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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌12月1日〜13日

(1日から9日までは、当日に書いた日誌ではなく、手許にある写真データなどをもとに記憶を呼び覚まし、後で行動記録等を書き残したもの。)

 

1日(木) 6日から始まる議会での私の一般質問の傍聴のお願いに廻るなどした。
 東部パイロットを走った時に撮影した写真が残っている。スキー場の上の方では積雪が見られる。家から見えるスキー場には雪が見えないが、上の方には雪があるのだ。このことと、知人のFBで見た秋山の積雪の模様が、2日の行動を決めた。

 

 

2日(金) 朝方の行動は記憶にないが、午前11時頃にガソリンを補給・満タンにして日出山線経由で秋山へ。配達はあまり考えず、冬を迎えた秋山の様子を見て、撮影するのが主たる目的。
 鳥甲山連峰の上空には雲が出ていて、「青空と雪景色」というわけにはいかなかったが、そこそこにいいものが撮れた。秋山から下におりた直後に会った人との会話をヒントに、「『白銀の世界と青空』、それとも『真っ白な雪と岩肌』」というブログ用の写真アルバムを編集してアップした。
 そこには掲載しなかったが、布岩で屋敷の山田由信さんと出会ったことが印象深い。
 県道秋山線から秋山林道に入って間もなく、1台のバイクが停まっているのが目に入った。今年の雪消え時にこの地点に薪材をいっぱい積んだガートラで由信さんが山から出てくるのに出会った経験があったので、「由信さんが山に入っているに違いない」と考え、山道に入った。

 

この道を入っていった

 

 不安がなかったと言えば嘘になるが、幸い、わずかな積雪に足跡があったので、それを目印に、途中からは今まで入ったことがない杉林へ。林には雪、したがって足跡がない区間もあったが、なんとか進み、ついに人が動く音が耳に入った。無事、由信さんに出会えて、大正時代に発電所建設用の切明までの鉄道をひくために布岩山に発破をかけたという場所を教えてもらうことができた。景観地・布岩の側面である。
 由信さんは原木栽培のナメコを採取されていた(下写真)。

 

 

3日(土) この日は撮影写真なし。
 議会12月定例会の初日6日の午後に入った「全員協議会(村長提出)」の協議内容資料を昨夕に受け取ったので、その精査にかなりの時間を要した。
 また、「復興への歩み」No.299の編集を進めた。10月下旬から11月末にかけて取材していながら掲載できなかった出来事もあり、写真データを整理しながらの時間を要する作業であった。

 

4日(日) 昨日の全協資料の精査をうけて、「切明温泉源泉地の買収について」なるテーマの不明点を解明すべく、事情を知る人たちに話を聞いてまわった。
 このテーマは相当に疑問があるものだと思う。さまざまな問題について、当局の資料を読むだけでは事の真相は見えない。
最近なにかと話題になる自治体議会の「政務活動費」、栄村議会議員には一銭の支給もないが(そもそも議会予算に「政務活動費」というものが存在しない)、この事実は「議員の調査活動は必要ない」という意味なのか? 議員が議員としての役割を果たそうとすれば、膨大な時間とエネルギーを調査活動に注ぎ込まなければならない。今日の聞き取り調査の場合は、聞き取りに廻るガソリン代程度のものだが、内容によっては調査のために村外に飛ばなければならない場合もあるし、かなり高価な書籍等を購入しなければならない場合もある。村民のみなさんにも考えていただきたい問題である。
 聞き取り調査の後、11月21日の臨時議会で問題となった平滝の貸工場建設現場の擁壁築造箇所と消雪池設置予定場所の状況の撮影へ(下写真)。

 

追加予算約500万円を投じた擁壁築造の現場

11月21日補正予算成立なのに工事はもう完成していた。不可思議な話だ。

 

工場の裏側。ここに消雪池をつくるのに追加約700万円。
貸工場の大屋根から雪が落ちると、どんな様子になるか、
11日の雪が落ちた後の12日の様子は後に掲載(12日の項に掲載)

 

5日(月) 「全協」関係の聞き取り調査のために遅れていた一般質問原稿の仕上げが主な仕事。
 ただし、朝8時半頃に「鹿を仕留めました。間もなく解体します」という電話をいただき、解体処理される現場へ。約50分間、記録写真を撮りながら、解体作業を見守った。
 予想したような抵抗感はなかった。内臓がすべて取り出された後、作業の後半、吊るされて、肋骨、そして鮮やかな色の肉の全体像が見えてくると、「きれいだなな」と思えてきた。帰宅後、写真データをパソコンに取り込み、画像を見ると、実際に見た時の美しさはあまり表現できていない。「ちょっと写真を紹介するのはきついな」という感想。したがって、写真は掲載しない。

