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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌9月1日〜10日

1日(火) 「復興への歩み」No.263も写真アルバム「さかえむら子どもまつり2015」も完成しているが、アルバムの方で保護者の許諾をいただきに伺えていないところがあり、今日もそのための訪問。許諾が必要と判断したお宅は今日で廻れた。
 ここ数日に訪れたお宅すべてで許諾をいただき、多くのところで、「ええ、もちろんいいですよ。楽しみ」と言っていただいた。嬉しいと同時に、責任の大きさを強く感じている。
 白鳥集落を訪れた帰路で平滝のヒンゴ遺跡を訪れ、29日の説明会場で聞いた話のメモの内容について、埋蔵文化財センターの人に再確認。かなり訂正箇所があった。遺跡を取材するのは初めてなので、なかなか難しい。しかし、さらに勉強して、「復興への歩み」次号で報告したい。
 それに関連して、昔、千曲川の下流(信濃川)で自然災害のために川が堰き止められ、その影響で箕作集落の千曲川沿いに土砂が堆積して新しい土地が生まれたという場所を撮影してきた。下の写真に見える田んぼ・畑のあたりがその場所。
 村を理解するには、何千年とか何百年というタイムスパンでも勉強も必要だ。


 
 並行して森集落の祭りのアルバム(森集落への配布を予定)の編集を開始したが、7頁までひとまず終了。掲載したいことはまだまだある。編集し終えるには数日を要するだろう。
 
2日(水) 今日から「復興への歩み」No.263の配達を開始。配達は久しぶり。
 今号は、中学生以下のお子さんがおられるお家に「子どもまつり」の写真アルバムを少しでも早くお届けしたいので、いつもの協賛者宅に加え、お子さんのおられる家も同時に廻った。131軒・149部の配達であった。



 上は配達途中で撮った1枚。平滝の千曲川沿いであるが、真ん中やや左寄りのところに少し岩場が見える。その下をよく見ていただくと、道らしきものが写真右方にかけて確認できると思う。これが昔の箕作から明石(あかいし、野沢温泉村)に通じていた道の跡である。近所の人に伺うと、「道形ははっきり残っているが、普請もなにもまったくしていないので、歩くのは難しい」とのこと。箕作〜明石の古道のことは聞いていたが、場所を明確に確認したのは今回が初めて。
 
 配達途中でお茶のみに誘われ、そのお宅に1時間ほどお邪魔した。
 先週後半から今週初めにかけて配達ができていなかったので、1日あたり相当数の配達をしなければならないが、配達途中でのお茶のみの誘いを受けるのも大事。そこに“村を捉える鍵”の1つがあるからだ。

 今日の場合もそうだが、最近、村の人と話すときまって出てくるのが、「いまの村は不要なものにカネをかけるのに、本当に必要なことにはカネを出さない」という趣旨の話。「復興への歩み」をどんな内容で構成するのかをめぐって、私自身の中でいろんな考えがあり、試行錯誤を繰り返している面があるが、村の人たちをお話して、やはり“行政へのチェック”の役割を果たさなければならないとの思いを強くする昨今である。
 率直に言って、その役割を果たし続けることには「きついなあ」と思う面があることは否(いな)めない。私の場合、会社組織になっているマスコミの人とは違い、会社(組織)を盾にすることなどできず、一人の生身の人間として取材・執筆することになる。ある種の重圧が自身にかかってくることは避けえない。
 しかし、だからこそ、自身の責任において書くべきことを書けるという利点もあるわけである。
 もう1つは、きれいな写真を見ることや楽しい話を読みたいという人びとの思いとのかねあいで、1号、1号の構成をどう工夫するか、もっともっと努力しなければならない。

3日(木) 今日もせっせと配達に廻り、107軒。
 当部集落に行った時、草などが異常な倒れ方をしているのを目撃し、藤木ヤスさん宅を訪ねた。ヤスさん宅を訪ねたのは、草などが倒れている場所がヤスさんの地所と思われたことと、ヤスさん宅の玄関前に珍しいものが干してあったからだ。



