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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村復興への歩みNo.310

青倉集落・西山田棚田。9年前(2008年)5月撮影。

 

同地点をこの6月30日に撮影。

 

青倉・西山田の圃場整備の現況をレポートします

 

大きな変化に驚き
 2枚の写真。背景の山や中央やや上に見える小高い丘の林は変わりませんが、田んぼの様子はすっかり変わっていますね。
 この写真に見えるところは西山田の棚田ゾーンの美しさを象徴するところなので、この2枚を選んだのですが、変化の激しさという点では次の2枚のほうがもっと大きいでしょう。

 

 

 

 1枚目は昨2016年6月、わずか1畝の田んぼで田植え会を行なった時のものです。本当に小さな田んぼです。私は栄村に移ってきた2007年からここで毎年田植えをさせていただいてきました。その田んぼの6月30日の様子が2枚目の写真です。
 2枚の共通点はいずれの写真でも写真の左側に見える畦です。右側の小さな山は下写真では大きく削り取られています。ここは田んぼではなく農道に変わるそうです。

 私は圃場整備というものの現場を見るのが初めてではありません。昨年、青倉の集落の中の田んぼ(居平(いでら)地区)の圃場整備を見ていますし、また、28年前に三重県伊賀市(忍者のふるさととして知られるところ)でかなり大規模な圃場整備を見たことがあります。
 でも、今回の西山田ほど大きな変化を目にしたのは初めてです。みなさんはいかがですか? 栄村で現代的な大規模圃場整備が初めて行われたのは1970年代初期の中条の田んぼだと聞いていますが、やはり今回の西山田のような大きな変化だったのでしょうか。

 

県営中山間地域総合整備事業による復興事業
 青倉での圃場整備事業は、「県営中山間地域総合整備事業 栄地区」の大きな部分を占めるもので、村の予算説明書では「高齢化等による担い手不足が課題である本村の、これからの農業を守るため、震災復興計画や総合振興計画に基づき、農業生産基盤と農村生活環境を一体化する整備を5年間かけて行う」と記されています。
 「震災復興計画」という文言が出てきましたが、私はその策定に委員として関わりました。また、「復興への歩み」で、栄村の震災復興にとって青倉の圃場整備が必要であると何度か記したこともあります。その意味で、青倉・西山田での大きな変化は私が思い描いた復興像の実現のプロセスでもあります。しかし、大きな変化を目の当たりにして戸惑いを覚えていることも事実です。

 

圃場整備後のビジョンを考えていきたい
 西山田を中心として青倉で育てられたお米は全国各地の人びとに愛され、いい価格で購入されています。1頁掲載の写真に見られる棚田風景、そして下写真に見られる田植え交流の様子は都会の人たちをひきつけるものでした。

 


 この風景が消えるいま、圃場整備後の青倉(西山田)の田んぼとお米の魅力をどうアピールしていくのか。真剣に考えなければならないと、私は思っています。そして、その第一歩は圃場整備による変化のプロセスを写真記録していくことではないかと考えています。工事の邪魔にならないように注意しながら、5〜6か月後に雪の季節を迎えるまで圃場整備の様子を追いかけていきます。

 


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