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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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平滝集落で「ひんご遺跡報告会」

 13日、平滝公民館で、平滝集落の雪上運動会にあわせて「ひんご遺跡報告会」が開催されました。
報告して下さったのは長野県埋蔵文化財研究センターの主任調査研究員でひんご遺跡の発掘を現場で指導・指揮された谷和隆さん(下写真)。わかりやすく説明して下さり、平滝区民など約60名が熱心に耳を傾けました。





 ひんご遺跡については、本紙No.264(昨年9月11日付)でも紹介しましたが、その段階ではまだわからなかったことを中心に、私が理解できた範囲でお伝えしたいと思います。なお、専門家による説明は4月23日(土)に長野県立歴史館で開催される講演会・遺跡報告会で聴くことができます。

 下写真は谷氏が報告で「まとめ」として示されたものです。



 敷石住居跡についてはNo.264で書きましたので、「深い住居跡」という項目から後を報告会で示された画像と私のメモをもとに紹介していきます。
(上写真の1行目、「栄村の」は「栄村の」の誤植ですね)

深く掘られた竪穴住居跡
 竪穴住居は「竪穴」という表現が示すように、縄文時代の地表から掘りこまれているものですが、その深さは30〜50cmが一般的なのに対して、ひんご遺跡では1m20〜30cmのものが発見されました。下写真がそれです。このような事例は他には茅野市で1件あるだけとのこと。ひんご遺跡の価値を示す1つのポイントです。



 穴の真ん中に石で囲まれた四角のところが見えますが、これは炉です。
 これだけの深さに掘られた理由として、谷氏は「この地域の寒さ、雪と関係があるのでは」と推察されていました。縄文時代のこの地域の気候は現在の気候と同じものだそうです。

石が込められた柱穴
「まとめ」で「石込め土坑」と記されているのは下写真のように石が込められた柱穴のことです。



 こういう穴が5つ見つかっています。すぐに思いつくのは「竪穴住居の柱の穴」ということですが、5つの穴は屋根がかけられる位置関係にありません。そのことからトーテムポールなどを立てた穴かもしれないというお話でした。
トーテムポールとは先祖の霊を守るために一族が立てるもの。青森県の三内(さんない)丸山遺跡の巨大な柱が有名です。

「生産遺跡としての位置付け」とは



 上写真は粘土の採掘跡として紹介されたものです。埋文センター発行の「発掘だより」では、「縄文時代の地表から1〜1.5m下の白っぽい粘土の地層をめざして掘られた穴」、「穴の大きさは直径1m前後で粘土層の下面まで掘られ」、「地下に堆積した粘土層を追って、すぐ隣に新たな穴を掘ることを繰り返した痕跡もみつか」ったと記されています。
 さらに重要なのは、焼成(しょうせい)粘土塊(かい)も見つかったことです。下の写真がそれです。



 この塊の中に土器の破片が見えます。このことについて、谷氏は、「土器を焼くには粘土に砂を混ぜるが、土器をすりつぶして混ぜることもあるので、それなのではないか」と話されました。遺跡発掘調査で土器を焼いた跡が見つかることは稀だそうです。
「まとめ」に「無斑晶質安山岩」という言葉が出てきますが、当地はそれが採れる地域であり、土器を焼いた跡も見つかったことから、「飯山地域や津南地域にまで配っていた拠点遺跡の可能性がある」とのことです。「生産遺跡としての位置付け」というのはそういう意味です。

「千曲川との関係はいかに」について
 今回は説明を省いた敷石住宅跡ですが、石は他の遺跡では鉄平石(てっぺいせき)と呼ばれる平たく角っぽい石が使われるのに対して、ひんご遺跡では平たく円い川原石(鉄平石よりも厚め)、すなわち千曲川の石が使われています。
 また、発掘終了後、発掘された土器の洗浄作業が埋文センターで行われましたが、その際、長さ1mmくらいの鮭の歯と思われるものが出てきたそうです。県内屋代の遺跡では鮭の骨がたくさん出ています。千曲川沿いに縄文時代の大きな集落が発達したようです。

土偶の不思議



 上写真は「鼻の下が長い土偶」として紹介されたもの。面白いですね。
 ひんご遺跡からはたくさんの土偶が出土していますが、土偶は基本的に壊れた状態で発掘されます。これは保存状態が悪くて壊れたのではありません。「たとえば腕が痛い時、土偶の腕の部分をちぎりとって、腕が良くなるように祈ったのではないか」と推察されるとのことです。
 なお、土偶は、埴輪(はにわ)とは別のものです。埴輪は縄文時代よりももっと後の古墳時代にお墓に入れるものとしてつくられました。

4月23日に県立歴史館で講演会・遺跡報告会開催
 ここまで拙い報告記事ですが、ひんご遺跡の意味の大きさを少しご理解いただけたでしょうか。さらに本格的で正確な報告は専門の方のお話をお聴きするのがいちばんです。いま、3月12日から6月26日までの予定で「長野県の遺跡発掘2016」という展示会が長野県立歴史館(千曲市屋代)で開催されています。とくに4月23日(土)には午後1時30分〜3時40分の間、主にひんご遺跡の報告会と「土偶ってなんだろう?」という講演会が開催されます。
 栄村公民館にお尋ねしたところ、当日、栄村からバスを出す(定員約20名)方向で検討して下さっています。関心のある方、是非、ご参加ください。
 なお、今年も6月から3ヶ月間、発掘作業が行われる予定で、埋文センターでは発掘作業を行なう人を村内で募集されます。「昨年よりもさらに多くの人手が欲しい」とのことです。あなたもやってみませんか。

 

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