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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌8月12日〜20日

12日(火) 「台風一過」という言葉があり、台風が通り過ぎた後は快晴になることを言う。私は京都出身なので第二室戸台風(1961年)など台風の直撃は何度も経験しているが、実際「台風一過」の言葉通りである。ところが、今日は「台風一過」どころか一日中雨が降った。前線の影響だというが、なにかおかしい。
 そういうわけで今日はほとんど室内作業。主に写真データの整理だが、整理しないことには復興や村づくりのデータとして生きてこない。「栄村復興への歩み」の村紹介のための特別版というのを試作してみたが、なかなか大変。
 データ整理の作業は外回り以上に疲れる。パソコン作業中の姿勢が悪いのはわかっているが、データ整理に集中するとついつい姿勢が悪くなってしまう。
 
13日(水) 「復興への歩み」8月11日号は予告のとおりお休みにしたが、協賛者にお配りしている「配達日誌」(8月1日〜11日)だけは配達することにした。6月に「配達日誌」を2号分配ったことがあるが、虫眼鏡を使って読んで下さっている高齢の方には一度にたくさんの量を配られると、読むのに苦労されるようだからだ。今日は青倉などで50軒を廻った。

 その途中で、来訪者を田んぼにお連れしたとき、稲の花が開花するところを撮影することができた。稲の花そのものはこれまでにも撮影したことがあるが、今回、調べてみると「頴(のちに籾となる部分)が開き、白っぽいおしべが出てくる」のだという。だいたい午前10時頃のことらしい。
 撮影できたのが下写真。撮影時刻は9時58分。たしかに「籾」が開き、そこから白いおしべが出ている。



 6日に泉平で撮影したきれいな花があり、11日にその家のおかあさんを訪ねた。花が大好きで、名前もよく調べておられる人だ。だが、その花については「調べてもわからない」とのこと。その後、懸命に探し、ついに「柳花笠」という素敵な名前のものであることがわかった。その結果を今日、お知らせに行った。





 花全体を見ると紫色に見えるのだが、写真撮影したものを拡大してよく観察すると、ピンクの小さな花がいっぱい集まっている。南米原産で、当初はどなたかが植えられたのだろうが、村を廻ると花を植えたとは思えないような場所でも見かける。野生化し、自生し始めているのではないだろうか。
 
14日(木) 昨日に引き続き、「配達日誌」を配りに廻る。月岡から天地まで上がり、つぎに東部を下る。お盆の帰省で家々に駐車している車の台数が多く、やはり他府県ナンバーが目立つ。

 配達を始める前に昨夕に続き、箕作のお墓を訪ねる。「13日の夕方にみんなお墓に行ってお花を供える」と聞いていたからだ。拝見すると、家の周りに咲く花を切り花にしたものが多い。この日のために家周りで花を育てているという面があるそうだ。

 役場の駐車場は車の台数が少なく、いちおう役場は開いているもののお盆休みの職員が多いのだろう。工事現場も今日はすべて休みのよう。そんな中、黙々と草刈りに勤しむ人もいる。宮川頼之さん一家は、頼之さんがアスパラの消毒(菅沢)、春美さんは一人で黙々とトマト収穫(妹背木)、そして一哉さんと麻子さんは帰省された二男の正哉さんとともに田んぼの横を流れる小さな川の両岸の草を刈っておられた(下写真)。中山間地直接支払制度の点検に備える意味もあるそうだ。



 村でも評判の働き者一家だが、ものすごい質量の仕事を苦にせず、明るく作業されているのが嬉しい。

 配達は昼すぎに終わり、「溜まっている事務作業をしなければ」と思いつつも、中条川上流の崩壊地へ。今回は1号崩壊地よりもさらに奥の2号崩壊地(森の開田水路のかけ口がある)まで行った。また、1号崩壊地から2号崩壊地に至る仮設作業道の途中から下に降りてみた。水が流れるところまでは降りられないが、堆積土の崩壊が進んでいる様子がよりリアルに確認できた。



 上の写真は降りられるぎりぎりの所まで行って、崩壊地の中の水の流れを撮影したもの。水量はごくわずかだ。しかし、大雨が降ればいっきに水量は増える。そのとき、この写真に見える崩れた石などがすべて下流に下るわけだ。より詳しくは「復興への歩み」本文で報告したい。
 
15日(金) 今日はお祭りのところ(集落)が多い。まず私が暮らしている森集落の中条地区。わずか6世帯だが、白山神社という独自のお宮があり、毎年、8月15日に神主さんが来て祭礼が行なわれる。朝6時から地区の人たちの手で境内・社殿の掃除と祭礼の準備。午後2時から祭礼。祭礼の最後にお神酒を3口で飲み干す儀式が行われ、神主さんは帰られるが、その後、地区の人だけが残ってお酒を飲み続け(私はほとんど飲めないが)、終ったのは5時半頃だったろうか。
 その後、やはり今日が祭りの青倉の知人宅にお呼ばれして、夕食。雨が降ったり止んだりで、夜の行事ができるかどうか心配されたが、子どもたちの花火大会、ちょうちん行列ともになんとかできた。


田んぼ際で花火に興じる子どもたち(青倉)

 私は午後9時ころ、平滝集落のお祭りの撮影にむかう。この1週ほどの間、平滝の人に会うたびに「うちの祭りは15日だからね」と繰り返し、念押しされ、平滝のお祭りを初めて見に行くことになった次第。
 天狗による注連切りが10時、獅子舞は10時半からとのことでしばし待機。いよいよ撮影という時になって雨がまた降り始め、撮影には相当苦労した。「復興への歩み」本文に掲載するが、松明をかざす天狗の姿はうまく撮れたと思う。
 
