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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌1月16日〜31日

16日(月) 今日も大雪が続く予報だったので、「配達はせず、室内作業」と決めていた。「雪が大変だ」と言っていたら、冬の配達はできなくなるが、14日に危険な体験をしたので慎重に。
 そういう予定にしていたこともあってか、昨夜は遅くまでPC作業をして、就寝は午前1時すぎ。そのため8時頃まで熟睡。まだ着替えしていない時に、大家さんがシャッターを開ける音がしたので、慌てて、外に出て挨拶。その後、着替えて、屋根の雪下ろしの様子を撮影。連写を繰り返したので、200枚は超えただろう。迫力のあるものを撮れた。
 昼、スキー場へ。リフト券が1日千円のラッキーマンデーということもあるだろうが、県外車が多い。レストランで5組くらいに声をかけた。みなさん、雪の深さに満足の様子。「帰りに温泉はいかが?」と言うと、「トマトの国」が温泉であることを知らない人もいた。
 午後4時すぎの「トマトの国」では、スキー客で、「これから東京方面に帰る」という人と一緒になった。帰る時、玄関におられた女性は「安曇野からです」というご返事。
 スキー場はもっと活かせると思う。

 

17日(火) 午前中、津南町へまとめ洗濯に出かけ、昼すぎ、津南では降っていなかったので、「これは大丈夫だな。配達に廻ろう」と思いながら村へ戻った。栄村では降っていたが、2時すぎ、泉平へ。がんがん降ってきた。下とはかなり様相が異なる。
そんな中、最後から3軒目と最後の1軒でびっくり。
 「最後から3軒目」は、集落内道路から少し離れたところに家があるが、道路からは1mくらいの雪の壁を上がって、しばらくその高さを歩いて、家に辿り着く。玄関は「穴ぐら」のようになっている。最後の1軒では玄関につながる道があるところは手がつけられない積雪で、「裏に廻って下さい」の看板がたてられていた。

 

18豪雪時に新聞に紹介された高橋甚治さん宅を思い出した

 

18日(水) 予報で「晴れ」となっていたので、「秋山の様子を見に行こう」と決めていた。アイスバーンも厄介だが(午前9時に役場横で−1℃)、昼間の気温が上がって、405号線沿いの崖面の雪が落ちてくるのも嫌なので、9時17分に津南から405に入った。
 今日は配達よりも14日以降の大雪の後の秋山の状況を見ることが主眼。
 まず、小赤沢で「とねんぼ」前に行った時に、地域おこし協力隊の坪内さんがブルドーザーでの除雪の研修をしていたので、その様子をしばらく撮影。その最中に「とねんぼ」の大屋根から雪が軋む音が…。安全な場所からカメラを構え、大量の落雪の様子を撮影することができた。屋根からの大量の落雪の瞬間を写真に撮りたいと長い間思い続けてきたが、こんな機会に出会うとは想像もしていなかった。連続写真をブログにアップしたが、いちばん大量に落ちた瞬間のものを1枚、示しておく。

 


 上の原では様々な出会いがあった。一番の出会いは、Walk Japanというツアー会社(本社は大分県)主催のスノーシュー・ツアーの外国人6名との出会い。何年ぶりだろうかというカタコトの英語で話しかけて、雪の上にどっかと腰を下ろして鳥甲山を眺めるイギリス人男性の写真を撮らせてもらった。私は英文を読んで翻訳することはできるが、英会話はからしきダメ。「ここに住んでいるのか?」と尋ねられ、「秋山ではなく、村の別のところ」ということを説明するのに苦労した。事前に「のよさの里」の人から、「車での旅ではなく、森から森宮交通の車で来た」と聞いていたので、「森宮野原駅をしっているだろう。あの近くに住んでいる」と説明。通じたようだった。このイギリス人の写真は「復興への歩み」に掲載する。
 今日、いちばん驚いたのは屋敷集落の状況。山に近い地区は地区内道路が雪で塞がれて、軽トラでも入れない状況だった。近くの家では雪害救助員が懸命に屋根の雪下ろしと、落とした雪の排雪をやっていたが、知り合いの救助員もヘトヘトの様子だった。
 午後4時すぎに下におりた。
 疲れたが、いい体験だった。配達は46軒。

 