 

6日(火) 12月定例会の初日。午前9時40分頃に議会事務局へ。議場ではなく、まず事務局に向かったのは、7日と8日の一般質問の順番を決めるくじ引きのため。くじは事務局到着順でひく。質問予定者8名の中で、私の到着は5番目くらいか。残ったくじの中から何気なくひくと、なんと「1番」。6月定例会に続き、二度目の「1番くじ」。9月はビリであった。
 議会は「午前は本会議、午後は全員協議会(村長提出)」の予定だったが、本会議は午前中では終わらず、午後2時半頃まで。休憩後、「全協(村長提出)」となり、予定テーマ4つのうち、今日は2つのみ。残りの2つは、7日と8日にまわされた。
 この日の議会の終了は5時近くになった。
 夜は、明日の一般質問草稿に手を入れた。
 今日は写真なし。


7日(水) 朝、『復興への歩み』No.299をブログにアップ。
 議会に出かける前、7時半頃と9時すぎに、薄っすらと雪化粧した景色を家の窓から撮影。昨日、議場から昼休み終了時にスキー場を見ると、ゲレンデが白くなっていたのを思い出した。

 

9時18分に自宅の窓から撮った1枚


 議会は10時からで、私の一般質問は約50分くらいだっただろうか。大きな質問項目の3つ目、「森川村長の村政の基本姿勢、振興公社の現状を村長はどう捉えているか」に充分な時間を確保するため、第1項目(SL運行総括)、第2項目(クマ対策)の時間を短縮したところ、全部で50分程度になった。1時間を超えると、議長から「簡潔に」という趣旨の指示をされるので、工夫せざるをえなかった。
 質問の成果は「議員活動報告」で書く予定。
 午後は、他の議員の一般質問と「全協(村長提出)」の「切明温泉源泉地の買収について」の予定だったが、昼休み終了間際に、村長から「全協は非公開に」という申し入れがあったという。まったくおかしな話。「全協」の前に、「傍聴者はお帰り下さい」と議長が言った。
 「全協」では徹底的に疑問点を突き出したが、村長から納得できる回答は得られなかった。
 終了は5時近く。今議会はかなりハードスケジュール。

 

8日(木) 10時から議会。午前中と、午後2時すぎまでは一般質問の続き。2時40分ころからだっただろうか、「振興公社への指定管理委託料の増額について」を協議事項とする全協(村長提出)。
 ここでは詳しいことは書かないが、村長の話はまったく整合性がない。到底、納得できるものではない。
 終了はやはり5時近くになり、今日は写真撮影なし。

 

9日(金) 今日の議会は午後。午前中は「切明温泉源泉地の買収」の件で追加調査。「昨年、源泉地所有者に無断で村が雄川閣駐車場で温泉掘削をした」という村長の説明とはあきらかに矛盾する県審議会の議事録が存在することが判明。
 午後の議会では、追加議案で「源泉地買収400万円」を計上した補正予算案が出てきた。人事院勧告に伴う職員給与増額の補正予算との抱き合わせでの提出。私は議案の分離を求めた。議員の中には私と同意見の人もいて、採決時は議場の空気が相当に張りつめた。採決の結果は6対5。可決は残念だが、現在の状況でギリギリ可能なところまで戦ったとは言えるのではないかと思う。「村民の声が届く議会」にするためにもっともっと頑張らなければならないが。
 夕刻5時半からは「トマトの国」で「副村長歓迎会」。森重氏は5日就任で、初仕事が議会出席。今次議会での審議内容にどのような感想をもたれたか、知りたいところだが、直接話す時間はなかった。
 凄まじく緊迫した議会の直後に、理事者と議員が同席する酒宴というのは私には違和感があるが、とりあえずは慣例に従った。話に聞く「昔は酒宴の場でもトコトン論争を続けた」というものであれば、納得できなくもないように思うが、いまはそんな雰囲気ではない。なお、こういう場は参加者各人が参加費をきちんと支払う。ちなみに今回は一人5千円。私のような貧乏議員には痛い出費だが…。
 今日も写真はなし。

 

10日(土) 昨夜がかなり遅かったので、起床は8時すぎ。こんなに遅いことは本当に稀だ。
 窓の外を見ると、一面真っ白。それほどの雪が降るという予報は耳にしていなかったので、これには驚いた。昨夜の酒宴で、「明日は久しぶりに山に入ってみようと思っている」と言っていた人がいたが、おそらく断念されたのではないだろうか。じつは、私も、12月に入ってもあまり降雪がないので、「明日は野々海に上がってみようか」と思っていたのだった。