16日(土) 今日も一日中断続的に雨が降る。箕作集落では昨夜の宵宮に続き、今日は獅子が悪魔祓いの1軒1軒を廻るのだが、雨で大変だったようだ。
 中条では午後2時から祭礼の後片付け。30分ほどで片づけは終わり、後は延々とお酒を飲むことになる。昨日もそうだったが、この飲みながらの話の中で、“むら”(中条地区あるいは森集落を指す)の歴史についていろいろ興味深い話が聞ける。また、栄村の将来についてどんな展望を抱いているかの本音も聞くことができる。大事な場だと思う。と同時に、こういう場で出てくる話を飲む場以外できちんと議論する機会がないことが村の抱える問題ではないかということも思う。
 お宮の社殿から村道まで下りる道が急なので、「暗くなる前に」ということで午後5時半に散会。村道に下りた時に見えた素晴らしい景色の写真を1枚(写真は実際をあまりうまく再現できていないように思うが)。断続的な雨で生まれる雲の姿がなんともいい。



 「復興への歩み」本文では扱う余裕がないので、中条という地区とその歴史について少し触れておきたい。
 現在の中条地区は私も含めて6世帯。姓は月岡、桑原、斉藤、木村がある。斉藤姓の2世帯は現当主になってから他集落から移り住まれた方。木村姓は桑原姓のお家のご長女のご主人の姓。もともとの中条地区にある姓は、月岡、桑原、広瀬の3家のようだ(広瀬姓の方が震災までお一人暮らしておられたが、震災後移転)。そして戸数は一貫して6〜7軒だったようだ。「中条」という地区名について、中条の人には「真ん中という意味だろう」という思いがあるようだ。行政的な意味合いがある「集落」(区)は森に入っているが、独自の歴史と存在意義を有しているといっていいだろう。その象徴が白山神社の存在だ。森の建森田神社よりも歴史が古いという。

 私が村に移って初めて知った言葉に「まき」というものがある。Webの「百科事典マイペディア」では、「日本における社会構成の一単位で,同族をさす。親族とは異なり,姻族は含まず,また六親等より遠い同系のものをもその範囲に含める」とあり、『大辞林』には「家を単位として,その本家・分家などの関係によって結ばれた集団。主として東日本の各地に見られる」とある。「親族とは異なり、姻族は含まない」という点がポイントだと思う。血族に近い概念だと思う。民法では6親等までを血族としているが、そういう近代法の概念を超えた伝統的なものである。

 現在の中条には月岡姓の家は1軒しかなく、「月岡」という姓は白鳥集落に多く見られる姓なのだが、今回、月岡英男さんにお聞きしたところ、中条には「月岡まき」があって、3家あったという。そういえば、昨年、東京栄村会の関係者にお会いしたとき、「実家は、いまはないが、中条だった」という月岡姓の人がおられた。そして、やはり英男さんによれば、月岡という家は森集落が始まったとき、3つしか存在しなかった家のうちの1つだという。
 こういうことを知ったからといって、それがすぐに村のこれからに役立つというわけではないが、中条という地区が新しい血も受け入れながら、“しぶとく”生き続けていく可能性を感じさせるように思った。
 
17日(日) 会社などの勤務先は今日17日までお盆休業ということだろうが、むらの各家が帰省者を迎え入れるという意味では昨日でお盆も終わったのではないだろうか。お盆の帰省とお祭りのお客さんが重なり、目がまわるほどの忙しさだったという方も多いのではないかと思う。

 高橋彦芳さんをお訪ねし、お祭りとの関係で村の各集落のお宮の歴史などについて伺った。『村史』や『栄村のお宮・お寺』という書物にいろいろと貴重なデータが記載されているが、やはり彦芳さんのような方に伺わないと知りえない、貴重な話が多い。
 祭礼では神主さんがお出でになるが、栄村の人ではなく、お隣の旧東大滝村(現・野沢温泉村東大滝地区)や飯山市戸狩の人である。「栄村には神主はもともとおられなかったのですか」とお尋ねすると、「いや、月岡(集落)にいたんだ。関沢秀麿といった。その息子さんが学校の先生になり、県内各地を転々としていて、親父さんの跡を継ぐために村に戻る選択をしなかった。それで関沢神主が東大滝の水井神主に引き継ぎをお願いしたんだ」とのこと。(彦芳さんの話には出て来なかったが、箕作にも倉科さんという神主さんがおられたようだ。お家は箕作のお宮のすぐ前で、「いまでもそこの屋号は『田島さま』と『さま付け』で呼ぶ」という話を村の人から聞いた)
 こういう話を知ったからといって、それが即村づくりに役立つというわけではないが、知って記録にとどめておくべきことだと思う。
 
18日(月) 朝から久しぶりに晴れ、暑い1日だった。ただし、夕刻に激しい夕立があり、その分、夜は涼しくなった。
 今日はずっと屋内での作業で天候のこと以外は特記事項なし。
 
19日(火) 今日も晴れで暑かった。
 午前中、青倉・西山田から野々海に取材撮影にむかった。7月25日には蝶がいっぱい見られたスキー場内の村道ではほとんど蝶が見られない。蝶が蜜を吸う花がもう終わっているのだ。しかし、野々海に近づくにしたがって、まだ元気なヨツバヒヨドリなどに蝶がとまっている姿がたくさん見られた。とくに印象的だったのは野々海大明神のすぐそばでキリンソウにたくさんの蝶が群れているのが印象的だった。



 この取材撮影の後、午後1時半を過ぎていたと思うが、「樓蘭」で7月25日撮影の写真をご覧になったお客さんから現在の野々海池の様子や行き方などを尋ねられた。野々海の四季を小まめに撮影し、データ化していくことがとても大事だと思う。
 
