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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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3月1日〜5日という日

 「5年間を思い出す」を作成する作業がしばらくストップしていたが、2月25日から3月5日にかけての写真記録をある程度整理することができた。
 震災の翌年、2012年は今ほどたくさんの写真は撮っていない。写真がない日が多く、3月1日〜5日では2日の写真のみがあった。2013年はやはり病気で写真がない。2014年になるとぐっと写真が増える。そしてまた、13年12月から村の1軒、1軒を自身で配達に廻るようになったことで初めて知ることが出てきていることがわかる写真もある。


2012年3月2日


 旧国道の青倉〜横倉間にある横倉沢橋の震災復旧工事の様子。

 「2012年2月22日」と「2012年2月24日」で横倉沢橋に至る道路の道割り・除雪の様子の記録写真を紹介したが、3月2日には除雪をうけての震災復旧工事が進められている様子の記録写真があった。
 国道117号線に架かる栄大橋をはじめとして、村内の橋の多くは飯山市方向へずれ、道路と橋の間に隙間ができた。そこで、橋台を造り直すことになる。横倉沢橋でもその様子が見られた。次の写真がそれである。


 
 同時に、中条橋は12年1月末に落下したばかりで、その無残な姿をさらけ出したまま。3月2日にその姿を撮っている。これを毎日、目にする青倉の人たちの気持ちには当時、辛いものがあっただろう。



 
2014年3月1日

 2013年3月には「飯山線の旅」という復興支援イベントを行ない、盛況であったが、2014年は計画がされたものの実施には至らず。でも、当時、小滝に住んでおられた加藤彰紀さんの友人が「冬の飯山線の旅を体験してみたい」ということで村を訪ねてきてくださった。写真の女性である。



 案内は加藤さんがやって下さったので、私が撮ったのは森宮野原駅到着時の1枚のみ。
 
 もう1枚は小滝の古民家保全・修復の進展度の記録写真。
 雪の中、外壁がどんどん出来てきている様子がわかる。




2014年3月2日


 原向集落の中村正文さん宅の積雪計。約150cmある。


 復興交付金による直売所施設の建設工事の始まり。用地の整備の段階だ。
 14年3月という時期は、一方で役場が「雪国産直塾」という講演会シリーズをやっていたが、村民自身が主体となる直売所づくりという意味ではある種の混迷期であった。昨年開店以降の直売所の発展は、この当時には想像できないものだったと言っていいだろう。


2014年3月3日


 月岡〜小滝間の村道での道路除雪隊の活動の様子。ロープで雪庇(せっぴ)を落とそうとしているところだと思われる。写真右手前に後姿が写っているのは野田沢集落の宮川一哉さんだ。

 
 こちらは小滝の古民家保全・修復作業の様子。


2014年3月4日


 役場の通路の展示スペースに飾られた吊るし雛。
 森集落のかあちゃんたちが制作されたもの。
 震災で家が壊れ、長年住み慣れた場所から少し離れた場所の復興住宅に入られた人などが互いに交流し合い、日常の暮らしを取り戻していくうえでとても大事な取り組みである。
 もう1枚掲載しておこう。
 




 次の写真から2015年に移る。

2015年3月2日




 
 箕作〜明石を結ぶバイパス建設のための平滝での橋脚建設の様子を撮影している。


2015年3月3日


 原向集落の中村正文さん宅の積雪計。約250cmを示している。
 2014年3月2日は先に示したように約150cmであるから、やはり2014-15年冬は雪が多かったことがわかる。
 それでも、早いところでは蕗の薹が姿を現わした。次の写真は青倉で撮ったものと思われる。
 




 こちらは建物がほぼ完成した直売所。1年前は「2014年3月2日」で示したように建設用地の整備の段階。1年間の変化がよくわかる。しかし、村民が主体的に運営する直売所の様子が見えるようになるにはもう少し時間を要した。

 
 中条川の白山神社横の砂防えん堤と、その少し上流の谷止工との間での除雪作業の様子。
 今年2016年はこういう光景は見られない。中条川上流の山腹崩壊、土石流の対策については不明な点、納得できない点が多々あるが、時の変遷が状況を変えている面もあるように思う。中条川問題をきちんと解明しなければならないという気持ちを新たにした。