 玄関で声をかけると、返事は玄関手前の下の畑から聞こえてきた。畑作業中だったのだ。
 珍しいものとは右写真のもの。ヤスさんはガマの葉を活用した草履を作っておられるので、これもやはり草履の材料になるものだと見当をつけたが(それは正解だった)、何なのかはわからなかった。答えはトウモロコシの皮。なるほど、である。

 草や花が倒れたのは25日の午後だったという。鳥甲牧場を突風が襲った日である。午後2時頃からで、「怖かった」とヤスさんは言っておられた。25日夜は森集落などでも強風が吹いたが、午後2時頃というのは初耳。当部の強風(あるいは突風)、鳥甲牧場・五宝木の突風はひょっとすると気象台も把握していない局地的なものなのではないだろうか。下写真は当部集落で草などが倒れたところ。



 今日はどうしても大久保集落に顔を出さなければならない用件があったが、辿り着いたのは午後5時すぎだったか。やはり平日の日中、工事で貝廻坂が通れないのは不便だ。
 その後、午後5時半以降は片側通行が可能になる貝廻坂を下りて、さらに別件の用事へ。
 忙しい一日だった。
 
4日(金) 昨日、月岡英男さんから、「野々海は水が増えたよ。池の向かいの山もかなり色づいてきたよ」と声をかけられた。この間、雨の日が多いので、野々海も少し水位が戻ったのだろう。英男さんからは、8月下旬、「もう間もなく、斜樋の金網がすべて水面上に出るよ。その時、声をかけるから、野々海に上がるといいよ」と言われていたが、水位回復でそのチャンスはなくなったようだ。でも、今度は紅葉の始まり具合を見に行っておきたい。そこで、「明日の朝、野々海に行こう」と心に決めていたのだが、朝になってみると、どうも山の方の空模様があやしい。
 朝食後、室内作業をしながら、相当迷った挙句、行くことにした。コースはスキー場から上がる道。

 貝立山裏から、色づいているところを撮影しながら進んだが、野々海から森の開田にむかう水路の管理道路の入り口に差し掛かったところで、何気なく車を停めた。この場所は何度となく通っているので、水路管理道路の所在は知っているが、じつはその道路を歩いたことはなかった。


水路管理道路に入ったところ

 「ちょっと様子を見ようか」と思って道を下り始めたが、歩き始めると、この道が行き着く先にあるサイフォンのところまで行かなければ気が済まなくなった。
 結果から言えば、「歩いてよかった」であるが、撮影した写真のデータから見ると、往復34分。結構歩いたなあという感じ。

 野々海水路で使われているのは正確に言えば「逆サイフォンの原理」であるが、水路と水路の間に沢があるところで、水をいったん下に落とし、次に元とほとんど変わらない高さまで水を上げる装置である。下写真がその現場。写真奥中央に土が見えるが、そこまで野々海池から続く水路が来ている。ところが、写真に見えるように沢(谷)がある。森の開田に水を届けるには、写真手前のところへ沢を越えて水を流さなければならない。そこで、沢の向こう側で落とした水が、沢のこちら側で写真手前に見えるところまで上がるように、逆サイフォンの原理を活かされているのである。



 こういう寄り道をしたので、野々海池及び周辺の撮影ポイントを廻って里に下りてきたのは1時すぎ。野々海の様子は別途レポートする。

 その後も田んぼの写真撮影などがあり、配達は夕刻のみで、21軒。
 昨日、今日と、クルミやトチの実を水に浸けたり、乾したりしる作業があちこちで見られる。季節は確実に進んでいる。
 夕刻の配達で面白いものに出会った。風呂焚きだ(下写真)。煙突から煙が出るところも撮った。浴室は現代的なものに改造されているが、浴槽は五右衛門風呂。じつに懐かしい。栄村でも、もはやあまり存在していないだろうと思う。
 夏場は薪3本で沸かせて、翌朝でも温かいとのこと。





