小谷村・白馬村の状況11月29日版
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- 2014.11.29 Saturday
28日の小谷村・白馬村訪問について、小谷村の被災状況の速報のみ28日夜に出しましたが、このレポートでは詳細を報告したいと思います。
小谷村エリアに入って最初に目撃した山崩れ箇所
国道148号線の白馬村新田〜小谷村千国(ちぐに)間の通行止めのため、迂回路の県道433号線で栂(つが)池(いけ)経由で小谷村に入りましたが、千国区を通過中、カーブで国道148号線沿いの山が大きく崩れているのは目に飛び込んできて、車を停め、撮影しました。
望遠でクローズアップすると、もう1枚の写真になります。
この後、小谷村で見ることになる山崩れ箇所に共通することですが、硬い岩があまり見えず、非常に脆(もろ)い土質だと思います。
道路情報では「立の間チェーン着脱所で土砂崩落」とのみ出されていて、詳しいことはわかりませんが、写真の地点がその近くであることは間違いありません。
JR大糸線も同じ辺りで普通になっていますが、国道もJRも「復旧の目途はたっていない」と報じられています。
この山崩れの状況を見ると、本当に「復旧の目途はたたない」のだろうと思います。が、そうであるならば、現場の写真等を積極的に開示し、「復旧には2週間を要する」とか、あるいはまた、「現場はまだ土砂崩落の危険があって応急復旧工事すら目途がたたない」とか、もう少し具体的な情報を出すべきではないかと思います。
JR大糸線の不通も大変ですが、国道148号線の不通は小谷村にとって非常に打撃が大きいことだと思います。この問題について、もう少し被災当事者の目線にたった情報発信がほしいと思う次第です。
以下、昨日の速報レポートで書いたことは繰り返さずに書き進めます。
山腹に集落が点在する山村
今次震災の小谷村の被災状況、さらには復旧・復興の展望を理解するうえで、小谷村がどういう環境の村なのかを知っておく必要があると思います。
私は事前に小谷村を訪ねたことがある人から、「栄村とは山の大きさが違う」、「集落の多くは山にはりついたような感じで立地している」といったことを聞いていきましたが、実際に現地に行くと、その環境の栄村との違いにやはり驚いてしまいました。
まず、小谷村役場の写真をご覧ください。
役場のすぐ裏が山です。国道148号線から(進行方向を糸魚川方面として)左に入ってすぐのところですが、こんな感じなのです。
もう1枚、曽田・奉納に向かう途中で撮影したものです。
この集落はまだ比較的国道148から近いところで、曽田集落などはもっと山の上の方にあります。
こうした山の上にある集落は基本的に一本道で、道路が損傷した場合、迂回路はありません。栄村も山間の集落はそういう面がありますが、栄村で見る光景とは違います。しかも、その1本道が途中からは道幅などにおいて、栄村の集落内道路のレベルになっているといって過言ではありません。
国道4148号線は小谷村を基本的に姫川に沿って南北に縦断する大動脈ですが、その村内総延長の4分の1ほどがトンネルのようです。私は中谷川沿いの地域に行くために、中土トンネルというのを走りましたが、栄村の青倉トンネルと横倉トンネルを合わせたよりも長い感じでした。
小谷村の総面積は267.91?、うち88%が森林、耕地面積は2.1%。総面積、森林割合は栄村と似ていますが、役場所在地の標高が516.25m、それが村内では底辺部に比較的近く、周りを標高1600〜2800mの高山が取り囲んでいます。
白馬村から小谷村に向かうとガラッと環境、風景が変わります。
長野県の地方事務所がある大町市よりも新潟県の糸魚川市の方が近いという感じです。
私がこうしたことを延々と書いてきたのは、今次震災の被災状況に対する関心が白馬村に集中し、小谷村に充分な目が行き届かない心配があると思っているからです。28日に両村を訪れた際、白馬村でも24日に比べればTVの中継車の数は減っていましたが、小谷村ではメディア関係者をまったく見かけませんでした。
私はもっともっと小谷村の被災状況、復旧への取り組みへの関心を高める必要があると思います。今回は時間が限られていましたので、近々にもう一度訪ねたいと考えています。
