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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村復興への歩みNo.178 (通算第212号) 10月15日

* 平滝でソバの収穫が行われました
 14日午前、平滝集落でソバの収穫作業が行われると知り合いからお聞きし、その現場をお尋ねしました。


 まず素敵な写真を1枚、ご覧ください。写真中央に写っている女の子は保育所年少さんの4歳の子です。刈り取られたソバを脱穀機のところへ一所懸命に運んでいる様子です。隣のおられるのがお母さん。この写真には写っていませんが、1歳の妹さんも一緒に参加しておられました。

 こういう農作業の場で小さな子どもたちが楽しく作業のお手伝いをしている姿って、本当にいいですね。
 作業現場は、国道117号線で平滝集落から白鳥大橋に入る直前に「山野草」の看板がかかっているところがありますが、その横手を入り、飯山線の線路をくぐって、山の上の方にかなり上ったところです。近くにはオマチ川が流れています。

 
真ん中左手に飯山線の鉄橋が見える  ソバ畑から泉平〜野沢温泉方向の山並みを見る

 刈ったソバの脱穀は昔ながらの足踏みの脱穀機で行われました。途中から交代して脱穀をされていたおかあさんの脱穀のスピードがあまりにはやいのに驚いて、「すごくはやいですね」と声をかけると、「いつも大豆の脱穀をやっているから慣れてんだ」とのお答え。
 今年は水不足で、ポンプで水をあげなければならなかったそうで、収穫量は例年よりも少なめだったようです。


脱穀を終えたソバの束を後ろに投げながら次の束の脱穀へ

 作業が始まる前に、この平滝のソバ作りの由来を教えていただきました。
 そもそもは萱(かや)刈りボランティアが始まりだそうです。稲のコンバインでの収穫が増えたためでしょうか、道祖神に使う藁が不足してきたことから、有志で「じゃあ、萱刈りをしようじゃないか」ということになったといいます。もう20年以上も前のことだそうです。
 そして、途中から「萱を刈るだけでは面白くない。ソバをつくろうじゃないか」という話になり、現在に至っているそうです。ソバ畑には耕作されなくなった田んぼが活用されています。
 ここで収穫したソバは、この後、そば粉にしたうえで、自分たちでソバを打ち、11月に行われる平滝集落の収穫祭でふるまわれるとのこと。
 何年にもわたって地道におこなわれてきている活動ですが、こうした活動の中にこそ、地域資源を活かし、集落の復興・再生を進めていくヒントの1つがあるのではないかと思いました。

 
脱穀されたソバの実がシートの上に    オマチ川の流れ

公民館報が面白い

  • -
  • 2012.10.17 Wednesday
 14日日曜日の午後、ある知人と話していて、その人からこんな話をされました。
「9月になってからだったかなあ。車を運転しながら、俺、気がついたら鼻歌を歌ってたんだよ。そんなんて、震災の後、なかったことだぜ。この1年半くらいは、『あれもこれもしなけりゃ』という焦りで、鼻歌なんて余裕もなかったんだよな。やっと少し気持ちにゆとりができてきたんじゃないかと思う。復興ってのは、いまくらいの時期から時間をかけて考え、進めていくものなんじゃないかな。」
 私も同感です。
 この1年半余の期間、中越大震災の被災地の人たちから、「震災から2年ほど経ってから、集落で寄り合いをやって、色んな話を始めたんだ」というようなお話をお聞きしたとき、「そんなにゆっくりで大丈夫なのかなあ」と思いました。でも、今になって考えると、震災から1年半〜2年くらいの間は、1つの集落の人たちが集落と仮設住宅に分かれて暮らしているなど、なかなか寄り合って、じっくり話し合う時間や場所も確保しづらいものです。
 震災から1年7ヶ月を経て、農地、道路の復旧工事にも目途がたち、住宅の再建工事も進んできて、今度の冬からは集落の全員が一緒に集落内で暮らせる展望も出てきました。復興にむかって大事な第一歩を踏み出すときが近づいているようです。
 
