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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌5月24日〜29日

24日(土) 昨日までの肌寒さとは一変、暖かいを通り越して暑い一日だった。昼過ぎ、国道117の平滝気温表示器では25℃だった。
 21、22日にほとんど配達できなかったのを取り返そうと、今日は150軒配達を目標とし、152軒を廻った。さすがに最後は疲れたが、いいシャッターチャンスはその後に訪れた。配達を終えた後、長瀬の東部保育園で民具保全の記録活動の模様を拝見して帰る途中、右前方に何人もの人が手植えで田植えしている姿が見えた。すぐに車を停めて、その田んぼへ。柳在家のあるお家の家族総出の田植えだった。
 80歳を超えるご夫婦とそのお子さんたち。おかあさんによれば、「おとうさんは90歳が近い」とのこと。「こんなの珍しいでしょ。ポット苗で、それ用の機械でないと機械植えできないので、こうやって手植えしているんです。秋ははぜ掛けして。やっぱりはぜ掛けした米がいちばんおいしいよ」とのこと。「歩み」本文にも写真を掲載したいと思うが、まずは1枚。


 配達の〆は「道の駅」での久しぶりのソフトクリーム。暑い一日だったのでピッタリ。震災で箕作の酪農家がいなくなってオーナーは変わったが、製法・美味しさは変わらない。私はシンプルなバニラ(コーン型)が好き。若い女性はカップ型を好む人も多いようだ。
 国道117を進む人は是非、お立ち寄りを。300円です。


 
  
25日(日) 午前中、天地、原向、天代、北野、中野、極野と廻る。計82軒だが、比較的ゆったりとしたペースで廻れ、農作業中の人に声をかけることも多かった。村は代掻きと田植えの真っ最中だ。昨日・今日と今度の週末がピークであろう。
 中野の畑であまり見慣れない苗を見かけ、隣の畑で作業しているおかあさんに尋ねてみた。ヒメヒマワリというもので、出荷用とのこと(下写真)。花は8〜9月に咲くという。調べると、本来の花名は「キクイモモドキ」というらしい。ヒマワリ属の「キクイモ(菊芋)」に似た花を咲かせることからついた名前だそうだ。村を廻ると、いろんなものをつくっている人に出会うものだ。


 昨日あたりから心掛けていることがある。運転中および歩行時の姿勢だ。疲れてくると背中の真ん中あたりが張るというか、だるいというか。腹筋・背筋が弱いのが原因だと思うが、それをどう強化するかで悩んだ。私は脊椎(腰骨)に問題があるので、いわゆる腹筋運動はできない。そこで、以前に接骨院で「歩く時にお腹に力を入れなさい」と言われたことを思い出し、お腹に力を入れるようにした。必然的に背筋がピンとして、肩甲骨の下がぐにゃっとした状態もなくなり、体が楽になる。とはいっても、相当に意識しないとできない。しばらくの間、習慣化するように頑張りたい。もともとそんなに長生きしたいとは思っていないが、今年64歳。生きている間はそれなりに元気に動ける状態でありたいので、いままではあまり考えなかった体の鍛錬ということを意識するようになった次第だ。
 
26日(月) 午前中、白鳥・平滝の一部と箕作、泉平、大久保などを廻る。
 箕作では自宅横の作業場でアスパラの出荷作業をされているご一家に出会った(下写真)。朝は5時から収穫だとのこと。アスパラ農家はどこも朝が早い。「少し持っていくかい」と言って下さり、アスパラを一塊(20本近いか)いただいた。


 泉平では畑で菜っ葉を摘んでいるおかあさんに出会う(下写真)。五月菜だ。下平(しただいら、国道117沿いなどの標高の低いところ)ではかなり前に終わったが、標高が高い泉平、しかもその泉平の中でも山に近いところではまだ摘めるのだ。「もうそろそろ終わりだ」と言っておられたが、「食べるかい」と言って五月菜をくださった。お浸しにするのが美味しい。


 午後2時半からは役場ホールで開催の第5回復興推進委員会を傍聴。必要なことは「復興への歩み」本紙にレポートしたいが、聴いていて、何のための委員会なのか、まったく意味不明という感じだ。傍聴は私と県北信地方事務所の職員1名のみ。メディアの取材もなし。取材しないメディアにも問題はあるだろうが、「わざわざ人と時間を割いて取材するだけの意味を見いだせない」と言われてもしかたないだろうと思う。でも、私は可能なかぎり傍聴を続けたいと思っている。
 
27日(火) 昨夜から雨で、予報では今日の昼までとのことだった。そのため、午前中は室内作業の予定にしていたが、朝起きてみると快晴。依頼された写真データ探し、手紙書きなどした後、9時半頃から森の開田に向かった。震災の復旧工事が行われた田んぼで不具合が生じているものが複数あると聞いたためだ。詳しいことは「復興への歩み」本文で扱いたいが、中越大震災で大きな問題となったことである。村ではこういう事態にきめ細かな対応ができていない模様で、突っ込んで考える必要がある。
 その後立ち寄った先でのお茶のみで、「ふきのきんぴら」と「行者にんにくのたまり漬け」をいただく。美味しかったですよ。

ふきのきんぴら


行者にんにくのたまり漬

 午後は月岡、野田沢、程久保などを廻ったが、初めて顔を合わせたおかあさんが、「綴じていて、こんな厚さになった」と手で厚さを示しながら話して下さった。「綴じているよ」と言って下さる方がよくおられるが、有難いことだ。なによりも元気補給剤です。
 また、程久保で田植えの途中の休憩に出会い、私も加えていただく。お茶だけと思ったが、赤飯、ぜんまいの煮物などを勧められ、昼食からさほど時間が経っていなかったが誘惑には勝てず、いただいてしまう。美味い! 「昔は、ぜんまいなんて、特別な時にしか食べられなかったごっつおだった」という話も出る。

