プロフィール

profile
栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

カテゴリー

categories

サイト内検索

Search

カレンダー

calender
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>

最近の記事

selected entries

最近のトラックバック

recent trackback

月別アーカイブ

archives

栄村関連リンク

links

携帯用QRコード

mobile
qrcode

ブックマーク & RSS

Bookmark&RSS

6月4日、野々海の普請

 

 

 上の写真は、午前10時32分、野々海池の斜樋の第1段の弁が開けられた瞬間。
 今日6月4日は野々海普請の日。午前8時半にそれぞれが持ち場に現地集合で、普請を開始。


 天気は最悪で雨。
 野々海池そのものは水利組合長の月岡英男さんをはじめ5名。
 手がかじかむほどの寒さ。おそらく2〜3℃くらいだったのだろう。

 

 

 軽トラを降り、装備を整えて、水番小屋へ。8時32分。

 

 

 

 入口を雪から守った扉を上げた。

 

 

 

 

 小屋に入って真っ先の作業は薪ストーブの煙突の設置、そして点火。
 8時43分には着火し、小屋の中が徐々に暖まり始めた。

 

 

 水番小屋の中から外を見た景色

 

 

 

 

 9時10分すぎ、月岡英男さんが斜樋を囲むフェンスの鍵を開けて、中の様子を確認

 

 

 自然の神への礼拝を忘れない。

 

 

 

 斜樋を囲むフェンスの全体像。

 

 

 余水吐の様子。

 

 

 

 

 堤に通じる橋の両脇の柵の設置作業が始められた。9時23分。
 霧が濃い。

 

 

 2分後、ほんの束の間だけ、霧が晴れた。

 

 

 9時28分の野々海池。対岸がまったく見えない。

 

 

 私はこの後、深坂峠方面、野々海峠方面の様子を見に出かけた。
 深坂峠までは道が開いたが、野々海峠方面は栄村と上越市の境界にあたる信越トレイルの野々海峠口のところまで。
 野々海峠口付近の雪はまだ多い。

 

 

 野々海峠口の深坂峠方向の様子。10時2分撮影。

 

 

 10時半近くに水番小屋に戻ると、2号分水点〜1号分水点の普請を終えた青倉、横倉、平滝の人たちが到着していた。
 その後、冒頭の写真で紹介した斜樋の弁が開けられる様子を撮影。

 

 

 しばらく、水番小屋でのみなさんの談論を聞かせていただいていたが、11時半すぎ、私はひと足先に里に下りた。
 その頃、霧が晴れて、対岸も芽吹きがくっきりと見えた。

 

 

 

 

 帰路、2号分水点に立ち寄り、道に戻る時、青空が見えた。

 

 

 

 里に下りると、12時半頃、役場横の気温表示は19℃。まるで別世界だ。
 今日も、野々海および野々海への道で多くの車に出会った。村外からの車。雪がなくなっているあたりは山菜採り。野々海池周辺は景色やミズバショウを見に来た人か。
 私も今日、ミズバショウの写真なども撮っているが、その紹介は別の機会に。

 

 今日、最後に強調しておきたいことは、天気が悪いときは、この時期の野々海はまだ冬だということ。下で天気が良くても、野々海方向の空を見て、曇っているようだったら、安易に野々海へ上らないようにしてもらいたい。霧に巻き込まれて遭難する危険があります。

 

(了)


栄村復興への歩みNo.308(6月1日付)

  • -
  • 2017.06.04 Sunday

 山・自然資源の管理・保護・活用へ新しい取り組みが必要

 

●5月28日の天地での行方不明騒動と山菜無断採取
 村民の方々は村内放送でご存知のことと思いますが、5月28日、天地(てっち)の奥の山で山菜採り中の人が行方不明になる事件がありました。

 

天地集落入口に集合する消防団(5月28日午後2時54分撮影)


 幸い、出動した警察ヘリが発見し、救出されましたが、村の消防団が出動という事態になりました。行方不明者は須坂市の人で83歳の高齢。4人グループの中の1名でした。このグループは昨年秋にもほぼ同じ場所にキノコ採りに来て、やはり行方不明騒動を起こしていました。
 今の季節、村内の至るところで無断で山菜採りに入って来る村外車を見かけます。これは一言でいえば、山菜の窃盗です。スキー場のゲレンデで自分たちが食べる分だけのワラビなどを採って嬉しそうにしている人たちの姿などは微笑ましくも思いますが、「どちらから来られたんですか?」という問いかけに対して、「市内からです」なんて返答をされると、少々カチンときます。「市内って?」とさらに問うと、「飯山市です」と。「栄村は栄村であって、飯山市の山じゃないよ」と私は言いたいのですが、私の心が偏狭(へんきょう)なのでしょうか。
 間もなく野々海の雪が消えると、商売目的でのタケノコ採りが連日のように入ってきます。このケースはたまたま出逢っても下手に声をかけるのは怖いです。
 野々海だけでなく、月岡集落の山などでも山菜採り目的の無断侵入が相次いでいるようです。

