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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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やっと春が来ましたね! (栄村復興への歩みNo.142(通算第176号)4月29日)


 右の写真は27日午前、「トマトの国」の前で撮影したものです。
 私は先週、24日(火)のお昼に村を出発して京都に向かい、26日(木)の夜遅くに帰ってきました。
 出かけた時はまだ「雪国」の景色でした。十二峠を越えて国道353から国道17号線に出るときに開花し始めた桜の木をようやく1本、見ることができたのでした。
 しかし、27日(金)の朝、仮設住宅の部屋を出るや否や、駐車場そばで桜が開花しているではありませんか!
 雪はいっきに減り、ブナも芽吹きを本格的に開始しました。

 じつは23日にひいた風邪をこじらせ、27日は一日臥せっていたのですが、なんとか持ち直した28日は休養を兼ねて、ほぼ丸一日、村内や松之山・松代をドライブして回りました。もちろん写真は撮りまくりましたが、仕事としてではなく、あくまでも“お休み”のドライブ。午後4時半に宮野原橋で確認した気温は21℃。窓を全開させながらのドライブでした。
 津南の桜はすでに満開、芽吹きは松之山などの方が栄村よりも進んでいます。きっと午前中の太陽光線の当たり具合による違いなのでしょうね。
 やっぱり春は来るんです! どんなに冬が、雪が厳しくとも。
 28日の村内各所などの風景にしばらくお付き合いください(一部に27日午前の写真もあります)。


 青倉の高橋正好さんご一家のすじ播きの様子です。
 正好さんの奥さんと娘さんは仮設住宅。正好さんご自身はこの冬、写真右端に見える作業小屋で過ごされました。
 私:「いやぁ、この冬のつわものは大久保の治信さんと正好さんだな。」
 正好さん:「うん、朝起きてトイレに行くにはまず除雪だったからな。」
 春を迎えた今でこそ、笑い話のようにできる会話ですが…。
 
 
 芽吹きの様子を追跡してきた柳在家の里山の様子です。
 1週間前、22日の様子(右)と比較してください。

つぎは小滝の田んぼです。
 
 
 左は28日夕に撮影したもの。
 右の21日と比べてください。

 朝・夜はまだかなり気温が下がりますが(28日夜8時半の宮野原橋が7℃、29日朝5時過ぎの仮設室内が12℃)、でも、とうとう春がやって来ました。
 とても嬉しいので、もう少し春の様子を伝える写真にお付き合いくださいね。
 
 
 極野です。お宮の下から撮りました。鯉のぼりが大好きな藤木八十(やそ)治(はる)さんの一番下のお孫さんが鯉のぼりの周りで走り回っていました。

 八十治さん宅では葉わさびなど、春の味覚をいただきました。
 

 坪野集落の山の上、野沢街道から見た山桜です。写真下が白いのは雪です。
 坪野には斉藤直太郎さんを訪ねていったのですが、22日に続いてこの日も、お留守。「これはきっと百番様の方へ上がっておられるな」と思って行ってみると、案の定、薪割りをされていました。
 百番様の方へ上がるのは久しぶり。この日はウィングロードに乗って行ったのですが、あの細い山道、やはり怖いですね。「月刊栄村」4月号(第10号)が坪野集落を紹介していますが、加えて、2枚の写真をご覧ください。

 
 集落から野口に通じる道を上り、百番様へ向かう道に曲がるところで撮ったものです。私がよく言う「谷底にある集落」ということがよくお分かりいただけるかと思います。
 もう1枚は、百番様から坪野〜野口間を結ぶ道に下りる手前の道路の様子です。


 写真やや右に見える坂を下ると坪野、反対に進むと野口です。坪野に向かう時は何度か切り返しをしないと曲がれません。

 つぎは、村内ではなく、津南町での1枚です。

 「清水フード」の前で国道117号線脇から撮影しました。田んぼにはまだ雪がありますが、田んぼの区画がくっきり浮かび上がっています。
 このあたりの信濃川は川幅も広がり、ゆったりした流れで、栄村の千曲川とはまた違ったよさがあります。