 配達が終わったのは4時半すぎだったが、野々海への道が開いていることを知っていたので野々海池にむかった。村でも25℃くらいの暑さだったが、途中から風がひんやりしてきた。野々海はまだ雪の世界。
 
28日(水) 午前中は久々の草刈り。作業中はなんとも感じなかったが、後で少し腰に張りが…。
 午後、志久見、柳在家、切欠、長瀬、当部を廻って、No.221の配達完了。
 24日に田植えの様子を撮影させていただいたお家に写真集を作ってお届けした。「いい記念になる。来年はできるかどうか、わからないし」と、たいへん喜んでいただいた。ご夫婦は80歳代、「来年はできるかどうか」という言葉が重い。レポートやブログに公表する以外にも、こういう写真のお届けをやっていきたいと思う。

24日に田植えの様子を撮影した田んぼ(28日午後撮影)

 栄村も今日は30℃を超えた。とにかく暑い。湿気はないので気持ち    
はすがすがしいが…。柳在家を廻っているとき、2軒で「暑いね」という話になり、「昨日、野々海に行きましたが、まだ雪がありますよ」と言うと、「そんなに違うんだね」と感心されていた。
 というわけで、今日はこの後、野々海池の雪写真のレポートを作る。
 
29日(木) 昨日でNo.221の配達が完了し、体も疲れているので、今日はのんびり。
 とはいっても、午前中は写真の整理などを行ない、昼ごろから外へ。午後3時すぎ、アスパラの畑を訪ね、アスパラの収穫のしかたや、出荷時のA級、B級のランク分けの目安などを教わった。
 A級、B級の見分けは傷がないか、曲がりの具合なども目安になるが、最大のものは穂先の具合。これが開いているとB級、へたをするとC級になってしまうという。2つの写真を掲載する。A級とB級を判定してみてください。




 収穫の様子を見せてもらったが、ノコギリ刃の専用の鎌でパッパッと採っていかれる。一瞬の技だが、26cmを目安に切り、さらに畑に残った部分を切り落としていく。26cmというのは出荷の長さからきているものだが、この長さでないと腰に付けている籠にうまく収まらないそうだ。
  
 収穫は1日に2回。朝は4時半起きで5時頃に畑へ。収穫作業は2〜3時間。もう1回は夕刻4時半頃から。陽が照っている時間帯の収穫はよくないそうだ。遅い時は7時半頃までかかるという。収穫の後には選別、荷造り等があるわけで、たいへんな仕事だと思う。
(A級、B級の見分けですが、下がA級。味は変わらないという。こういう市場が定める出荷システムというのはおかしいと私は思うんですが…)

(了)


まだまだ雪の世界〜野々海池〜

 今日の栄村は30℃を越え、真夏日。昨日も25℃を超える夏日だった。でも、標高1,000mの野々海池はまだ雪の世界。27日夕に行ってきました。その様子を写真で紹介します。気分だけでも涼しくなってください。

 平滝から上り、野々海池に近づくと、道の両側はまだ雪の世界。ブナも芽吹いたばかりの綺麗な色です。



 平滝から上がる道と、青倉からスキー場を経て来る道との交差点を過ぎてまもなく、野々海池が姿を見せた。



 水番小屋にむかう道から野々海池を眺める。


 
 雪の坂道を下り、池に近づき、水面を撮影。湖面の雪の量はこの時期としては少ないほうではないだろうか。やはり今冬は少雪だったのだと思う。


 
水路へ水を送る調整弁はまだ雪の下。



 余水吐(よすいばけ)からは雪融け水が激しい音をたてながら、落ちている。


 余水吐から落ちた雪融け水は雪のトンネルをくぐって水路へ。



 野々海ではふきのとうがいま、顔を出し始めている。最後に、雪・ふきのとう・芽吹きの緑の3点セットをご覧ください。



(了)

配達日誌5月21日〜23日

20日(火) No.221の発行は明日なので配達はなし。原稿の作成にいつになく手間どる。中条川の現状を示す写真の取捨選択に非常に時間を要したためだ。ひとつには昨秋9月の土石流直後の写真などとの比較作業があるからだ。そして、もうひとつ。現場のあまりのすさまじさに驚き、ある種の興奮状態の中で撮影すると、撮影結果データが自分の思っていたものと違う。冷静に状況を把握し、どのように撮影すればよいのかを充分に考えながら撮影するというふうになっていないのだと思う。まあ、素人写真なので多くを期待するのが間違っているのかもしれないが、今後の1つの課題だと思っている。
 最近、気になることがある。昨秋遅い時期に、村が復興基金を使って田んぼの畦に「わら芝」をはることを推奨した。かなりの人がさっそく取り組んだが、春になってその現場の様子を見ると、芝が育つよりも早く草がどんどん出てきているのだ(下写真)。昨秋段階で効果に疑問を抱いていた人もいた。どこまで効果があるものなのか、観察を続け、また、いろんな人の意見も聞いてみたい。

昨秋、説明会で「わら芝」はりが行われたところ

21日(水) 急ぎの事務作業があり、No.221の配達は22軒のみにとどまる。
 今日は青倉の貝立水路の普請。5時現場集合で、メンバーの大半は普請の後、8時半には勤務先に到着しなければならない。都会暮らしからは想像できないことだと思う。私は取材ということで同行。以前にはこの普請そのものに参加したことが2〜3回あるが、1回はまだ雪が残る中での作業だった。この大変な普請の様子、土水路というものを多くの人に知ってもらいたいと思い、今回は取材同行をお許しいただいた。詳しいことは25日発行の「お米のふるさと便り」に掲載する。

