プロフィール

profile
栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

カテゴリー

categories

サイト内検索

Search

カレンダー

calender
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< September 2011 >>

最近の記事

selected entries

最近のトラックバック

recent trackback

月別アーカイブ

archives

栄村関連リンク

links

携帯用QRコード

mobile
qrcode

ブックマーク & RSS

Bookmark&RSS

栄村の朝

 栄村復興への歩みNo.83 (通算第117号)

今日はまず、28日朝に撮影した栄村の朝を紹介します。

●スキー場にて

 この日は朝から好天。スキー場内の村道から朝陽の様子を撮影しました(am6:35)。


 村道のそばのナナカマドの木に赤い実がかなりたくさん見られるようになっています。




泉平の朝  

 泉平の朝を、朝露がついている青々とした1つのピーマンに代表させてみました。
 
 泉平に着いたのは7時20分頃でしたが、一面に広がる田んぼのいちばん奥までまっすぐに進みました。すると、1台の軽トラが止められ、ピーマンの収穫作業に勤しんでおられるご夫婦に出会いました。ピーマンはとてもみずみずしく、生でかじってみたくなる感じです。

 お名前を伺いました。島田米造さんと睦子さんのお二人です。「今朝は寒いねぇ」と米蔵さん。屋号は「医者どん」。極野から泉平に移って来られた人が米造さんのルーツで、医分野の仕事をされていたようです。

 
 ここからは、この朝、泉平で撮影した何枚かを紹介します。


泉平の田の広大さが表現できていれば、と思うのですが。


 広大な田んぼの端、集落のお家の柿の木。田んぼから非常によく目立ちます。朝陽の輝きをうけて立つ姿がいいなあと思いました。


よく見ると、よく繁った葉の陰でもう黄色くなった柿の実のかたまりがいくつも見られます。
 
    
田の中を走る直線の農道。泉平の田の広大さが感じとれます。


もう1つは段々状の水路。水が朝陽に輝いています。こういうちょっとした“むらならではの光景”が、むらを訪れる人びとの心を和(なご)ませます。
 

畦端の消火栓を撮ってみました。上に突き出ている棒は、消火栓が雪に埋もれて分からなくなることがないように付けられているのでしょうか。泉平の雪の深さを思いました。


 泉平のお宮のところで。左はお宮に上るスロープ状の横道ですが、あまり人が通らないようで、道一面、苔が生えていて、その緑も鮮やかできれいです。


 上はお宮に上がる石段。なんとも風情のある、素敵な石段道です。
 
 ここまで28日朝に撮影した朝の景色を紹介してきましたが、その一つの意図は、
むらを訪れる人を、朝、1〜2時間、ご案内し、こういうところを巡っていただければ、数万円のお金をつかってでも栄村を訪れる価値があるのでは。
ということを示してみることでした。

 都市との交流、“むらたび”は栄村の震災復興、とくに集落の復興の鍵を握るものだと思うのです。

青倉公民館、再建の基本設計が固まる

 26日(月)の夜、青倉集落の「公民館再建説明会」が仮設公民館で開催されました。
 建築設計事務所の手による基本設計案ができたのをうけての会合で、広瀬明彦公民館長、島田益夫公民館主事が進行役を務め、松村建築設計事務所(野沢温泉村、箕作公民館の設計担当事務所)から建設位置、間取り、立面図などについて詳細な説明が行われました。
 説明会には26名の区民が参加され、午後7時半から10時過ぎまで熱心な意見交換が行われました。その結果、建築設計事務所から提案された基本設計案がほぼ原案通りに承認され、いよいよ詳細設計に進むこととなりました。

設計士の説明を聞く青倉の人たち


●冬前に建物の基本をつくり、来年3月完成をめざす
 説明会に出席した役場の担当者の話では、「積雪前に建物の骨格、外壁、屋根等を完成させ、冬期間中に内部の工事を進め、来年3月中の完成をめざす」とのことです。
 村議会で青倉公民館再建費用3,000万円が決まってから、随分と時間が経過しましたが、9月初めに役場の新たな担当体制が決まり、9月上旬から青倉の公民館再建委員会と設計担当者との間で数次にわたって打ち合わせが行われ、26日の説明会に至ったものです。
 冬の到来まで時間が残されていませんので、ここから急ピッチで詳細設計−地盤改
良−本屋建築へ進んでいくことになります。
       

