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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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【更新お休みのお知らせ】

  • -
  • 2011.10.31 Monday
本日は月曜で更新日ですが、お休みとさせていただきます。
次回更新は11月2日(水)となります。いましばらくお待ち下さいませ。

※【栄村復興への歩み】は通常、
 月曜・水曜・金曜の週三回更新でお届けしております※

栄村復興への歩みNo.93 (通算第127号)

 来週はまた気温が上がるようですが、昨夜、一昨夜は寒かったですね。27日夜は8時過ぎで6℃でした。気温が下がって紅葉が美しくなるのは嬉しいのですが…。

● 改めて被害の凄まじさを見るーー暮坪にて
 昨27日、暮坪というところに行ってきました。1971年に集落が消滅したところです。
(注)栄村でこれまでに消滅した集落は暮坪と今泉(1974年)の2つのみ。今泉は青倉集落に統合されましたが、いまも耕作が行なわれており、現在では「ふるさとの家」の杉浦さんが冬期以外はお住みになっています。

 暮坪には奈免沢川が流れていて、その上流から志久見集落などへの水路が引かれています。その水路が大崩壊したことは震災直後から聞いていましたが、かなりの山中でもあり、震災以後、昨日まで行っていませんでした。まず、つぎの写真をご覧ください。


 村道滝見線から暮坪への道に入り、もう間もなく集落跡という地点で大きく山が崩れています。見える道は復旧工事で開けられたものです。
 

 上の写真の上方を見たものです。山が全体として崩れたことがわかります。なお、左上から真ん中にかけて黒い線状のものが見えますが、これは震災後に敷設された志久見水路の仮水路用黒パイプです。


 本記事写真1枚目の道路の下を撮影したものです。右方にわずかに奈免沢川の流れが見えますが、奈免沢川の流れる谷一帯が山崩れの土砂で埋まったことがわかります。



●滝見線の最も激しい崩壊現場
 村道滝見線の被害については本レポート第18号(5月3日)で報告したことがありますが、滝見線から暮坪集落に向かう道に入るところにある橋(奈免沢川に架かる橋)から先200〜300mの間だけは見に行ったことがありませんでした。
 その200〜300mの間に、山が崩れ、道が無くなっている箇所があります。27日、そこにも行って撮影してきました。
 

通行止めの看板から歩いて進むと、大きな杉の木が横倒しになっています。
  

 上のように山が完全にぬけ、道がなくなっています。次頁の写真では、この山崩壊の地点の先に村道滝見線の続きが見えます。


写真の右真ん中あたりに滝見線のアスファルトが見えます。下の写真は、この崩壊地点を奈免沢川を挟んで対岸の滝見線から撮影したものです。




 もう1枚紹介します。

 これはさきほどの滝見線崩壊箇所の近くで、奈免沢川が千曲川に注ぎ込む直前の左岸上の崖の崩落箇所です。崩壊規模は滝見線崩壊箇所よりも大です。
 じつはこの崩壊した崖の上、写真の右手のちょっと奥が志久見街道の絶景ポイントです。30日の古道歩きのむらたびでは、この崖の上まで行くことができます。そこには「地震とはこういうものなのか」と、目に見える形で理解できる大きな地盤の亀裂を見ることができます。その様子は30日の報告の際に写真紹介することにします。
 この崖の上に立つと、中条川上流の山崩れ現場が真正面に見えます。
 どうやら、今日報告した暮坪の山崩れ地点、この箇所、そして中条川上流の山崩れ地点、これらがほぼ一直線上にあるようです。一度、これまでに確認した大規模被害地点を地図に書き込んで、被害が甚大な地点が帯状に連なっていることを明示するようにしてみたいと思っています。


関口直衛さんをご紹介します

 
先ほど、暮坪集落が1971年に消滅したことにふれました。暮坪の住民のほとんどは他市に移住されたのですが、1世帯のみ栄村に残られました。関口直衛さんです。森集落にお住まいですが、いまでも、滝見線から暮坪への道に入る地点の近くで耕作を続けておられます。
 昨日、暮坪の様子を見に行った帰り、「今日も関口さんは作業小屋に来ておられるかな」と思ってお訪ねしたところ、作業小屋の前でバッタリ出会いました。
 お元気そうなお顔でしょう。年齢はおいくつだと思いますか。聞いてビックリ。80歳になられたそうです。