 天地の斉藤勝美さん宅を訪れ、面白いものを見せていただき、ついでに口に入れさせていただいた。「山アスパラ」という山菜だ。

山アスパラ

 ネットで調べると「学名はオオナルコユリ」と言うそうだ。また、よく似たものに「アマドコロ」という山菜もあるようだ。もう少し調べないといけないが、勝美さんは山の川の縁(ふち)などに生えていると言っておられた。以前、東京の産直市に持って行ったとき、買い物に来た料理人から「千円出すから売ってくれ」と言われたという。「1本で千円」。私は大変なものを食べてしまったわけです、しかも2本も。もちろん、とても美味しかった。

22日(木) とにかく寒い。一日中雨。今日中に発送しなければならない書類があり、丸一日室内作業。珍しいことだ。
 そんな中、夕刻に自宅前で軽トラに乗り込んだ時に、森集落のHさんが通りかかり、話しかけてきて下さった。「あそこに、あれから2回行ったぜ」と。「あそこ」とは中条川上流の2号崩壊地にある森開田水路のかけ口。「水が来ないんですか?」、「そう、あのかけ口はどうしても石が詰まるんだ」「道にクラックが入っていて、本当に怖い」。
 森の開田に関わる人たちの苦労は本当に大変なものだ。今日撮った写真はないが、No.221に掲載していない森開田水路のかけ口付近の写真を紹介しておきたい。

 野々海池を出た水は隧道、分水升を経て間もなく東入沢川に入り、上写真の滝を落ちてくる。この滝の下のすぐ近くが森開田水路のかけ口。

23日(金) 書類づくりが一段落し、今日は朝8時前から全面的に配達活動。主に青倉集落と東部地区を廻り、計130軒。
 今日も断続的に小雨が降り、気温は上がらず。そんな中でも田植えにいそしむ人たちの姿が見られた。専業農家が成り立つようにする、あるいは勤務先を持ちながら兼業で田んぼを維持する、こういうケースを考えると、田植え機を使っての効率的な作業は必要だ。しかし、その一方で、かあちゃんたちが手植えをする姿、田植え機で植えられた田んぼの補植する姿は、ゆったりした時間の流れを感じさせ、なんとも言えないよさを感じさせてくれる。



 青倉で見た一人のかあちゃんは、すでに田植えされた田んぼに入っていたのであきらかに補植作業だと思われるが、私が最初に見て撮影(上写真)してから集落内の配達を終えて戻ってきたとき、まだ同じ田んぼで作業しておられた。少なくとも1時間ほど経っていたと思う。「農業」というよりも「農の営みのある暮らし」と呼ぶほうがふさわしいかもしれない。この人も若い時はきっとこんなゆったりしたことはできなかったであろう。たくさんの田んぼをひたすら尽力で耕作しなければならなかったのだから、きっと忙しかったにちがいない。しかし、定年退職後でそんなに稼ぐ必要がない人の存在も念頭におけば、「ゆったりとした農の営みのある暮らし」を栄村の復興=活性化の1つの道として追求することも不可能ではないと思うし、積極的に追求すべきものなのではないかと思う。

 昨夜、1通のメールをいただいた。村内の女性から。昭和41年小学校卒というから、私よりも5つほど若い人だ。志久見分校を卒業されたという。先般、同級会があり、そこで「信濃乃国」の歌詞を全文記した巻物の書を同級生から託されたという。その巻物を見てほしいというご依頼であった。今日の夕刻お会いして、その巻物をお預かりした(下写真)。こういうものの価値は私もよくわからないので、そういうことに詳しい方に見ていただこうと思っているが、こういうご連絡をいただいたこと自体が大事なことだと思う。そこから村の歴史が掘り起こされ、村の元気づくりの手がかりが生まれてくると思うのだ。

 
 天候不順のせいか、軽い風邪気味で午後は体調がよくない。


栄村復興への歩みNo.221

中条川の状況は予想以上に深刻
 中条川の上流部崩壊地、また中条川下流(白山さまのお宮横の砂防ダムから千曲川まで)を歩き、その状況をカメラに収めてきました。
 昨年秋の土石流の後、私は1号崩壊地を訪れ、写真を撮るとともに、「9月16日の崩壊地点のすぐそばには地割れが多数できています。今年の冬、雪が積もると、雪の圧力でこの地割れ地点の地層が下へ、下へと引っ張られ、崩れることは必至だと思います」と報告しました(昨年10月22日「中条川の土石流災害をめぐって」。下はその際に掲載した写真)。


 さて、5月11日、この現場に行くとぞっとする場所に遭遇しました。
 地割れ(クラック)の先の方が完全に崩れ落ちているのです。



 
 下はこの崩れた地点を別の角度から撮影したものです。


 現場を訪れる前、ここまで深刻な状況は予測できませんでした。そして、この地点のすぐ横、山の崩壊斜面も深刻な状況です。

 斜面にネットをかけ、芝を植えた箇所が崩れてしまっています(元は写真右上方のように芝が貼られていた)。また、その左手のコンクリート吹きつけがされた箇所は吹きつけ面が浮いた状態になっています。
 最初に見た崩れた地点に見えるクラックは工事用仮設道路にずっとつながっています。また、仮設道路は以前よりも狭くなり、軽トラ1台がやっとの幅。とても工事用ダンプが入れる状況ではないと思いました。



 

1号崩壊地の全体状況
 
下流部の洗掘も深刻
 昨年9月の土石流災害で深刻になったもう1つの問題は中条川下流が激しく洗掘されていることです。河床がどんどん削られ、深く掘られているのです。そして、それに伴って川の横の法面が次第に削り落とされていっているのです。次の写真をご覧ください。

 上の写真は貝立橋の上から上流方向を撮ったものです(5月10日撮影)。川が深くえぐられています。そして、この洗掘の影響で両岸が少しずつ崩れていきます。下の写真はそのためについ最近、青倉大堰のすぐ近くで杉の木が根こそぎ倒れたものです。