20日(水) 広島で大変な災害が起きた。ニュースで盛んに報道されているが、災害の直後だけ騒ぐのではなく、自然災害を大きくしてしまう環境保全をめぐる問題や、自然災害を大きな人的被害にしてしまう住宅立地の問題などを平素から深く追求していくことが必要だと思う。
 昨夜は夜遅くまで暑かった。栄村でも「熱帯夜」だったのではないだろうか。夜になってもこんなに暑いのは今夏2回目のように思う。お盆が過ぎたら夜は肌寒いくらいなのが栄村なのだが…。
ヒョウ被害の追加取材などでNo.228編集に予想外に時間がかかった。明日から配達再開だ。
 

栄村復興への歩みNo.228

 8月に入って、西日本を中心に台風、大雨による災害が相次いでいます。とくに20日未明には広島で大規模な土砂災害が発生し、32名の方が亡くなる(20日午後5時現在)など大きな被害がおこっています。
 被災された方々に心からお見舞い申し上げるとともに、栄村でも土砂災害等への警戒をいっそう高めていくように心がけたいと思います。

台風11号による栄村での被害、ヒョウ被害の続報
 8月11日号をお休みしましたので、本紙では今回が初めての報告となりますが、8月10日に長野県に接近した台風11号で栄村にも被害が発生しました。
 主たる被害は菅沢や天地のズッキーニ畑です。ズッキーニの茎が強風で折れたり、根がまくり上げられ、浮いてしまったりしています(下写真)。



 天地の斉藤克巳さんにお聞きしたところでは、茎が折れたものの場合、真ん中の芽が生きているものは、それが育つのを待てば収穫できるとのことです。
下写真の場合、太い茎は折れていますが、真ん中の新芽が生きています。



(以上2枚の写真はいずれも11日午後撮影)
 
 20日、被害を受けた畑を見ましたが、根が浮いたものも必死で水を吸い上げ、実をつけるまでに回復しているものを見ることができました。
 市場ではズッキーニの価格が上がっていますが、なにせ収穫量がガタ落ち。通常であれば100ケース出荷のところ、10ケースほどの出荷にとどまっています。斉藤克巳さんの場合、7月31日のヒョウ被害と台風11号のダブルパンチです。
 なお、10日の台風被害ですが、ズッキーニ被害の様子などから、単に強風というのではなく、下から巻き上げるような竜巻状の突風がおきたのではないかと思います。

ヒョウ被害のその後
 7月31日のヒョウ被害は深刻な影響をもたらしています。
 キュウリ農家の場合、野口の斉藤幹雄さんにお話をお聞きしましたが、8月前半は出荷できる収穫はなし、お盆が過ぎてようやく出荷できるキュウリが新芽から育ってきたところだそうです。



 上写真は斉藤幸一さん(北野)の原向の畑のキュウリ。ヒョウで凹みができてきて商品になりません。(9日撮影)

 つぎに花卉(かき)ですが、1つの具体例で被害の深刻さを紹介します。


 上写真(9日撮影)は藤木虎勝さん(極野)が原向の畑で栽培されているヒぺリカムという花です。オランダ原産で、藤木さんは3年更新の栽培権を購入して作っておられるとのことですが、花を楽しむものではなく、落花した後の実を観賞するものだそうです。
 写真を見ると、すでに実がなったもので一部が黒くなっているものがあります。ヒョウによる被害で、黒いものは出荷できません。また、葉に穴があいているのが見られますが、そうなるとやはり商品にはなりません。(左写真で青く見える玉模様は露です)

 1本、1本見ていくと、すべてが多かれ少なかれ同様の被害を受けていて全滅に近い状態です。でも、藤木さんは懸命に対策を講じておられ、20日に畑を見させていただいたときは、被害を受けたものから新芽を育て、その部分は出荷できるように努めておられます。下写真をご覧ください。左端にはヒョウ被害で黒くなった実が見えますが、右側に新芽が力強く育ってきています。



稲のヒョウ被害
 ヒョウ被害について「速報」で報告した際には稲への影響はわかっていませんでしたが、その後、極野、北野などでは稲にも被害が生じていることがわかってきています。
 穂が出始めていたところを穂の先端がヒョウに打たれて白くなる、穂の真ん中がヒョウに打たれて傷み、穂が重くなって垂れてきたとき、そこで折れる心配があるのです。



 上写真の場合、穂の真ん中がヒョウに打たれて籾が飛んでいるのがわかります。その先の穂はいまのところ生きていますが、登熟して重くなったとき、このヒョウにやられたところで折れる可能性が大なのです。
 先日、農業委員の藤木さんの働きかけで農業共済が調査に訪れ、近く開催される共済の会合で対策が話し合われるようです。
 
 被災農家は懸命に頑張っておられます。村でも物心両面からの対策・支援をしっかりとやっていただきたいと思います。


お盆、そしてお祭り

 今年のお盆は天気がよくありませんでしたが、多くの人たちが帰省され、賑やかなお家も多かったようです。それだけに、「とても忙しかった」というおかあさんも多いことと思います。残暑が厳しい折ですので、お疲れが出ませんよう、ご自愛ください。

 お盆とお祭りが重なる集落も多く、私は地元の中条地区の祭礼(白山神社)に参加させていただくと共に、「おらほの祭りは15日だよ」とずいぶん多くの方から声をかけていただいた平滝に行き、そのお祭りを初めて拝見させていただきました。



 平滝のお祭りでは夜10時から天狗による注連(しめ)切り、獅子舞の奉納が行なわれました。左写真はお宮の鳥居に通じる石段の下で天狗が松明(たいまつ)を大きく振り回す場面です。
 私はこれまでに極野、白鳥、柳在家の天狗を見たことがありますが、いずれも白装束。それに対して平滝の天狗は全身赤の装束でとても印象的でした。
 この直前から雨が落ちてきて大変でしたが、かなり印象的な1枚が撮れたかなと思います。

