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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌6月9日〜20日

9日(火) 配達は小滝の12軒のみ。
 朝4時前に目がしっかりと覚めてしまい、そのまま起床。日誌やデータの整理をしたり、メールの返事をしたりして、田んぼの様子を見に行った後、7時頃に、頼まれたアスパラをいただきに、滝沢総一郎さんの作業所へ。選別作業の様子を見せていただく。

 起きた直後はバナナ2本とコーヒーのみだったので、9時半頃、トーストを1枚。これに塗ったのが雪下ニンジンのジャム。6日、加藤彰紀さんが届けて下さった。彼はいろんな料理にチャレンジされる。瓶の蓋を開けた時の見た目よりも、実際はずっとなめらかな感じで、美味。



 その後、横倉の共同作業の代掻きを取材したり、発送作業をしたりしていると、あっという間に夕刻。

 昨夕、ズッキーニをいただき、今朝はアスパラが手に入ったので、念願のアスパラと焼きズッキーニをトッピングで上に載せる夏カレーをつくった。赤い色もほしかったので、いままでやったことがなかったが焼きトマトにも挑戦。これが非常にマッチする。ブラックペッパーを少し振るのがポイントかもしれない。

10日(水) 今朝も4時すぎに目が覚め、そのまま起床。外はまだ薄暗く、やや肌寒かった。
 田んぼの様子を見に行ったのが7時すぎ。城ヶ館の上の農道斜面が崩壊して以降、西山田から貝立山の方へ直行できないので、貝立方面にご無沙汰になっていた。思い立って、いったん下におりて、スキー場から貝立方向へ上がった。
 貝立山登山口を越えて水路かけ口に向かうと、「期待通り」雪が結構残っている。
 野々海に通じる道路に軽トラを停めて、かけ口に歩いて向かうと、イワウチワの群生が目に飛び込んできた。少しでも花に近づいて写真を撮りたいと思い、雪の斜面を上ったが、下りが大変。下写真の手前に私の足元が見える。スパイクが付いている長靴だが、雪がけっこう硬くて、スパイクで雪を削れず、滑りそう。なんとか下りたが。



 かけ口手前の沼で下写真のものを「発見」。ここはモリアオガエルが木の枝などに産卵するところだが、今日見たのは沼の水中。モリアオガエルの卵とは別ものなのか。どなたか、詳しい方がおられたら、ご教示願いたい。



 これより前、スキー場のリフト中継点と最上部の間で、地滑り防止工事が二度にわたって行われた箇所の近くで、山アジサイの状況を見た。もう形がはっきり出ていて、1週間もすれば色づくものも出てくるかという感じ。だが、貝立水路のかけ口付近の山アジサイの群生場所はまだ雪に覆われてるところが多く、まったくその影も見えない。何百メートルもの標高差でないのに、ずいぶんと季節の進み方が違うことに感心。

11日(木) No.256の編集と11日分の印刷は前日に完了。ただし、折り作業が今朝になった。起床は早かったものの、折り作業で出発は8時を過ぎてからになった。

 初日の配達ゾーンに秋山を選んだが、国道405ではなく、日出山線で行くことにし、まず鳥甲牧場(跡)で福原初さんが進められている農地回復の作業の進展度を見せてもらった。到着はほぼ9時頃。前回、5月22日に訪ねた時と比べると大きく進んでいて、“農地だ!”という部分が広大に広がっていた。



 その後、5月22日には廻れなかった五宝木へ。山田政治さんと出会い、結局、家に上げていただいて、小1時間、いろんな話。話の後半は、「地震から4年間、ずっと通行止め。今年もですよ。いったい、どうなっているんだ」という怒りに満ちた訴えを聴く。そこで、「見てきます。いったいどんな状況になっているのか」と約束し、五宝木から極野に通じる道路を進むことに。落石、斜面崩壊等が見られる箇所を順次、写真を撮りながら進んだ。政治さん宅を出たのが10時2分、戻ったのが11時18分だった。

 この段階で「今日、秋山を全部廻るのは時間的に厳しい」と判断し、五宝木の6軒(政治さん宅以外)に配達した後、林道でいっきに切明に出ることに決めた。切明到着が12時28分。
切明に向かう途中、写真のように道路そばに大量の雪が残る沢を見た。