 また、昨年末に完成した中条橋より下流の部分も深刻です。やはり川が深くえぐられていて、栄大橋の橋脚のすぐ横も崩れています(この箇所は今年、復旧工事が行われる予定)。そして、飯山線の鉄橋の橋脚周辺(この橋脚は昨年9月の土石流の後、補強工事が行われた)を見ると、ここでも川が深く掘れていて、橋脚の安全性を脅かす可能性が感じられます。

左に見えるのが栄大橋の橋脚


中央に見えるのが飯山線鉄橋の橋脚

問題の根本は土砂を堰き止めていること
 すでに見たように上流の崩壊地からはさらに土砂が崩れ、流出する危険性が大です。
 いくら砂防ダムをつくろうとも、またそこに溜まった土砂を撤去しようとも、すぐにまたダムは土砂で一杯になり(下写真)、機能しなくなり、最悪の場合は昨年9月16日のようにダムから溢れた土砂などが周辺地域に被害をもたらします。

冬の間にまた土砂が大量に堆積した減勢工事(セルダム)

 その一方で、下流部では川の洗掘が深刻。上流部と対照的な状況ですが、問題の根っこは同じです。素人がこんなことを言うのは僭越かもしれませんが、「土石流には砂防ダム」という判で押したかのような対策工事に終始していることが問題の根本だと思います。やはり川には土砂が流れないと、河川環境は守られず、川の最下流部(中条川の場合、千曲川−信濃川の河口・新潟市)の海岸線の後退(砂浜がなくなり、海岸線がどんどん下がり、陸地面積が減少する)にまで行き着くのだと思います。
 5月9日の北信建設事務所による復旧工事説明会で興味深い意見が出されました。「上に溜まった土砂を洗掘が激しい下流に運んで入れればいいんではないか」というものです。
 建設事務所の人は対応に困ったような表情を見せられ、意見を出された方が「やっぱり無理か」と言われて、その場は終わりましたが、私はこの方の発想法は正しいのだと思います。「土砂を止める」ことばかり考えていてはダメなのだと思います。

いろんな人を招いて抜本的総合的な検討を

 ラフティングで栄村でもお馴染みの戸狩の庚(かのえ)さんがブログで、「とても綺麗な長野県最後の秘境、栄村‥昨年の9月16日の台風被害で川の中にはパワーショベルやら工事用の敷鉄板やら。とても川下りを楽しめる環境ではありませんでした。本来川にないものが川に大量にある。そして危険を伴う物なので更に厄介です??困りました‥とてもマンパワーで動かせる物ではありません。復旧するのなら川の中まで綺麗にしてもらいたいです‥この自然豊かな環境を取り戻すため動きたいと思います?」と書いておられます。
 パワーショベルが流されたという話は聞いていましたが、ひょっとすると川に入って確認されたのは庚さんが初めてではないでしょうか。
 また、19日の信毎には「川岸の災害復旧、景観配慮」というタイトルで、わずか10行の小さな記事が出ていました。「国土交通省は、豪雨などの災害で被害が出た川岸を復旧する際、植物を植えたり自然の岩石を配置したりして、環境や景観に配慮することを決めた」という内容です。ヨーロッパで盛んな自然工法を取り入れようとするものかと思われますが、河川の自然工法の大事な点は単に景観云々ではなく、河川本来の環境をどう守るかにあるはずです。中条川の土石流対策はそういう考えとはほど遠い状況だと言わざるをえません。
 元々の中条川についてよく知っている地元住民をはじめ、庚さんのように自然(河川)環境の実情に詳しい方も含めて、いろんな人を招いて、中条川の状況のきちんとした把握することが必要だと思います。そして、それをベースに抜本的・総合的な対策を検討していくべきだと思います。そのほうが、イタチゴッコのように砂防ダム建設を繰り返し、何十億円ものお金を費やすよりも、財政的にもいいはずだと思います。


森集落、青倉集落の水路かけ口

 5月11日の日曜日には多くの集落で春の水路普請や道普請が行われました。いろんな集落の様子を取材・紹介したいのですが、私自身も午後は普請に出なければならなかったものですから、午前中、森の農家組合の開田(かいでん)の水路の普請の様子を取材してきました。


 上写真は中条川上流の3年前の地震で山が崩落した地点を、開田から水路かけ口に向かう道の途中で撮影したものです。
 写真中央の少し左に水が滝を落ちる姿が白く写っています。この滝の下が開田水路のかけ口です。
 ここに至る道は昨年9月の土石流の後、堆積土が崩落した箇所もあって非常に危険な状態です。その中を農家組合の人3名が進み、かけ口を塞(ふさ)いでいる石を取り除く作業が行われました。

 水は雪融け水で冷たく、石は重く、取り出しにくく、たいへんな作業でした。

 もう一つ紹介します。青倉の西山田の棚田に野々海池の水を引く貝立水路のかけ口を開ける作業です。こちらは17日の朝に区の役員3名が行いました。下の写真を見た村の人が「まだこんなに雪があるところがあるんだ」と感心しておられましたのでご紹介します。この先にかけ口があり、雪を掘って口を開けます。

 

栄村出身作家の本のご紹介

 4月27日(日曜)のことだったと思いますが、昼休みに家に戻るとポストに大きな茶封筒が…。開けてみると、青倉出身の作家・島田武さんの『吾妻はや』という本が入っていました。島田さんが村の図書室と私に1冊ずつご贈呈下さったもので、役場の人がお届け下さったのです。島田武さんというお名前は3月にいただいた『東京栄村会創立30周年記念誌』で拝見したことがありました。
 お手紙によると、この作品は「3部作の第三部」にあたるもので、第二部収録の「雪の村」という作品はある文学賞を受賞されたそうです。
 私は4月29日の一日でいっきに読み通しましたが、たいへんな衝撃と深い感銘を覚えました。