2015年3月4日


  白鳥集落の奥の方、橋場川に架かる小さな橋の様子。ここを渡った先に2軒の家がある(1軒は現住、1軒は留守家)。
  まだ凄い積雪量で、橋場川はほとんど雪に隠れていた。
 

2015年3月5日


 森宮野原駅構内での撮影と思われる。
 栄村の平年で3月5日という時期はこんな風景が普通である。


 これは国道117号線栄大橋の下。重機が2台見える。中条川護岸の「災害復旧工事」である。この復旧工事は「公式」には「2013年台風18号による災害の復旧工事」となっている。だが、「2013年台風18号による災害」とは中条川の土石流のこと。2011年3月12日の震災による中条川上流山腹崩壊が原因の災害である。
 震災復旧工事と一般の災害復旧工事とでは国の補助率も変わってくるケースがある。ところが、震災の影響というものは震災直後だけでなく、3年、4年を経た後に出てくるものもある。それが「震災復旧」から切り離されるのは納得がいかないものである。
 次の1枚は、同じく「台風18号災害復旧工事」とされた、青倉集落の用水取り入れ口「大堰(おおせぎ)」の復旧工事のための除雪作業の様子。



 

2月23日という日



 2016年2月23日の1枚は、平滝集落の山の方を走る村道の道割りの様子。
 国道117の白鳥大橋手前、オマチ川の近くに設置された藤巻建設の現場事務所での取材を終えて、外に出たところで偶然、目に入った。
 日常の暮らしで使われることはなく、農作業に入る人だけが使う道。こんな時期の道割りは今までにないことなのではないかと思う。
 この後、この道に入ってみたが、雪は多いところでも1mなかった。



 2012年2月23日は、なぜか1枚も写真がない。当時は、私は「復興への歩み」を執筆・編集していたが、配達は自分ではしていなかった。そのため、カメラを持って村内を巡ることがない日もあったわけだ。現在との活動内容・形態の違いが自分でもよくわかった。
 2013年2月23日は、やはり病気で写真がない。


2014年2月23日



 この日は撮った写真があまりない。
 数少ない中の1枚がこれで、月岡集落大巻から小滝集落にむかう道路脇の崖面を撮ったもの。
 震災の日、このあたりは雪崩が通行が不能となり、小滝集落の人たちは京都市消防局のヘリで北信小学校(現在の栄小学校)に避難したのだった。
 今年2016年は少雪で、雪崩防止柵から溢れ出んばかりの積雪はない。


2015年2月23日



 切欠集落の横の県道のカーブのところでの排雪作業の様子。
 2014〜15年の冬の雪はやはり凄かったのだ。
 
  
 坪野集落のいちばん奥、天代川に架かる橋の手前。当初は「雪崩か」と思った。
 坪野の人に尋ねると、写真右に見える崖の上の集落内道路の雪の壁を落としたものだそうだ。私は初めて見るので驚いたが、毎年、この時期になると行われることだとのこと。でも、栄村内の人でも、こういうことを知る人は少ないと思う。
 
 

2月24日という日



  今日2016年2月24日は激しく雪が降る時間帯もあったが、さかえ倶楽部スキー場では北信保育園の雪遊び。今冬2回目だそうだ。雪の山に登り、それから滑り降りる。
 子どもたちのパワーは凄い。付き添う先生方、大変ですが、まさに栄村ならではの保育。
 山は下の写真に見られるように、かなり高いもの。



 ある園児のおかあさんからお知らせをいただき、撮影に出向いた。
 写真はたくさん撮ったが、子どもたちの顔がわかる写真はまず保育園に提供し、保護者の方の許可を得たうえで公開する予定。


2012年2月24日



 「2月22日という日」の「2012年2月22日」で青倉〜四ッ廻り間の道路の道割りを紹介したが、その道割りを進めた先で雪に埋もれていた復旧工事現場事務所を掘り出す作業。横倉沢橋の復旧工事だったと記憶している。
 おそらくコンテナハウスだと思われるが、一冬の雪の重みによくぞ耐えたものだと感心したことを覚えている。