 上の方はあまり見えなかったが、和山から上野原に向かう途中、対岸にこの箇所が見えた。鳥甲山で沢に最も残雪が多いところなのだ。



 その後、和山、上野原を廻り、上野原からは苗場山3合目駐車場に通じる道路を通って小赤沢へ。小赤沢到着が14時27分。途中で少し立ち話などすることもあったが、小赤沢での配達終了が16時10分。
 その後、405を下り、途中で前倉集落を通る道路に入り、日出山線へ。百々木から前子、そして長瀬の中尾に通じる道路を体験通過して東部地区へ。少し写真を撮っておきたいところを廻り、18時頃から森集落のNo.255未配達宅をNo.256とセットで配達。終了は19時を過ぎていたと思う。
 夕食後、五宝木〜極野間の道路の写真データの整理を始めたものの、あまりの疲れで途中まで。
 
12日(金) 配達は協賛者宅を中心に75軒にとどまる。
 五宝木の道路の件で、北信地方事務所の問い合わせたり、役場を訪ねたり。予算カットで法面工事が中断されていることがわかった。
 配達時、まだまだ先だと思っていたシモツケソウ、シモツケ、タチアオイの開花に出会って、びっくり。

13日(土) 協賛者宅を中心に配達は102軒。
 極野の全戸を廻ったのは午前10時頃からだったと思うが、極野の配達が終わったところで、五宝木への道路の法面工事が中断になっている箇所の山の上の様子を確認したくて、極野から五宝木方面への道路に入った。
 
 昨年6月に軽トラで上がった林道を進む。間もなく、ナラの枯れ木が根から倒れて斜面が落ちたと思われる箇所に遭遇。すでに木も伐られて、片付けが済んでいたが。そして、法面工事が行われたところに辿り着いたが、非常におっかないところ。「復興への歩み」でも写真紹介するが、ここでは1枚。



 私が立っているのは法面工事が完了している箇所の突端。写真に赤線を入れたところが極野〜五宝木間道路。黄色マークは道路脇の送電塔。その道路にむかって
私が立っている地点からいっきに急斜面になっているのだ。
 おっかなかったが、法面工事がどんなところで行われ、また、工事が中断しているのか、よくわかった。
 
14日(日) 配達はなしにもかかわらず、超ハードな一日となった。
 4時起床で、5時から山フキとミズの採取とそのそうじ等。その後、程久保のアスパラ畑の撮影をして、9時から森集落の田休み・タケノコ汁会の準備のタケノコ皮むき。みなさん言っておられたが、むいてもむいても、皮をむいていないタケノコの数が減らない感じ。


みんなでひたすら皮をむく
 
 一同で般若心経を詠むという長瀬の「しつけ祭り」(「しつけ」とは一言でいえば田植えのこと)の様子を見たくて、10時50分頃に森の公民館を出て、長瀬へ。小1時間取材。その後、発送するタケノコやアスパラの受け取りに天地、程久保へ。そして、30kgのコメの精米、荷造り。        
 ここまでで午後3時。
 ここでもう動きをやめればよかったのだが、花のことでどうしても知りたいことがあって泉平、そしてスキー場へ。スキー場から下りてきて、青倉のお宮の近くの田んぼで、知人からメールで連絡をもらった「ホウネンエビ」というものの観察。
 温泉、夕食が済むと、もう9時を廻っていた。

15日(月) 昨日の超ハードな行動の疲れがぬけていないのか、朝起きても背中の上部が重い。たしか30歳代の頃に悩んだ低血圧症の時の症状とそっくり。こんな時に配達に出てもはかどらない。かといって、家にとどまれば、またPC作業で疲れを増幅してしまう。こういう時はいい景色を見るのが一番と考え、野々海へ。
 予想通り池の雪は消えていたが、沢にはまだまだ多くの雪。しかし、試してみたいと思っていた沢歩きは候補地に行ってみたところ、「これは足を踏み込んだら、川(水路)に足が落ちた」という箇所がありそうに思われる程度に雪の厚みが薄くなっていたので、断念。

 ミズバショウの様子を見に東窓に行ってみたら、多摩ナンバーの人がいた。話すと、その前に富山ナンバーの人が来ていたという。
 東窓のミズバショウは「まだまだこれから」という感じだが、一方で「湿地が徐々にダメになってきているのではないか」という感じも受けた。こういうところは専門家の定期的なチェックを受ける必要があるのではないだろうか。

 深坂(みさか)峠へは車では途中までしか行けないが、雪を上を歩いていて、これまでミズバショウの存在を知らなかった沢に群生があった。



 写真の沢の雪の先にミズバショウがかすかに写っている。群生の状況は「もの凄い」とまで言えるレベルではないが、野々海池周辺一帯の自然の豊かさを改めて強く感じた。こういう環境をうまく保全し、よりよいものしていく方法を学びたいものだ。
 この他、ヒメカイウらしきものの群生を道路脇で見つけたり、アカモノとイワナシを同時に見たり、さらに帰り道でチョウが群れ飛ぶのをみたりと、非常に収穫の多いドライブ。
 夜、「栄村つれづれ歩き」6月15日版を編集し、ブログにアップ。
 あまり休暇にはならなかったかもしれないが、楽しかった。