公民館の立面図          


●公民館再建基金にご寄付いただいたみなさまへ

 私自身が呼びかけ人となっています「青倉公民館再建基金」の使途について、上記の公民館再建への進展との関係で、ここで中間報告をさせていただきます。
 公民館再建基金は9月26日現在で寄金総額が9,213,691円となっています。それに対して仮設公民館の設置費用並びに月々のレンタル費用が8月分までで1,630,897円。今後、来春までの経費が約1,700,000円程度と見積もられます。したがって、約580万円強が公民館の本再建に充てることができる額となります。
 ところで、「再建基金」を呼びかけさせていただいた最大の眼目は「個々の世帯の負担を発生させない」ことにありますので、仮設公民館の確保に要する経費以外は、世帯負担金をゼロ化することを主眼に使途を決めたいと考えています。

 しかし、一方で、公民館の再建に要する経費総額がいくらになるのかがまだ確定していません。26日に固まった基本設計案に基づいて詳細設計が行われ、建設費の見積りも出てきます。難点は国の補助金は建物建設費のみの3千万円と固定されていることです。たとえば建物の耐震強度確保に不可欠な地盤改良費は補助金に含まれていません。
 建設に要する費用総額が固まった段階で、青倉区が区としてどれだけの金額を支出できるか等も勘案したうえで、「公民館再建基金」が何の費目にいくらのお金を拠出するのかを決めていきたいと考えています。
 おおよそ10月いっぱいにはこれらのことを決めることができるだろうと予測しています。
 その段階で報告書を作成し、ご寄金いただいたみなさまへの御礼と報告をきちんとお出ししたいと考えています。
 以上、現状についての中間報告です。ご了承いただきますよう、お願い申し上げます。
 

坪野集落

 地震被害が大きかった集落の1つに坪野集落があります。私のレポートでは1回しか取り上げることができていなくて、申し訳ないと思っています。27日、この「復興への歩み」の村内配布を担当してくれているNPOスタッフの山内拓也さんから、つぎのような報告を聞きました。
 
 斎藤秀男さんが坪野から上に上がって野口へ抜ける道の途中の田んぼで稲刈りをされていました。秀男さんの家の横にある、稲を乾燥させる作業場への道はもともと崖を削って作ってありましたが、地震で崩れ落ちて軽トラどころか人が通れるくらいしかない幅になっていました。

 それを崖とは反対側に道を拡張させる工事をして、軽トラが通れるようになりました。業者は他の現場に行かなくてはいけない為、土がまた流れないように処置をして、今年の工事はここまでで終わりだそうです。「稲刈りまでに車が通れるようになって間に合って良かった。」とおっしゃっていました。母屋も傾いていたり、風呂など内部も被害が大きくまだ直っていません。秀男さんはかあちゃんと二人暮らし。

 地震が起きて長野にいる息子さんの家に行くという話も出ましたが、とうちゃんが残りたいということで2人で残ることに決めたそうです。

 そこで28日午後、山内さんと一緒に坪野に行き、その様子を見せていただいてきました。



 右奥の作業場につづく立派な舗装路ができています。その舗装路の左手の木枠で囲まれている部分が「土がまた流れないように処置をして」という部分だと思われます。この部分の上方は右写真のように土手が崩れたままの状態になっています。

 それにしても、一度は長野市に移るという話も出ながら、あくまでも坪野で暮らし続けると決意され、このような修復工事までされている斎藤さん。むらの復興へ、大きな力をいただいたという実感です。私は身一つでなかなか十分には村内すべてを廻ることが難しいですが、今後、坪野に通わせていただく頻度を高めたいと思っています。

稲刈り作業される斎藤秀男さん(撮影:山内拓也、10月27日)


栄村点描― 稲の生命力

 この1枚は野田沢の宮川隆子(りゅうこ)さんからの情報によるもの。宮川さん宅の震災で壊れた作業場を解体したあとのコンクリートの割れ目に昨年の籾が落ち、秋になって穂を稔らせたのです。稲の凄い生命力を教えてくれます。撮影は山内拓也さんです。



●10月30日は志久見街道を歩く会です。是非、ご参加ください。



志久見街道に入って間もなく、街道をちょっとずれると目的地・小滝が見えます。


街道筋にはこんな大きな根の姿も見られます。


街道入口のブナは色づき始めています

<後記>

  • -
  • 2011.09.30 Friday
29日夕〜30日は京都出勤で村不在ですが、レポートしたいことがたくさんありますので、29日日中に編集して出かけることにしました。