 平滝のお宮は「建三瀧(たけみたき)神社」。森のお宮は「建森田(たけもりた)神社」といい、やはり「建」の字が頭についています。これは諏訪大社の「建御名方命(たけみなかたのみこと)」を祀っていることによるもののようです。栄村では昔から諏訪の神様を祀るお宮が多くあります。ちなみに「建三瀧神社」は天明元年(1781年)再建のものだそうです(『信越さかえのお宮とお寺』による)。
 
 お盆の話に戻りますが、箕作の大庭光一さんから「13日の夕方にみんなお墓にお花を供えに行って、お墓が花でいっぱいになるよ」という話をお聞きしました。そこで13日夕と14日朝の2回、箕作のお墓を訪れました。



 箕作のお墓は常慶院の横手、山に上る道の脇にありますが、上の写真に見られるように集落全体を見渡せる高台に位置しています。「里山からご先祖様が現世の人びとを見守る」という“むら”の構造を典型的にみせていると思います。また、お墓に供えられている花は、すすき、はぎ、そしてこの時期に見られる花々で、その多くがそれぞれのお家で育てられたものです。こういう伝統は守っていきたいものです。


写真に見えるすすきは「シマウマ」という品種で、
シマ模様がある。黄色の花は“おみなえし”。



 

ジュース用トマトの収穫が進められています

 宮川頼之さん一家が栽培されているジュース加工用のトマトが真っ赤に完熟し、収穫作業が進められています。
 まず、20日午前の様子をご覧ください。



 妹背木の畑ですが、一面真っ赤です。お盆前は赤く熟したトマトのみを選んでもいでおられましたが、お盆過ぎからは茎を根元で切り落として、その茎をふるって実のすべてを落とし、その中から真っ赤なものを取るという収穫法に変わっています。







 写真上から、茎をふるい、実を落とす頼之さん、真っ赤なトマトで埋まる畝と畝の間、赤く熟したトマトを選び、収穫篭へ

トマト収穫援農隊のみなさん
 収穫作業は8月8日から始まりました。その8日の午後から10日昼まで、援農隊の人たち8名が収穫作業をお手伝いされました。その時の様子が次の写真です。



 この援農隊は、全国農協観光協会が取り組む「快汗! 猫の手援農隊」と北信州みゆき農協が提携して実施されているもので、当初はリンゴ収穫の援農隊から始まりましたが、2009年からトマトの収穫も行われるようになりました。頼之さんが受け入れられるのは今年で5回目くらいのようです。
 援農隊の人たちは交通費や宿泊費(宿泊は戸狩の民宿)は自分たちで負担され、無償で収穫作業を手伝って下さるボランティアです。8〜10日に来られた人は若い女性から年配の方までさまざま。現役の会社員という方もおられました。中には以前にも頼之さんの畑に収穫手伝いに来たことがあるリピーターの人もおられました。また、昼食の際、「リンゴの収穫はいつ行くの?」という会話も聞かれました。
 本当に有難いことです。と同時に、援農隊のみなさんはこれを大いに楽しんでおられて、旅(ツーリズム)の1形態であることにも注目する必要があります。また、受け入れる頼之さん家にとっては、有り難い援軍であると共に、お昼の用意など大変なところもあると私は思いました。栄村の観光の発展をどういう方向に求めるべきか、学ぶべきことが多々あります。こういうことを粘り強く、系統的に行っていくことが大事なのだと思います。


昼食のお世話をされる麻子さん


写真の男性は11日まで残ってお手伝いされました。


中条川上流1号崩壊地の状況

 14日午後、天候が安定していることを確認して、約1ヶ月ぶりに中条川上流の1号崩壊地を訪れてみました(今回はさらに奥の2号崩壊地の様子も見てきました)。

 1号崩壊地の中に入ったとき、これまでは感じたことがない思いを抱きました。「見捨てられた荒涼としたところ」というものです。7月6日に訪れた時にはあったボーリング調査の機械もすでに撤去されており、お盆休みのためか、監視所に人影もなく、ただただ無残な光景が広がるばかりなのです。前号で報告したとおり、県林務部長はこの1号崩壊地の本格的な排土作業は来年度になると言っています。絶望感に襲われそうです。でも、声をあげ続けなければいけないと思います。

 危険な状況は続き、拡大しています。たとえば、今年に入ってクラックの崩落が確認された箇所はさらに崩壊が続いています(下写真)。


 また、今回、非常に気になったのは、流路を挟(はさ)んで山が崩落したのとは反対側の斜面もたいへん脆(もろ)くなっていることです(次の写真)。


 3枚目の写真は、崩壊地内の流路に可能な限り近づいて撮影したものですが、水が少し出れば、土砂がかなり流れ出ることがあきらかな状況がご理解いただけるかと思います。


 もう紙面がありませんが、県林務部・建設部は私などが「県民ホットライン」に質問・要望を寄せて初めて状況説明をするというのではなく、もっときちんとした説明を随時、住民に対して行うようにしてほしいものです。


<後記>
 11日号をお休みさせていただいたため、取材しながら掲載できないことがたくさんあります。
 19日に約1ヶ月ぶりでスキー場から野々海に向かいましたが、季節の移ろいをはっきりと感じとることができました。野々海まで行って色んな写真を撮影すると、少なくとも半日仕事になり、そんなに頻繁に行くことはできません。それでも、栄村の豊かな資源を発信し、復興・村づくりに少しでも役立つように努めたいと思っています。
      

追っかけ:頼さんのトマトづくり

収穫が始まりました


 
 上の写真は8月9日午後のもの。収穫作業をしている人の多くはJA北信州みゆきが企画する「ジュース用トマト収穫援農隊」の人たち。東京方面から来られた人たちで8日午後から10日昼までの2泊3日の援農作業。
 