 そういう中で、私が最近、楽しみにしているのが「広報さかえ」と一緒に配られてくる「公民館報さかえ」です。8、9、10月の3つの号には中越の被災地復興の様子を見学してきた報告が掲載され、また、極野、大久保、小滝の各集落での取り組みも紹介されています。


『公民館報』掲載の中越被災地訪問ルポ

 10月号の小千谷市若栃地区を訪ねたルポには、
「『ここに村のいいところを書け』などいろいろ言われ、本当に嫌だったが、やっているうちに楽しくなってきて、いつの間にか父ちゃんたちを差し置いて前へ出るようになってしまった」
という母ちゃんの言葉が紹介されています。
そうですよね。8月に小滝集落のワークショップを紹介しましたが、あの時の様子を思い浮かべてみても、最初は誰しも戸惑うものです。
 7月号の「未来のために」という記事には、
「皆さんはどんな暮らしを送りたいですか?まずはそこから考えてみてください。そして仲間同士でも友人同士でもいいので、集落への思いや夢を話してみてください。そこから何かが始まるかもしれません。」
と呼びかけられています。
 たしかにそういうところから始めるということだと思います。
 そうは言っても、「話し合いのやり方がわからない」ということもあるかもしれません。そういう場合は、中越の被災地で同じような悩みを持ちながら、復興への道を歩んできた経験者の方に自分たちの集落に来ていただいて、きっかけ作り、話し合いの雰囲気づくりなどをお手伝いしてもらってもいいのではないでしょうか。
 そういう方のご紹介は、私も出来ますし、公民館報の編集委員会にお願いしてもお世話いただけるのではないでしょうか。
 とにかく、手探りから始めるので十分だと思います。復興にむけて、何かを始めようではありませんか。

こんな事例もあります

 むらのあるかあちゃん。そんなに大規模ではありませんが、個人で産直に取り組んでおられます。
 季節ごとにアスパラやズッキーニ、そしてお米などを都会の人に届けておられます。そのかあちゃんは、「野菜を送るだけでなく、野菜が育っている様子の写真などを載せたお便りも送りたいな」と思いました。そのためにパソコンも購入されたそうです。
 でも、農作業が忙しくて、パソコンを操作する技術をマスターしている時間がありません。そこで、かあちゃんが目をつけたのが「復興への歩み」を配りに来る山内君。
 「原稿は自分で書いたんだけど、写真を組み込む操作ができないの。ちょっと手伝ってくれないかい?」。山内君は快(こころよ)く引き受けました。
 春の号にはアスパラが畑で育っている様子を写した写真を入れたどうですが、すると、「アスパラって、こんな風に生長するんだ」と感心したお客さんからお便りが届いたそうです。
 以前、むらの知人から、「東京から来た友だちが、畑で草取りしているかあちゃんを見て、『生農作業を見た!』って興奮しているんだぜ」という話を聞いたことがあります。
 野菜と一緒に写真付きのお便りを届けると、都会で暮らす人たちと栄村の距離がぐっと縮まり、「栄村を訪ねてみよう」という気持ちが生まれてくるのではないでしょうか。畑の写真に加えて、集落の自慢の景色を撮影した1枚も加われば、もっと効果的になるでしょう。
 こんな取り組みも復興への第一歩だと思います。

菅沢農場での収穫風景


12日撮影

 むらの人であれば、上の写真を見て何の畑か、すぐわかる人が多いと思いますが、都市にお住まいの方は、これが何の畑か、おわかりになるでしょうか。正解は次頁の写真でご覧ください。
 かなりの面積ですので、多人数での作業です。大久保、野田沢、天地などの人たちが共同で作業されていました。