 上の写真の撮影地点の少し先、横倉沢橋。この橋を渡って左に折れると、青倉集落の四ッ廻りの田んぼゾーン。


2013年は2月24日も写真なし。


2014年2月24日



 なんということもない写真だが、森集落にある高齢者総合福祉センター横の道路の様子。
 凄い雪の山ができている。この山は、写真中央に見える狭い道の雪から押し出されてきたもの。
 13年12月から自分自身で村内配達を行なうようになり、村内のそれぞれの道路がどんなふうに除雪されるのか(雪を飛ばす先、押し出す先がないと除雪できない)、いろいろとわかるようになってきた。この1枚はそのことの記念のようなもの。
 
  
 この日、「復興への歩み」の配達で大久保集落を廻った私は、阿部家住宅の阿部マスミさんをお訪ねしたようだ。マスミさんがご覧になっているのは、阿部家住宅を訪れたことがある京都の大学生からの年賀状。2014年にはすでに結婚していて、「今春、出産の予定です」と書かれていた。その人はその後、2015年秋、お子さんを連れてマスミさん宅を訪れた。


 
 菅沢農場の一角にある堆肥センターの畜産農家・樋口和久さんが牛糞を搬入されているところを撮影。
 牛糞を主原料とする堆肥は栄村の循環型農業にとって不可欠のもの。震災で畜産農家が1軒だけになり、ピンチ。
 この年の春、阿部長野県知事が樋口和久さんの牛舎を視察したことが大きな転機となり、牛舎の規模拡大、震災前まで畜産農家だった人の畜産復帰への道が拓かれることになる。
 
  
 これまでに2回ほど紹介した小滝の古民家保全。
 雪の中で、外壁がはられていく。


2015年2月24日

  
 森集落の広瀬忠雄さん。
 農作業用の資材などを入れてある建物(写真右上に屋根が見える)の前の除雪。
 もうこの時期になると、百姓をする人は春の農作業の段取りを考えて、いろいろと動き出す。
 
  
 国道117を走る排雪作業のダンプカー。2015年はすごい台数だった。今年2016年はほとんど見かけない。除雪に関係する人は今冬、稼ぎがない深刻な状況。
 
  
 中条川に架かるスキー場に向かう道の橋・貝立橋から撮影。
 1台のミニバックホウが除雪作業。
 青倉集落が中条川から水を取り込む大堰(おおせぎ)の災害復旧工事の再開のため。
 この復旧工事、直接には2013年9月の台風18号災害の復旧工事とされているが、元を辿れば、震災の中条川上流の山腹崩壊・土石流災害が大元。
 でも、災害復旧工事においては、震災との関連づけはされない。国の災害復旧工事の問題点の1つだ。

 


2月22日という日



 今日2016年2月22日の1枚はこの写真にした。
 栄村の人でもあまり見慣れない景色かもしれない。平滝集落から明石(あかいし)(野沢温泉村)を撮影したもの。バックホウが2台見え、除雪作業をしている。普通の道路除雪とは異なる光景である。復興交付金で建設される箕作〜明石間のバイパス道路の一環で、平滝〜明石間に架けられる橋の橋台建設のための除雪作業。先日、明石で見た看板によれば、工事は進捗率45.2%。
 このバイパス道路は、「栄村震災復興計画」の柱の1つ、「災害に強い道路ネットワークづくり」の重要な環をなすものだ。しかし、これで充分ということではない。国道117の平滝〜森間が災害で通行不能となった場合を考えると、「災害に強い道路ネットワークづくり」には栄村村内の道路網のより深い検討が必要。村は「復興計画」に基づいて、具体策を考えなければならないのだが、「復興計画」策定後から3年半、その作業を進めていない。


2012年2月22日


  
 青倉集落から四ッ廻りに通じる道路(旧国道)の道割り作業の様子。
 平年はもっと雪が減った4月以降に行われる作業。震災翌年の2012年は復旧工事のために、写真に見るようなすごい作業が行われた。
 
  
 こちらは仮設住宅の集会所横での除雪作業の様子。




 ある高齢者世帯の内部を見せていただいたもの。
 崩れた壁に合板などをガムテープで取り付けてある。震災から1年の段階で、こういう状態の家は高齢者世帯を中心にまだまだたくさんあった。
 