 収穫作業は8日から始まりました。真っ赤な完熟トマトをご覧ください(9日午後)。

 この1ケースに20kgのトマトが入っています。多い日は1日に400ケースも収穫されますが、9日の収穫量は270ケース強だったと聞きました。

 畑の様子をご覧ください。

 畑のトマトすべてが赤く完熟しているわけではありません。収穫作業は9月15日まで続きますが、8月20日過ぎまでは完熟したもののみを選んで、手でもいでいきます。(その後はすべての茎を切り落とし、完熟したもののみを選び出していくという収穫方法に変わるそうです)
 
 ある茎をピックアップしたのが下写真。右端と左端に見える黄色いものはあと1週間ほどで赤く熟するそうです。真ん中の小さな玉も収穫期間中に大きく熟してくれるといいですね。
 
 
1つの芽から、なんと100〜130個のトマトが
 ところで、4月を振り返ると、4月2日に種まきが行われ、7日に発芽しているものを初めて撮影しました。


 この1本の苗が3ヶ月余を経て大きく育ち、次のような大きさになったのです。


 
 いくつもトマトの実が生(な)っていますが、これが1本の茎についているのです。つまりあの小さな芽がここまで育ち、1株で100〜130個のトマトを実らせるのです。


色づき具合をふりかえる
 7月4日、トマトの実が生ってきていましたが、そこから1ヶ月、実が色づき、熟してきたのを振り返ってみます。





 7月17日、畑を見渡すと、トマトの実がたくさん目に入り、株の中を覗きこむと、赤くなりはじめた実が見えます(上2枚の写真)。さらに28日になると、畑のあちこちに赤くなったトマトが目立つようになりました(下2枚)。





  そして8月1日の様子。

 8日に真っ先に収穫が始まった畑です。頼之さんは「もう5日ほど早く収穫を始めたかった」と言っておられました。ズッキーニの収穫作業が続いていて、まだトマトの収穫開始とはいかなかったようです(ズッキーニの収穫は10日で最終的に終えられました)。


トマト畑の周りの様子の変化
 5月中旬〜6月いっぱい収穫が行われていたアスパラ畑では収穫を終え、来年の収穫にむけてアスパラの茎がどんどん伸ばされています。



 

 また、畑の周辺では綺麗な花が咲き乱れます。奥さんの春美さんが育てられているのです。亡くなった「ばっちゃん」(頼之さんのお母さん)がお花が大好きだったそうです。




 場所はハウスのすぐそば。ユリの王者・カサブランカです。
 春美さんのお話では元々は「もっと真っ白だった。自然交配して少し黄色くなってきた」とのこと。カサブランカは日本に自生するヤマユリとカノコユリ等を交配して育種されたもの。トマト畑の周辺にもヤマユリガ多く見られますので、自然交配したのかもしれませんね。
 7月下旬に最盛期を迎えていたヤマユリの姿もご覧ください。



 また、トマト畑の近くには、花びらの様子がちょっと変わっていて、とてもきらびやかな花が咲き乱れています(下写真は7月17日撮影)。

 
 この花、西洋風蝶草(せいようふうちょうそう)といい、花の形が蝶が飛ぶようなところから命名されたと言われます。「クレオーレ」という名でも知られています。花期が長く、トマトの収穫が始まったいまも元気に咲き誇っています。
 
  
 ハウスのそばにはこんな花も。芙蓉(ふよう)という名で、白や赤、ピンクなどいろんな色があります。
 
 

援農隊のみなさん
 今回の援農隊のみなさんは8名。初めての人もおられたようですが、もう何回も通われていて手慣れた様子で作業される人も。最終日の10日昼、頼之さん宅での昼食にご一緒させていただきました。そのときの様子をどうぞ。
  作業を終えマイクロバスへ、頼之さん宅前の水路で泥落とし、そして頼之さん宅へ。

 







作業後の生ビールは格別の味のようです。
    
お帰りにはいろんな野菜をお土産に。



頼之さんの顔にも満面の笑みが。

 頼之さんご一家が丹精込めて育てられたトマトは間もなく「さかえむらトマトジュース」に加工されます。是非、さかえむらトマトジュースをお試しください。
お問い合わせは、aokura@sakaemura.netまでお願いします。

(了)



配達日誌8月1日〜11日

31日(木) 31日の日誌が午前中で終わっているので、31日午後のことから。

 午後、水内地区の善光寺街道跡調べで白鳥に行く。『村史』ではただ単に「西大滝から白鳥に入る」としか書かれていないが、「いまの西大滝のスノーシェッドのところ、当時は歩けたのだろうか」という疑問がふっと浮かぶ。JR飯山線の境川踏切を渡ったところで、左手に山を上がる道があるのに気づき、歩きで上ってみた。しばらく進んだところで、前方で何かが道を走って横切り、川の方へ下るのを目撃。色、スピードから「クマではない」と思ったのだが、気味が悪い。それでも、前方に進んだが、どんどん山を上る一方なので途中で引き返すことに。クマ避(よ)けに「ホー、ホー」と大きな声を出して下るが、川で何かがジャブジャブと水をかき回す音が…。