白馬村でメディアの目が届いていないところ――青鬼区
さて、紙幅が限られていますので、28日に見た白馬村の報告に移ります。
私が注目した1つの事例は青鬼という区(集落)です。現在、避難指示が継続中です。
場所は、24日に訪れた時に道路の片側が崩れていた姫川第二ダム横をさらに進み、ダム本体と並行して架かっている橋を渡ったところに青鬼につながる山道が始まります。写真の橋を渡って来て、すぐに進行方向右手に曲がる山道を進みます。
写真左の構築物がダム。この橋を写真手前へ渡り切ったと
ころが青鬼への山道の入り口
その道は「通行止め」になっていて、「青鬼まで1.5km」という看板を見て、歩いて上ることを決断しました。
歩くこと約5分で青鬼区に着きましたが、途中、至るところで路肩にブルーシートがはられています。また、山側の法面が崩れているところもあります。とくに被害がひどいと思われる箇所の写真を示しておきます。
青鬼区は区全体が「伝統的建造物群保全地区」とされている、素晴らしいところです。
現在、避難指示が継続されているのは、上の写真のように道路が損傷していて、集落が孤立する危険があるからです。妥当な判断だと思います。
そのうえで、私がここで指摘したいことは、このまま積雪期を迎えた場合、この伝統的建造物群保存地区に指定されている家屋の除雪ができるのかという問題です。
ちょうど家内部の片付けに戻っておられた方にお聞きしたところでは平年1.5mほどの積雪だということですから、除雪しないというわけにはいかないはずです。
その方のお話では、ほぼ全世帯が山の下に家を持っていたりするそうなので、住民の住居問題はあまりないようですが、とにかく、この伝統的建造物群をこの冬、どう守るのか、早急に方策を打ち出さなければならないと思います。
いまのところ、青鬼地区を取り上げた報道は目にしていません。
同様に避難指示が継続中の野平区についても行きたかったのですが、やはり通行止めになっており、山の上の方で道路復旧工事を行っている様子が下から見えましたので(下写真)、この日は行かないことにしました。
白馬村の農地被害の特徴
28日は白馬村の農地(田んぼ)の被害状況を確認することも1つのポイントとして意識していました。
外土原という地区(大出の近く、野平へ上がる道路が始まる辺り)で、今回の農地被害の1つの典型ではないかと思われる状況を見ました。
上の写真の田んぼ、真ん中が左右よりも低くなっていることが明瞭に見てとれると思います。
もう1枚の写真でも、田んぼの左右で高さが違っていることが確認できると思います。
今回の農地被害は、栄村の震災時のクラックが大きく入るというタイプのものは少なく、写真に示した農地に高低差が生じているケースが多いようなのです。
すでに農地被害の調査が始まっており、県の担当部署でもこうした今次農地被害の特徴を認識されているようです。
そのうえで指摘しておきたいことは、上の2枚の写真のケースは被害が確認しやすいケースで、じつは相当に注意深く観察しないと被害が確認しづらいものもかなりあるようだということです。
次の写真をご覧ください。
この田んぼの場合は、意識してよく見ないと、高低差を見逃す危険があると思います。
積雪期前に早急に調査するという県の方針は正しいと思いますが、積雪期前には気づかず、春になって初めて被害が確認できた場合でも復旧支援が現時点で被害が判明するものと同様に取り扱われるように予(あらかじ)め確認しておいてほしいと思います。
堀之内区の続報
28日は県道の通行止めが解除され、長野市〜小川村を経て、大町市の青具(あおく)三叉路を直進して、すぐに堀之内区に出ることができました。
28日に廻ると、24日に見たよりも広い集落でした。世帯数も約70世帯と24日時点で報告したよりも多いようです。
お宮の被害
出会った区の人に、「お宮の状況はどうですか? 場所はどこですか?」とお尋ねすると、「完全に潰れています。その山の上です」と指差されました。下の写真の山です。
歩いて上りました。急ぎ足で上ると、途中で息があがるほどの坂道です。間もなく見えてきたものはショッキングなものでした。
