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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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野々海大明神祭から

 7月1日は野々海大明神祭。天候が心配されましたが、幸いなことに雨が降ることはなく、無事、開催されました。

 


 さかえ田植え唄踊りの会が踊りを披露

 

今年の当番は横倉区。8時半から準備を開始


 今年の野々海大明神祭で特筆すべきは、十日町市長の関口芳史(よしふみ)さんがご参加くださったことです。堤上での神事で来賓としてご挨拶されました。「こんなところは新潟県にはない。野々海にむかって上がってくれるにつれて、だんだん霧が濃くなり、とても幻想的」という趣旨のお話でした。お世辞もあるかとは思いますが、十日町市長さんにこのような認識を抱いていただいたことの意義は大きいと思います。
 関口市長は神事の後、深坂峠を視察されました。本紙前号で取り上げた野々海〜大巌寺高原(松之山)の林道の終点(起点)です。関口市長の深坂峠視察によって、同林道の通行止め解除の展望がより固いものになったと言えると思います。
 


モリアオガエルの産卵の観察

 前号でモリアオガエルの卵塊を紹介しましたが、1日、貝立山裏〜野々海間道路脇の小さな池でその産卵行動を見ることができました。

 

 モリアオガエルの体色はいろいろあって、私が見たものは褐色。明るい感じの色のものが雌。手前は雄です。白く見えるのが卵です。今回は木の枝の上ではなく、水中での産卵で、この後も観察し続けましたが、大きな卵塊を形成するには至りませんでした。近くの木の枝には大きな卵塊が見られました。
 この写真の直前、雌雄は「合体」していましたが、モリアオガエルは交尾するわけではなく、産卵前の抱擁のようです。モリアオガエルの場合、雌が産み落とす卵子に雄が精子をかけることで受精が行われるそうです。今年はもう見るチャンスがないでしょうが、来年は木の枝の上での産卵の瞬間に出会えればいいなと思っています。
 


野々海から写真2点

 

モリアオガエルの卵塊です。
水面上にせりだした木の枝に、粘液を泡立てて作る泡で包まれた卵塊を産み付けます。
今年は雪消えの後に見られなかったので、「観察が遅かったか」と思っていたのですが、6月22日にバッチリ見ることができました。

 

 

野々海ゼンマイがたくさん出ています。また、赤コゴミも見られます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
栄村復興への歩みNo.360
2019年6月23日発行 編集・発行人 松尾真
連絡先:電話080−2029−0236、 mail;aokura@sakaemura.net
ゆうちょ銀行 11100−01361481 栄村復興への歩み協賛寄金 ながの農協栄出張所 普通0009390 栄村復興への歩み発行協賛金松尾眞


栄村復興への歩みNo.359(6月3日付)

 

水面に映るブナの木々

 

 6月2日午前の野々海池です。
 池の雪がかなり消え、対岸のブナが水面に映る姿が綺麗だなあと思って撮った1枚です。
 この日は野々海水路の普請の日。野々海池に上がった人たちは小屋を開け、池周辺でのさまざまな準備作業を終えて、通水の開始にむけて、白鳥や平滝・横倉の幹線水路の普請作業が完了したという報告が届くのを待っていました。陽気がよかったので、小屋の中ではなく、小屋の外で腰をおろしての待機でした。そのとき、ある人が「綺麗だなあ」と言って写真を撮ろうとされたのが上の1枚の様子でした。
 ただ、その方がカメラを向けられた時は、水面に映るブナの木々の姿が少し揺れているような感じ、あるいは少しぼやけた感じになっていました。私たちにはさほどに感じられない微風が水面に吹いたのです。
 紅葉期も木々が水面に映る姿は最高です。
 でも、その瞬間を撮るのはなかなか難しいものです。この日の私はラッキーだったのですね