志久見街道を歩く


山からの水が岩の上を流れ落ちる


木の根の間に石が3つ挟まっている


欅(ケヤキ)の巨木


欅の巨木
別アングルで撮りました

復興村営住宅建設は、いま、どういう段階か

 震災復興の大きなテーマの1つ、村営住宅の建設にむけて、現状はどうなっているのか。なかなか情報が伝わってこないので、現状をいろいろと聞いてまわりました。
 9月村議会には、震災復興住宅の基本設計、用地地盤調査費など551万5千円の補正予算が提出され、可決されています。震災復興村営住宅の建設は、「約束」の段階から、「実際に建設する」段階へ一歩踏み出したことになります。
 

* 建設は7集落33世帯分
 村(役場)は、6月に実施した仮設住宅入居者などへのアンケート調査、そのアンケートで村営住宅入居を希望した人を対象として8月下旬〜9月上旬に実施した個別の聞き取り希望調査に基づいて、現在、入居希望者は33世帯であると把握しているようです。

 この33世帯は森、青倉、横倉、月岡、小滝、野田沢、大久保、北野の8つの集落の人たち。
 9月村議会で決まった地盤調査は、上記の8集落のうち月岡を除く7集落の12ヶ所で実施の予定だそうです。

 
* 基本は集合住宅
 復興村営住宅の基本は集合住宅とする方針のようです。
 6月のアンケートでは「戸建て、集合住宅いずれを希望しますか」と尋ねていましたが、基本は集合住宅とすることで方針が固まったということです。入居後の生活環境や建設費用などを総合的に勘案した結果だと思われます。私は妥当かつ適切な判断だと思います。
 ただ問題が1つ残っています。
 入居希望者が1世帯という集落があり、その場合も集合住宅とするのかどうかという問題です。

 もし、その場合も集合住宅でなければならないとすれば、住宅が建設されない集落の人は他集落に移転しなければならないという事態が起こります。集落の中に田や畑があり、農作業に勤(いそ)しんでいる人は、それでは困ってしまいます。
 集落で村営住宅希望者が1世帯という場合は戸建てにすることが必要です。
 戸建てであっても、間取り等は集合住宅の場合の1世帯分と同じとすることを基本として、「自分の農地がある集落で暮らせる」ことを必ず実現することが求められます。

 集合住宅方式の場合と戸建ての場合の建設費用の違いは数百万円程度です。役場に「復興村営住宅は必ず希望者の集落内に建てる」ことを強く要望するとともに、村民のみなさんが「自分の農地がある集落で暮らせるように」を支持する声をあげて下さることが大事だと思います。


* 役場は用地確保に全力
 役場の担当係は、担当者の人数が限られる中、最近は毎日、建設用地確保の交渉に奔走されています。
 家を失い、村営住宅入居を希望する人が元々借地者であった場合もあり、入居希望者からの用地提供や村有地の転用だけでは建設用地を100%確保することは困難なようです。
 候補地の地主さんに、村営住宅建設が栄村の震災復興の1つの鍵を握る事業であることを理解していただき、ご協力いただくことが必要です。
 

* 県主催の検討会議では
 一方、“どんな住宅をつくるのか”をめぐっては、県が主催する「栄村震災復興に伴う村営住宅整備検討会」が7月14日以来、開催されています。
 すでに4回ほど会合が開かれ、議論は相当詰まってきていると聞きます。10月に入れば、その検討結果の報告書が栄村長に提出されるものと思われます。そして、その報告書をもとに基本設計が行われるようです。
 住民としては、この報告書が提出された段階で、その内容が村民にも公開されることを望みます。

 
* 建設予算はどうなるのか
 さて、ここまで村営住宅建設にむけての動きを紹介してきましたが、肝心の問題として建設費用をどう確保するのかがあります。
 建設費用確保の方策は2つから成ります。

 1つは、国の補助金です。震災で全壊した村内の戸数の3割に相当する戸数の公営住宅を建設する場合、その工事費の3分の2を国が補助することが法律で定められています。栄村の場合、全壊住家が33棟ですので、村営住宅建設のうち11戸分は建設費の3分の2を国の補助金で確保することができます。(ただし、11戸の入居者が全壊世帯であることが要件となります)

 もう1つは村予算からの支出です。
 村の通常の年間予算は20億円強ですので、通常の財政では村営住宅建設費は賄えません。基本は過疎債の発行になると思われます。過疎債を発行した場合、その元利返済の約7割が基準財政需要額に組み込まれ、地方交付税交付金として村に交付されます。したがって、村財政の負担は大きく軽減されます。
 過疎債の発行には国との協議が必要ですが、国も震災復興に全力をあげるとしている現在、村営住宅建設用の過疎債発行に基本的に障害はないと思われます。
 この他にも各種補助金の活用が考えられます。

