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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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2月19日の配達路を辿る:その2〜志久見から極野まで〜

 

 2月19日の配達路を当日のブログでは雪坪(ゆきつぼ)集落と極野(にての)集落についてのみ紹介しましたが、今回はその続きで、まず志久見(しくみ)集落からです。
 まず、上の写真は、雪坪→志久見→柳在家(やなぎざいけ)→切欠(きりかけ)と順に進み、長瀬集落に向かう途中の県道沿いでのもの。「カタクリ街道」の別名があります。下の写真は昨年4月12日撮影。今年は昨年よりも雪が多いので、カタクリの開花はもう少し後の時期になるでしょう。

 

 

 

 

 

 志久見集落の県道沿いゾーン。中央奥に火の見櫓が見えます。
 このあたりは消雪パイプが設置されていますが、大雪の時は消雪パイプの雪処理能力が追いつかず、道路両側に雪が積もって道幅が半分くらいになってしまいます。この日は朝方、積雪がありましたが、少量だったので、道路は対向ができる幅が確保されています。

 

 県道沿いの集落の真ん中あたりで右に入る車1台がやっとの道があります。下写真がそれ。

 


 写真右手奥に見える大きな屋根は林秀庵(りんしゅうあん)。

 上の写真の道を進み、左に曲がると坂道。上写真の左手に見える家はその坂道の脇にあります。その坂道の写真を2枚。

 

 


 坂を上りきり、少し進んで右へ曲がったところが次の写真。

 

 

 見える建物は志久見住宅。元々は教員住宅として建てられたものですが、現在は村営住宅(アパート)になっています。

 志久見住宅の方へ曲がらず、逆に左折すると県道に戻ります。県道に戻ってすぐに大きなカーブで、その先に歴史文化館「こらっせ」(旧志久見分校)が見えます。

 

 

 「こらっせ」の先に見える道路両側の家はまだ志久見集落。

 

 

 「柳在家」の看板が見えます。
 ただし、写真左手にごく一部が写っているお家は震災で壊れた柳在家の家の替わりに新築されたものなので、柳在家集落の一員として暮らしておられます。
 道路右側にほんの少し雪の壁がきれているところがあります。そこから4軒の家に通じる集落内道路があります。次の写真がその道。

 


 写真右手に見えるのは観音堂。ただし、もう10年ほど前のことでしょうか、土砂崩れの危険があって、観音堂の本体は写真左手に見えるドーム型車庫上の建物に移転したそうです。
 このカーブを曲がった先の写真もご覧ください。

 


 走った感じとしては、この道路、19日朝は除雪が入らなかったのかなと思われます。
 大雪で一日に2回除雪が入るような日、この道路に2回目の除雪が入るのは遅くて、積雪が15cmを超えているように思え、スタックを恐れて、今冬、走行を回避したこともありました。でも、この先から振り返った時の景色は私のお気に入りです。

 

 

 

 集落内道路沿いの1軒のお家の横で撮ったもの。
 電信柱(電話回線用ですね)がかなりのところまで雪に埋まっています。
 奥に見える山は志久見街道(江戸期からある旧道)の大峠(おおとうげ)のあたりになるかと思います。

 

 

 先ほどの集落内道路を引き返し、県道に戻って少し進んだ地点。写真左手、手前から2つ目の建物は柳在家公民館。

 

 

 県道をさらに進んで、柳在家の南の端へ。

 

 

 柳在家集落の南端のお家の玄関前からの眺め。
 “たね”(消雪用の池)が雪消しに役立っています。

 

 

 この写真を見て、何処の橋かを答えられる人は栄村の村民でも稀なのではないでしょうか。県道の橋ですが、県道を走っているかぎりでは赤色の橋とは思いません。下が県道走行中に目にする橋の姿。切欠橋です。

 

 

 

 今回の冒頭に長瀬の手前の“カタクリ街道”を紹介しましたが、柳在家の写真点数が多く、今日の編集作業はここまで。切欠から先はまた次回。


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