手前右手の建物(お宮本体ではない社務所のような建物かと思われます)は完全に潰れていますが、奥に見えるお宮本体は外周り、建物内部をよく見ると、傾いたりしていますが、柱は折れていなくて、曳き家作業で修復可能ではないかと思われました。
お宮は、写真に見えるのは拝殿で、その奥に廊下でつながる本殿があります。「城嶺神社」という名前で、相当立派なお宮です。
写真の右手の建造物が本殿
栄村の人にはよくお分かりのことと思いますが、お宮の修復には公的支援はいっさい入りません。堀之内区の人たちは住宅が大きな被害が出ている中で、お宮の修復費用を負担することには大きな困難があります。このこと1つをとっても、集落の判断で自由に使えるお金を私たちが用意する必要性があることはあきらかだと思います。
なお、公民館について、全壊ですが、震災前に建て替えを計画し、宝くじの補助金に申請しているところだったそうです。是非、宝くじの補助金に採用されるよう、祈ります。また、区で公民館に地震保険をかけてあったとのことです。
堀之内区のみなさん、明るくお元気です
この写真はお宮のある山の下で撮影したものです。道路端に折り畳み式のテーブルを置き、みんなでお茶をのみながら談笑されています。
このすぐ近くの壊れたお家の方、そしてその片付け作業に来ておられる村内の他区在住の方々です。こういう光景はほかにも見られました。
みなさん、明るくお元気です。もちろん、大変な被害を受けられて心配がいっぱいあることは明白です。それでも、こういう光景が見られることは心強いことです。
築300年以上の旧庄屋さんの家
24日の第一報で「波打っているような感じ」と報告した家、今回訪ねました。空き家のような感じがしましたので、横の家の片付けをされている方に伺うと、その方が当主。隣の家屋にお住まいです(その家も大きな被害を受けています)。その方は、「欲しいかい? これは昔の庄屋の家で、築300年以上。震災の前から村で引き取ってくれないかと話していたんだが」と話されました。
大きく傾いていますが、意外と傷みは少ないのではないかと推察されます。ご当主に修復を求めることは負担が大きすぎると思いますが、堀之内区の復興のシンボルとして、みんなの支援で修復・保全するということもあっていいのでは、と思いました。(写真に見えるように、すでに建物の傾きを測る調査がはいっています)
紙幅が尽きました。今回の報告はここまでとします。
小谷村エリアに入って最初に目撃した山崩れ箇所
国道148号線の白馬村新田〜小谷村千国(ちぐに)間の通行止めのため、迂回路の県道433号線で栂(つが)池(いけ)経由で小谷村に入りましたが、千国区を通過中、カーブで国道148号線沿いの山が大きく崩れているのは目に飛び込んできて、車を停め、撮影しました。
望遠でクローズアップすると、もう1枚の写真になります。
この後、小谷村で見ることになる山崩れ箇所に共通することですが、硬い岩があまり見えず、非常に脆(もろ)い土質だと思います。
道路情報では「立の間チェーン着脱所で土砂崩落」とのみ出されていて、詳しいことはわかりませんが、写真の地点がその近くであることは間違いありません。
JR大糸線も同じ辺りで普通になっていますが、国道もJRも「復旧の目途はたっていない」と報じられています。
この山崩れの状況を見ると、本当に「復旧の目途はたたない」のだろうと思います。が、そうであるならば、現場の写真等を積極的に開示し、「復旧には2週間を要する」とか、あるいはまた、「現場はまだ土砂崩落の危険があって応急復旧工事すら目途がたたない」とか、もう少し具体的な情報を出すべきではないかと思います。
JR大糸線の不通も大変ですが、国道148号線の不通は小谷村にとって非常に打撃が大きいことだと思います。この問題について、もう少し被災当事者の目線にたった情報発信がほしいと思う次第です。
以下、昨日の速報レポートで書いたことは繰り返さずに書き進めます。
山腹に集落が点在する山村
今次震災の小谷村の被災状況、さらには復旧・復興の展望を理解するうえで、小谷村がどういう環境の村なのかを知っておく必要があると思います。
私は事前に小谷村を訪ねたことがある人から、「栄村とは山の大きさが違う」、「集落の多くは山にはりついたような感じで立地している」といったことを聞いていきましたが、実際に現地に行くと、その環境の栄村との違いにやはり驚いてしまいました。
