栄村復興への歩みNo.175 (通算第209号) 9月24日
- 被害と復興の様子
- 2012.09.25 Tuesday
* 伊那谷自然友の会のみなさんが栄村の見学調査に見えました
22、23日の2日間、伊那谷自然友の会のみなさん18名が「3・12栄村で見る県北部地震」と題するテーマ旅行で見学・調査に来られました。
伊那谷自然友の会は、「伊那谷の美しい自然を守り、ふるさと作りをすすめ、伊那谷そのものを、『まるごと博物館』にすべく、伊那谷の自然をいろいろな角度から見つめ、研究する」団体で、1985年発足、会員数約1200名の団体だそうです。
本レポートNo.161(7月23日付)の「奈免沢川近くの大きな地盤亀裂・段差」という報告記事をご覧になった会員の方が関心をもって下さり、中心企画の1つとして奈免沢川沿いの被災地点の見学を入れて下さいました。
会員の中に、月岡の斉藤光子さん(秋山小教頭)の義理のお兄さんがおられ、22日夜は宿泊先の「トマトの国」で斉藤光子さんのお話を聞く会も催されました。
斉藤光子さんのお話は、写真を示しながら、ご自身の被災状況とともに、北信小の被災状況、北信小の先生方の当時の仕事の内容を紹介するものです。私も初めて聞くお話や写真があって、改めて学ぶことが多いものでした。
* 地層について勉強することの大切さを強く感じました
奈免沢川沿いの崩落地点を見学されるみなさん
今回のテーマ旅行に参加された人たちは「地質」に関心を持っておられる方が中心でした。また、1日目の見学には信州大学教育学部の竹下欣宏先生(地質学がご専門)もご参加下さり、色々と説明をいただきました。
参加者のみなさんの会話を聞いていると、地質学の専門用語が飛び交い、私などは「それ、どういうことですか?」とお尋ねしないとわからないことだらけでしたが、随分と勉強になりました。
* 火山由来の地質
齧(かじ)ったばかりの話なので、うまく説明できませんが、印象に残ったことを中心に少し報告したいと思います。
まず、つぎの写真をご覧ください。
これは暮坪集落手前の奈免沢川沿いの崩落地点(志久見水路が破壊されたところ)の崖面の一部を撮影したものです。
写真の真ん中に橙(だいだい)色の部分がありますが、これを専門用語ではテフラと呼ぶそうです。火山が噴火したときに噴出する固形物のうち、溶岩以外のものを火山砕(さい)屑物(せつぶつ)と総称するそうで、テフラと火山砕(さい)屑物(せつぶつ)はほぼ同じ意味だと考えていいようです。これには火山灰や軽石などが含まれます。
先に紹介した信大の竹下さんらの栄村調査報告を読むと、栄村域の地質は「半固結ないし固結した火砕岩類と古い崩積土(崩壊堆積物)、そして未固結の段丘堆積物の分布によって特徴づけられる」とされています。
なんと奈免沢川沿いの山の地層には火山由来の火砕岩類があるのですね。写真に示したテフラがどこの火山に由来するものかは、このテフラを採取し、北信地域近辺の火山のそれと比較して判断しなければわからないそうです。この地点には火山であった毛無山があり、大久保の奥の山地の地質は毛無火山の溶岩類が基本になっているそうですから、このテフラも毛無山由来の可能性があります。
* 不安定な段丘堆積物
本レポートNo.161で紹介した「奈免沢川付近の大きな亀裂・段差」についても、伊那谷自然友の会の会員の方からご説明をいただきました。
上の写真は、この「大きな亀裂・段差」の先にある奈免沢川にむかっての崩壊斜面を撮影した(昨年10月30日)ものですが、ここには円(えん)石(せき)(丸い石)がたくさん見えます。こういうところの地質は、未固結(まだ充分に固まっていない)の段丘堆積物で形成されているそうです。段丘というのは河川付近に形成されるものですね。
この地点は千曲川と奈免沢川に挟まれたところで、まだ未固結の堆積物から成るそもそも不安定な地層で、そこに今回の地震で大きな圧力がかかったことから、大きな亀裂や段差が生じたのではないかとのことでした。
ただ、中条川上流の山崩落地点、この大きな亀裂・段差がある地点、村道滝見線沿いの山が崩落した地点、1〜2頁で紹介した奈免沢川沿いの山が崩落した地点の4地点が同一線上に並んでいることについては、「たしかに興味深いことですね。深部に断層がある可能性も否定できない。調査が必要だ」とのことでした。
* 栄村ではもっと色んな調査が必要
竹下さんや会員の人たちのお話をお聞きすると、「中津川から向こうの地域の地層はよく調査研究されているが、栄村地域の地層についてはほとんど調査がされていない」とのことです。
地層だけでなく、動植物の生態や、城址や歴史についても、長野県関係の種々の文献等を見ると、調査研究は飯山市でとまっていて、栄村のことはほとんど出てきません。善光寺地震の記録や研究を見てもそうです。
私たちが栄村で暮らしていくうえで、様々な分野で色んなことをもっともっと調べることが必要です。それが「安心して暮らせる安全な環境」を実現していきます。