 つぎの写真は関口さんが耕作されている田畑です。1枚約1反の田んぼを7枚ほどやっておられます。
 田植えや収穫のときは長野にお住まいの息子さんが手伝いに来られるようですが、基本的に奥さんとお二人でやっておられます。森のご自宅からここまで軽トラで山道を20分以上かかります。
 田んぼの被害状況をお尋ねして驚きました。1枚は国の復旧事業に委ねられていますが、2枚の田んぼはご自分で杭を打ち、畦をバックフォーで固め、さらに少し水を入れた後、畦塗りをして修復されたというのです。80歳ですよ。本当に驚きです。ご自身は「やっぱり80歳になると力仕事がきつい」と仰っていましたが。
 田んぼの上、山にいちばん近いところには元は田んぼであったところを鯉の池にされています。


 ここも地震で畦がぬけたそうで、森林組合からかなりの本数の杭用の木を購入して、自分で直したとのことです。右写真の池端に見える杭がそれです。
 池の鯉は「金魚すくいで手に入れたものを育てたんだ」とのことです。
 

関口さんが餌をまくと、鯉たちが姿を見せました。


意外な被害と復旧工事

 少し前のことになりますが、先週18日の午後、志久見街道の志久見川入り口付近の工事現場を訪れました。古道歩きの10月30日に工事が行なわれているとダンプカー等の出入りがあって困るなと思い、工事日程を聞きに行ったのです。
 この地点は、水内側から山の上がブルーシートで覆われているのが見えます。私はてっきり志久見水路関係の工事が行なわれていると思っていました。ところが、現場責任者の人に尋ねてみると、中部電力の送電塔の工事だったのです。下写真の送電塔です。

 送電塔が崖の上に立っていて、崖際側の基礎が下がっているため、場所を少し移して新しい送電塔をたてるそうです。志久見集落の田んぼの外れから送電塔までは急峻な山を登ります。作業資材運搬用のモノレールが設置されていますが、その横に「歩行者用通路」があり、私はそこを上り下りしましたが、山から下りてきた時は汗びっしょりでした。
 
     
麓(ふもと)から工事現場を見る   
     

歩行者用通路には途中に木橋もある  
 
   
作業員がモノレールで下るところ

復旧工事の様子




国道117脇から横倉集落に下っていく道(下写真の中央上、ガードレールが見える道)の復旧工事です。道路の法面(のりめん)の擁壁が大きく膨らんでいましたので、その擁壁から作り直すようで、かなりの大工事です。

 つぎは、青倉・四ッ廻りの田んぼの復旧工事です。

工事は相当に進んでいて、下段がすでに終了、上段も奥の方はすでに終わり、写真の地点まできています。地元の方は写真でどの地点まで工事が進んできているか、おわかりになると思います。


上は四つ廻り入り口手前の横倉沢橋の復旧工事です。
  

こちらはスキー場への道。スキー場駐車場手前で山が崩れ、道路の半分が埋まった地点です。木が伐採され、いよいよ復旧工事が始まるようです。
 
 
 

栄村点描



滝見線から見る森集落の全景
手前の建物が村役場。集落の後方の山に森集落の開田(かいでん)が見えます。

 
塩尻集落
写真左手が塩尻集落。写真左端真ん中に青い屋根の長細い建物が見えるが、千曲川の上をまたぎ、森集落と塩尻を結ぶゴンドラの塩尻側発着場です。


<後記>

今日は復旧工事現場に絡む報告が多かったようにも思いますが、復旧工事を手放しで評価しているというわけではありません。住民のとっては深刻な被害でありながら復旧工事の対象になっていないものもありますし、復旧工事の内容や進め方に疑問を感じるところもあります。今後、そういう点も取り上げていきたいと考えています。    

栄村復興への歩みNo.92 (通算第126号)

  • -
  • 2011.10.26 Wednesday
 昨日まで少し気温が高めの日が続いていましたが、昨夜からぐっと下がりました。25日夜8時過ぎに国道117号線宮野原橋付近の気温表示で9℃でした。昨夜の天気予報では今朝の志賀高原に雪マークが出ていました。今日は11月中下旬並みの気温になりそうですが、いよいよ冬が近づいてきたという感じですね。

 むらのみなさんのお宅を訪ねると、コタツが出されているお家がほとんどになってきています。私は従来使っていたコタツが仮設の狭い部屋には合わないので、小さなものを新たに購入しなければと思いながら、まだ手がうてていません。今日・明日にでも買って来なければいけませんね。


復旧工事、さらに各所で

 今週に入って、24日、25日と村内を車で走っていると、各所で道路の復旧工事が新たに始まっている箇所が目につきます。両日共に、デスクワークやむらの人お家をお訪ねすることが多くて写真を取れていないのですが、目に入った限りで、次の箇所で新たな工事が始まっています。