まず、小谷村役場の写真をご覧ください。
役場のすぐ裏が山です。国道148号線から(進行方向を糸魚川方面として)左に入ってすぐのところですが、こんな感じなのです。
もう1枚、曽田・奉納に向かう途中で撮影したものです。
この集落はまだ比較的国道148から近いところで、曽田集落などはもっと山の上の方にあります。
こうした山の上にある集落は基本的に一本道で、道路が損傷した場合、迂回路はありません。栄村も山間の集落はそういう面がありますが、栄村で見る光景とは違います。しかも、その1本道が途中からは道幅などにおいて、栄村の集落内道路のレベルになっているといって過言ではありません。
国道4148号線は小谷村を基本的に姫川に沿って南北に縦断する大動脈ですが、その村内総延長の4分の1ほどがトンネルのようです。私は中谷川沿いの地域に行くために、中土トンネルというのを走りましたが、栄村の青倉トンネルと横倉トンネルを合わせたよりも長い感じでした。
小谷村の総面積は267.91?、うち88%が森林、耕地面積は2.1%。総面積、森林割合は栄村と似ていますが、役場所在地の標高が516.25m、それが村内では底辺部に比較的近く、周りを標高1600〜2800mの高山が取り囲んでいます。
白馬村から小谷村に向かうとガラッと環境、風景が変わります。
長野県の地方事務所がある大町市よりも新潟県の糸魚川市の方が近いという感じです。
私がこうしたことを延々と書いてきたのは、今次震災の被災状況に対する関心が白馬村に集中し、小谷村に充分な目が行き届かない心配があると思っているからです。28日に両村を訪れた際、白馬村でも24日に比べればTVの中継車の数は減っていましたが、小谷村ではメディア関係者をまったく見かけませんでした。
私はもっともっと小谷村の被災状況、復旧への取り組みへの関心を高める必要があると思います。今回は時間が限られていましたので、近々にもう一度訪ねたいと考えています。
白馬村でメディアの目が届いていないところ――青鬼区
さて、紙幅が限られていますので、28日に見た白馬村の報告に移ります。
私が注目した1つの事例は青鬼という区(集落)です。現在、避難指示が継続中です。
場所は、24日に訪れた時に道路の片側が崩れていた姫川第二ダム横をさらに進み、ダム本体と並行して架かっている橋を渡ったところに青鬼につながる山道が始まります。写真の橋を渡って来て、すぐに進行方向右手に曲がる山道を進みます。
写真左の構築物がダム。この橋を写真手前へ渡り切ったと
ころが青鬼への山道の入り口
その道は「通行止め」になっていて、「青鬼まで1.5km」という看板を見て、歩いて上ることを決断しました。
歩くこと約5分で青鬼区に着きましたが、途中、至るところで路肩にブルーシートがはられています。また、山側の法面が崩れているところもあります。とくに被害がひどいと思われる箇所の写真を示しておきます。
青鬼区は区全体が「伝統的建造物群保全地区」とされている、素晴らしいところです。
現在、避難指示が継続されているのは、上の写真のように道路が損傷していて、集落が孤立する危険があるからです。妥当な判断だと思います。
そのうえで、私がここで指摘したいことは、このまま積雪期を迎えた場合、この伝統的建造物群保存地区に指定されている家屋の除雪ができるのかという問題です。
ちょうど家内部の片付けに戻っておられた方にお聞きしたところでは平年1.5mほどの積雪だということですから、除雪しないというわけにはいかないはずです。
その方のお話では、ほぼ全世帯が山の下に家を持っていたりするそうなので、住民の住居問題はあまりないようですが、とにかく、この伝統的建造物群をこの冬、どう守るのか、早急に方策を打ち出さなければならないと思います。
いまのところ、青鬼地区を取り上げた報道は目にしていません。
同様に避難指示が継続中の野平区についても行きたかったのですが、やはり通行止めになっており、山の上の方で道路復旧工事を行っている様子が下から見えましたので(下写真)、この日は行かないことにしました。
白馬村の農地被害の特徴
28日は白馬村の農地(田んぼ)の被害状況を確認することも1つのポイントとして意識していました。