この山道をもう少し上がったところでクマを目撃

 その後、『村史』で「…豊栄分校前に達する。ここから樽坂の難所をさけて一気に峯へ登り、平滝地区字(あざ)上リット通称城平を下って…」と書かれているところの探索へ。「豊栄分校」前から山を上がる道は現在見当たらない。平滝の「字上リット」云々と書かれているところは震災前に行ったことがあったので、そこから白鳥方向にむかって山道を上がる。今度は軽トラ。
 この山道では、やはり上り始めて間もなく、前方をクマの親子連れが道をかなりの速さで横切る。今度ははっきりクマと確認できた。再度遭遇しても大丈夫なように、車の窓を閉め、冷房に切り換え。
 わずか1時間半ほどの間にクマに二度も遭遇するとは?! 
 成果はいろいろとあったが、大変であった。「山には一人で入らないように」というのが今日の教訓のひとつ。
             平滝〜白鳥間の山道の途中、ちょっと横道に入ったとこ
ろに見事な田んぼがあるのにびっくり

1日(金) 6時半から配達を開始。当初は爽やかな空気だったが、7時半頃からムッとした感じに変わる。豊栄地区などを廻った後、森−東部に入る前に飲み物を手に入れるべくYショップに立ち寄ったところで、「夜、北野などでヒョウが降って大変だったようだ」という話を聞く。9時半すぎに北野に入り、ヒョウ被害の凄まじさを知る。
 このため、ここからは被害状況の写真撮影が主たる仕事に切り換わる。途中、カメラのバッテリーの充電が切れたため、昼食休憩を兼ねて充電。午後も被害状況撮影が続く。

ヒョウと突風で家前の花も倒されている(原向・当部新田)

 夜、ある会議があったため、それが終わってから、夜10時頃からヒョウ被害の速報レポートを作成。

2日(土) 昨日から始めたNo.227の配達は「涼しさを求めて蝶とトンボの世界へ」と合せての配達だが、今日からはそれに「31日夜の雹(ヒョウ)被害について」が加わる。
 午前中に青倉55軒を廻り、昼食に「樓蘭」に行ったら超満員で断念。家に向かう途中、百合居橋を渡ったところで庚さんの車と遭遇。お聞きすると、「トマトの国1時半集合で、2時から東大滝から下るラフティングをやる」とのこと。急遽、予定を変更し、午後はその取材・撮影に。
 撮影ポイントは4ヶ所。出発点を撮るのにR117の東大滝橋の上。つぎにR117白鳥大橋上。3番目が百合居橋から100mほど上流の瀬がある地点の川縁(べり)。4番目が横倉マレットゴルフ場下の到着地点。
 R117の橋上は歩道がないところ。大型トラックが通過するとき、跳ねられないように橋のへりに身を寄せるが風圧で吹っ飛ばされそうな感じ。
 
写真左がR117東大滝橋。ここから写真中央上に赤く見えるボー
トを望遠で撮影

 また、百合居橋上流の撮影地点でボートが下ってくるまで25分間ほど待つ。国道で37℃あったが、河原の石からの反射熱で40℃くらいの感じ。「ボートはすぐ下ってくるだろう」と思っていたので、飲料水は車に置いたまま。千曲川の水を飲もうかと思うほど、つらかった。
             百合居橋下で川におり、この石の上を歩いて撮影ポイントへ
 
 夕刻までに急いで写真アルバムを作成し、ブログにアップ。
 
3日(日) 今日は「ぐるっと栄村100kmサイクリング」の日だが、ひたすら配達に専念。途中、昼頃短時間だが、極野で強い雨に遭遇。後で気づくと、靴の中は雨でぐっしょり。昨日も夕刻4時頃、ヒョウ被害地域あたりでは強雨があったそうだ。
 なんとか128軒廻れた。今日は配達に懸命で写真はほとんど撮らず。
 速報レポート「31日夜の雹(ヒョウ)被害について」でヒョウ被害のことを初めて知る人が多い。こういう重大な出来事は村内放送などで告知すべきだと思うのだが、震災の時に見られた役場の情報発信力の弱さは相変わらずだ。
 夜に出会った津南町の町会議員から「こういうのは議員を動かさないと」とアドバイスをいただいたが、1日に私が「議会が動いて下さい」と話した議員は無反応に近かった。情けない話である。

4日(月) 白鳥の国道より上の地区、森、横倉の145軒を廻る。とにかく暑い。午後の最も暑い時間帯は室内作業にしたが、とにかくひたすら配達に廻った。
 下はその中で撮った蝶の写真。別の角度から撮ると、また違う蝶のようにも見える。
 おそらくミヤマカラスアゲハだと思う。




 このような蝶の写真をお見せすると、「よく撮れたね」と言って下さるが、最近は蝶が「撮ってください」と言わんばかりにじっとしていてくれる。不思議なものだ。
 ちなみに蝶がとまっている綺麗な花はオイランソウ(花魁草)。白い花もある。

5日(火) 朝、平滝集落を廻り、その後、野田沢、程久保、大久保、原向を廻る。
 平滝を廻っていた8時台〜9時半は風が強く、田んぼの上を流れてくる風は爽やかだった。だが、その後はこの間の暑さの中でも最悪のものだった。午後は写真データの整理に充てたが、室内にいても暑さに参る。村では夕刻を過ぎると気温が急速に下がるものだが、今日は夜になっても暑い。今年はこういうことが何回かあった。近年は毎年・毎季節、「異常気象だ」と言われる。要は「気候変動」ということだ。ちなみに「温暖化」に関する国際条約の名前は「気候変動に関する国際連合枠組条約」だ。
 食事は旺盛に食べているが、配達時に麦茶などをガブガブ飲むので、「空腹感」「食欲」がない感じもする。

 朝、平滝で以前に「コンニャクの花」を紹介して下さった高沢さんに出会い、また色々とご紹介いただいた。まず、花を咲かせた5年もののコンニャクが今年も見事に育っている。