『吾妻はや』

 「墓標」と「吾妻はや」の2作品が収録されていますが、前者は著者の自伝的小説です。日本の敗戦2ヶ月前に旧満州国陸軍幼年学校を志望して渡満しますが、日本の敗色濃厚な中、満州に到着してみるとすでにその学校は閉鎖されており、間もなく敗戦。そこから筆舌に尽くしがたい辛苦の日々が続きます。主人公がようやく故郷に戻ることができたのは昭和22年1月のことでした。
 昨今、「日本を戦争ができる国に変える」動きがさかんに見えますが、戦争がどれほど悲惨で酷(むご)いものなのか、この作品から改めて学ぶことが必要だと思います。

 他方、「吾妻(あづま)はや」は究極の夫婦愛を描く作品です。タイトルは「古事記」にちなんだもので、「ああ吾(わ)が妻よ」という意味です。
 この作品の後半では、認知症の初期状態の中で転倒事故から自分の居る場所さえ認識できなくなった妻と生死を共にしようとする主人公が妻とともに北信州の故郷をひそかに訪れるシーンが描写されます。読みながら、その場所と景色を想起することができます。私は作品のテーマである夫婦愛ということと同時に、故郷愛を強く感じとりました。
 
 是非、みなさんにお薦めしたい作品です。文芸社発行で定価1200円(税別)。村の図書室にあるはずです。また私がいただいたものをお貸しすることもできます。
 

こんにゃくの花

  • -
  • 2014.05.21 Wednesday
村にはこんにゃく(蒟蒻)芋を育て、自家製のこんにゃくを食べている方も多いだろうと思います。自家製のこんにゃくは市販のものとは違って、味のしみ具合がよくてじつに美味しいですね。
 ところで、こんにゃくの花を見たことがある方はおられますか?
 あまりおられないのではないかと思います。というのも、こんにゃくの花は4年以上作付されたものしか咲かないからです。普通、3年間栽培したところで収穫し、こんにゃくに加工してしまうからです。
 ところが、14日(水)、平滝の高沢さんから「こんにゃくの花を見たことがありますか? いま、咲いています」というお電話をいただきました。午後お尋ねすると、玄関の前に大きなこんにゃくの花がありました。写真をご覧ください。



 「もう年が経って植えないので放っておいたら花が出てきたんですよ」とのこと。「変なにおいがします」と言われるので、写真真ん中の花が開いているようなところに鼻を近づけると、たしかに変なにおいがします。こんにゃく会社のHPでは「花が咲くと少し嫌な臭いがします。口では表現できませんが、薬品のような少し鼻につく臭いです」と書いています。
 その臭いのことは別として、非常に珍しいもので、貴重な体験をさせていただきました。
 高沢様、ありがとうございました。

 <後記>
 今号は、1頁から4頁まで中条川のひどい状況の写真が続き、みなさんを重い気持ちにさせてしまったかもしれません。私も迷うところがあったのですが、私たちの安全のためにも現実を直視しなければならないと考え、あえてこのような編集をしました。
 いま、村は代掻き、そして田植え真っ盛りの時期を迎えています。私は毎日のように「トマトの国」の温泉に入りに行きますが、みなさん、田んぼが忙しく、温泉に来られる時間が遅くなってきています。お湯に浸かりながらの話題も田んぼのことが多いですね。
 次号では、田植え真っ盛りの村の様子などをお伝えできればいいなと思っています。


配達日誌5月14日〜19日

14日(水) 栄村も暑かった。水分の携行が不可欠だ。
 山の方も含めてほとんど雪が消え、村のいたるところで工事花盛り。志久見集落の志久見川で1週間ほど前から看板に「崩れた護岸をなおしています」と書かれた工事が始まった。県道から下っていく先で工事が行われているようだが、「立入禁止」で様子を見ることができない。こういう所は日曜日や平日の朝早くならば工事が行われていなくて様子を見に行ける。今朝8時ちょっと過ぎ、まだ工事をやっていなくて様子を見ることができた。現場の上を見ると、写真のように真上が県道で、作業所もたっている。そういう場所なのだから、護岸が崩れたとなれば復旧工事は必要だと思うが、なにか「つぎあて」をしているだけで、根本的な対応にはなっていないような気がする。中条川の問題もそうだが、河川環境、河川の安全をどのように確保するのか、よくよく考えなければならないように思う。


 今日は長瀬、笹原、当部、北野、中野、極野、天代、小滝、平滝の一部など131軒を廻ったが、平滝に行った際、野々海にむかった。「今日こそは野々海まで行けるのでは」と思ったのだが、かなり行ったところで、沢から雪が出てきた箇所があって、結局、到達できず。その地点の先の道には雪がなかったので、本当に残念。できれば近い日に再挑戦したい。


 ぜんまい揉み・干しが盛んだが、東部の奥の集落では「むしろ」を使っている家が多い。むしろは、揉む時にすべらず、また水分を吸収してくれるので干すのにも適している。このむしろのことを栄村の人は「ねこ」と呼ぶ。しかし、「なぜ、『ねこ』と呼ぶのですか?」と尋ねても、みなさん、「知らない」と答えられる。ただ、今日、極野の人と天代の人が「大きなむしろを『ねこ』と言うんだ」と教えて下さった。そこで家に帰ってから試しにネットで「むしろ ねこ」で検索したら、「ねこだ」というのがヒットした。辞書の『大辞林』に語意が出ていて、「藁で編んだ大形のむしろ。ねこ」とある。疑問がひとつ氷解した。

