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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村復興への歩みNo.345(9月17日付)

 

 これは9月13日午前10時頃に撮影したものです。何処なのか、お分かりになるでしょうか。水面が見えるので、察しのいい方は「野々海池かな?」と見当をつけられたかもしれません。正解です。
 でも、写真手前に見える、まるで遺跡発掘地の跡であるかのような地形を見たことがある人は少ないのではないでしょうか。本紙No.342(7月22日付)で水位が下がった野々海池で西端の方まで岸辺を歩いた時の写真を紹介しました。9月13日はその時からさらに水位が下がり、7月時点では見えなかった地形がこのように見えるようになっていました。
 9月13日はじつは私一人ではなく、昭和20年代後半に野々海築堤工事の現場に行っておられた大先輩と一緒に行きました。白鳥集落出身で現在は津南町羽倉集落にお住まいの久保田晋介さんです。私が9月2日に堤の対岸を歩いた時の写真をお見せしたところ、「行ってみたい」と言われ、13日、ご一緒しました。上の写真の地形を目にして、「築堤前の地形がそのまま残っている」と言っておられました。今号では、少しページ数を割いて、今回見た地形や遺構を紹介したいと思います。


野々海池を探検する

 

 

 野々海池は水位がすっかり下がり、上写真のように水かけ口を覆う金網の一番下の部分が見える状態になっています(下写真は、金網の中の様子)。

 

 

 

 上の写真は、そのかけ口から対岸正面方向を撮影したものです。対岸近くの湖底地面が見えています。でも、平素見る野々海池の形と基本的には変わりません。そこで、次の1枚をご覧ください。

 

 

 対岸から洲が大きく伸びていて、堤から見ている時には想像できない姿を見せます(下地図のっ賄澄法

 

 

 

 「対岸から洲が大きくのびていて」と説明した写真を撮った地点の近くから、野々海池の西方を眺めたものです。ずいぶんと広い地面が広がっていることに驚かれることでしょう。平素はここがすべて水面下になっているのです。
 写真に見える樹林ゾーンとの境目の写真左手から4分の1あたりに池が切り込んでいるところがあります。野々海池の最西端です。そして、そこの様子が次の写真です。

 


 上写真は地図の△らJ向を眺めたものです。の北西に「西窓」という湿地がありますが、その近くから沢が野々海池に流れ込んでいることがわかります。

 

 

 これは地図の|賄世ら地点に進む途中で見つけたもの。
 写真に姿が見える久保田晋介さんから「炭焼き窯の跡だよ」と教えていただきました。
 他に2ヶ所でも窯跡が見られました。
 この一帯がまだ野々海池に水没する以前、野々海一帯で広く炭焼きが行われていたことを示す遺構ですね。

 

 堤近くの|賄世ら地点にむかって歩き始めて間もなく、岸辺の様子が他とはちょっと異なる箇所があって気になりました。岸辺から少し離れたところが盛り上がっているのです。

 


 盛り上がっているところをクローズアップしたものが下写真です。

 


 これは倒木がずっと水中にあったためにあまり腐敗せず、原形がほぼ保たれたまま炭化したものではないかと思われます。
 なかなか興味深いものです。専門家による鑑定をしていただけるといいなと思っています。

 

 この日は、野々海池の探検はこれだけでは終わらず、滅多に見られないものにもう一つ出会いました。
 早めのお昼をたべるためにキャンプ場に移動したのですが、そこで何やらボーリング機械を打ち込むような音が聞こえてきました。近くには「新潟大学」のネームが入った車も駐車しています。

 

 

 湿地「東窓」の木道のすぐそばで地下深くの土壌をボーリングで採取する作業が行われていました。

 


 上写真の真ん中に見える茶色っぽい円筒状のもの。地表からの深さ3m〜4mの間の土壌です。
 新潟大学、千葉大学、国学院大学、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究者が共同で進められている環境史研究の調査だそうです。私が作業の様子を垣間見せていただいた地下3〜4mあたりは3万年前くらいに出来た地層と考えられるそうです。この土壌サンプルを研究室に持ち帰り、詳しく調査されます。仮に姶良カルデラ(鹿児島県)の火山灰が検出されたとすると、姶良カルデラの爆発は約2万9千年前〜2万6千年前のことですから、その頃に形成された地層であることがわかるという次第です。
 私たちが暮らす大地の歴史がわかるというのもなかなか興味深く、面白いことですね。

 

 野々海池は、水取り込み口の修理の関係で、9月13日よりも水位が上がらないように水が抜かれますので、しばらくの間、野々海池の底の地形を見ることができます。機会をみつけて、是非、ご覧ください。その際は、長靴が不可欠です。また、一人での行動は危険で、複数名で行かれるのがよいと思います。

 


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