 松代(まつだい)(現在は十日町市)の有名な星峠の棚田です。まだ雪がけっこう残っていますが、すぐ近くでは桜が満開でした。
 星峠では東京から撮影に来られたというカメラ愛好家の方、3組に出会いました。「栄村の棚田もいいですよ」と話しかけると、「栄村は大変でしたね」とお見舞いの言葉をいただきました。
 この後、大厳寺高原の方から野々海池方面に少し接近できるかと思って行ってみたのですが、道が開いているのは大厳寺高原まで。

 
 左が大厳寺高原周辺の様子です。

 最後に雪融け水の様子を2点、ご覧ください。下左は坪野集落奥で、下右は天代集落で、いずれも天代川の流れです。

 

栄村の花

 「あの花は○○だよ」、「今年は花を追いかけるんかい?」…、いろんな方から声をかけていただけています。

 
 左は28日、「あんぼの家」の前の畦で、右は27日朝、貝立橋を越えたところの崖下(「アズマイチゲ」を撮ったのと同じ場所)で。


 上は坪野集落から百番様へ上がる山道の途中で見たものです。「たんぽぽ」かと思って車から下りて撮ったのですが、たんぽぽではありませんね。
 
 「かたくり」が随所で見られます。28日は極野、坪野でも見ました。No.141で紹介したカタクリ街道の群生ぶりをご覧ください。


 今年は主に畦、山の植物を徹底的に追いかけるつもりです。
 「雑草のように見えるものにも綺麗なもの、可愛いものがたくさんあるのよね」。お隣の奥さんの言葉ですが、そうなんですよね。私の狙いのひとつは、「食と地域の交流促進事業」で「豊かな生きものと共生する青倉」という調査を行うことなのですが、ただの調査研究ではありません。「栄村の畦道をウォーキングすると楽しいよね」という“観光”メッセージの発信です。幹線道路を車で走り抜ける観光から、集落の中を歩く観光へ、栄村の観光を進化させることが狙いです。


 No.141の花は「ヒマラヤ雪ノ下」でした。横倉の上倉直人さん、箕作の大庭光一さんなどから教えていただきました。
 今日の花についても、ご存じの方、是非、お教えください。

雪被害の徹底調査を

  昨28日、戸狩温泉のスキー場上方で大規模な地滑りが発生しました。箕作では25日だったでしょうか、昨年の地震直後からわずかにあった法面の割れ目があれよあれよと言う間に広がり、大きな地割れが起こったとのこと(現在はブルーシートがかけられ、見えません)。また、昨28日、松之山・松代を廻ったとき、昨年6月に訪れた時には被害が見えなかったところで随所にブルーシートがかけられていました。

 地震の「目に見えない被害」が今冬の大雪で本格的な地盤被害を引き起こしているようです。十分な警戒と調査が必要です。「目に見える被害」になるのは雪融け期の今だけとは限りません。今年の梅雨期、さらには次の冬(の後)にもより被害は進む可能性があります。

 「復興計画」策定案で強調されているように、「安全環境の確保」へ、徹底した調査、長期にわたる調査が必要です。気になる箇所があれば、是非、ご一報ください。

9日、13日の懇談会に是非、ご参加を

 役場から「住民と震災復興計画策定委員会との懇談会」のお知らせが配られていることと思います。
 今回はとくに13日、「女性・若者」に対象を絞った懇談会も開催されます。「集落懇談会や年配の人たちが多い場では発言しにくい」という声をうけての企画です。
 女性、若者の思いを是非、大きな声で上げてください。
 「新しい栄村、若者の栄村」を創り出しましょう。