外土原という地区(大出の近く、野平へ上がる道路が始まる辺り)で、今回の農地被害の1つの典型ではないかと思われる状況を見ました。
上の写真の田んぼ、真ん中が左右よりも低くなっていることが明瞭に見てとれると思います。
もう1枚の写真でも、田んぼの左右で高さが違っていることが確認できると思います。
今回の農地被害は、栄村の震災時のクラックが大きく入るというタイプのものは少なく、写真に示した農地に高低差が生じているケースが多いようなのです。
すでに農地被害の調査が始まっており、県の担当部署でもこうした今次農地被害の特徴を認識されているようです。
そのうえで指摘しておきたいことは、上の2枚の写真のケースは被害が確認しやすいケースで、じつは相当に注意深く観察しないと被害が確認しづらいものもかなりあるようだということです。
次の写真をご覧ください。
この田んぼの場合は、意識してよく見ないと、高低差を見逃す危険があると思います。
積雪期前に早急に調査するという県の方針は正しいと思いますが、積雪期前には気づかず、春になって初めて被害が確認できた場合でも復旧支援が現時点で被害が判明するものと同様に取り扱われるように予(あらかじ)め確認しておいてほしいと思います。
堀之内区の続報
28日は県道の通行止めが解除され、長野市〜小川村を経て、大町市の青具(あおく)三叉路を直進して、すぐに堀之内区に出ることができました。
28日に廻ると、24日に見たよりも広い集落でした。世帯数も約70世帯と24日時点で報告したよりも多いようです。
お宮の被害
出会った区の人に、「お宮の状況はどうですか? 場所はどこですか?」とお尋ねすると、「完全に潰れています。その山の上です」と指差されました。下の写真の山です。
歩いて上りました。急ぎ足で上ると、途中で息があがるほどの坂道です。間もなく見えてきたものはショッキングなものでした。
手前右手の建物(お宮本体ではない社務所のような建物かと思われます)は完全に潰れていますが、奥に見えるお宮本体は外周り、建物内部をよく見ると、傾いたりしていますが、柱は折れていなくて、曳き家作業で修復可能ではないかと思われました。
お宮は、写真に見えるのは拝殿で、その奥に廊下でつながる本殿があります。「城嶺神社」という名前で、相当立派なお宮です。
写真の右手の建造物が本殿
栄村の人にはよくお分かりのことと思いますが、お宮の修復には公的支援はいっさい入りません。堀之内区の人たちは住宅が大きな被害が出ている中で、お宮の修復費用を負担することには大きな困難があります。このこと1つをとっても、集落の判断で自由に使えるお金を私たちが用意する必要性があることはあきらかだと思います。
なお、公民館について、全壊ですが、震災前に建て替えを計画し、宝くじの補助金に申請しているところだったそうです。是非、宝くじの補助金に採用されるよう、祈ります。また、区で公民館に地震保険をかけてあったとのことです。
堀之内区のみなさん、明るくお元気です
この写真はお宮のある山の下で撮影したものです。道路端に折り畳み式のテーブルを置き、みんなでお茶をのみながら談笑されています。
このすぐ近くの壊れたお家の方、そしてその片付け作業に来ておられる村内の他区在住の方々です。こういう光景はほかにも見られました。
みなさん、明るくお元気です。もちろん、大変な被害を受けられて心配がいっぱいあることは明白です。それでも、こういう光景が見られることは心強いことです。
築300年以上の旧庄屋さんの家
24日の第一報で「波打っているような感じ」と報告した家、今回訪ねました。空き家のような感じがしましたので、横の家の片付けをされている方に伺うと、その方が当主。隣の家屋にお住まいです(その家も大きな被害を受けています)。その方は、「欲しいかい? これは昔の庄屋の家で、築300年以上。震災の前から村で引き取ってくれないかと話していたんだが」と話されました。
大きく傾いていますが、意外と傷みは少ないのではないかと推察されます。ご当主に修復を求めることは負担が大きすぎると思いますが、堀之内区の復興のシンボルとして、みんなの支援で修復・保全するということもあっていいのでは、と思いました。(写真に見えるように、すでに建物の傾きを測る調査がはいっています)
紙幅が尽きました。今回の報告はここまでとします。