません。下が県道走行中に目にする橋の姿。切欠橋です。

 

 

 

 今回の冒頭に長瀬の手前の“カタクリ街道”を紹介しましたが、柳在家の写真点数が多く、今日の編集作業はここまで。切欠から先はまた次回。