野々海池と野々海水路について

 1頁に記したとおり、6月2日、野々海水路の普請が行われました。
 野々海水路の春の普請は通常、6月の第1日曜日に行われます。野々海水利組合の共同作業で、野々海水路の水を使用する白鳥、平滝、横倉、青倉、森の5つの集落から必要な人数が出ます。
 今年の普請をめぐって関係者は大きな不安を抱いていました。というのも、今春は野々海の雪消えが遅く、1週間前の段階では、十分な普請の作業ができるかどうか、なかなか確信をもてなかったからです。ちなみに5月24日の野々海池は次の写真のような状況でした。

 

 


 池のほとんどはまだ雪に覆われていました。上2枚目写真は池のそばにある水番小屋の入口の様子です。小屋の扉は上に開けるものなので、この雪の状態では開けられません。「6月2日には残雪は減って、開けられるだろう」とは思いましたが、他にも、標高が高いところの水路がまだ雪の下にあって、十分な作業ができないのではないかという不安は拭(ぬぐ)えませんでした。
 幸い、24日以降の1週間、気温の高い日が多く、随分と雪が消えてくれました。下の写真は普請当日、小屋の扉を開けた後の様子です。おかげで2日の普請は求められる作業を概(おおむ)ね終えることができましました。

 


 さて、今号と次号の2回にわたって、この野々海池と野々海水路について基本的な事柄、野々海池・水路の維持をめぐる諸問題をご紹介したいと思います。

 

● 野々海池の貯水量はオリンピック用プール545個分
 野々海の話をすると、「野々海池って、貯水量はどれくらいですか?」と尋ねられることがしばしばあります。私自身はデータを見たことはありますが、スラスラと数字を口にすることができません。数字よりも何よりも、10年以上にわたって野々海に頻繁に足を運んでいて、その水量の凄さは体感として感じとっていて、数字にはあまり関心をもたないからです。でも、野々海について人に伝えるには、やはり数字がスラスラと出てこなければいけませんね。今回、改めて文献にあたってみました。『栄村史水内篇』です。
 あくまでも計画値ですが、「有効貯水量 136万582?」とあります。しかし、こういう数字だけ見ても、どんな量なのか、実感をもって理解することができません。面積を表すのに「東京ドーム〇個分」という言い方がよくされるので、こんなことを調べてみました。「オリンピックで使用できるプールの水量って、どれくらいなんだろう?」と。
 オリンピックサイズのプールは長さ50m×幅25m×深さ2mで、2,500?の水が入るそうです。すると、1,360,582÷2,500=544.2328で、野々海池の貯水量はオリンピックプール約545個分となります。なんとなく「凄いなあ」と思えるかなと思いますが、いかがでしょうか。

 

● 野々海水路はどれくらいの長さがあるのか?
 野々海池の水は先に記したとおり、水内地区の5つの集落の水田に野々海水路で送られます。野々海池は標高1,020mに位置しています。そこから標高300〜500mにある水田まで山の中を通って水を送るのですから、野々海水路は相当の長さに達するだろうと容易に想像されます。でも、数字を見てみましょう。
 「幹線水路総延長19,502m(4路線、隧道4か所)、支線水路9,209m(内隧道4ヶ所)」とあります。

 

 

 


 これは『栄村史水内篇』259頁に掲載されている計画地図です。
 「溜池」と記されているのが野々海池。「隧道(ずいどう)」はトンネルのことです。手掘りされました。
野々海池を出てすぐにある1号隧道を出た直後、1号幹線水路から3号幹線水路が分岐します(第1分水点)。3号幹線は白鳥に向かいます。次の写真が1号隧道出口の6月2日の様子です。

 


 1号幹線はその後、4号幹線水路を分岐します(第2分水点)。4号幹線は平滝と横倉に向かいます。下の写真で手前に見えるのが第2分水点、先に延びる道の下に1号隧道を出た水路が流れています(水路を木で蓋しています)。

 


 この後、1号幹線は第2隧道に入り、円筒分水点に至ります(下写真)。ここで森集落に至る水と青倉集落に至る水(2号幹線水路)が分かれます。

 

 