19日(木) 昨日、「19日は栄小のアルペン教室」と聞いたので、午前9時前にスキー場へ。10時半近くまでずっと撮影。「プリンターのトナー(インク)を届けた」という連絡をヤマトから受けて、いったん印刷に戻り、11時20分頃、再びスキー場へ。レストランで特製の鶏唐揚げ付きカレーを食べる様子を撮って、11時45分にスキー場を後に。

スキースクール校長の保坂順一さんとご挨拶


 印刷の折りや昼食を終えて、午後3時頃、白鳥に配達に向かう途中、平滝の国道脇のごみステーションの所でイノシシが騒いでいるのを目撃。一昨日、白鳥で除雪中の女性にイノシシが突進してきたという話を知人から聞いていて、「遭遇したら車で跳ねてください」と言われていた。
 私は国道を走っていて、イノシシは集落内道路に少し入ったところにいたので、跳ねるというわけにはいかず、通過するしかなかった。路側に停車できる場所を見つけて、知人に連絡。私もターンして、目撃現場に向かう途中、「仕留めました」という電話連絡。現場に駆けつけ、イノシシが横たわる現場を撮影。近所からスノーダンプを借りて、現場及び、そこから運搬する車まで引っ張った後の雪上の血を消した。その後、解体現場も見学。
 その後に配達をしたが、白鳥の28軒の配達にとどまった。

 

20日(金) 朝、昨日のイノシシの解体作業の様子を見に行った後、月岡、箕作、横倉、平滝を廻り、No.300の配達をようやく完了した。本来は15日までに完了の予定だったが、14日からの大雪ですっかり予定が狂った。14日以降は「議員活動報告」第10号と一緒に配達している。
 夕刻、配達の最後のところで出会ったおかあさんに、「公社はどうなるの? 3月に法事の予定があって、トマトの国を使いたいと思っているんだけど、営業は続くの?」と尋ねられた。「潰すことはしない」と縷々(るる)説明。現在の公社のあり様ではカネをいくら投じても赤字が続く。24日も公社への資金投入をめぐって臨時議会だが、公社の再建策の提案もしっかりみなさんに伝えていかなければならないと痛感した。本来は公社理事会、そして資金投入を提案している村長がもっとしっかりした案を提出する責務を負っているのだが、何を考えているのか、さっぱり伝わって来ない。「いいとこ取り」で利用されるのもわかったうえで、より具体的に再建案を提案していくしかないだろう。
 久々に110軒の配達で、かなり疲れた。

 

平滝からの景色(20日午後撮影)

 

21日(土) 午前中は、24日の議会審議の準備として、振興公社の財務データの整理と検討。
 午後は、青倉米の発送準備で精米作業。知人に手伝いをお願いしたが、
 自身でも30埖泙魴觜襲燭鵑澄昨夏頃は1袋を扱っただけでも腰にこたえることがあったが、今日は大丈夫。昨秋9月半ばころだろうか、基本的に就寝前だが、自分なりのストレッチを中心とする体操をやっていて、いろんな場面でその効果を実感することができる。
 間もなく67歳の誕生日を迎える身で、いまさら体力が向上するとは思わないが、昼間のさまざまな活動で張った筋肉を緩めたり、体の歪みを矯正する効果はあるのではないだろうか。この就寝前の体操をするようになってから、長時間の運転・配達をしても、背中が張って痛むことがほとんどなくなった。年末に風邪できつかった時に、体操をさぼると、運転時に以前と同じような痛みを感じた。体操の効果を逆証明しているように思う。
 夜、これからもうひと仕事しようかと思っていた時に、突然の停電。停電がかなり続き、「もう寝るしかないか」と思って、布団に入ろうとした時に復旧(停電は8時20分〜50分)。もともと考えていた仕事はもう再開する気力が取り戻せなかったが、他の仕事を少しやり始めたら、どんどん時間が経過し、就寝は1時近くになってしまった。

 

22日(日) 震災以降のつながりだが、毎冬、除雪の手伝いに来て下さる神奈川県の内山さんが今冬も来村下さった。「どこをお手伝いいただこうか?」と色々考えたが、17日に衝撃を受け、その後、20日にも状況の改善が見られなかった泉平に行くことにした。
 最も深刻な状況だった2軒には21日に救助員が入ったようで、雪害救助員制度の対象外でロータリーのない高齢者宅を訪ねて、内山さんと一緒に家周りの排雪のお手伝いをさせていただいた。お昼をご馳走になったが、その折、奥さんから「部屋が明るくなった」と言っていただき、「よかったな」と思った。今日は昼すぎまで快晴で、村のみなさん、排雪作業に励まれたことと思う。
その後、内山さんが何度も訪れたことがある青倉のあるお宅でお茶のみ。
 午後、上郷のファミリーマートに行った際、ファミマの駐車場で移動用発電機車を稼働させている東北電力の人に声をかけ、後ほど、営業所から説明の電話をいただけるようにした。
 今日は配達なし。