 

●蝶の無断採集や、無謀なトレッキング、雪遊び等々
 5月中下旬以降、平滝から野々海への道路の近辺で、捕虫網を持った人の姿が見られます。これは過去10年以上にわたって見られるものであり、希少種ギフチョウが絶滅寸前になっています。あきらかに密猟業者と思われるケースも多いです。5月26日には、「福岡」ナンバーを見かけ、「何を捕るのですか?」と問うと、博多弁で「言わんといかんとか」と逆にすごまれました。
 また、26日午前には、平滝のブッポウソウの観察場所としてよく知られている地点の近くに大きな観光バスが停車していて驚きました(下写真)。「バードウォッチングツアー」専門旅行会社の主催によるツアーで、客数は20名以上。もちろん、ブッポウソウの保護に取り組む地元の人たちへの連絡など無しです。保護に取り組んでいる人のお話では、「ブッポウソウがペアリングする時期で、非常にナーバスになっている」とのことでした。

 


 下の写真は5月31日朝、トレッキングのため、野々海キャンプ場から深坂峠の方向へ、雪上を進むグループの姿。普段ならば私など喜びそうな光景ですが、このケースはとても推奨できるものではありませんでした。信越トレイルの天水山(あまみずやま)コースに行くというのです。天水山コースはまだ雪も多く、信越トレイル事務局でも「コース整備は6月14日」としています。遭難を引き起こしかねない無謀な行動です。斑尾(まだらお)から来た案内人が自身のことを「地元の人間です」と言ったことにもカチンときました。

 


 さらに、残雪の多い野々海に雪遊びに来た若者たちが野々海池の存在を知らなかったのにも驚きました。この若者たちは私の注意を受け入れて安全な場所に移動しましたが…。

 

●村の総面積の約93%を占める山の管理の問題
 ここまでに紹介してきた諸問題はすべて“山”をめぐって起きていることです。
 「山林原野」は栄村の総面積約275.5?の93%近くを占めます。
 昔は、材木の確保、薪炭づくり、田畑の肥料となるものの確保、ウサギやクマなどの狩猟等々で、山は村人の暮らしを支える重要な資源の宝庫として、しっかり手入れされ、活用されてきました。いまは、そういう山での活動は大きく後退し、森林組合による間伐等を除けば、ほとんど管理されないままになっています。これは、近代化・現代化による産業や暮らし方の変化による事態であるとともに、高齢化の結果でもあります(山菜採りに入っていた村人が高齢のため山に入れなくなった)。

 

芽吹きがきれいですが、灌木が無秩序に生え、体力がある人でないと入

りづらいところ。だが、ここの素晴らしい資源がある(次の記事参照)


 しかし、いろんな意味で資源の宝庫であることに変わりはありません。だからこそ、1つには、よそ者が勝手に入り込み、山菜を無断採取したり(=“窃盗”)、自然資源を傷める行為や遭難騒ぎが発生 したりするわけです。
 もう1つ、山の管理ができていない結果として、クマなどの有害獣の増加、農業への被害の拡大、さらに人身への危険の増大という事態になっています。こちらも、この間の3つの号で訴えてきたように“待ったなし”の危機的な状況になっています。

 

●山の管理・資源活用は村おこし・産業づくりにつながる
 美味しい山菜は栄村の自慢の一つですが、山に自生する山菜は適度に採取しないと、山が荒れ、いいものが育たなくなります。あるいは、無断で立ち入った村外者が壊滅的な採り方をして、山菜資源を枯渇させてしまいます。集落毎や個々の地主が「入山禁止」や「無断山菜採りは罰金」等の看板を立てていますが、ほとんど有効性を発揮していません。
 そんな中で、山を管理するというのは至難のことと言わざるをえません。
 しかし、〈山を管理する〉、すなわち山菜期やキノコ期のパトロール、山主が山菜採りに入れなくなった山での山菜採りの代行と山菜の直売所での販売、里山歩きをしたい人たちのガイド、さらに有害獣対策のための電気柵の設置とその周囲の草刈り(山と畑・里の境界線の明確化)、こうしたことを仕事として進められるようにすることは、数年計画で事業化していけば、村おこし・産業づくりにつながり、発展していく可能性があると思います。
 もちろん、〈言うは易く、行うは難し〉ことです。しかし、だからと言って、手をこまねいているわけにはいきません。試行錯誤をくりかえしながらでも、なんとかして実現していかなければならないと思います。みんなの知恵と努力を結集して、課題に取り組んでいきましょう。


イワカガミの群生など

 〈山つながり〉ではありますが、“議論”はちょっとひと休み。きれいな花をご覧ください。まず、イワカガミが群れ咲いている姿です。

 

 

 

 

 イワカガミのクローズアップです。

 

 


 こちらはイワウチワです。

 