<後記>

  • -
  • 2012.04.30 Monday
 通常よりも一日早い発行。今日はシビアな話はほとんどなし。春の到来を喜ぶ写真がいっぱいの号になりました。

 23日朝に自覚した風邪はしつこく、24〜26日の京都での仕事で悪化。とうとう27日はダウンしました。28日朝になると、かなり楽になり、「今日一日は絶対にパソコンの前に座って仕事することはしないぞ」と心に決め、ほぼ一日、ドライブばかりしていました。もちろん色んな写真を撮っていましたから、「仕事とまったく無縁」とは言えないかもしれませんが、時間に追われることもなく、楽しい一日でした。

 本当は「1日か2日、温泉にでも行きたいな」という思いを抱いているのですが、GW期間中は調査グループや“むらたび”の受け入れが目白押し。その後は4月に続き、まだまだ作成し終えなければならない書類の山があります。なんとか5月中旬頃までには片付け、今年はゆったりした時間の流れの中で田んぼに取り組むことも復活させたいなと思っています。本当は東北にも行きたいのですが、毎週の京都出勤があるため、当面は無理ですね。

 長期戦に入りましたので、これまでの1年間とは異なり、計画的に動くことによって少しは余裕を取り戻したいと思っています。
 (了)

栄村復興への歩みNo.141 (通算第175号) 4月23日


 嬉しいお便り



 京都へ授業に出かけ、21日の昼過ぎに村に帰ってきたところ、仮設住宅の郵便ポストに嬉しいお便りが届いていました。
 村内白鳥のAさんからのものです。
 本レポートのNo.139で私が「何という花か、ご存じの方、教えてください」と書いたことへのお返事をくださったのです。
 アズマイチゲ(東一華)というのですね。お葉書の裏面は右のような素敵な絵手紙が描かれています。
 言葉ではうまく表現できないくらい嬉しいお便りです。Aさん、本当に有難うございます。
 私はじつは、「今年はいろんな花を写真に撮ろう」と思っているのですが、こういうお便りがいただけると大変励みになります。
 今号でもまた花の写真を紹介しますので、みなさま、よろしくお願いします。(なお、アズマイチゲについては青倉のSさん、小滝のKさんからも連絡をいただきました)
 

志久見水路の復旧工事の現場を見てきました

   昨22日は午前7時過ぎから昼頃まで、村内のさまざまなところを廻ってきました。村道滝見線がどこまで開いているのか、よくわからなかったのですが、雪坪から通行止めのガードを越えて車で入ってみました(危険があるための通行止めですので、私の行為はあくまでも自己責任での行為です。真似ないでください)。
 途中、下の写真のような危ない箇所がありましたが、奈免沢川まで行けて、その後、暮坪への道を進みました。

 
この地点は役場から正面に見えるあたり 

       
奈免沢川と滝見線の交差する地点

写真左奥に関口さん(森集落)の作業小屋が見え、写真左下の道が暮坪への道


 暮坪への道を進むとやがて、上写真のように再び通行止めがあり、ここで下車、後は徒歩で進みました。


 下写真が3・12大地震で山が崩れ、志久見水路が破壊された地点です。


山崩れ地点           


上の写真の道路の下の様子。半ば堰き止め湖化している

 ここの復旧作業は昨秋から行われていて、冬の間休止されていました。秋に訪れた折に崖の上にのぼっていく作業道があるのを見ていたので、そこを泥だらけになりながら上って、水路復旧工事箇所を見てきました。それが次頁の写真です。
 4月半ば頃、志久見の人と話したとき、「今年の作付には間に合わないだろう。仮設パイプを通すしかないだろう」という話でしたが、やはり今年の作付に間に合う復旧は難しいと思いました。


作業道          
       

水路敷設場所と思われるところ
この写真の地点から崖沿いに奈免沢川上流方向に少し進むと、水路の管と思われるものが見えました。


 この復旧工事地点の道路上からさらに奥を見ると、旧暮坪集落で長野市内の友人等を招いて、毎年、コメ作りなどをやっておられる関口さんの息子さんの小屋の健在な姿が見えました。
 志久見水路の一日も早い復旧を祈願する次第です。