 この後の1号幹線と2号幹線の特徴の1つに、途中、自然河川を水路として使用していることがあります。森に至る途上での東入沢川と、青倉に至る途上での西入沢川上流です。
 冬の期間は止められていた水を以上の幹線水路に通せるようにする作業が、今年は6月2日に行われた野々海水路の普請なのです。

 

 幹線水路だけで全長約20km。その維持・管理は大変なことです。

 野々海池の築堤工事と水路掘削は国の事業として行われ、その所有権は事業を国に代行して実施した長野県にありました。その後、栄村に譲渡され、現在は通常の維持・管理は関係農民で作る野々海水利組合が行っています。水利組合が維持管理を続けていくうえでの課題は何か。それを次号で考えてみたいと思っています。

 


5月18日昼の野々海池

 

今日は、6月2日に予定されている野々海水路の普請にむけて、野々海池の現状を把握する目的で、11時すぎに平滝から上がりました。
当初は明日19日に行く予定でしたが、どうも明日の空模様が怪しいように思えたので、1日早めて今日にしました。
上の写真に見られるとおり、まだほとんど一面、雪ですが、8日に見た景色からすれば、雪融けが随分と進んだ感じがします。6月2日まであと2週間。天気の良い日が多ければ、なんとかなるのでは、と思います。

 

堤入口までの道は14日頃に開けられ、道はもう乾いていて、堤入口までは車で行けます。
ただし、下の写真に示した箇所は「軽」でギリギリの幅しかありません。これは堤入口から三叉路方法に戻る時の撮影ですが、道路左側は土が見える部分の端はもう斜面です。下手に左に寄ると、落ちます。右側の雪は硬く、普通車が通れる道幅になるには相当の日数を要するでしょう。

 


この4日間での雪の減り方を確認するために、三叉路で撮った写真2枚を示します。

 


5月15日午前9時30分頃

 

5月18日午前11時50分頃

 

3日間で結構減っているように思います。

 

さて、大事なのは斜樋と水番小屋の様子です。

 


小屋はこんな感じですが、扉は開けられるのか? 次の写真をご覧ください。

 

扉の前の様子です。
まだかなりありますね。現状では開けられません。
小屋の裏側(朝陽が当たる)だけは雪が消えていますが、小屋の(扉側から見て)右側はまだ雪に埋もれていると言ってよいような状況です(下写真)。

 


つぎに、斜樋です。
小屋付近から肉眼で見た分には斜樋は雪に覆われていましたが、写真をよく見ると、少しだけ金網が見え始めているようです。

 

 

 

堤に通じる橋の上は雪が消えつつありますが、堤の上はまだ30〜50cmほどの雪があるように思います。
昨年までは、こういう状況でも堤のところまで行きましたが、今回は止めておきました。上の写真の雪の斜面を滑らないように下らないと、いっきに余水吐のところに転落します。今年の脚・腰の状態から考えて、踏ん張りが効かないおそれがあるので、下るのを止めた次第です。
写真撮影などで訪れる人は、下らないようにご注意ください。

 

今日は時間がなかったので、ミズバショウ群生地には行きませんでした。5月15日にミズバショウ群生地にむかって歩いた東窓の様子は右のとおりです。

 


東窓→沢のコースで群生地に向かうことはまだ可能のようです。
ちなみに、深坂峠に向かう道路の道開けは当面予定されていないようなので、このコースで接近するしかないでしょう。
ただし、沢を進むのはそろそろ危険になるので、東窓を通って、信越トレイルの東窓と深坂峠を結ぶルートを辿るのがよいでしょう。

 

 今日は、野々海で4グループ・個人に出会いました。
 1グループは信越トレイルの関係者でした。現況確認に来られたようです。
 三叉路に軽自動車を停めていた人は写真撮影のようで、三叉路〜キャンプ場間で撮影されている姿を見ました。
キャンプ場付近にスノーモービルを運ぶトレーラーを繋いだ車が停車していました。モービルのエンジン音が聞こえました。
 最後に三叉路でお会いした方(お二人)はやはりモービル関係者でした。「今日はもう無理。モービルはやらずに帰る」とのことでした。今年で4回目だそうで、お話すると、非常に素敵なお二人でした。スノーモービル、野々海−栄村の観光について意義ある意見交換ができました。