それには研究者の協力、調査・研究資金の確保等、課題は多いのですが、是非、そういう調査研究を実現していきたいものだと思います。
22、23日の2日間、伊那谷自然友の会のみなさん18名が「3・12栄村で見る県北部地震」と題するテーマ旅行で見学・調査に来られました。
伊那谷自然友の会は、「伊那谷の美しい自然を守り、ふるさと作りをすすめ、伊那谷そのものを、『まるごと博物館』にすべく、伊那谷の自然をいろいろな角度から見つめ、研究する」団体で、1985年発足、会員数約1200名の団体だそうです。
本レポートNo.161(7月23日付)の「奈免沢川近くの大きな地盤亀裂・段差」という報告記事をご覧になった会員の方が関心をもって下さり、中心企画の1つとして奈免沢川沿いの被災地点の見学を入れて下さいました。
会員の中に、月岡の斉藤光子さん(秋山小教頭)の義理のお兄さんがおられ、22日夜は宿泊先の「トマトの国」で斉藤光子さんのお話を聞く会も催されました。
斉藤光子さんのお話は、写真を示しながら、ご自身の被災状況とともに、北信小の被災状況、北信小の先生方の当時の仕事の内容を紹介するものです。私も初めて聞くお話や写真があって、改めて学ぶことが多いものでした。
* 地層について勉強することの大切さを強く感じました
奈免沢川沿いの崩落地点を見学されるみなさん
今回のテーマ旅行に参加された人たちは「地質」に関心を持っておられる方が中心でした。また、1日目の見学には信州大学教育学部の竹下欣宏先生(地質学がご専門)もご参加下さり、色々と説明をいただきました。
参加者のみなさんの会話を聞いていると、地質学の専門用語が飛び交い、私などは「それ、どういうことですか?」とお尋ねしないとわからないことだらけでしたが、随分と勉強になりました。
* 火山由来の地質
齧(かじ)ったばかりの話なので、うまく説明できませんが、印象に残ったことを中心に少し報告したいと思います。
まず、つぎの写真をご覧ください。
これは暮坪集落手前の奈免沢川沿いの崩落地点(志久見水路が破壊されたところ)の崖面の一部を撮影したものです。
写真の真ん中に橙(だいだい)色の部分がありますが、これを専門用語ではテフラと呼ぶそうです。火山が噴火したときに噴出する固形物のうち、溶岩以外のものを火山砕(さい)屑物(せつぶつ)と総称するそうで、テフラと火山砕(さい)屑物(せつぶつ)はほぼ同じ意味だと考えていいようです。これには火山灰や軽石などが含まれます。
先に紹介した信大の竹下さんらの栄村調査報告を読むと、栄村域の地質は「半固結ないし固結した火砕岩類と古い崩積土(崩壊堆積物)、そして未固結の段丘堆積物の分布によって特徴づけられる」とされています。
なんと奈免沢川沿いの山の地層には火山由来の火砕岩類があるのですね。写真に示したテフラがどこの火山に由来するものかは、このテフラを採取し、北信地域近辺の火山のそれと比較して判断しなければわからないそうです。この地点には火山であった毛無山があり、大久保の奥の山地の地質は毛無火山の溶岩類が基本になっているそうですから、このテフラも毛無山由来の可能性があります。
* 不安定な段丘堆積物
本レポートNo.161で紹介した「奈免沢川付近の大きな亀裂・段差」についても、伊那谷自然友の会の会員の方からご説明をいただきました。
上の写真は、この「大きな亀裂・段差」の先にある奈免沢川にむかっての崩壊斜面を撮影した(昨年10月30日)ものですが、ここには円(えん)石(せき)(丸い石)がたくさん見えます。こういうところの地質は、未固結(まだ充分に固まっていない)の段丘堆積物で形成されているそうです。段丘というのは河川付近に形成されるものですね。
この地点は千曲川と奈免沢川に挟まれたところで、まだ未固結の堆積物から成るそもそも不安定な地層で、そこに今回の地震で大きな圧力がかかったことから、大きな亀裂や段差が生じたのではないかとのことでした。
ただ、中条川上流の山崩落地点、この大きな亀裂・段差がある地点、村道滝見線沿いの山が崩落した地点、1〜2頁で紹介した奈免沢川沿いの山が崩落した地点の4地点が同一線上に並んでいることについては、「たしかに興味深いことですね。深部に断層がある可能性も否定できない。調査が必要だ」とのことでした。
* 栄村ではもっと色んな調査が必要
竹下さんや会員の人たちのお話をお聞きすると、「中津川から向こうの地域の地層はよく調査研究されているが、栄村地域の地層についてはほとんど調査がされていない」とのことです。
地層だけでなく、動植物の生態や、城址や歴史についても、長野県関係の種々の文献等を見ると、調査研究は飯山市でとまっていて、栄村のことはほとんど出てきません。善光寺地震の記録や研究を見てもそうです。
私たちが栄村で暮らしていくうえで、様々な分野で色んなことをもっともっと調べることが必要です。それが「安心して暮らせる安全な環境」を実現していきます。
それには研究者の協力、調査・研究資金の確保等、課題は多いのですが、是非、そういう調査研究を実現していきたいものだと思います。