志久見水路の復旧工事の現場を見てきました

   昨22日は午前7時過ぎから昼頃まで、村内のさまざまなところを廻ってきました。村道滝見線がどこまで開いているのか、よくわからなかったのですが、雪坪から通行止めのガードを越えて車で入ってみました(危険があるための通行止めですので、私の行為はあくまでも自己責任での行為です。真似ないでください)。
 途中、下の写真のような危ない箇所がありましたが、奈免沢川まで行けて、その後、暮坪への道を進みました。

 
この地点は役場から正面に見えるあたり 

       
奈免沢川と滝見線の交差する地点

写真左奥に関口さん(森集落)の作業小屋が見え、写真左下の道が暮坪への道


 暮坪への道を進むとやがて、上写真のように再び通行止めがあり、ここで下車、後は徒歩で進みました。


 下写真が3・12大地震で山が崩れ、志久見水路が破壊された地点です。


山崩れ地点           


上の写真の道路の下の様子。半ば堰き止め湖化している

 ここの復旧作業は昨秋から行われていて、冬の間休止されていました。秋に訪れた折に崖の上にのぼっていく作業道があるのを見ていたので、そこを泥だらけになりながら上って、水路復旧工事箇所を見てきました。それが次頁の写真です。
 4月半ば頃、志久見の人と話したとき、「今年の作付には間に合わないだろう。仮設パイプを通すしかないだろう」という話でしたが、やはり今年の作付に間に合う復旧は難しいと思いました。


作業道          
       

水路敷設場所と思われるところ
この写真の地点から崖沿いに奈免沢川上流方向に少し進むと、水路の管と思われるものが見えました。


 この復旧工事地点の道路上からさらに奥を見ると、旧暮坪集落で長野市内の友人等を招いて、毎年、コメ作りなどをやっておられる関口さんの息子さんの小屋の健在な姿が見えました。
 志久見水路の一日も早い復旧を祈願する次第です。

泉平に行ってきました

暮坪に行くより前、午前7時半過ぎに泉平を訪れました。「志賀高原へ通じる林道は開いていないだろうな」と思いながら、泉平への道を上っていったところ、意外にも道が開いていました。ただし、進んでみると、泉平の人たちの畑などがあるところまででした。

 
まっすぐ進むと志賀高原への林道、右に曲がると泉平へ。 


通行止め表示


道が開いている終点       
  

左写真の地点から引き返す時に撮影した畑地の様子

 さて、泉平の集落の中の様子です。

 雪がすっかり少なくなり、千曲川方向にむかって広々とひろがる田んぼゾーンが一望に見渡せるようになっていました。ほぼ同じところから見た冬の景色、秋の景色と見比べてみてください。
 
 
2月2日。雪の山で田んぼゾーンは見えない。   


昨年9月28日。一面、黄金色の稔りの田んぼ。


 集落の一角に庚さまが祀られていますが、冬の間は見えなかった祠と一部の石像が見えるようになっています(次写真)。
 今年は集落の人たちにいろいろと教えていただいて、泉平でも“むらたび”をやれるといいなと思っています。


昨年7月11日撮影の同一地点

飯山と栄村の比較

 ちょっと前になりますが、先週19日(木)午前、飯山まで出かける用事がありました。そのとき、田んぼの様子を何ヶ所かで撮影しました。栄村の様子と見比べてご覧ください。やはり栄村の残雪は多いですね。
 

 飯山の国道117号線沿い「道の駅・千曲川」の前の田んぼの様子です。小川の縁にほんの少し白いものが見えるだけで、田んぼはすっかり雪が消えています。


国道117号線北竜湖入口のローソンの横の田んぼ   


国道117号線沿い野沢温泉村虫生のあたり


そして、同じく国道117号線沿いの平滝の田んぼの様子です。