 いずれもスキー場頂上の林の中で、イワカガミは5月29日、イワウチワは5月14日の撮影。

 

 

 

 3枚目はシャクナゲ。
 秋山・小赤沢の福原秀樹さん宅の庭です。5月23日午後撮影。


飯山市照岡の山腹崩壊・土石流をめぐって

  • -
  • 2017.06.04 Sunday

 前号でも少し触れましたが、5月19日、飯山市照岡で山腹崩壊・土石流が起こり、現在も桑名川地区4世帯に避難指示が出ています。
私は5月21日以降に3回、ブログでこれに関する記事を公表しています。詳しいことはそちらをご覧いただくことにして、ここでは、3点について記します。

 

山腹崩壊の現場(5月21日撮影)


 第1は、山腹崩壊発生から10日以上が経過していながら、下流の避難指示地区での土嚢の積み上げがわずか1段にとどまっていることです。信じがたい対応の遅さです。
県の主対応組織は北信建設事務所のようですが、同じ管内の中条川での山腹崩壊・土石流の経験・教訓が活かされていないと思います。
 第2は、飯山線が5月22日の土石流以降ずっと運休を続けていることです。
私は土石流が流れた出川に架かる飯山線の鉄橋の様子も見てきましたが、充分な警戒態勢をとれば、運行は可能だと見ています。栄村・中条川の時のような必死の対応がなされていないと言わざるをえません。

 

飯山線の鉄橋(5月27日撮影)


 第3は、地域の日頃の地域環境への関心の高さ、防災意識・体制の重要性です。
 今回の山腹崩壊の現場は飯山市照岡の生活ゾーンからは見えません。桑名川地区の区長さんなどが川の濁り、用水路の水の減少で異変を感じとられ、市に通報されたのが山腹崩壊発見のきっかけです。
 桑名川の現区長さんをはじめ、同地区の方々は平素から千曲川の洪水対策などに熱心に取り組まれています。私は3年前、千曲川の河川整備基本計画の公聴会でみなさんと初めてお会いしました。その時、「栄村からはもっとたくさんの人が来られると思っていたのに」と言われたことを覚えています。桑名川の人たちから学ぶべきことが多々あります。
 一日も早い避難指示解除が実現するよう、対策の強化を県などに訴え続けていきたいと思います。

 

土石流が流れ出し、千曲川に濁り始める地点(5月27日撮影)


半年〜1年かけて、本紙の有料化を実現していきたいと考えています

  • -
  • 2017.06.04 Sunday

 「栄村復興への歩み」は発行開始から7年目を迎えていますが、多くの方々にご愛読いただき、たいへん嬉しく思っています。私も少しずつ年齢が高くなり、当初に比べると無理がきかなくなってきていますが、「震災から満10年を迎えるまで発行し続ける」という決意はいまも変わりありません。
 ただ、取材・編集、印刷、配達のすべてを一人でやりきることが資金的に苦しくなっています。ここ数年は有志の方々からの協賛金(寄付金)で支えていただいています。心から感謝申し上げます。
 そのうえで、本紙の発行・配達には毎月15〜18万円の経費を要し、現在の協賛金制度だけではやっていけないというのが率直な実情です。
 そこで、誠に申し訳ないのですが、有料化に踏み切りたいと考えるに至りました。
 しかし、その一方で、「村民のみなさん全員にお届けしたい」という気持ちには変わりがありません。
 そこで考えたのが、以下のようなことです。
   * 1ヶ月200円の購読料をお願いしたい。

   * 協賛金にご協力いただける方には、これまで通り、協賛金

   (ご寄付)をお願いします。(上記の「購読料」のみでは必

    要経費を賄いきれないためです)
   * いきなり「購読料」と言われても困るという方もおられると

    思いますので、半年から1年の移行期間を設定し、その間に

    お一人お一人とお話させていただいて、「購読料」が可能か

    どうか、「購読料」をいただける場合の受取方法等を決めさ

    せていただく。
   * 次号から、集落ごとの配達予定日を可能なかぎり予告するよ

    うにして、みなさんのお宅への声かけをさせていただく。

 

 私は、栄村のような小さな村であるからこそ、村のメディア(新聞)が必要だと思っています。先にも書いたように私自身は「震災満10年目まで」という心づもりですが、出来得るならば、こういう“村の新聞”が村のあるかぎり有り続けるようになってほしいと願っています。その意味で、今回の「有料化」は、当面の経費の確保ということのみならず、〈一人一人の出費で村の新聞を確保していく〉という長く引き継がれていくべき事業の始まりとしての意味も有するのではないかと考えます。
 これから、みなさんのお宅をお訪ねして、ご意見を伺っていきますので、率直なご意見をお聞かせください。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

(なお、念のために一言しますが、私が出しています「松尾まことの議員活動報告」は議員としての当然の仕事ですので、議員報酬で賄っていきます。「有料化」は「栄村復興への歩み」に限っての話です。)


1