 上の写真は、この畑の作物の収穫のために機械で蔓(つる)を切っているところです。さらにこの後、右写真の奥に見える水色の機械で畝の両側を掘り起こして収穫作業をやりやすくします。
 そして、何人ものかあちゃんやとうちゃんが収穫作業をやった結果が下の写真です。

 
 そう、サツマイモですね。とてもデカいのもありましたよ。

 収穫作業のみなさんは、この後、「お3時」にこのサツマイモをふかして食べられるとのことで、菅沢の作業所で2人のかあちゃんが準備をされていました。私も「食べていきな」とお誘いを受けたのですが、残念ながら診療所に行く時間が迫っていたので、後ろ髪をひかれながら帰ってきました。
 また、日々の農作業の邪魔になってはいけませんが、「サツマイモ掘り」も「むらたび」の企画商品にできるな、とも思いました。

中条橋の新設工事が始まっています

 13日午後、ヘルメットを用意して中条橋の工事現場に行き、工事関係者の許可をもらって、工事用仮設桟橋(鉄骨組みのもの)の上に行かせていただき、工事の様子を撮影してきました。


 上の写真は6日に撮影したものですが、13日は写真奥(国道側)に見える鉄骨製桟橋の先端まで行かせていただきました。
 真下を見ると、工事のための仮設道路が作られ、中条川の水の流れは埋設管の中を通っています(下の写真をご覧ください)。
 そして、大きな穴が計3ヶ所見られます。新しい橋の橋脚の基礎部分をつくる工事が進められているのです。落下した旧橋の撤去はもう国道側の橋台の一部を残すのみ。
 中条橋の工事はついに撤去工事の段階を終え、新設工事の段階に入ったといえます。橋の建設工事にはとても時間がかかるようで、工期は「平成26年3月まで」となっていますが、しかし、とにかく新設工事が始まったというのは本当に嬉しいことです。何枚か、写真をご覧ください。

 
桟橋の先端から下を見たところ    川の流れの近くに掘られている大きな穴

 
青倉側にも2ヶ所の穴が掘られている  旧橋で残っていたのはこの橋台部分だけだった

森集落の様子


 復興村営住宅などの建設が進んでいる森集落の中を11日、ぐるっと廻ってきました。
 まず、新しい森公民館が完成しています。場所はもともと森公民館(栄村森林組合事務所)があったところです。
堂々たる素晴らしい公民館です。
 公民館の斜め前(診療所の隣り)に目をむけると、「北信森林管理署水内森林事務所」の新庁舎の建設が始まっています。

 
 診療所横から役場に向かい、途中で左に目をむけると、新築の家が1軒、そして復興村営住宅の「森-3地区」が建設中です(右上写真)。
 国道を渡って広瀬建設さんの事務所の方に行くと、復興村営住宅の「森-1地区」が完成に近づいている姿が見えます。看板を見ると、工期は「11月15日まで」となっています。「1棟2世帯」方式で建物の真ん中に空間をあけるという構造がよく見える状態でしたので、その写真を紹介します。

 

 最後に、13日午後、「道の駅」の「きのこ汁」販売の売店の様子をご紹介して、今日の「歩み」を終わりにします。美味しいなめこと味噌の味が好評です。


栄村復興への歩みNo.177 (通算第211号) 10月9日

  • -
  • 2012.10.10 Wednesday
 むらのみなさんは昨日8日あたりで稲刈りもほぼ終わられたのではないでしょうか。
 朝晩の気温はすっかり低くなり、肌寒いほどです。残暑が長かった今年ですが、ようやく栄村らしい秋の季節になってきました。
 気が早いと言われるかもしれませんが、あっという間にまた冬がやって来ます。
 秋の稔り、キノコなどの幸を楽しみつつ、冬にむかっての準備を進めていかなくてはなりませんね。


青倉・西山田での稲刈りの様子(10月4日午前)