  
 凄い積雪だが、青倉集落の一角。
 この場所がこの年の秋にどんな様子に変わっているか。この「5年間を思い出す」シリーズがその時期になったら紹介しようと思う。
 


 「2012年2月19日」で紹介した坪野の空き家の除雪作業のその後。
 斉藤秀男さんの作業に頭が下がる。


2013年は2月22日も写真なし。


2014年2月22日

 
  
 この日はあまり写真を撮っていなくて、この1枚。
 原向の中村正文さん宅の積雪計。積雪2mを示している。


2015年2月22日


午前9時36分。


午後3時56分。

 この日は、除雪ボランティアの人ともに、大雪で除雪が間に合わなくなっていたところの除雪作業をした。手作業でそこそこに除雪が進んだ。

 

2月21日という日



 「5年間を思い出す」は今日で5日目(第5回)になるが、会合の写真をTOPに置くのは初めてだ。今日2016年2月21日午後2時から森公民館で開かれた「森新井戸稼働状況説明会」の様子である。
 詳しいことは「復興への歩み」等で説明したいが、震災・中条川上流の山腹崩壊によって森集落の簡易水道の水源からの水の供給が不能になった。その後、森集落中条地区の白山神社近くに井戸が掘られ、2012年夏に新しい水道給水施設がつくられた。しかし、その後、水道から黒い水が出るという苦情が続出。水道水にマンガンが多量に含まれていることが原因であった。昨年、その対策として新しい井戸が掘られたが、その後の経緯が地元住民にきちんと説明されていない。そこで、森区(集落)が役場に説明を求め、今日の説明会に至った。
 会合では、長老クラスの人たちから厳しい声があがった。「震災から5年経っても、この状況。何をタラタラやっているんだ!」という弾劾も。
 村長は「復旧は終わった」と言うが、復旧すら充分ではないという現実。
 満5年目を前にして、深刻な問題が露呈してきた。私自身のこれまでのレポートの不充分性の反省を含めて、問題の根底にあるものを徹底的に解明していきたいと考えている。



2012年2月21日



 2012年2月12日はわずかな枚数の写真しか撮っていなかった。
 「2012年2月20日」で紹介した平滝のある家での除雪のボランティアがこの日も活動を続けて下さっていた。


2013年2月21日はやはり写真撮影なし。


2014年2月21日



 小滝集落の古民家「隣りの家」の修復工事のために、大雪の中、毎日、小千谷市から通って下さった星野工務店の人。



 屋根に迫る積雪の中での大変な作業であった。


 基礎の土台が2つ見える。
 元々は丸い石に柱をのせる古民家のつくりであったが、古民家の修復・保全にはその基礎を造り直すことが必要だった。
私はこの頃、修復資金の確保に不可欠の作業として、日々の修復作業の様子を写真撮影するために1日に2回くらいの頻度で小滝集落に通っていた。この頃の写真データを見ると、「これでもか、これでもか」と言わんばかりに古民家修復作業の写真が出てくる。


2015年2月21日



 国道117号線の栄大橋の下に飯山線の中条川橋梁があり、列車が走る姿を撮影している。
 2015年の2〜3月、私は飯山線の冬期の列車運行状況を知らせる記事を毎日のようにブログにアップしていた。私がこの秋に予定されるSLの飯山線運行を「復興への歩み」で大きく取り上げているのは単なる趣味の問題ではない。栄村の復興にとって飯山線の存在、その活用が非常に重要であることを、この5年の歩みの中で強く感じてきたからである。


 飯山線の列車の様子を撮影すると同時に、そのすぐ近くの中条川崖面の様子も捉えている。



 写真右手に水が落ちている箇所が見える(雪が消えているところ)。青倉集落から水路の水が中条川に落ちるところである。そこの崖面が崩れてきている。別の日に撮った写真のほうがその様子をもっとクローズアップしているが…。
 この崖面崩落箇所は2015年、県が行なった栄大橋下の中条川護岸復旧工事の一環として対策工事が行われ、崩落の危険はひとまずなくなった。しかし、この問題、村は県まかせで、村としては無対応であった。
 冒頭の森水道問題において、震災前の水源の復旧を、「山腹崩壊対策の治山工事(県が実施)が行われていて、水源復旧は無理」とする村の対応と、根っこにおいて共通するものを私は感じている。今後、「復興への歩み」において深めていきたい。
 