 

23日(月) 昨夕から降り始めた雪、朝起きた時はそんなに積もっていなかったが、朝の道路除雪後にがんがん降ってきた。
 昼頃、スキー場へ。ラッキーマンデーということもあるが、県外車が多い。レストランで昼食を終えた頃、外国人女性が2人入ってきた。日本人ガイドがついておられたので、声をかけると、スウェーデンからのお客さま。「いい雪で素晴らしい」というご感想。ガイドは斑尾(まだらお)の人で、さかえ倶楽部スキー場を積極的にアピールして下さっている。
 午後は、「議員活動報告」の配達で東部方面へ。その帰路、原向の中村正文さん宅の積雪計を写真に撮りたいと思って、貝廻坂に下るのではなく、原向から長瀬に下るコースを選んだ。中村さん宅での撮影はうまくいったが(下写真)、原向のあの広い田んぼゾーンの中を走る県道が大変だった。ホワイトアウトには至らないが、前が見えにくい。慎重に運転し、なんとか長瀬まで下りた。

 


 夜は明日の議会で質すべき事項を整理して、その後、就寝したが、診療所に行くのを忘れ、睡眠安定剤が切れたので、ほとんど眠れず。

 

24日(火) 公社問題での臨時議会。今日も傍聴者が多かった。
 臨時議会のことは「議員活動報告」に書くので、ここでは書かないが、やはり傍聴者がいっぱいいるということの意義・効果は大きい。
 朝方はさほどの降雪ではなかったが、昼前に議会を終えて外に出ると、激しい降り。その後、基本的にずっと降り続く。ニュースは「大雪の峠を越した」と言っているが、そんな時ほど、栄村は降る。
 昨夜眠れていないにしては元気に過ごせたが、夕刻からはややきつかった。夜、写真アルバム「栄村の雪の状況1月23〜24日」をブログにアップ。

 

25日(水) 昨夜は早く寝たので、早朝に起床し、昨日の臨時議会に関する「議員活動報告」第11号を2頁版で編集。
 早速、昨日の議会に傍聴に来て下さった方々のお宅を中心に40軒廻った。
 11時半頃、極野を廻っている頃、青空が見えた。しかし、水内(みのち)方向はまだ空が暗い。
 その水内でも午後2時頃には晴れ。これで今回の大雪も終わりかと思ったら、また降り出し、夕刻まで続いた。わずか1時間ほどでかなり積もった。よくわからない天気だ。
 夜、ブログに「今日もげに降った」をアップしたが、そこに掲載した写真を1枚。

 


 天代集落で撮ったもの。こういう道を都会の人に運転しろと言っても無理だろう。しかし、ガイドが運転する車で廻るなら、これは「雪国観光」の最高のコースになるだろう。観光商品というのはそういう発想法で作っていくものではないかと思うのだが…。

 

26日(木) 髪の毛がうるさくなってきたので散髪へ。すっきりした。理髪店で話題になったこともあって、津南町加用から中子に上り、赤沢へ抜けた。いつもは主要道を走るだけだが、今日は赤沢の地区内道路に入った。積雪量が栄村よりも多いように感じた。あくまでも「見た目」でのことであり、初体験の場所なので、多いと感じただけのことかもしれないが。
 その後、津南町の上野集落も見に行った。帰りがカーブの下り坂なので、これまで冬は行ったことがなかったが、今日は晴天で道路状況もよさそうなので初めて行った。写真はあまりいいものが撮れなかったが、直に見た景色は絶景。
 午後1時半からは、「こんにちは、県議会です」という集まりに議員として出席。私にはきわめてセレモニー的なものに思えたが、県議会議長は豪雪の地が初体験だったようで、その意味では「冬の真っ只中に栄村で開催」は意義があったのかもしれない。

 

27日(金) 午前中、米発送作業。というのも、25日の発送で私のミスから2件の間違いがあったので、その修正の追加発送。議会対応でバタバタしていて、発送のための事務面での準備が不十分だった。今後ますます忙しくなると思われるので、この点、十分に心していかなければならない。
 午後は、傍聴に来てくださった人たちへの報告会の準備等で動き、配達は15軒にとどまった。