 
 また、シシトウなどの野菜をいただいたのだが、その1つに「八町胡瓜」(はっちょうきゅうり)がある。須坂市の八町というところで栽培されていたことから付いた名前だそうだが、普通のキュウリよりも太目、ズングリした感じ(写真次頁)。高沢さんによると「糠漬けにピッタリ。松海さんは必ずこれでないと駄目なの」とのこと。「松海さん」とは森宮野原駅近くの寿司店で、ご自宅は平滝。そう言われると、昨日のお昼、松海で冷やし中華をいただいた時、店主の上倉良治さんが「糠漬け食べられますか?」と言いながら出して下さったものの中に普通のキュウリとは食感の違う、とても美味しいものがあった。きっとあれが八町胡瓜だったのだろう。


 平滝を廻りながら、善光寺街道の跡を辿る写真撮影もかなりできた。
 
6日(水) 今日も暑かったが昨日よりはましだったとように思う。
 「涼しさを求めて蝶とトンボの世界へ」を印刷しているせいか、イエロー色のトナーインクが急速に減り、夕刻まで印刷できず。そのため、今日の配達は63軒のみ。おかげで、写真データ整理、花の名前調べ等がずいぶんと進んだ。
 午前中に廻った泉平ではかなり意識的にたくさんの写真を撮った。泉平は栄村と野沢温泉村の境の高台にあり西部地区に属するが、箕作から泉平に向かう山道を上るとき、初めての人は「この先に集落があるなんて思わなかった」という所にある。しかし、集落の景観は素晴らしい。今日だけの撮影では不充分ではあるが、「泉平アルバム」のようなものを作ってみたいと思う。
 夕刻、印刷の用事で小滝に向かったときに出会った小滝の長老たちの姿、なかなか絵になるもの。

犬の散歩中の中沢日出男さん(左)と中沢益夫さん


水見に来た畦で一服つける中沢一(はじめ)さん

7日(木) 夕刻に3〜40分ほど激しい雨。その後、いっきに涼しくなった。部屋の窓を開けていると肌寒いくらい。こんなのは久しぶりだ。
 今日は午前中、取材依頼があってそれに2時間ほど費やし、午前中の配達は月岡のみ。その1軒で右写真のような面白いものに出会った。屋号「越」のお家でのこと。夏の野菜「夕顔」に書かれている。なんとも楽しい。

 
 午後は配達中に別件用事が入り、雪坪と志久見の配達で終了。
 
8日(金) 5時前に起床して、“折り”、そして配達。午前中の早い段階でNo.227の配達を完了。
 午前中の残り、昨日の取材写真の整理。午後は久しぶりに時間をとって写真データを整理。7月上旬に遡って花の写真をピックアップ。たった2日分で4時間強かかってしまった。同じ花を何枚も撮った中からいいものを選び、トリミングしてアルバムを作成する、また、名前調べもしているとどんどん時間が過ぎる。そして眼が疲れる。
 今日整理できた花々は山の花が主。派手さはないが、今夏、そのよさをしみじみと味わっている。この時期に山に咲く花は白系統のものが多い。それが深緑の中に浮かび上がって見えるさまはなんともいいものだ。トレッキングで歩くのもいいだろう。私の場合は車で山道を上がりながら眺めることが多いが、ただ走りながら眺めるだけでなく、車を停めてしばらく眺める。そうでないと写真を撮れないから車を停めるわけだが、それだけでもない。眺めていると楽しいというか、とても豊かな気分になれる。
 小学校高学年の頃は植物採集をしたし、中学生の頃は花を育てていた。ある人にそんなことを話すと、「へえー、信じられない」と言われたが、童心にかえっているのだろうか。
 花を記録することが震災復興−村づくりとどう結びつくのか、一度、きちんと論じたいと思う。
 
9日(土) 配達がないので、午前中、7月31日のヒョウ被害の原向の畑の現状を見に行く。キュウリは斉藤幸一さん(自宅は北野)の畑、花卉は藤木虎勝さん(自宅は極野)の畑。被害の現状は「復興への歩み」本文で扱うが、いずれも被害は深刻だ。花卉などは素人目には被害がわかりにくいものもある。商品作物として野菜や花をつくることの難しさ・大変さを学んだ。

 昼になって山を下りる時、「頼之さんのトマトの収穫がそろそろ始まっているのではないか」と思い、妹背木を通るコースを選ぶと、ちょうどみなさんがトラックに乗って昼食休憩に向かわれるところだった。頼之さんに尋ねると「昨日から収穫を始めた」とのこと。トラックに乗っている人たちの顔ぶれを見ると援農隊の人たちのようだ。それで、午後は写真データの整理という予定を急遽変えて、トマト収穫の様子を撮影することに。
 撮影は2時すぎから小1時間。頼之さんの収穫の様子を見ていると驚く。私に話しかけながら、“いちいち目で確認しなくても赤く熟したトマトに自然に手がのびる”という感じでつぎつぎと収穫されていくのだ。私がそう言うと、笑っておられたが。


 別の要件をはさんで夕刻、「援農隊の人たちに記念アルバム作って差し上げよう」と思い立ち、編集を始めた。収穫の様子に加えて、4月の種まきから収穫に至るプロセスを写真でお見せしようというものだ。というのも、頼之さんから「みなさんは明日昼に帰られるので、お昼を一緒に食べてください」と言われたからだ。夕食後は疲れたので、作業を中断し、翌朝へ。

10日(日) 朝早く起きて、援農隊のみなさんに差し上げるアルバムを完成。記録を見ると7時15分に完成している。そのうえで、援農隊の人個々人の写真が撮れていないので8時半すぎに妹背木の畑へ。写真を撮り終えて家に戻り、8人の人たちの写真をピックアップし印刷しようとしたが、プリンターの用紙送りの具合が悪く、11時の昼食に間に合わず。後日、お送りするつもり。
 頼之さん宅でお昼を援農隊の人たちと一緒にいただく。このお昼がじつに賑やか。もう何年も援農に通っておられる人が複数おられて、「リンゴ(の収穫)はいつ行く?」と互いに情報交換。11月ごろ、上今井や替佐のリンゴ農家に行かれるらしい。