5日(土) 昨夜はかなり涼しく、少し風邪っ気を感じた。よく考えると、「日曜日は休む」の原則が早くも8月16日から崩れ、まったく休んでいない。昨夜のうちに「5日は配達休み」と決めた。
 ただし、PCでの作業は行うという「休みではない休み」で、午前中はあるチラシの作成、午後は森集落の祭りのアルバムの作成で、あっという間に一日が過ぎた。
 
6日(日) 今日こそは日曜日で「完全休み」としたかったが、注文を受けた野菜の受け取り・発送やアスパラ畑の撮影、4日に野々海で撮った写真のデータ整理、人との用談2件などで結局一日が過ぎてしまった。



 滝沢総一郎さんのアスパラ畑は立茎が進み、6月頃とはすっかり様子が変わった(上写真)。いま、根は一所懸命に養分を貯めてくれているのであろう。詳しいことは総一郎さんにお話を聞いて書きたいが、とりあえず1枚。もはや茎の高さが私の背丈を超えているので、地上で撮ったのでは全体像が写せない。右は軽トラの荷台に上がって撮ったもの。
 
7日(月) 午前中、横倉、箕作、月岡、小滝、平滝での配達。115軒。
 天候はいっこうによくならないが、配達の途中に見る田んぼでは稲穂が日に日に黄金色に変わりつつあり、とてもきれいだ。下の1枚は9時前に横倉で撮ったもの。なにか特別な場所・風景というのではないが、こういう景色は私が好むものの1つだ。



 平滝での配達中、ある家の作業所の床に無造作に置かれたカボチャに目を惹かれた。



 上の写真には2種類のカボチャが写っているが、丸っぽいのは「雪化粧」、長いものは「バナナカボチャ」というそうだ。「雪化粧」は長持ちがきき、冬〜春まで保存できるという。
 料理屋さんに試してみてもらおうと思い、次の日曜日に分けていただくことをお願いし、了解していただいたが、おかあさんが「食べないと味はわかんないよ。煮た時に食べにいらっしゃい」と。「是非、お願いします」と約束してきた。

 この後、直売所に立ち寄った際に、さらに多種多様なカボチャが出荷されていた。その多種多様性は「売りだなあ」(=積極的にアピールし、どんどん売っていく)と思ったが、惜しむらくはそれぞれの種類の特性についての情報が不足している。村の農家にとってはカボチャの多種多様性は当たり前のことなのだろうが、その知恵を情報化し、外に発信していくことが大事だと思う。

 午後、一定の時間を使い、4日に野々海で撮影した写真データを整理し、「紅葉の野々海」をアピールするチラシを試作。印刷してみたが、チラシとなると、もっとレイアウトの工夫を高める必要があると反省。
 
8日(火) 天候はあまりよくなく、午後には宅急便発送の用件があって時間もなかったが、秋山の紅葉の進み具合をこの目で確かめたくて、秋山に向かった。
 見たかったポイントは、「復興への歩み」の配達ゾーンからは遠く離れた雑魚川沿い。
 切明から車で30分ほどかかる秋山林道沿いの「大滝」の入り口に向かった。遊歩道の「奥志賀渓谷コース」、一人で入ることに不安はあったが、「ホー」と大きな声を出してクマよけをしつつ、結局、「三段の滝」まで往復した。色づきはさほど進んでいないが、やはりいいコースだ。「三段の滝」の写真も久々に撮った。下写真は「三段の滝」に向かうブナ林の中の遊歩道の様子。