2月20日という日



 今日2016年2月20日は、「春の嵐」が予報されていたが、日中はなんとか天気がもち、秋山では「秋山小校区合同雪上運動会」が開催された。
 写真は、雪の積み上げ競争で、肩車に乗って雪を積み上げる少年。
 
 秋山郷では引き続き午後、ワケショが立ち上げた「GO会」の主催による「秋山郷の未来を語ろう会」が開催された。
 今日の集まりの最大の特徴は、「年寄り」が秋山郷の色んな文化や伝統を語り、ワケショがそれに熱心に耳を傾け、地域の伝統行事を継承しつつ、秋山郷の未来を担っていこうという真摯な姿勢。
 そんな雰囲気を伝える1枚を紹介したい。
 
 
 
2012年2月20日



 2012年は2月20日もボランティアの人たちが除雪支援に来て下さっている。写真は平滝集落のあるお宅の裏手。雪の量が半端じゃない。



 この写真も平滝で撮影したもの。
 国道117号線沿いの千曲川側に6軒ほどの家が並んでいるが、その裏手の法面の復旧工事の様子。この箇所で法面の工事が行われたことははっきり覚えているが、積雪の多いこの時期に行われていたことは忘れていた。
 「5年間を思い出す」作業はやはり大事なことだと思った。


2月20日も2013年の写真はない。


2014年2月20日



 青倉のかあちゃん4人のお茶のみの様子。
 「お米のふるさと便り」(青倉のお米の産直の月刊ニュース)のために撮影させていただいたことを記憶している。
 撮影場所は、復興村営住宅の一室。4人のうち3人までがそれぞれ一人暮らしで復興村営住宅に住んでおられる。住宅の場所は震災前の住居とほとんど同じ場所。
 震災からほぼ3年、日常の不通の暮らしが戻って来ていることが実感できる。
 
 
 
 これは栄村公民館による移動図書室のサービス。やはり青倉で撮影。
 このサービスも震災から2年以上が経過してから復活したのだと記憶している。


2015年2月20日

  
 最近では家の新築現場などに行っても、大工さんが鉋(かんな)を使っている姿を見ることはほとんどない。
 この写真で鉋をかけている人は大久保集落の阿部貞夫さん。
 
 
  
 配達の途中で、貞夫さんの作業場に立ち寄った。
 もうご高齢だが、最近では一輪挿しを直売所に出されるなど、お元気に活躍されている。



2月19日という日



 今日2016年2月19日午後に撮った1枚。
 桐のつぼみ。今年の春の到来の早さを感じる。
 17日に降ったかなりの雪は日陰を除いてあっという間に消えた。昼頃、役場近くの気温表示板は16℃になっていた。異常だ。


 この「5年間を思い出す」のために、2012年〜2015年の写真データを見ると、いずれの年もこの時期は雪の写真がほとんど。
 震災の年・2011年を含め、過去5年間は震災に追い打ちをかけるかのように大雪が人びとを苦しめたことが思い出される。
 

2012年2月19日



 坪野集落で撮ったもの。屋根の上に見えるのは斉藤秀男さんだ。
 坪野を訪れると、集落の入り口に1軒の空き家が存在する。この家と秀男さんは親戚というわけではないようだが、「俺が雪を下さなきゃ、家が潰れる」と言って頑張っておられた。
 昨春(2015年春)、雪が消え始めた坪野に配達に行った時、愕然とした。この家の軒が完全に壊れ、家は廃屋化していたのだ。
 秀男さんは数年前から足・腰の痛みを訴えられていて、2014年秋の水路普請には出ることができなかった。
 震災で大きな被害を受けながら、役場からも半ば見捨てられたような形になった坪野集落。この家の姿は、この5年間の歩みの厳しさを象徴するものだと思っている。
 ただし、まだ完全に手遅れというわけではない。坪野集落の再生はいま手を入れるならば、まだ可能だと思う。
 
