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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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青倉のこれからを考える


 この写真は11日夕、西山田に向かう農道から撮影したものです。
 私はいまから5年前(2007年)に栄村に移り住みました。青倉のすぐそばの中条地区にある教員住宅の一室を村のご厚意でお世話いただき、そこから毎日、歩いて青倉に通い、ひたすら農作業に没頭していました。いまのように、青倉の人たちのほとんどが顔見知りということはなく、「見慣れない、変な奴が歩いているな」と思われていたことでしょう。

 朝5時、青倉受託作業班の仲間が軽トラで教員住宅の前まで迎えに来てくれました。城ヶ館と西山田の田んぼの水見に行くためです。14枚の田んぼをまわり、時には草取りや畦草刈りもして7時前に西山田から下りてくると、途中の農道から写真のような青倉の集落の姿が目に入って来ました。

 田んぼを見廻っている間、人家はもとより、人工物がいっさい視界に入ってこない西山田の棚田、そこから下りてきて、この集落の姿を見ると、変な言い方ですが、「おお、都会が見えてきた」と思ったものです。東京や京都の都市部と比較すれば過疎の山村集落ですが、青倉の集落にはいい意味での賑わいを感じさせるものがあるのでした。

集落の姿が変わる
 いま、その青倉の集落が大きく姿を変えつつあります。
 5月も後半に入ると、住家そのものの解体作業がそこかしこで行われるようになりました。手元にある写真フォルダを見ても、解体作業を写したものがあまりありません。私の体内のどこかに解体を拒絶する気持ちがあるからかもしれません。

 長年住み慣れた我が家を解体する決断をされたお一人、お一人には私などでは想像しきれない断腸の思いがあるものと推察します。先日、横倉の仮設住宅であるおばあちゃんに会ったとき、「明日は我が家の解体が始まるので青倉に行きたい。自分の家が解体されるのを見ておきたいから」と言われたのを思い出します。

 前頁の写真では、青倉をよくよく知る人が見るのでなければ、集落の姿の変化はわからないと思います。しかしすでに、倒壊した多くの倉庫や車庫が撤去され、そして住家の解体が進んで、「隙間」がたくさん出来ています。しかも、この写真を眺めていると、「ああ、間もなく、この家も姿を消すんだなあ」と思う家がそこかしこにあります。解体予定の住家を含めて数えると、今度の冬を迎えるまでに4〜5軒に1軒の割合で姿を消すのです。
 まさに、集落の姿が変わってしまうのです。


写真中央にもう1軒の家が1週間前まであった。右手の大きな古民家もいま解体中

青倉の魅力
 私が栄村‐青倉と出会って以来感じ続けてきた青倉の魅力。それはなかなかうまく言葉で表現できるものではありませんが、その一つは、集落内の道路を歩くときに目に入る家並みでしょう。私がまだ京都からむらに通っていた頃に書いた文章の中につぎのような一節があることを思い出しました。 
 青倉集落の農業、暮らしということで、最後に、いまひとつ触れておきたいものがある。それは、集落の風景である。
 それは、なにか特別な風景というものではない。集落を歩いていると、ほとんどの家の前や周りに花が咲いている空間がある。あるいは、自家用の少量の野菜をつくっている畑とも庭とも区別がつかないような場所がある。花は、都会などで最近盛んな「ガーデニング」のようなものではなく、農村ではごくごくありふれた花が、おそらくはさほどの手入れなしに育ち、咲いているものである。畑の野菜も結構「絵になる」ものであるし、また、いわゆる「雑草」もきれいなものである。
 あるいは、家々の間、各家の前や横には必ず水路がある。(中略)
 また、集落の中は、結構多くの家屋があるが、都会のように家屋がぴったりとくっついているということは、まず、ない。家屋と並んで農機具などを収める倉庫があることが多く、簡単な作業が出来る場所もある。
 つまり、空間がゆったりとしていて、自然の香りや色がある、人間と自然のつながりを感じさせるものが色々とあるということであろうか。
 集落の風景は、長年の人びとの暮らしの営みが生み出したものです。それがいま、大きく変わろうとしています。昨日の信濃毎日新聞に、「地区の景色がどんどん変わってきた。でも本当に寂しくなるのはこれからだよ」という高橋友太郎さんの言葉が紹介されていましたが、本当にそうだと思います。
 