希望者には生ビールも出された。作業の後のビールの味は格別の
ようだ

 買物で飯山に行く必要があったので、援農隊のみなさんが乗るマイクロバスについて、みなさんが宿泊された戸狩の民宿も見に行く。          その帰り、急に体がふらつく感じ。  
朝が早かったせいで眠いだけなのか、 
帰ってから一眠りしたものの、首・肩のあたりが詰まって頭が少々痛い。どうもデータ整理やアルバム作成で長時間パソコン作業をやる日が続いたことが原因かもしれない。

11日(月) 今日はほとんどを室内作業にあてるつもりだったが、まずは西山田の自分の田んぼへ。なんと出穂していた。思っていたよりも数日早い。その後、頼之さんのトマト畑に10時前に立ち寄ったが、そこに役場職員が「昨日の台風の被害はなかったですか」と尋ねに来た。菅沢のズッキーニなどに被害が出ているとのこと。そこで、またまた今日も予定変更で菅沢の山本一郎さん(自宅は野田沢)の畑、ついで天地の斉藤克巳さんの畑を訪ねる。克巳さんの畑はヒョウ被害に続く二重の被害だ。
 克巳さんから被害の見分け方などを教わる。下写真のものは茎が折れているが、真ん中の芽が生きているので大丈夫だそうだ。


 どうも台風の強風一般ではなく、局地的に突風が吹いたのではないかと思う。
 午後、もう一度田んぼに寄ったが、稲の花を撮影できた。
(了)

なお、7月19日〜31日の配達日誌のアップができていませんが、間もなくアップします。

大庭君家の周りの花々8月初旬




ミヤコワスレ(都忘れ)
キク科ミヤマヨメナ属。
山野に自生するミヤマヨメナ(深山嫁菜)の日本産園芸品種。
別名、野春菊(ノシュンギク)、東菊(アズマギク)。
名前の由来は、承久の乱(1221年)で佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられるとの話によるとされる。
花言葉は「しばしの憩い」、「別れ」、「短い恋」
「ミヤコワスレ」をタイトルとする楽曲は数多い。



 
ミソハギ(禊萩)
ミソハギ科。
「ミソハギ」は「みそぎはぎ」を略したもの。
Webサイト「季節の花300」(http://www.hana300.com/misoha.html)には「『みそぎ』は水を注いで悪魔を払うこと。旧暦のお盆のときに、ミソハギの枝を水に浸して、仏前の供物に禊ぎ(みそぎ)をした。長野県などでは、お盆の日に、花に水をつけて玄関先でおはらいをして祖霊を迎える」とある。



 
ハナトラノオ
別名:カクトラノオ(角虎ノ尾)。紫蘇(シソ)科。
茎が角ばっていて、花が虎の尾に似ていることから「角虎ノ尾」の名がつき、さらに、花が美しいので「花虎の尾」の名前も生まれた。
なお、「トラノオ」という名が「オカトラノオ」と似ているが、「オカトラノオ」はサクラソウ科。




八重山吹(ヤエヤマブキ)
バラ科ヤマブキ属。似たものにヤマブキがあるが、それは一重。
ヤマブキには実がなるが、八重山吹には実がならない。
開花時期は春で、8月の今、見られるのは珍しいのではないか。大庭君家の横手に一輪だけ咲いているものを撮影した。
なお、「ヤマブキソウ」という野草もあり、「ヤマブキ」と花が似ているが、「ヤマブキソウ」はケシ科。




アルストロメリア
ユリズイセンとも呼ばれる。南米原産で、アンデス山脈の寒冷地に自生する。1926年(大正15年)に日本へ渡来。
いまの時期、村のいたるところで見られる。
花の色はオレンジ、黄色、ピンク、紫、白などがあるそうだが、村で見かけるものはほとんどが上掲の写真に見られる色。花持ちが長い。




ハツユキソウ
灯台草(とうだいぐさ)科。
葉っぱのふちの部分が白っぽくなってまるで雪がかぶったようになるので、それが名前の由来となったらしい。
この花もいまの時期、村のいたるところで見られる。花は小さくて目立たないが、花が咲くと、咲く前とはガラッと印象が変わる。

   MEMO:大庭久子さんのお話では、「花を咲かせている家が多いの
   は、お盆のとき、お墓に供える花を確保するため。村を離れた家の
   お墓で、お盆に訪れる人 がいないお墓にも備えるのよ」とのこと。
   また、「あまり畑をたくさん作る必要がなくなり、草を生やさない
   ためにも花を植えるようになった」とも言っておら れる。

(このアルバムは8月6日、大庭久子さんのお話を聞きながら撮影し、その後、図鑑・Webで調べたことを書きくわえたものです)


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  • 2014.08.05 Tuesday
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千曲川ラフティングin栄村

POWERDRIVE R117(責任者:庚敏久氏)が2日午後に実施された千曲川ラフティング の様子を写真レポートしました。


栄村箕作(みつくり)百合居橋から約100mの瀬を下る

ボートは東大滝を出発し、棚田を右手に見やりながら、最初の瀬をくだる。





 
 
明石集落の横の直線コースを下り、R117白鳥大橋下の急な瀬へ。
 
 

 
白鳥大橋を越えた後も瀬が続く。
 
 
地震の傷跡を左手に見ながら百合居橋を越えてゴールの横倉へ。

POWERDRIVE R117では、8月8日、21日にも千曲川ラフティングツアーを実施される予定です。空席情報はhttp://gyarome.naganoblog.jp/e1524945.htmlでご覧ください。
 
 (アルバム内容についてのお問い合わせはaokura@sakaemura.netまで)