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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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自然の恵みへの感謝と完全復興モデルへの決意



 11日昼0時半すぎ、野々海池の水番小屋での1枚です。
 午前中、野々海から森集落の開田に向かう水路の普請で上がってきた人たち4人を労(ねぎら)うために、水番の月岡英男さん(写真左端)がタケノコ汁を作って待っていて下さったのです。野々海池の水の状況を撮影するために行った私もお相伴に与(あずか)りました。
 美味いタケノコ汁が一杯、二杯と進むとともに、話も大いにはずみました。
 話題の中心は、村内、そして津南町羽倉(森集落の隣)、中子などで深刻化している渇水問題。

「野々海の水はなんとか8月中、もつよ」(英男さん)
  「野々海の水も早く減っていますよね。」
  「うん。」
  「いま、何段目ですか。」
  「6段目と8段目を開けている。」
  「去年はどうだったですか?」
  「うーん、(英男さんが手帳を取り出す)去年は6月26日に、
   3段目全開、第2段目0.7とあるな。」「29日は、2段目より
   水中、4段目全開、3段目0.5だ。」



  「じゃあ、去年より1ヶ月は早いペースですね。」
  「でも、8月いっぱいはもたせられるな。絞っているからな。
   絞っているけど、みんな、文句は言ってきていない。」
  「まだ森には水を出していない。もうすぐ森に送るようになる
   から、もっと広くあけなきゃならないから減るよ。でも、な
   んとか8月までもたせられる。去年は8月に15段目を開けた
   が、雨で少し戻って、13段目を全開だ。」

 野々海池の水の調整に詳しくない人には分かりにくい話だと思います。写真をまじえて少し説明しましょう。



 野々海池には、堤のそばに上写真に見えるように、池の水中へ斜めにのびる金網で囲まれたものがあります。斜(しゃ)樋(ひ)です。
 その中を覗いてみましょう。



 階段状になっていて、各段に水栓があります。上から1段目、2段目、・・・と呼んでいます。この写真は11日昼の撮影ですが、上から順に1〜5段目はもう水を被っていません。池の水位がそこまで下がっている(減っている)ということです。
 11日は、先の会話にあったように6段目と8段目が開けられています。7段目は10日は開けられましたが、水圧の関係でいったん閉め、代わりに8段目を開けたそうです。

 「開けた」とはいえ、「全開」ではありません。次の写真をご覧ください。水がキラキラ反射しているので見づらいでしょうが、見えている水栓は6段目。栓には、右側から斜めにのびる鉄棒が挿し込まれていて、その分しか、栓は開いていません。「全開」ではなく、英男さんが言うように「(出る水の量を)絞っている」のです。




「森はまだ野々海の水を使っていない」とは、どういうこと?
 英男さんの口から、「森はまだ野々海の水を使っていないから」という言葉が頻繁に出てきます。
 同席者の森のみなさん(広瀬隆司さん、広瀬信雄さん、木村文二さん、広瀬秀勝さん)はよく分かっておられるようですが、私にはよく分かりません。
 森の開田にはすでにたくさんの水が来ています。下の写真をご覧ください。





 1枚目は、森の開田用水かけ口の少し上流、東入沢川(中条川の上流)から水が滝になって落ちてきている様子です。不動滝です。
 2枚目は森開田の上部、旧村営グラウンド跡の調整池。満々と水を湛(たた)えています。
 さらにもう1枚示しましょう。
 野々海の水路の円筒分水器の様子です。



 これが円筒分水器ですが、第2隧道を通ってきた野々海の水が分水器の真ん中から湧き出ています。
 写真右手に出ていく水路には水が落ちているのが確認できます。これが青倉に向かう水です。
 他方、写真の上方に向かう水路へは水が落ちていません。円筒分水器の周りに土嚢が積み上げられ、水が落ちないようにされています。これが森の開田に向かう水路。
 森の開田に向かう水路はここから数キロ離れたところで東入沢川に合流し、先に見た滝〜かけ口に至るのですが、11日現在ではまだ野々海の水は送られていないのです。

いま、東入沢川〜不動滝に見られる水の源は、どこ?
 では、いま、不動滝で勢いよく落ち、森開田用水のかけ口に流れ込む水は、どこから来ているのでしょうか?
 英男さんに尋ねると、「東入沢川の水さ」。
 でも、私にはよく分かっていない様子を察知した英男さんはさらに続けました。
    「東入沢川の水源というのは、野々海のキャンプ場、あれ
     のすぐ下なんだ。自然に水が出てくるんだ。」