16日(火) 五宝木の道路通行止めの件、「五宝木の人は通行可にした」と聞いたので、一時は記事化を急ぐことはないかとも思ったが、やはり21日の定期発行を待たずに記事化することにし、朝から記事を書き、編集。昼前に出来上がり、「まずは話のもとになった政治さんに見せてから配ることにしよう」と考え、午後0時半頃に出発して、極野から五宝木に向かった。
 いまにも降り出しそうな空模様だったので、この道を進むことの危険性も感じたが、雨天時の様子の観察という意味も込めて進んだ。
 極野を通過したのが12:43、政治さん宅到着が13:06、途中で1回写真撮りをしている。やはりこの道路を通れば五宝木は近い。距離は11km。



 政治さん宅で話しているうちに、凄い雨音がしてきた。話を切り上げて帰ることにし、危険ならば戻ることにして、極野への道を進む。法面工事が中断されている箇所にさしかった時は傘なしで撮影できる程度の降りに変わっていた。その時の地肌がむき出しになった箇所の様子が上の写真。斜面の上方から雨水が滝状に落ちてきている。この日の雨はかなり激しいものだったが、強雨の時間はせいぜい10分間くらいだったのではないか。それで、こんな感じになる。甘く見積もっても時間30mmの雨の時などは通行不可だろう。そして、右のようなことが繰り返される中で、この水の通り道から次第に地盤が脆くなり、危険性が増していくのではないだろうか。
 やはり、「予算がつかなった」では済まされず、本工事はともかくとして、なんらかの措置をとることが必要だと思われる。
 五宝木から戻った後は種々の用件を済ませ、配達はほとんどなし

17日(水) 一度目が覚めたが再度眠り、起床は6時頃だったか。外は雨が降った様子だった。
 アスパラの予約を兼ねて程久保から配達をスタート。午前中で程久保、野田沢、大久保、月岡、箕作(半分くらい)を廻り、100軒。
 途中までずっと小雨模様だったが、それがあがり、11時頃から結構暑い感じ。



 タチアオイが花を咲かせているところが急速に増えた。写真は月岡の保坂照夫さん宅の横。ここは4〜5日前から咲き始めていたが、開花の本数がいっきに増えた。いまのところ、ここは群を抜いて本数が多い。色も鮮やか。この写真には写っていないが白の花もある。これで青紫系統の色があれば申し分ないのだが。
 じつは、昨年まではタチアオイをあまり好んでいなかった。昨春から配達時に花を強く意識して観察するようになってから好きになった。今年は「タチアオイ・コンテスト」みたいなことをやってみたいと思っている。

 ところで、タチアオイは栄村ではいま頃から夏本番にかけて、かなり長期にわたって花を咲かせるが、5月末だったか、気象情報のTV番組の中で静岡のタチアオイの映像が流れ、「入梅前の花として知られる花」として紹介された。意外な話だった。先日、泉平で武田文子さんと花談義をしたとき、その話をしたら、文子さんからは「栄村では『タチアオイが咲いたら梅雨があける』と言われている」とのお話だった。各地に同じように咲く花でも、その地の気候の違いによって季節性、花にまつわる格言が変わるのだ。
 
 今日から五宝木道路の問題を記したNo.257を配布しているが、山田政治さん・セキさん夫妻をよく知る人が、お二人の写真を見て、「五宝木に帰ると、顔がちがうね」と言っていた。やはり、環境が豊かで、暮らし慣れた五宝木が一番なのだな、と思う。

 夕刻、平滝での配達途中で上倉重平さんが手を振って合図して下さった。ヤギの搾乳だ。乳搾りに要した時間は15分間ほどだったろうか、全過程を見せていただいた。「栄村つれづれ歩き」などで詳しく紹介しようと思うが、ここでは1枚だけ紹介しておく。



 この日の搾乳量は1ℓ弱だったが、それでも牛乳瓶4本分になった。

18日(木)午前中、箕作、横倉などで配達した後、昼前に野々海にむかった。ある稀少植物の所在を見たかったからだが、残念ながら、その目的物は発見できず。

 ただ、深坂峠にむかう道路に八王子ナンバーの車がとまっていた(積雪で車が進めなくなる地点)。そして、15日にはじめてミズバショウの群生を確認した場所(沢の下)から人の声が聞こえるので、そちらに向かった。二人連れの男性で写真を撮っておられた。話を聞くと、7〜8年前に訪れたことがあり、その時の記憶を頼りに再び訪れたとのこと。