 その他、2012年2月19日には、2月18日と同様、除雪に励んでくれたボランティアの姿が撮影されている。
 
 
 これは青倉集落の島田一松さん宅。一松さんご夫婦とボランティアの人の姿が記録されている。
 なお、昨日、「2012年2月18日」の写真で「泉平ではないかと思う」と記した写真は小滝集落でのものだった。
 
 
 雪坪集落から高倉山などを撮影したもの。自分の意識では風景写真を撮るようになったのはここ1〜2年だと思っていたが、2012年にもこんな写真を撮っていたことに自分で驚いている。


 2013年2月19日は、やはり体調不良で写真記録がない。


2014年2月19日



 箕作集落の保坂はる子さんが巨大なスノーダンプで雪を運び、“たね”に入れようとされているところ。
 当時の「復興への歩み」にも1枚掲載したが、後日、ご本人から「娘から『写真が出ているよ』と連絡があった」というお話を聞いた。
 2ヶ月半ほど前の2013年12月から自身で「復興への歩み」の配達を始め、それまで知らなかった人たちといろんな形で顔見知りになり、こういう写真を撮らせていただけるようになり始めた頃の記念写真的な意味がある1枚だ。


2015年2月19日


 
  
 いずれも役場前で撮影したもの。
 除雪で出た雪の山の高さが凄い。後ろの2階建ての家の屋根の高さにまで達している。
 

2月18日という日

 まず、今日(2016年2月18日)の様子を1枚。



 スキー場にむかう道から眺めた青倉集落。午前10時少し前。
 昨日17日は朝から夜までよく降ったが、今日は一転、朝から快晴。穏やかな陽気。

 昨日は2015年から2014年、2012年と戻っていくという順だったが、震災翌年の2012年から振り返るほうがよさそうなので、今日は2012年2月18日から。



2012年2月18日

 震災の傷が癒えない2011〜12年冬、中条橋の落下に象徴されるように、かなりの大雪。多くの人が除雪のボランティアに駆けつけて下さった。2012年2月18日にはその記録写真が残っている。
 


 これはおそらく泉平集落で撮影したものだと思う。特徴的な家があるので、一度、場所確認に行ってみたいと思う。
 上の写真の撮影は午前10時50分だが、その1時間前は下写真のように屋根の雪と地上の雪がつながっていた。
 
 
 
 
 もう1枚。これは青倉集落の高橋甚治さん宅。
 
  
 当時の「復興への歩み」に、「まったく光が入らなかったお風呂場に光が入るようになった」と記録されている。


2013年2月18日
「2月17日」と同じく、私は病気で写真を撮っていない。しかし、写真データを整理していたら、2013年2月6日撮影のこんな写真があった。1年前に落下した中条橋に代わる新しい橋の橋脚が出来ている。
 
 
 
2014年2月18日
 
 2014年は2月15日に平素は雪が降らない地域でも大雪が降り、孤立地域が続出するなど大事件になった。
 私はちょうど村から外に出ていて、帰村の列車の確保に苦労した記憶がある。
 そんな中、この大雪の影響で、秋山・屋敷集落で17日朝から雪崩が発生。



 上の写真は、雪害救助員の秋山班と西部班による雪崩現場の除雪作業の様子。18日正午少し前に撮影。
 上の写真では右隅に写っている人の表情を撮った写真もある。誰なのか、お名前の見当はつくが、今度、ご本人に確かめてきたいと思う。
 
 
 
 
  
 雪崩が襲った旅館「秀清館」の裏手。すでに除雪されていたが、壁にくっついた雪から雪崩が襲った様子が窺える。
 
 私は18日午前、箕作集落での配達の途中に、「屋敷で雪崩があった。雪で破れた窓の補修品を届けに、息子がいま出たところだ」という話を聞いて、即座に屋敷行きを決め、軽トラを走らせたことを記憶している。真冬の秋山行きは初めてのことだったと思うが、躊躇はなかった。
 そして、午後1時すぎから役場で「研修会」のようなものがあったので、往復3時間で屋敷から戻った。そうして行った「研修会」の写真を1枚。



 この写真だけでは分かりづらいだろうが、「農業の6次産業化」をめぐるものだった。例の3億円事業の一環である。
 充分な準備もなく開催されたようで、コーディネート役で東京から来た人も困った様子だったことを記憶している。
 「復興予算」の訳のわからない無駄遣いの記録も、残しておくべき記録だと思う。