 私はキャンプ場へ写真を撮りに行きました。そして、2万5千分の1の地図も見ました。



 上写真はキャンプ場前からキャンプ場のトイレ用建物の方を撮影したもの。この裏手が沢になっています。その様子は写真からお分かりいただけるでしょう。
 地図でも、このあたりが東入沢川の出発点になっています。
 そして、この辺りに湿地が多くあることを考えれば、東入沢川の源で水がじわじわと湧き出てくるということに不思議はありません。
 6月中旬という今、東入沢川を流れている水は沢に溜まった雪が融けているものではなく、湧水なのですね。
 因みに、青倉側の西入沢川(中条川のもう1つの上流)にはこういう湧水はなく、沢の雪融け水がなくなると涸れます。だから、青倉へはすでに野々海の水が送られているのです。

「水が湧き出る」って、どんな現象なのか?
 それにしても不思議ですね。「水が湧き出てくる」って。
 そこで、私は「水が湧き出ている」場所の撮影に向かいました。
 とは言っても、東入沢川の源泉の詳しいことはまだわかりません。選んだのは、森集落の震災前の水道の水源です。
 午後3時すぎ、中条川崩壊地で現在、谷止工の工事を進めているフクザワコーポレーションの現場代理人・宮本さんに電話。
    「森の水の関係で、1号崩壊地と2号崩壊地に今から
     入りたいのですが、よろしいでしょうか?」
    「ええ、今日は工事を休んでいますので、いいです
     よ。気をつけて行ってください。」

 こんな次第で、1号・2号崩壊地に向かって森の山を上り始めたのが3時40分頃。
 まず、2号崩壊地に入り、不動滝の様子などを撮影した後、水道の水源に入りました。
 役場が震災前の水源を復活させる基本方針を決め、水質調査のための準備作業を行なったとのことで、草が少し刈られ、辿り着き易かった。



 上写真は、水源から落ちてきた水が作業道に流れ出てきたところ。開田用水の排水管途中に敷設された升との関係でU字溝が入れられている。下は、水源とU字溝の間の斜面を流れ落ちる水の様子。「ドドドッ」という音がしています。いまの時期でも水量が多いんですね。



 さて、水源です。



 斜面の石がゴロゴロしているところから水が湧き出ています。上から落ちてくるというのではありません。この斜面の少し上の方を見ましたが、乾いていて、水は見えません。

 水源にゴロゴロしている石の間というか、下というか、そこにカメラを向けてみました。木の枝や葉が邪魔になり、暗かったので、あまりいい写真は撮れていませんが、様子が少しは分かるものが撮れました。



 石の下から水が出てきていますね!
 同じようなものですが、もう1枚、示します。



 やはり、石の下から湧き出ているかんじです。

対照的な羽倉のため池の現状
 森の開田用水、水道水源の現状とは対照的で気の毒としか言いようがないのが、お隣・羽倉(津南町)のため池です。



 上写真は11日夕、1号・2号崩壊地からの帰りに撮影したもの。
 2つあるため池のうち、上の方のものです。もう完全に水がありません。下のため池にはまだ水がありましたが、その供給源は写真のため池。ここに新たに入ってくる水は、かなりの雨が降る以外にはありません。

 10日には、やはり津南町の中子の池を見てきましたが、水位が大きく下がり、奥の半分は底の土が見える状態になっていました。中子には「節水令」が出されたそうです。





 1枚目は中子の池の奥の部分。もう底が見えています。2枚目は、「中子の桜」を多くの人が撮影するポイントから撮ったもの。水位が大きく下がっているのがわかります。

 11日昼の水番小屋での話では、羽倉の衆(しょ)が「水を分けてもらえねえか」と言ってきた場合の対応についても話し合われました。通すべき筋をきちんと通してもらえれば、協力にやぶさかではないという基本姿勢です。

“森は水の郷” ―― この認識・キャッチフレーズが水道原状復旧とむらの完全復興を可能にします
 森の水道の水源を震災前の水源に戻すことについて役場は基本的に同意し、その方向で動き出しました。
 私は、役場の基本方針の転換を森のみなさんにお伝えするとともに、「財源問題が課題。その解決には「大きな構想が必要」と書きました。役場からも、「その構想を提出してくれ」と言われています。
 11日の英男さんたちとの会話、そして、その後の調査・撮影で「大きな構想」の輪郭が浮かんできました。キーワードは、「森(集落)は水の郷」です。その意味は、ここまでの記述からご理解いただけることと思います。
 そして、「震災からの完全復興モデル・プロジェクト」というものを打ち出したいと思います。いま、熊本の人たちが復旧・復興にご苦労されています。東北もまだまだ大変です。そんな中、いったん「復旧工事」がなされた森の水道の問題点をあきらかにし、震災から5年を経た今、へこたれずに本当の復興に向かおうとする森集落の姿は「震災完全復興モデル」であると位置づけることができます。これは県を(さらに国を)突き動かす力をもっています。そして、「パイプ」はあります。中条川の導流堤を可能にしたものです。「プロジェクト」の詳細はさらに今後提案させていただきたいと思います。
(了)

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