先日、道路脇に群生を見たところ。沢の奥まで群生が広がってい
ることを新たに発見

 さらに、夕刻、村内に宿泊のお客さんから村内観光について話を聞きたいとのことで出かけた。この人たち(3人連れ)はすでに今日の午後、野々海を訪れておられたが、私が今日撮った野々海の写真を示しながら話すと、「こんなにミズバショウがたくさん、いろんなところにあるのは珍しい。明日、もう一度行ってみよう」ということになった。          
 野々海の価値は大きい。その保全と活用をもっともっと考えなければならないと強く思う。
 
19日(金) 明日の講演の準備等で配達はなし。
 写真データのPCへの取り込みで不具合が発生し、知人に応援を頼み、津南町へ。
 疲れが出ているのか、体調がよろしくない。

 午前中には友人が畦草刈りをするというので、連写でかなりの枚数を撮った。整理ができ次第、なにかの形で紹介したいが、ひとまず、まず1枚だけ。



 村ではよく見る、ありふれた光景で、何の変哲もないものだといえるが、一つ、畦畔草刈りに関する重要な原則が映し出されている。法面に対して写真のような位置関係で立ち、自分が法面で下向けに転んだ時に草刈り機の歯の部分に体が重ならないように心がけること。私が村に来て、畦畔草刈りをするようになった時、村の人から最初に厳しく教え込まれた基本原則である。被写体になっているのは大庭光一さんだが、彼は靴にスパイクを付け、足が滑らないように安全確保を徹底している。大事なことだ。






20日(土) 安曇野市穂高の公民館で「震災にどう備えるか」で話してほしいという依頼を受け、現地へ。開会前に軽トラで現地を20分ほど走り回ったが、穂高に隣接する池田町(昨年7月に訪問)とはまた地理的・社会的条件がかなり違うように感じた。震災にどう備えるか――昨今では防災マニュアルが各地で作られているが、地域特性をふまえたものは少ないように思われる。
 ひとつ、非常に印象的だったこと。講演会の会場の穂高会館は公民館と体育館が1つになった、かなり大きな建物。最近、耐震化工事が完了したそうだ。バスケットのコートが2面とれる体育館はかなり広い。観客席も500人くらいは収容できる規模ではないかと思う。わが村のかたくりホールよりもかなり広い。広いだけでない。帰り際、バスケットの練習が行われていたが、音の反響が凄まじい。静謐(せいひつ)さというものを確保できる空間ではない。
 仮に災害発生−避難となれば、ここも当然避難所になるのだが、天井の高い、そして音がもの凄く響く巨大空間に大量の人が毛布2〜3枚だけを与えられて収容されるかと思うと、ゾッとした。
 
 帰路、安曇野インターから長野道に入ったが、インターに入る前、「更埴JCT〜長野間、火災、通行止」の表示が。「まあ、その区間に近づく頃には解除されているだろう」と思って高速に入ったが、更埴JCT(ジャンクション)でやはり通行止め。一般道へ下された。料金所で聞いたところ、「JCT内でマイクロバスが燃えている」とのこと。
 一般道(国道18号)は南長野総合運動場の交差点まで渋滞。長野インターから上信越道に入ったが、ほとんど走行車なし。更埴までかなりの数の車が長野道を走っていたが、長野ICで下りる車がほとんどということなのか。では、長野以北の高速道は不要ということになるのか? いや、そうではないと思う。もうこの40年以上、一般国道の本格整備はほとんど行われず、「自動車道」という有料の高速道路だけが整備されている。東北の被災地を訪れるために磐越西道を走った時、そのことを痛切に感じた。それがいつまでも有料というのは納得できない。
 
 安曇野に行く前、地元の中条と白鳥の一部で配達をしていったが、中条の屋号「ほいさま」のソヨさん(93歳か)。自宅横の作業所の前で仕事をしておられたが、作業所の中のツバメの巣の様子を紹介してくださった。写真に2羽のひなが見える。ここで誕生したひなである。



 ツバメが玄関先に巣をつくるのは厄介なことであり、ネットを張ってツバメを入れないという措置も理解できるのだが、ひなの成長を温かく見守る人もいる。ツバメの巣の様子を楽しげに紹介して下さったのは、ソヨさんが今季二人目。これはこれで大事なむらの暮らしのあり方ではないかと思う。




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