 


最後に、第2分水点と円筒分水器の付近の様子を紹介します。

 

第2分水点付近です。

 

第2分水点から平滝・横倉にむかう水路が通るのはこのあたりだと思われますが、6月2日に水路が見える状態になっているか、ちょっと不安。

 

円筒分水器付近です。

 


 以上、5月18日の野々海の報告です。


冷え込んだ5月8日の野々海

 

異例の冷え込みとなった5月8日朝、午前7時18分に標高約900mの地点から野々海池をめざして雪の山道を歩き始めました。1枚目は8時47分、野々海三叉路の池塘の辺りで撮影したもの。

 

 

野々海池の今朝の様子。8時28分撮影。
池はまだほとんどが雪でおおわれている。

 

水番小屋の様子

 

余水吐の手前、雪が融けた箇所の様子。

 

 


池の到着する直前、ギクッとした場面。
ブナの枯れ木がまるで人が立っているように見えました。8時16分。

 

以前、よく見かけた面白い形のブナの木に久しぶりに出会った。
7時46分。

 

上った道の様子。かなり勾配があるところ。7時42分。

 

 

 

今日の圧巻は野々海への道から見えた北アルプス方向の眺め。
これは帰路に撮影したもので、9時28分撮影。右に見えるのが妙高山。
次の2枚は、上の写真の左側に続く山並み。

 

 

 

 

次の1枚は、上り時に撮影したもので、妙高山の右手に火打山が見えています。7時8分。

 

 

 

 

 

今朝は5月としては異例の冷え込み。標高約650mの田んぼでは、田んぼの融雪の水が凍っていました。


すべての写真で雲が見えません。一点の曇りもない青空の朝でした。


栄村復興への歩みNo.345(9月17日付)

 

 これは9月13日午前10時頃に撮影したものです。何処なのか、お分かりになるでしょうか。水面が見えるので、察しのいい方は「野々海池かな?」と見当をつけられたかもしれません。正解です。
 でも、写真手前に見える、まるで遺跡発掘地の跡であるかのような地形を見たことがある人は少ないのではないでしょうか。本紙No.342(7月22日付)で水位が下がった野々海池で西端の方まで岸辺を歩いた時の写真を紹介しました。9月13日はその時からさらに水位が下がり、7月時点では見えなかった地形がこのように見えるようになっていました。
 9月13日はじつは私一人ではなく、昭和20年代後半に野々海築堤工事の現場に行っておられた大先輩と一緒に行きました。白鳥集落出身で現在は津南町羽倉集落にお住まいの久保田晋介さんです。私が9月2日に堤の対岸を歩いた時の写真をお見せしたところ、「行ってみたい」と言われ、13日、ご一緒しました。上の写真の地形を目にして、「築堤前の地形がそのまま残っている」と言っておられました。今号では、少しページ数を割いて、今回見た地形や遺構を紹介したいと思います。


野々海池を探検する

 

 

 野々海池は水位がすっかり下がり、上写真のように水かけ口を覆う金網の一番下の部分が見える状態になっています(下写真は、金網の中の様子)。

 

 

 

 上の写真は、そのかけ口から対岸正面方向を撮影したものです。対岸近くの湖底地面が見えています。でも、平素見る野々海池の形と基本的には変わりません。そこで、次の1枚をご覧ください。

 

 

 対岸から洲が大きく伸びていて、堤から見ている時には想像できない姿を見せます(下地図のっ賄澄法

 

 

 