集落のよさを再発見する
 昨日の午後、訪ねて来られた「関西木造住文化研究会(KARTH)」の一行と一緒に青倉の中を歩きました。
 いくつかの写真をご覧ください。




 青倉の北向地区には道路脇に石垣がずっと続くところがあります。4枚目の写真には土石流防止の土嚢が見られて無粋ですが、この石垣の道はなかなかいいものです。残念ながら、高橋りうさんのお家の下の部分が地震で崩れました(ブルーシートがはられている)。

 そして、高橋りうさんのお家を訪ね、2階を拝見させていただくと、その立派さに訪れた者全員が感嘆の声をあげました。ただただ感心してしまっていて、いい写真を撮る余裕もなかったのですが、拙いものと承知のうえで2枚だけ紹介します。

 
 右の写真は屋根のいちばん高いところを上方にむかってカメラを向けて撮ったものです。このお家は屋根が非常に高く、5月初めに調査に訪れた首都大学東京のチームによれば「通し柱の長さが他の家と比べて格段に長い」そうです。築百年を超えているようですが、非常に貴重な古民家です。

 いまは、りうさんお一人でお住まいで、広いお家を維持管理されるのは大変なようですが、専門家の指導の下でみなさんの協力を得て清掃作業などを行なえば、その素晴らしさの全貌があきらかになることでしょう。

 ここに紹介した石垣のある道、りうさん宅は、青倉の集落(−栄村)のよさを示すほんの一例にすぎません。
 どのお家にも、そして集落のそこかしこの佇(たたず)まいに、よいものを無数に発見することができるでしょう。
 いまはまだまだ地震の後片付けが続き、青倉のよさの発見作業に時間を割いている余裕はないかもしれません。しかし、いまを措いて、青倉のよさを再発見し、その保全を図る機会がないことも事実です。色んな人たちの目を使わせていただき、また、訪れる人たちとむら(集落)の人が言葉を交わす中で、青倉のよさがどんどんあきらかになってくるのではないでしょうか。

 下に示すのは、首都大学東京チームが作成した「青倉集落 景観分析」というデザインマップです。(クリックで拡大します0


 チームが青倉を訪れたのはまだ2回。まだご存じないことも多く、本格的な集落景観分析のためにはもっともっと調査を続けていただかなければなりませんが、こういう試みは今回が初めてだと思います。こういう調査とも協力し合って、震災をうけた今こそ、青倉のよさを見つめ直し、再発見していくときだと思うのです。

どういう集落として復興させるか
 集落の一人ひとりが、“いま”を懸命に生きておられます。
 横倉の仮設に入り、なんとか毎日でも青倉に足を運びたいと思っている高齢の人たち。
 昨日11日にようやく今年初めての田植えをし、ここ4〜5日は田植えに没頭することになるであろう人。
 あるいは、ようやく新しい倉庫(車庫)が出来上がったというお家。まだまだ家の再建方法を検討中の人。
 私がここまで書き連ねてきたことにつき合っていただく時間と心の余裕などないと言う方が多いと思います。

 でも、みなさん、どの人も心のどこかで「これから、青倉はどんなふうになるのだろう」と思っておられることと思います。
 その思いを一人ひとりの胸の内にとどめず、互いに話し合ってみることが大事だと思います。毎日、午後7時を過ぎてもまだ田んぼで作業する姿が見られる今日この頃ですが、時には夜の1時間ほど、公民館に集まり、これからの青倉を語り合う機会をもつことができれば、と思います。
 今日の終わりにもう1枚、集落の姿を紹介します。


青倉の朝(6月10日午前6時36分撮影)

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