 紅葉は志賀高原の方が早く始まり、秋山の紅葉観光は志賀高原に宿泊する人がバスなどで志賀高原から秋山方向に走ってくることから始まる。ところが、その時期の観光は基本的にすべて志賀高原サイドのイニシアティブで行われていて、栄村・秋山からの情報発信はほとんどない。この状況を改善しなければ観光客の増加は実現できないだろう。土地の資源研究、そして観光客の関心・動向についての市場リサーチが圧倒的に不足していると思う。
 配達は切明、和山、五宝木で19軒と、夕刻に平滝で16軒。

9日(水) 台風18号の影響が心配されたが、栄村は幸いなことに大きな影響はなかった。午後には「こんな青空、何日ぶりだろう?」と思う青空が見られた。虹も見えた。
 そんな中、午後、村内告知放送でJアラートの緊急放送が大音声で流れ、「栄村に土砂災害警戒情報が出されました」という放送。「?」と思っていると、役場から「警戒」対象を具体的に説明する放送が行われた。じつに的確な内容で、担当部署の努力の賜物。これについては「復興への歩み」次号できちんと紹介したい。

 他方、千曲川の水位上昇もかなりのものだった。夕刻にネットの気象情報では「氾濫水位注意報」が出ていたが、これはネットでしか確認できないものだった。下は夕刻6時18分に百合居橋上から撮影した千曲川の水位上昇の様子。



 配達は午前中、雨の中、森集落で79軒。
 午後、一定の時間を使って、昨年秋の野々海の紅葉の写真を整理し、アルバムを試作した。なかなかいいもので、見せた人からも評価していただいたが、どのように活用するか、もう少し考えてみたい。
 
10日(木) 昨日の午後には青空が見られ、天候の本格的回復を期待したが、一日中曇天だった。雨がパラついたのはほんのわずかな時間のみ。
 午前中は坪野、程久保、野田沢、大久保で41軒の配達。貝廻坂の工事による通行止めで東部から廻って行くので、かなり時間がかかる。貝廻坂の通行止めはまだしばらくかかるので、次号以降の配達プランをよく検討したい。

 午後、ひんご遺跡の発掘作業の様子を撮影に行った。作業の大半は村の人たちが担っておられるが、もうかなりの長期にわたるので、みなさん、手慣れたもの。プロ級の腕だと思った(下写真)。この体験談を聞き取り・収集することも必要だと思う。



 午後の後半は「復興への歩み」No.264の編集作業。ひんご遺跡の記事執筆は、頁数の制約もある中で、なかなか難しい。
 
 編集作業を進めながら、茨城県の鬼怒川の堤防決壊による大水害の救助活動の模様をTVで見ていたが、状況をわが村にひきつけて考えると恐ろしくなった。というのも、国土交通省はすでに数年前に今回の決壊箇所のすぐ近くで堤防が決壊するとの想定で水害がどこまで広がるかのシミュレーションを行っていた、堤防の強化計画を立てていたが、今回の水害に間に合わなかった、ということだからだ。箕作と月岡の千曲川沿いについても同様の問題がある。ここでは、かつて氾濫災害が実際に起こっており、堤防の嵩上げ計画も決まっているが、工事はまだまだ先である。地元住民がその危険をどれだけ認識し、対応準備をしているかといえば、心許(こころもと)ない現実があると言わざるをえない。今回の場合、栄村では降水量が少なかったにもかかわらず、千曲川上流での大雨で水位が上昇したので、栄村でも千曲川水位上昇への警戒感は弱かったように思うのだが、いかがだろうか。

 最後に紙面が少し残ったので、写真を1枚。坪野の斎藤秀男さんが見せて下さった「カラムシ」の糸。斉藤家にずっと保存されてきたもの。



 秀男さんは昭和1桁世代だが、子ども時代に自宅でカラムシの糸作りが行われていた記憶はないと話しておられたので、それよりも前に作られたものであろう。
 カラムシは、イラクサ科の多年生植物で別名「苧麻」と呼ばれる。カラムシ檻は越後の名産で、栄村でもかつて盛んだったもの。「公民館に預けたい」と言っておられた。
 

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