 「対岸から洲が大きくのびていて」と説明した写真を撮った地点の近くから、野々海池の西方を眺めたものです。ずいぶんと広い地面が広がっていることに驚かれることでしょう。平素はここがすべて水面下になっているのです。
 写真に見える樹林ゾーンとの境目の写真左手から4分の1あたりに池が切り込んでいるところがあります。野々海池の最西端です。そして、そこの様子が次の写真です。

 


 上写真は地図の△らJ向を眺めたものです。の北西に「西窓」という湿地がありますが、その近くから沢が野々海池に流れ込んでいることがわかります。

 

 

 これは地図の|賄世ら地点に進む途中で見つけたもの。
 写真に姿が見える久保田晋介さんから「炭焼き窯の跡だよ」と教えていただきました。
 他に2ヶ所でも窯跡が見られました。
 この一帯がまだ野々海池に水没する以前、野々海一帯で広く炭焼きが行われていたことを示す遺構ですね。

 

 堤近くの|賄世ら地点にむかって歩き始めて間もなく、岸辺の様子が他とはちょっと異なる箇所があって気になりました。岸辺から少し離れたところが盛り上がっているのです。

 


 盛り上がっているところをクローズアップしたものが下写真です。

 


 これは倒木がずっと水中にあったためにあまり腐敗せず、原形がほぼ保たれたまま炭化したものではないかと思われます。
 なかなか興味深いものです。専門家による鑑定をしていただけるといいなと思っています。

 

 この日は、野々海池の探検はこれだけでは終わらず、滅多に見られないものにもう一つ出会いました。
 早めのお昼をたべるためにキャンプ場に移動したのですが、そこで何やらボーリング機械を打ち込むような音が聞こえてきました。近くには「新潟大学」のネームが入った車も駐車しています。

 

 

 湿地「東窓」の木道のすぐそばで地下深くの土壌をボーリングで採取する作業が行われていました。

 


 上写真の真ん中に見える茶色っぽい円筒状のもの。地表からの深さ3m〜4mの間の土壌です。
 新潟大学、千葉大学、国学院大学、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究者が共同で進められている環境史研究の調査だそうです。私が作業の様子を垣間見せていただいた地下3〜4mあたりは3万年前くらいに出来た地層と考えられるそうです。この土壌サンプルを研究室に持ち帰り、詳しく調査されます。仮に姶良カルデラ(鹿児島県)の火山灰が検出されたとすると、姶良カルデラの爆発は約2万9千年前〜2万6千年前のことですから、その頃に形成された地層であることがわかるという次第です。
 私たちが暮らす大地の歴史がわかるというのもなかなか興味深く、面白いことですね。

 

 野々海池は、水取り込み口の修理の関係で、9月13日よりも水位が上がらないように水が抜かれますので、しばらくの間、野々海池の底の地形を見ることができます。機会をみつけて、是非、ご覧ください。その際は、長靴が不可欠です。また、一人での行動は危険で、複数名で行かれるのがよいと思います。

 


素敵な人と出会いました

 

 野々海池の水位と紅葉の始まり具合を確認するため、8月18日(土)朝、スキー場からブナ林をぬけるコースで野々海に行きました。
 三叉路の池(池塘(ちとう))で、水中生物を採集している人を見かけ、声をかけました。
 私の当初の思いは、「自然環境を攪乱しないでほしい」ということでしたが、先方のご返事を聞いて安心しました。そういうことを理解されている人だということがすぐにわかったからです。
 さて、野々海池の様子を見たり、撮影したりして40分後くらいにその場に戻ると、ちょうど観察活動を終わられる頃。陸上でお話することができました。「何がいましたか?」とお尋ねすると、私が知っている水中生物の名前も出てきましたが、まったく聞いたこともない生物の名前がポンポン飛び出してきました。
 お会いした翌日にその方からメールをいただいて知ったのですが、「生物分類技能検定」というものの2級の資格をお持ちの専門家でした。栄村にはよく来られるようで、「次回に行くときは事前にメールでお知らせします」と言っていただきました。
 これまで本紙でも栄村−野々海の貴重な自然環境についていろいろと書いてきましたが、最大の悩みは、栄村で見られる貴重種と思われる生きもの、植物についてアドバイスいただける専門家とのつながりがなかなか得られないことでした。その意味で、今回の出会いはとても貴重なもの、素敵なものだったと思っています。
 希少種については下手な情報公開を避けなければなりませんが、今後、この方から学ぶことでご紹介OKのことは本紙で扱っていきたいと思っています。
 また、こういう出会いは栄村の観光の発信力を高めることにも役立つと思います。
 この方からご提供いただいたクマタカの姿をとらえた2枚の写真を紹介します。私もよく見かけますが、運転中に見ることが多く、自身では撮影することができていません。