 

午前9時49分撮影

 午前中はNo.299の印刷・折りの作業と、
 直売所訪問。
 午後は所用があって飯山へ。行き、「あさがみトンネル」を越えると景色がガラッと変わった。手前の栄村域は一面積雪だったが、トンネルを越えた飯山側はたしかに雪が降ったことはわかるが、“積雪”という感じはない。帰りは途中からまた雪が降り出したが、国道117の市川橋〜あさがみトンネル間あたりが非常に滑りやすく、冬の始まりの時期特有の運転の難しさを1年ぶりに味わった。水っぽい雪が、夕刻が迫る中で一部凍り始めているということも滑りやすさを強めたのかもしれない。
 夜は当初、原稿書きを頑張ろうと思っていたが、疲れを蓄積していくとまずいので、思い切って仕事は止めた。チャンネルをまわしていると、NHKがしきりに宣伝していた「漱石悶々」が始まったばかりで、それを観た。笑い出してしまうシーンが結構多く、よかった。ドラマの制作手法もよかったように思う。これで終わらせておけばよかったのだが、その後、「古舘伊知郎の忠臣蔵実況中継」なるものも途中から見てしまった。「忠臣蔵」をさまざまな新しい視点で切り取っているのが面白かった。古舘のしゃべりは相変わらずで格段の新鮮味はなかったが、企画が優れていたように思う。

 

11日(日) 雪は昨夜から夕刻までずっと降り続けた。10日、11日は雪の予報だったが、まさかこんなに降るとは思わなかった。びっくり。

 

スキー場に向かう道路の様子、午前8時48分撮影。

12日朝、晴天の下で、同場所を撮影した。12日の項参照。


 午後2時すぎだったか、津南町からの帰りに117で滑り、あやうく路側に突っ込む寸前。明け方までは乾雪だったが、日中は湿雪。雪の季節の始まりの時期の雪はとにかく滑りやすくて厄介。「今日はさっさと温泉に行き、後は家に立てこもり」と決めた。
 「早めに寝よう」と思ったが、5週間にわたってずっと見続けてきたB
Sプレミアムのドラマ「山女日記」が10時から放映なので、それを観てから就寝。

 

12日(月) 6時頃起床。青空が広がる! 猛烈な冷え込み。道路の凍結を警戒し、7時半過ぎに外へ。ひと通り雪景色写真を撮って、パソコンに取り込み、ブログ記事を編集し始めたところで、「SOS」の電話。長野に向かいたい人を飯山インター付近でひろい、高速で長野まで。帰村は午後1時半頃。
 長野市内には雪のかけらも無かった。遠くに見える飯綱山や白馬の山並みは真っ白で、最高に綺麗だった。カメラは持っていたが、撮影のために停車する場所を探す時間的ゆとりはなく、写真は撮れず。
 その後、泉平などで久々の配達。「昨日、雪で配達できなかった分も」と思っていたが、午後2時すぎからの配達だったので50部程度にとどまった。
 夕刻、横倉で見た景色は、朝の青空の下での景色に勝るとも劣らない美しいものだった。写真をとるためだけに動いていたら、もっときれいなものが撮れただろうが…。

 


12日朝8時1分撮影。1日の項に掲載の写真とほぼ同じ地点。同じところで撮ったのは偶然。

 


午後4時31分、横倉にて。雪原から靄(もや)がのぼる中、東の空にはお月さまが…。


下は平滝の貸工場の大屋根から11日の雪が落ちた時の様子(12日午後3時半頃に撮影)

 


13日(火) 午前中は精米と原稿書き。11時から「三人鍋」なるもののご招待をいただいたお宅へ。私を含めての三人だが、私が栄村に来た直後からずっとお付き合いのあるお二人と話が弾み、あっという間に午後2時をまわった。話は尽きなかったが、午後2時15分頃にお暇し、その後、何軒かのお宅に配達・連絡・依頼に廻っていたら、もう夕暮れ。昼間が最も短い冬至が近い。本当に夕暮れが早い。
 「三人鍋」の席では、「『松尾さんの配るもので初めて議会・村で何が起こっているかがわかる』と言っていたよ。『書いちゃいけない』なんてことはない。『書いちゃいけない』と言われたと書けば、もう相手は何も言えなくなるよ。とにかく、なにものも恐れずに書いてくれ」と叱咤激励された。
 「孤軍奮闘」がしんどくないと言ったら嘘になる。でも、頑張るしかない。べつに悲壮な決意をするというのではない。平常心で、“書くべきことを書く”を貫いていきたい。

 


朝陽がスキー場に当たり、数分間しか見られない美しさ。(7時22分撮影)

 


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