15日(木) 昨夕のTVの天気予報では「明日は季節が2ヶ月逆戻りする」とのことだった。ところが午前中は暑く、昼頃、森の役場近くの気温表示は27℃。「予報は間違いじゃないか」と思っていると、午後3時すぎから空模様が変化し、この日誌を書いている夕刻5時すぎはかなりの雨で部屋にいても肌寒さがある。風も強い。
 午前中の配達時の会話で、「雨がないので、畑ができない」という声があった。そのことからすると雨は有難いが、なんだか不安定な天候だ。
 今日は昼までで配達を終了し、午後は室内でのメモづくりや事務整理と散髪。配達は横倉と森で118軒。今日は写真なし。撮ってばかりで整理が追いつかない状況を打破するため、あまり写真を撮らないようにした面がある。

16日(金) 今日はこれまでと少し変わった動き方をした。一昨日暑かったので、「これから暑くなれば、配達は朝の早い時間帯と夕刻にしよう」と考え、さっそく今日それをやってみたのだ。出発時間は記録していなくてはっきりしないが、箕作39軒、野田沢15軒を廻った後に撮った写真の時間が8時2分と記録されているので、7時前から配達を始めたことは確実だと思う(下写真が8時2分撮影のもの。何の機械だと思います?なんと左右に立っているものが広がり、代掻きをするんです)。


 午前中は74軒の配達とトマトの定植作業の撮影を済ませて10時には戻った。その後2時間強、書類作成などの室内仕事。昼食の前に中条川のある箇所の撮影に行ったところまでは計画通りだったが、昼食先で少し話し込み、さらにその関係で1軒のお宅に立ち寄り、なにやら「無計画」的な行動に。でも、意義ある話し合いができた。
 夕刻は4時から雪坪、志久見、柳在家、切欠で計70軒。畑仕事をしている人などにずいぶん声をかけた。あるかあちゃんは、「きゅうり、トマト、ナス…。一人だから、これだけで充分。たまには子どもも来るし、食べさせるけど。子どもが4人もいるんですよ。みんな都会にいるけど」と。生き生きした感じで話して下さった。

かなり年配の人の代掻き。なにかゆったりした雰囲気を
感じた。遠くの山には雪が見えた。

 高齢の人が楽しく、生き生きと田んぼや畑をやっている姿を見ると、こちらも嬉しくなる。こういう生き方は素敵だと思う。しかし、いま、日本社会全体をみると、そういう暮らしができなくなってきているように思う。こういう栄村の高齢者の暮らしの値打ちをもっともっと発   
信していくことが大事だと強く思う。   
 タケノコ(栄村でいうタケノコは孟宗竹ではなくネマガリダケ)を剝く人の姿をちらほら見るようになった。ワラビをそろえているおかあさんの横にはウドがどっさりという場面にも出会った。山菜もすべてが出揃う時期になったのだ。

栄村の山ウドは最高に美味しい

17日(土) とにかく寒い。夜はファンヒーターを使う必要がありそう。
 朝、青倉の貝立水路のかけ口開けの作業を撮影に雪の中へ行き、体が冷え切ったせいもあるかと思っていたが、その後の配達で会う人みんな「寒い」と言う。      
 白鳥の配達中、家周りの工事をしている人たちが家の前の庭で3時のお茶のみ休憩をしていた。その家のかあちゃんに「お茶をのんでいけ」と勧められ、お邪魔することに。これからの季節はこういう機会も増えそう。
 甘いものを進められた工事関係者の一人が「おら、晩酌があるから」と言って遠慮したことからお酒やお米の話に発展。お寺への新年の挨拶に米を一升持って行くという慣習があるらしい。「でも、最近は米のかわりにカネだ。一升は500円という換算。コメは重たいが、カネは軽くていいや」という話を聞く。こういう慣習をめぐる話は面白い。昨夜の温泉では、「昔はコメを買うのに月10日働かなければならなかった。いまはコメの値段が下がって、ひと月のコメ代なんて3日分の仕事にもならない」という話も。

 白鳥の国道沿いの家の畑で、かなり高齢のばあちゃんが畑の苗の様子を見つめているのに出会い、「何の苗ですか?」と尋ねた。ばあちゃんが答えてくれたが、数回聞き直しても「ニガ」としか聞こえない。何度目かに私は「そんなの知らないですね。どんな野菜ですか」と言うと、「あんたはネギ食わねえかい」と逆に尋ねられる。これでやっと「ニガ」ではなく「ネギ」だとわかった。これほど言葉を聞き取るのに苦労したことは珍しい。また、畑で育っているネギはよく見るが、芽を出したばかりの頃のネギを見たのは初めてだ。

ネギが芽を出したところ

 平滝では、漬物桶を水路で洗っているかあちゃんと出会い、声をかけると、「やっと今頃(食べ)終わった」というご返事。きっと高齢者ご夫婦二人の暮らしなのだろう。家の前の水路に板を入れて、洗い物ができるようにしてある。こういう暮らしっていいものだと思う。
 今日でNo.220の配達完了かと思いきや、あと15軒残していた。明朝の配達になる。

18日(日) 昨夜は遅くなってからだが、やはりヒーターを入れなければならなかった。しかし、今日は朝から好天。午後、田んぼの畦に坐り、直射日光を受けると、暑い(「熱い」という表現の方が的確か)。ところが、午後4時頃、陽が西に落ち始めると、気温が急速に下がってくる。上に1枚羽織らないと風邪をひきそう。とにかく昼夜の気温差が大きい。
 午前中は主に斉藤勝美さんの「ぶらりん農園」の様子の写真撮影取材、午後は1時間半ばかり青倉の高橋友太郎さん・真太郎さん父子の田かき(代掻きのこと)の様子をやはり撮影取材。
 勝美さんの家では面白いものを見た。とうちゃんの克己さんがミツバチを飼っておられるが、普通の木箱の巣箱以外に、自然の木の穴をミツバチが巣にしているのを伐ってきたものを設置されたようなのだ。ご本人からの説明は聞いていないが、ほぼ間違いないと思う。