 


 


面白い地形が見えてきた〜水位が下がった野々海池を探検する〜

 

 この写真を見て、「ああ、野々海池だね」とさっと言える人は少ないかもしれませんね。
 滅多に見ることができない、そしてまた滅多に撮れない1枚です。下に示す地図のD地点から野々海池に下り、水位の低下で広がる池底面を歩いて行った先端地点で撮影しました。ちなみに、対岸の左手に野々海池の堤が見えています。

 

 

 9月2日午前、野々海池の水位の低下とそれによって見える池底の地形を見ようと思って、野々海に向かいました。「晴れ」という具合にはいきませんでしたが、雨の心配はなく、地図のA~B間とD地点付近で水位の低下で出てきた池底面を歩いてきました。
次頁から、歩いた順で紹介していきます。

 

 

 31日にかなり激しい雨があり、昨日1日も午前は雨だったので、水位がけっこう回復しているかと推測していましたが、水位は前回8月27日に見た時とほぼ同じか、やや低い感じでした。ちなみに、下写真は昨年9月18日のほぼ同じ地点で撮影のものです。

 

 

 下写真は地図A〜B間の中間あたりでC方向を見たもの。

 

 

 

 A~B間でこんなものを見ました。
 水位の低下にともなって見える木の根は、これまで、「流れ着いたもの」かと思っていましたが、じつは根をしっかりはっているものなのですね。驚きました。
 野々海池に流れ込む沢の水の流れも見えました。

 

 

 

 

 

 B地点付近から西方向および西北方向を見たようす。下の写真に見える池に突き出た土の部分、じつはこの後、その突端部分に自身が立つことになります。

 

 

 

 B地点で南東方向を撮ったものです。写真左端に見える地点は相当に深い。下の写真です。

 

 

 本当はB地点からさらにC地点方向まで進みたかったのですが、ここを渡れないので断念。

 

 堤の手前で、水位低下で現れた地面に下り(A地点)、B地点に向かい始めたのは11時14分。そして、B地点で上の写真を撮ったのが11時29分。再びA地点に戻ったのは11時42分でした。

 

 

 

 C地点から野々海池を覗いたもの。
 写真の奥に見える地点をクローズアップすると、

 

 

 

 車で野々海峠方面に進み、「長野県最北端」の地点の紅葉の進み具合を見た後、D地点に戻り、平素は堤から見る「対岸」に下り立つことをめざして、下写真のところから林を下りました。12時半頃のことです。
 林の中を進み、「対岸」に近づくと、これまでこの地点を進んだ時には聞いたことがない強い水の流れの音が聞こえ、驚きました。「ひょっとすると、下りられないのか」と思いながら進むと、下りることはできましたが、こんな川(沢)が野々海池に流れ込んでていました。

 

 

 

 

 

 「川」の左手、上写真の手前は細かくなった木の枝や落葉が重なったもので、まだ柔らかい。
 しかし、その先は少し高くなり、しっかりした地盤。堤が完成して野々海に池が出来る前の地形ですね。この高いところを進んで行って、先端部分まで行って撮影したのが、このアルバム冒頭の写真です。
 立ち木のまま池底に消えたはずの木々の姿がたくさん見えました。

 

 

 

 紹介したい写真はまだまだたくさんありますが、紙幅の制約がありますので、今回はここまでとします。