 たとえば、国の制度としては平成23年度までの制度ですが、国産材を使用する木造住宅を新築する場合の補助金制度があり、それをうけて県でも県産材を使用する木造住宅に対する補助金制度があります。この制度を平成24年度にも延長することを国に求める、また、県には県単独事業として県産材、村産材使用の木造住宅(村営住宅だけでなく、自力再建の住宅も含めて)を対象とする補助を実施するよう求めていくことが必要だと思います。

 村の森林組合は村産材の活用を促進すべく、栄村森林組合が製材する材が県産材としての認証を得られるように設備等を整えました。その努力を生かすためにも、県産材・村産材利用促進の補助金制度の継続・拡充を求めたいと思います。


* 入居希望者への説明は
 役場の担当者にお聞きしたところでは、復興村営住宅入居希望者への詳しい説明は10月後半になるようです。
 率直に言って、これでは遅すぎて、入居希望者は「どうなるの?」と不安になります。同時に、担当者の少なさと忙しさを考えると、「すぐに説明会の開催を」とも簡単には言えません。

 そこで私は(これまでもくりかえし提言してきたことですが)村の広報の充実を求めたいと思います。私は一住民の立場で色んな方のお話を聞き、今回のようなレポートをしています。役場で情報の整理、広報を専(もっぱ)らとする係をおけば、少なくとも村民の不安を解消するに足る情報の発信は可能だと思います。必要とあらば、役場とNPO等が協働して情報発信を行うこともできるはずです。
 復興村営住宅建設を震災復興のシンボルともなる事業として成功させるためにも、改めて的確な情報発信を求めたいと思います。

グイグイ進む、田んぼの復旧事業

 9月上旬に始まった田んぼの復旧事業ですが、その後、工事箇所も増え、どんどん進んでいます。もちろん、被害面積の大きさからすれば、工事が進んでいるのはまだほんの一部ですが、それでもやはり田んぼが復旧されていく姿は元気が出るものです。その一端を紹介します。
 
 
 復旧工事の第1弾として着手された青倉の高橋智さんの田んぼの石積み箇所の修復。元の石積みではなく、コンクリートで擁壁をつくり、そこに石を埋め込んでいくというものですが、その部分の工事が完了しました。上左がその姿です。右は9月15日撮影のものです。

四ツ廻り

 つぎは青倉の四ツ廻り地区です。27日午前、志久見街道を歩いていると千曲川対岸の四ッ廻りから重機の音が響いてきました。時々、杉の木の間から重機の黄色い車体がチラッと見えます。そこで、夕刻、四ッ廻りに行ってみました。
 四ッ廻りに入っても、いっこうに工事の姿は見えません。千曲川に近い下の段をどんどん奥に入っていくと、ようやく重機が1台と工事関係者の車両が視界に入ってきました。


 写真の田んぼはいちばん奥の田んぼです。私が初めて四つ廻りの奥まで行ったとき(おそらく4年ほど前のことです)、「えっ! こんなところに田んぼがあるの?!」と驚いたところです。
 この田んぼ、今春、雪消えの後に訪れたときは、ひどい状態でした。クラックがいたるところに入っていたのです。

 写真はこの田んぼの「しわよせ工」の様子です。作土の下の耕盤にまでクラックが及んでいるので、耕盤も重機で一度掘り、クラックを埋め、その上で転圧をかけていく作業です。軽トラで入っていける道路からは見えず、「草深い奥地にある」という感じだった田んぼが見違えるようなものになりつつあります。

 そのように素晴らしい工事だと思うのですが、ひとつ残念なことがあります。
 せっかく巨費を投じての工事であれば、2枚を1枚に、あるいは3枚を1枚にまとめ、作業しやすい田んぼにできるのに、「原形復旧」という国の災害復旧工事の基本方針のために、そうした圃場整備ができず、元の小さな田んぼのままにしていることです。

 
 右写真の手前に見える田んぼは左写真の田んぼ。この田んぼと右写真の右側に見える田んぼ(じつは2枚あり、手前の田んぼは低くなっています)を1枚にまとめることができれば、かなり作業しやすい田んぼになるのですが。この日話した工事関係者も「ほぼ同じ費用で整備できるのに、もったいないな」と言っておられました。

 この四ッ廻り地区は農道が狭いことで知られています。軽トラ1台が通るのがやっと。工事関係者の話では、「設計書では大型の重機が入ることになっているが、実際は道が狭いので小さな機械を入れている。作業効率が悪く、工事を請け負う者としては損なのだが」とのこと。工事関係者も苦労されているようです。

 農家のみなさんは、できるだけ復旧工事現場に出かけ、工事関係者といろんな話をするとよいと思います。