小滝が今年も古道歩きツアーを開催します。

 小滝集落の人たちが昨年10月30日に続き、今年も古道歩きツアーを開催することを決めました。
 期日は11月4日(日)で、主催は小滝の古道整備のグループ「小滝古道物語」(2009年結成)です。
 ちょうど紅葉の盛りの時期に重なると思われます。
 「今年はいつやるのですか?」というお問い合わせがかなり来ていると聞いていますが、昨年の50名という規模は1回の催行人数としては多すぎるという反省があり、今回は定員25名に決められました。要項・申込方法は末尾に記載しますので、ご覧ください。

* 集落復興への歩みの着実な歩み
 7日夜、小滝の有志の集まりに呼ばれて、寄り合いの後半を傍聴したのですが、米作りと販売、草刈り対策、古道歩きなどについて、さまざまな意見・提案が出され、議論が交わされて、「なるほど、集落の復興への歩みが着実に進んでいるのだなあ」と実感しました。
 その一つの証しといっていいかと思いますが、昨年の古道歩きツアーは栄村ネットワークが種々の準備作業等を担いましたが、今年は小滝の人たちが企画、広報、実施のすべてを基本的に自ら担われます。

* さらに充実してきた古道(歩き)の内容

 今年度は、雪消え後、古道の状況を点検したうえで、雪で傷んだ部分の修復作業、古道からの眺望をさらによくするための雑木等の伐採の他に、古道沿いの山の斜面にある炭焼き窯跡の掘り出しが行われました。
 また、山ノ内町夜間瀬の人たちとの交流、栄村自然学校での古道歩きと植物博士・石沢進先生によるご指導などで、古道の植生(草花)の豊かさがあきらかになってきました。
 春から秋まで年間を通じての古道歩きの楽しみが増えてきています。


今年7月に掘り出された炭焼き窯跡
                         

 
古道沿いの斜面を登って窯跡を見る   看板


古道沿いにたくさん見られるユキツバキの実


11月4日の古道歩きの実施要項・申込方法

* 期日
11月4日(日)午前8時半 小滝公民館前集合
午後2時半頃解散
その後、マイクロバスで志久見に移動し、志久見から小滝まで歩きます。
* 雨天の場合も、ひどい雨でないかぎり開催します。

* 定員  25名(受付先着順)
なお、今回は定員が限られていますので、定員枠外となった方が希望される場合は、11月4日以外の日に個別ガイドを受付します。ただし、その場合、小滝での昼食交流会はなく、中華料理店「楼蘭」等での昼食にご案内します。

* 参加費  お一人5,000円(ガイド料、昼食交流会参加費を含む)

* 申込方法
 メール・電話・郵便等でお申込みください
申込先  加藤彰紀方 小滝古道物語
携帯電話:090−3065−5526
e-mail: a_kato_rindou1955@yahoo.co.jp
〒389-2703 長野県下水内郡栄村大字堺6172

* 受付開始
  10月12日(金)から受付開始します。

「柱千本の家」って、ご存知ですか

 いま、青倉集落に、これまで見たことがないつくりの家が建てられつつあります。
 下の写真の家です。


 基礎の部分には一見したところ変わったところはありません。しかし、基礎の周りに足場が組まれ、大柱や屋根がないのに壁が作られつつあります。普通は大柱など家の骨格となる柱がたてられ、その上に屋根がつくられたうえで、壁がつくられますが、そういう普通の手順とは違うのです。もう1枚、写真をご覧ください。


 これは勝手口にあたる部分だそうです。
 この家、じつは柱をどんどんたてていき、それによって家をつくるという工法なのです。
 現場におられた請け負い会社(岐阜県恵那市)の社長(棟梁)に、「何という工法なのですか」とお尋ねしたところ、「とくに名称はないが、『柱千本の家』とでも言えばよいのでは」との返答で、「家は命の入れ物 柱千本の家」と書かれた名刺を下さいました。
 柱として使われている材は下の写真のとおり、厚く太いものです。