 また、2014年2月18日には、上の一連の写真を撮る前に、こんなものを1枚撮っていた。



 写っているのが青倉トンネル、横倉トンネルのいずれなのかは分からないが、この頃、国道117のトンネル内照明をLEDに切り替える工事が行われていた。


2015年2月18日

 
 
 役場の排雪作業の様子。この冬はとにかく雪が多く、12月中にも排雪作業が必要だったと記憶している。




 これは天代集落での撮影。
 写っている家はとても立派なものだが、2015年に解体された。お住まいだったご夫婦は震災後、相次いで病気で亡くなられた。息子さんが毎冬、除雪に来ておられたが、「家が大きすぎて、除雪が大変」ということで解体されたようだ。ただし、代わりに少し小ぶりな家を新築された。解体作業の様子を見た時は悲しかったが、新しい家が出来上がったのを見て、感激したのを記憶している。
 

5年間を思い出す

 最近、「こういう写真があったはずだが、いつだったかな?」と思いながら、PCの写真データを何百枚、何千枚と探しまわることが増えている。
 復旧工事がすでに完了している場所について、「そうだったなあ。ここは元はこんな様子だったのだ。ここで復旧工事をやっていたのは2年前のこの頃だったのだ」と懐かしく思い出したりしている。
 撮影した写真の中には、「復興への歩み」などに掲載したものもあるが、それは撮影したもののうち、1割にもならないだろう。あまりにも多くのデータが眠っている。そして、「もったいないけれど、これ、どう整理したらいいんだろう?」と絶望的な気持ちにも襲われる。
 そんな中、ふと、1つのアイディアが浮かんだ。「1年前の今日、2年前の今日のデータを見れば、面白いのではないか」と。
 朝から晩まで超忙しい日もあるので、このアイディアをどこまで実現できるか、怪しいところもがあるが、まずは始めることだと思う。今日は2016年2月17日。ここから始めてみよう。
 
 
2月17日という日

 朝6時すぎに起床した時はまだ雪は降っていなかったが、午前9時少し前のいま、激しく雪が降っている。


2016年2月17日午前9時頃撮影。自宅裏手。


2015年2月17日
 

 中条の集落内道路の雪の壁。午前11時すぎ。
 
 箕作、上倉世交さん宅の前。




 大工、大庭政広さんの作業場。
 
 樓蘭にて。この女性、当時は高校3年生。15年4月、大学に進学した。彼女の将来の村との関係性はどうなるのだろうか。




 田んぼの上の積雪を少しでも減らそうと片づける清市(きよいち)さん。この田んぼの田植えの様子を後に撮影したことを記憶している。
 
 
 
 
 
 清水河原のスノーシェッドの修復工事がほぼ終わり、その状況を撮影。




 「八丁」と横倉集落内で排雪作業の様子を撮影。
 
 

 青倉・島田和愛(かずよし)さん。車庫裏の除雪作業中の所を訪ねたら、青倉の大雪崩のことを話して下さった。和愛さんはその体験者。聞き書きがまだ出来ていない。きちんとやらなければ。


2014年2月17日


 平滝のあるお宅で屋根の雪を降ろした後の片付け作業。
 この方との会話であったかどうかは確認できないが、メモに平滝での会話として、「水分の多い雪ですね」、「やっぱり春だ」という記録があり、私は「なるほど」と記している。



 平滝。上倉重平さん宅から飯山線踏切(写真真ん中に見える)に下る道。2013〜14年冬も雪が多かったことがわかる。




 小滝の古民家「隣り」の修復工事の様子。雪の中でも作業は続けられた。大工さんは毎日、小千谷から通って来ておられた。
 私は工事の記録写真を連日撮るとともに、この頃、資金確保に奔走していた。


2012年2月17日





 随分と久しぶりに見る映像だ。雪の重みで落下した中条橋である。
 落花した橋の上にさらに雪が降り注ぎ、雪に埋もれている部分もある。


 2013年2月17日は、体調を大きく崩していた時期であり、撮影したものが1枚もない。
 

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