 

28日(土) 今日は午前11時頃に冬の特別列車「雪のおいこっと」が到着するので、それを出迎えられるよう、配達を朝早くに始め、森、青倉で87軒。その後、森宮野原駅で「復興への歩み」新年号に付けた写真集「栄村の四季を楽しむ」に「おいこっと」乗車のみなさんへのメッセージを入れてものをお配りした。到着と同時にたくさんの人がワッと降車されてきて、あっという間に60部を受け取っていただいた。
 ホームには観光協会の若手職員2名も一緒に。うち1名は休日だったのにボラ出動してくれたもの。正規ルートでは観光協会に「おいこっと」のことは伝わっていなかったようだ。他方、JR側は運行スタッフの他に状況をチェックする社員が乗車していて、私もSL運行に対する栄村住民の反応について尋ねられた。今年は7月から「デスティネーション信州」キャンペーンだが、どうやら今のところ、栄村は「カヤの外」の感じ。震災前に同キャンペーンがあった時と同様、県等から連絡がないのではなく、会議等に呼ばれても、そこで提起されたことに反応する力、いや、それ以前に、感性が不足(ないし欠落)しているのだと思われる。
 午後は、ある勉強会で飯山へ。帰りに、上りの「おいこっと」の姿を信濃平駅付近で撮影した。午前、「おいこっと」歓迎の「手を振る運動」が行われた場所である。夜はスキー客へのインタビュー。

 

29日(日) 今日は晴天。私が以前に勤務していた京都精華大学の卒業生が何人も(結婚した人は子ども連れで)昨日から栄村に来ていて、今日の昼は「スキー場で昼食を一緒に」という連絡があった。
 彼ら・彼女らが最初に栄村にやって来たのは10〜7年前。栄中の旧寄宿舎が「ゼミナール館」となっていて、私が管理人をさせていただき、学生たちを受け入れ、合宿していた。当時、「宿泊施設として認めると、本来の宿泊施設の客を減らす」と随分とクレームをつけられたものだった。私は、「学生にはカネがない。いま、こういう施設で村に滞在してもらい、栄村を好きになってもらえれば、いずれ彼らが就職し、稼ぎ、家族をつくった時、村を再訪し、カネを落としてくれるようになる」と言ったものだが、そのとおりになったわけである。
 栄村の観光等の発展のためにはこういう“先行投資”の考え方も大事だと思うのだが…。
 配達は計135軒。ずいぶん頑張ったものだ。体はやはり疲れたが。

 

30日(月) 気温が高く、朝から雨。雪だと配達に困らないが、雨は紙が濡れないようにするのが厄介。午前中は用談。
 午後、若干の配達に廻ったが、原向で午後3時半に雨が雪に変わった。しかし、「下(しも)」で雪に変わったのは午後5時半頃。昨日の気温上昇、今日の雨で、23日には180cmを示していた原向の中村さん宅の積雪計が今日は130cmになっていた。
 東北電力の送電塔に倒木が発生し、21日夜の停電につながった問題。件の送電塔の場所がどのあたりか、大久保で出会った東北電力の職員から聞いた話でおおよその見当がつき、津南町の反里(そり)、今井のあたりを探し回って、ようやく大井平集落の山で「発見」した。雪の山中での凄い復旧工事。東北電力、中部電力のHPを調べても、何も出ていない。「秘密主義」云々ではなく、ライフラインを守るための作業員のみなさんの大変な働き。われわれはこういうことをもっと知って然るべきだと思うのだが。

 

31日(火) 「復興への歩み」を1月中にもう1号出しておきたかったので、午前中に一気に編集。
 2時すぎから東部地区で配達に廻り、何人かの人と立ち話。いろいろと村議選(4月23日投開票)が話題になってきている。「実(じつ)のある議会」にしたいと思うのだが、「村会議員は名誉職」と思って立候補を追求する人がまだまだいるようだ。全国各地で「議員のなり手がいない」ことが大きな問題になっているが、議員給料が安くて若い人は議員では暮らしていけないという問題があ
ると同時に、町村議会(議員)とは何ぞや」をめぐる古い意識が根強く存在することも大きな原因の1つではないかと思う。

 

送電塔復旧工事現場(31日午後撮影)

倒木で損傷した送電塔の上部を取り替えている。

クレーンで吊られた鉄骨に作業員が乗っている!


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