 この工法による建物は強度が非常に高いそうです。社長曰(いわ)く、「どんな地震にもびくともしません」。
 さらに、この「柱千本の家」の特徴として、「柱の木が室内の温度を適度に保つ機能をもっている。外の冷気が室内に入るのを食い止め、室内の暖かい気温を逃さない。逆に、外気が暑いときは、熱が室内に浸透するのを防ぎ、室内を適温に保つ。夏、室内が最高気温になるのは夕方の6時頃で、午後2時頃に外気が最高気温になる頃に室内も暑くなることはない」と話されていました。
 にわかには信じがたい話ですが、すでに実証実験のデータも十分にあり、研究者が調査結果を分析した論文もあるそうです。
 どんな家ができあがるのか、そして住み心地はどうなのか、非常に興味・関心があるところです。

国道117号線の様子

 村内を走る幹線道路・国道117号線は、既報のとおり、青倉トンネル〜横倉トンネルの間が片側交互通行になっていて、横倉トンネルの手前・平滝集落のところと、青倉トンネルの手前の臨時信号機のところでは、少なくとも5分間くらいは待たなければならない状態が続いています。
 現在は、青倉トンネルと横倉トンネルの間の部分、平滝から横倉トンネルに向かう部分で、コンクリートの路面を剥がす作業が行われています。

 
横倉トンネルと青倉トンネルの間   片側通行に使われている道路に見える亀裂

 青倉トンネルと横倉トンネルの間を写真撮影のために歩いてみましたが、上右写真のようにコンクリートの路面にはかなり大きな亀裂があって、舗装を全面的にやり直す工事がやはり必要なようです。
 土木建設関係の人にお聞きしたところ、コンクリート舗装の場合、アスファルト舗装とは違って、コンクリートの養生*に時間を要するため、工事には相当の日数が必要になるそうです。
*コンクリートの施工の際は、充分に硬化するまで、常に一定以上の温度、規定の水分含有量で保つ必要があり、必要となる温度・防水などの管理、および、その作業全般を指して「養生」という。
 片側交互通行規制は「12月16日まで」と告知されていますが、実際、それだけの期間を要するようです。


* 横倉〜青倉間の村道の舗装は間もなく

 しかし、そういう状況の中で朗報もあります。
 前号(10月1日付)で、横倉〜青倉間の村道の陥没箇所が復旧され、道路の形ができて、後は舗装を待つのみと報告しましたが、いよいよ舗装工事が近づいてきたようです。


 上の写真に見られるとおり、路盤の転圧が行われ、舗装の一歩手前まで進みました。ここはアスファルト舗装になりますから、舗装工事が始まれば一気に完成します。
 そうすると、清水河原のスノーシェッドの開通とあわせ、国道117号線を通らずに、平滝や西部地区から横倉集落内を通り、村道で青倉にぬけ、青倉集落内を通って森へぬけていくことが可能になります。
 村内の移動がぐっと楽になります。

* 国道117の橋の工事の様子
 国道117号線関係でもう1つ、工事の状況を報告しておきます。
 青倉集落の横を通過する区間では、栄大橋、青倉橋、北沢橋の3つの橋がありますが、北沢橋では道路と橋のつなぎ目の部分の修復工事も終わり、復旧工事が完了しました。そのため、青倉トンネル〜横倉トンネル間の片側交互通行区間がほんのわずかですが、短くなりました。


 上の写真は6日午前、北沢橋のつなぎ目部分の修復工事の最後の段階を撮影したものです。写真奥にはつなぎ目部分の修復が終わっている様子が見えます。手前の部分は、この後、速乾性のコンクリートを入れるとのことでした。
 実際、もうこの部分は完全に工事が終わり、片側通行規制はもうなくなっています。
 栄大橋はまだ、このつなぎ目の修復工事の前段階の状況のようで、いましばらく工事が続くようです。下の写真は栄大橋の青倉トンネル側の道路と橋のつなぎ目部分で行われている工事の様子です。