自然の木の穴を活かしたミツバチの巣
写真では再現できないが、ミツバチがぶんぶん飛んでいた

 青倉・高橋家のトラクターにハローを装着しての田かきは真太郎さんの担当。その後、友太郎さんが「均し棒」で丁寧に田んぼを均していかれる。友太郎さん曰く、「真太郎は丁寧だ。おれはもっと飛ばすけれど」と。たしかにその後、別の人の田かきを見たら、スピードが全然速かった。
 1枚の田んぼ(約8畝)の田かきが終わるまで時折写真を撮りながらずっと見ていたが、ここまでじっくり田かきを見るのは初めて。温泉で話していると、「田かきがいちばん大変。田かきが終われば、田植え作業は半分以上終わったに等しい」という話を聞くが、本当にそうだと思う。友太郎さんからは、「昔は牛んぼでやったもんだ。牛・馬がいる家はいいが、飼えない百姓はこうやってやったもんだ(鋤・鍬をふるう仕草を見せながら)。力が要ったんだ。栄村に機械が入ってきたのは昭和30年代の中ごろかな。耕運機だ。そしてさらに乗用型になった」と貴重な話を畦に坐りながらお聞きできた。

均し棒をひく友太郎さん。かなりの重労働だ

 1日が終わると、背中の張りが凄い。寝るまえにストレッチをかなりやる。さて、明朝、その効果は出るだろうか。

19日(月) やはり朝晩は寒い。
 No.220の配達は昨日で完了。今日はある報告書を作成する必要があって、関係書類・資料の整理等に一日を費やし、払込ミスをしていた電話料金の支払いのために津南のコンビニまで走った以外は、ほとんど家を出なかった。
 もともと整理・整頓ということが苦手の私で、この歳になってその習性を大きく変えることは難しいだろうが、なんとかしなければならないのも確か。「整理・整頓に一定の時間をかけることも仕事」という考えで仕事計画(行動計画)をたてることが必要なようだ。
 今日の写真はないが、「歩み」本体でも掲載しきれないが埋もれさせるのは惜しい写真を紹介したい。


ご夫婦お二人で手植えでの田植え(14日、平滝にて)


ぜんまいを揉む藤木金壽(かねとし)さん。
84歳だそうですが、お元気です。「“ねこ”というのは莚の大きなもののこと」と最初に教えてくださった方です(14日、極野にて)。


たんぽぽのわたぼうし
平素、わたぼうしには目もくれいない私ですが、遠目にも非常にきれいに見えたので、近づいて真上から撮影しました。(18日朝、原向にて)

(了)

積雪の中の貝立水路かけ口開け作業

 
 まだかなりの積雪の中、貝立山(標高937.2m)の裏側、標高約850mの地点にある貝立水路のかけ口へ青倉集落の人たちが進みます。今日5月17日午前8時46分の撮影です。
 メンバーは水路委員長の島田重次さん、区長の島田伯昭さん、島田秀夫さんの3名。それに私が取材同行しました。

貝立水路
 貝立水路は、標高1,000mにある野々海池に溜められる雪融け水を青倉・西山田の棚田などに引くための水路です。
 秋、田んぼに水が要らなくなった後、かけ口は閉められ、長い冬の間、何mもの雪の中で眠っています。
 5月半ば、田んぼでは田起こしの作業が進み、間もなく代掻き。代掻きにはこの貝立水路の水が必要となります。そこで、まず集落の代表数名がかけ口を開けに行き、その数日後、貝立水路全体の水路普請が行われます。今日はそのかけ口開けの日なのです。
 雪が多い年はこの時期でも積雪が2m近くあります。今年はあまり多くありませんが、冒頭の写真のような状況。しかも、今朝は小雨が降り、手はかじかみ、雪長靴を履いていても足の裏がじんじん冷えてくるというコンディションでした。
 以下、作業の様子、雪の状況などを写真で紹介します。

かけ口へ雪上を進む

 8時21分、軽トラで進めるところまで進み、いよいよ雪の上を進み始めます。ここからかけ口近くまで雪上を歩いて10分ほど。
 ここからかけ口付近までの道、一度、ブルドーザーで道を開けてもらったのですが、沢から落ちてくる雪で再び道が塞がれているのです。

 上写真の少し手前にそのブルドーザーが停められています。

 
 作業にあたる3名は、水路上に突き出た木の枝などを処理しながら進みます。
 左手前の2人が立っているところのすぐ左手のやや平らな部分の雪下に水路があります。

 上の写真の真ん中に見える雪斜面をその正面から撮影したものが、つぎの写真です。

 山の沢を雪が“流れ出して来る”のです。そして、かけ口に向かう道を雪で覆い、さらに道脇の崖下の谷へ落ちていきます。

 この下の谷には西入沢川という川が流れています。その様子は…


かけ口のあるブナ林

 このブナ林の奥にかけ口があります。晴れている日ならば、空は真っ青、ブナは鮮やかな緑、そして足元は雪で真っ白という絶好のポイントなのですが、今日はただただ寒い。

 ここから野々海池に向かう道は除雪されていなくて、まだかなりの積雪。



 ブナ林の入り口のところ。写真左下に見えるのが貝立水路。水路の余り水を川に落とす(写真右下へ落ちる)場所で水路に溜まっている木の枝、落葉などをかき出す。

かけ口を掘る
ここから冒頭の写真のように雪上を進み、かけ口に到着。

 野々海池から出た水はいったん隧道に入った後、自然の川を下って、この地点まで来ます。ここに写真のように堰がつくられていて、貝立水路に水が取り込まれます。


 いよいよ、かけ口の掘り出しが始まりました。


 掘り始めて5分。水が勢いよく流れる音が聞こえ、覗き込むと水の流れを見ることができました。8時52分です。
 
 これで今日の“ミッション”の最大のものを完了。
 3名の人たちは、これより下流の水路の要所を何ヶ所かをチェックしながら山を下りました。
 私は、途中、スキー場頂上のカタクリ群生地の開花状況をチェックして一足先に山を下り、帰宅後すぐに写真データの取り込み、このレポートの作成を始めましたが、只今、午前11時34分。今日の午前中はこの作業で終わりました。
 雨の中なので花も花弁を開いていなくて、いい写真は撮れていませんが、最後にカタクリの写真を1枚。