* 横倉集落内の道路―国道117青倉
  トンネルから出て左折して村道に入り、
  さらに集落内へ左に下りていく道

* 柳在家と切欠の間の県道の橋

* 青倉―スキー場への村道(お宮の下のあたり)   
青倉お宮下の村道
(長い間、かけられていたブルーシートが外され、
 路肩崩壊箇所の復旧が行なわれていました。20日撮影)

* 森―森宮野原駅〜役場間の道路で
  下水道管の工事(25日は「角万」の前)   


* 森―国道117号線飯山線陸橋を森方面から
 青倉方面へ越えたところで右に入る道路。
 側溝工事などの表示が出ていて、ダンプなどの出入りが見えました。

* 国道117号線 森〜青倉間 
  工事そのものはまだ始まっていませんが、
  準備作業が始まっている感じです。

 また、昨25日、「貝立橋復旧工事・通行止めのお知らせ」が青倉集落で配られました。スキー場方向に向かうには、国道117号線北沢橋近くのところから青倉集落に入って、青倉からスキー場への村道に抜けることが必要になります。工事・通行止め期間は11月1日〜12月23日です。スキー場の今冬営業開始日に間に合うように復旧するということですね。
 スキー場ではリフトの設置作業が進んでいます。

リフトが設置されたスキー場の上段
(20日撮影)

 このように道路復旧工事が各所で進み、車や人の通行がかなり危険な箇所が生まれています。工事業者の交通整理員が配置されていますが、みなさん、通行にあたっては十分なご注意が必要です。森駅前道路、国道117から横倉への出入り口付近はとくに要注意です。


阿部知事の来村

 阿部守一県知事が24日午前、村を視察に訪れられ、横倉の仮設住宅にも来られました。
 中条川の土石流防止工事現場視察の後、午前11時過ぎ、横倉の仮設住宅に到着。昼間の仮設住宅は勤めに出ている人や集落に戻っている人が多いため、知事の来訪に気づいた住民は少なく、在宅    
していた高齢者4〜5人が知事に駆け寄ったり、見守ったりという光景が見られました。

 

20日オープンの仮設店舗を視察

 知事が到着してすぐに、仮設住宅にお住まいのFさんが知事に駆け寄り、話しかけられました。Fさんが訴えられたことは、「私の家は半壊と判定されましたが、内部の傷みがひどく、結局、解体することになった。でも、半壊なので全壊と比較して支援金等の支給が少なくて、大変だ」ということのようでした。
 知事は「半壊の世帯には県独自の支給をしたのですが」と答えておられました。たしかに県から半壊世帯に50万円が支給されています。国の被災者生活再建支援法による支援の不足を補うもので有り難いものだったのですが、半壊判定の世帯が厳しいのは事実です。半壊であっても、解体・建て直しを選択せざるをえない場合は全壊世帯とまったく同じ費用が必要となります。また、家の修復を選択した場合、生活再建支援法による修復支援は応急工事費52万円のみとなり、しかも、この52万円を受給すると仮設住宅に入ることができなくなります。まったく被害の実態に合わないものです。(一部損壊と判定された場合は、もっと厳しい状況です。一部損壊でも数百万円〜1千万円規模の修復費が必要となっています)

 家屋の被害判定基準の問題点(家の内部の損害の評価が極端に低い等)の全面見直し、支援金や義援金の支給基準の再検討が必要です。村はまだ5億円前後の義援金がありますから、各世帯の住宅修復の実情を十分に考慮した支援策を早急に打ち出すことが求められていると思います。


Fさんの部屋を訪れる阿部知事

 阿部県知事の仮設住宅視察で特筆すべきことは、先のFさんが知事にお願いして、単身者用の仮設住宅(実質4畳半)の内部に知事に実際に入ってもらい、その狭さ等を見てもらったことでした。
 翌25日にFさんに伺ったところ、知事は部屋の狭さと、それとは対照的なTVや冷蔵庫の大きさに驚かれていたとのことでした。また、Fさんは「いろんなものが仮設住宅には入らないので、ほとんどの家財道具を処分した。ここにあるものが私の全財産です」と訴えられたそうです。仮設住宅に物置倉庫を併設することの必要性などに話は及んだとのことでした。
 私は常々、村の理事者や議員などが数日程度、仮設住宅での暮らしを体験することが必要だと言っていますが、その意味で知事が実際に被災者が暮らしている仮設住宅の部屋の中に入られたことの意味は大きいと思います。
 東北地方の仮設住宅で問題となっている冬対策の問題等ともあわせ、仮設住宅をめぐる諸課題を被災者自身が声をあげてあきらかにし、改善していくことが、今後の災害対策の改善・充実のためにも不可欠だと思います。