(了)

配達日誌5月11日〜13日

11日(日) 通常のスケジュールならばNo.220の配達を開始する日だが、今日はそれどころではない。ほとんどの集落で早朝は美化運動のゴミ拾い(朝5時半とか6時の集合)、その後、8時頃から道普請や水路普請。
 私が住んでいる森集落の普請は午後だったが、午前中は農家組合の人たちが開田水路の普請をするので、それの取材や青倉の道普請の撮影。

森農家組合の普請の様子。水路の枡に入って泥上げ

 午後の普請は1時半から4時までだった。私は以前にも森の普請に出たことはあったが、今回の担当場所は初経験のところ。「ふーん、こんなふうに水路が流れているのか」と感心。まだまだ知らないことが多い。また、中条川の土石流をはじめとして自然災害とどう折り合いをつけて暮らし、そのためのインフラとしての水路や道路を維持していくのか、考えさせられるところが多い。
 普請が終わった後、夕刻2時間くらいでNo.220を完成。

12日(月) 午前中、大久保の観音堂の修復の相談にのって下さっている宮川和工(かずのり)さんが仲間の大工・福原さんと共に来てくださり、大久保の区長さん、大工さんと一緒にさまざまな説明をしていただいた。その中で面白いことを知った。入り口の上と内部正面の上に写真のようなものがある。

 これを虹梁(こうりょう)というそうだ。宮川さんによれば、この彫刻の模様が少し変わっていて興味深いものなのだという。福原さんにお尋ねすると、「いまは彫刻師に彫ってもらうが、昔は大工が自分で彫ったものだ」そうだ。文化財はいろんなところにあるものだ。
(宮川さんのtwitter書き込みはhttp://t.co/73GWcofnoY)。

 午後の配達の中で、「今度顔を合わせる機会があったらお尋ねしよう」と思っていた人と顔を合わせることができた。「いつも不思議に思っているんですが、車のナンバー、どうして他県ナンバーなのですか?」、「あっ、私は他県の者だからですよ」、「えっ、他県のご出身なのですか」、「いや、生まれはここなのですが、○○で自営業をやっています。ところが母親が病気になったので、もう10年ほど前から、私がこちらに戻って世話をしているんです」、「じゃあ、自営業の方は?」、「それは妻と息子に任せて、私はここで百姓をしています」。
 率直なところ、「ふーん、すごい人がいるもんだ」と思った。でも、他にもこのようなケースはあるのだろうと思う。いまの日本社会が成り立っていくには考えなければならない問題が多いとつくづく思う。

 泉平に行ったとき、地元の人に「この先は行ったら大変だよ」と言われた細い農道を小林清治さんが軽トラで進んで行く姿を目にし、後を追いかけた。行き着いたところは、小林さんが山菜採りのお客さんを呼ぶ林の中の山菜園だった。10名弱のお客さんが来ておられ、ぜんまいをたくさん採っていた。冬の間に木の枝払いをして、よく整備されている。

 お客さんが採ったぜんまいは重さで値段が決まるそうだ。小林さんがぜんまいを湯がくサービスをし、お客さんはそれを持ち帰ってぜんまい揉み・干しをするというシステム。これでお客さんは乾燥したぜんまいを買うのに比べて10分の1くらいの値段で良質のぜんまいをたくさん入手できるとのこと。
 小林さんから、男ぜんまいと女ぜんまいの見分け方、ぜんまい採りのルール(1株すべてを採らず、女ぜんまいを1本残す)などを教わった。
 今日は配達は午後からになり、月岡など87軒を廻る。

13日(火) 昨晩、今日の配達用の「歩み」の折りをしていて、困った事態に直面した。150部刷ったうちの約100部が色ずれを起こしていて、使い物にならないのだ。今朝プリンターのあるところへ行って、昨日の夕方に印刷にかけた分を見ると、これは大丈夫。業者にも来てもらって調べた。「色調節」という機能があり、それで「自動調節」という操作を行なった。頻繁に不具合が生じるようだと、部品の交換が必要になるようだ。とにかく使い込んでいるのでメンテナンスが大変だ。

 以前に「日誌」で紹介したことがある長瀬の中村さん。約22町歩の田んぼをやっておられる。「栄村でいちばん早く田植えを始めるのは長瀬の中村さん」と聞いたことがある。先日、中村さんのお父さんに「田植えはいつ頃から? 場所は?」とお尋ねしたら、「15日頃、志久見分校のむかい側にある田んぼが最初だと思う」とお答えいただいた。そこで、今日昼頃、東部谷を下りてくる際に注意して見ていると、すでに苗が植わっている田んぼが目に入った。きっとこれが最初の田植え場所なのだと思う。


 野田沢に行ったとき、田んぼを挟んで少し距離のあるところの作業所前で、何人かの人たちが座って農作業中の小休みをしているのが目に入った。かあちゃんが一人で黙々と畑を耕している姿とともに、こういう光景を見ると、なにかいい気持になる。望遠で撮ってみた。


 今日は午後1時頃で配達を終了し、午後は写真データの整理を行なった。配達は青倉など計101軒。