配達日誌2月20日〜28日
- 配達日誌
- 2015.02.28 Saturday
20日(金) 雪が重い!
今冬は、むらの人誰もが「今年の雪は重い」と言う。たしかにそうだ。しかし、栄村の雪はもともと重いもので、私自身は今冬もことさらに重いとは必ずしも感じていなかった。だが、今日は除雪車が置いていった車庫の前の雪をダンプで移動させる時、「えっ!」と思うほどに重かった。まるで水を運んでいるような感じ。
昨夜は日誌を書いた後も印刷や折り作業を12時近くまで続け、眠りに就いたのは午前1時すぎだった。朝が心配だったが、6時半には目覚め、最終的には7時に起きた。でも、まだ追加の印刷や折り、そして協賛者に配達する「復興への歩み」本紙と「配達日誌」2種(2月3日〜13日と14日〜19日各8頁)の3点をセットにする作業に10時頃までかかった。結局、出発は10時半頃だったのではないかと思う。それでも快調に飛ばし、夕刻までに107軒・116部を配達できた。ほとんど一日中、雪が降っていたが、水のような雪で道路に積もることもほとんどなかったのも一因。
協賛者宅配達は10軒ほど残ったが、協賛者が100軒を超えていることに今さらながら驚き、感嘆する。
平滝にすごい坂がある。雪がない季節でもやっかいな坂だが、その急勾配ぶりを写真でなかなかとらえられなかった。今日は工夫して撮影、下の1枚がかなり急勾配ぶりをとらえているのではないかと思う。
21日(土) 今日は快晴で、かつとても暖かった。午後、白鳥集落を廻った時はジャンパーを脱ぎ、さらに走行中は運転席の窓を全開にした。
午前中は、まず、朝9時台に中条川鉄橋を走る上り列車を中条橋から撮影するなどして、飯山線の運行状況を伝えるブログをアップ。その後、昨日配布しきれなかった長瀬から奥の東部および原向を廻ったが、いろんなところを撮影しながら、のんびり進んだ。この冬は一度も行っていなかった長瀬の発電所があるところにも下りてみた。長瀬から原向にむかう長瀬坂と呼ばれるところの上から導水管が真っ直線に発電所にむかっておりてきているが、雪が減ったのでその姿がはっきり見える。
午後は逆に、1時45分頃から3時半すぎまで一気に白鳥と横倉の102軒を廻った。2時間強での102軒はさすがに最後はきつかった。
白鳥に“たね”に山の水を引く様子が素敵なところがある。何回か撮影したことがあるが、今回はシャッター速度を変えて撮ったので、雰囲気が出ているかと思う。
天気がいいので、雪を片づける人が多い。もはや、「次の降雪に備えて、雪を飛ばす場所を確保する」というよりも、家周りなどをすっきりさせる、少しでも早く雪を消すという感じの作業が多いように思う。写真は横倉の渡辺利正さん。道路脇の雪の壁を削り落としておられる。道幅が広がって有難い。
22日(日) 神奈川の内山さんが今冬三度目の除雪手伝いに来て下さった。
内山さんにあらかじめメールで作業内容をお伝えしてご了解を得たので、箕作の「樓蘭」の駐車場などの除雪・排雪を行なった。9時前から午後4時近くまで。途中、向かいの大工さん(屋号「いちいむ」)の作業所のダルマストーブで餅を焼いて昼食にしたが、二人とも4つずつペロッと食べた。焼き上がったところも撮ればよかったのだが、食い気が先に走って撮っていない。最高の焼き上がりだった。大工さん家の野沢菜漬も最高に惜しかった。
これだけの時間、ほぼぶっ通しで除雪作業をするのは初めて。昼食でいったん休んだ後は相当にきつかった。
駐車場の入り口向かいに水路が流れている。その水路の上に被っている雪を取り除けば、そこに雪を入れて消すことができる。ただし、昨日、1ヶ所に穴を開けて調べたところ、杉っ葉がかなりたくさん詰まっていて、流れが非常に悪くなっている。水路の上の雪をとったうえで、手を突っ込んで杉っ葉を取りだすことから始めた。
水路には雪で詰まって水が流れなくなることがないよう、
パイプ(黒色のもの)が入っている。その右に杉っ葉が見える。
午前中の後半、雪の山の一部を崩すのを大工さんがロータリーを使って援けてくださったこともあり、相当に片付けができた。内山さんとの別れ際、「今日はいささかきつかったでしょう」と言うと、「そうですね」と。
私はこの作業の後、箕作集落42軒の配達に廻って、その後、温泉に入ることができたが、内山さんは神奈川まで車で日帰り。さぞ、きつかったことと思う。
23日(月) 昨夜も就寝したのは0時を廻っていたと思うが、朝6時半に起床すると、昨日の作業による筋肉痛などはほとんどない。もう歳なので筋肉痛が出るのが明日以降なのかもしれないが。
午前中は「お米のふるさと便り」の編集でずっと室内。配達は午後のみで、4時すぎで打ち止めとし、森集落の半分強と天代、坪野で54軒。
坪野で驚くべき光景を目にした。
集落のいちばん奥まで進むと、道路に崩れてきた雪の山。
「雪崩の跡か」と思ったが、なにかが違う。現場を撮影した後、配達に廻った斉藤英喜さんに聞いて真相がわかった。「除雪が上の雪を落としたんだよ。毎年やっている。数日前にやったはず」。
英喜さんの家よりも上に進んで、雪を落とした現場に行ってみた。
上の1枚目が雪を落とした地点。2枚目が雪が落ちていった軌跡。写真では見づらいが、下方に坪野集落の奥の橋の姿が確認できたので、この地点で間違いない。
天代集落の道路脇では法面の雪が剥がれているのを目撃した。天代→坪野→天代と進んだが、最初に天代を通った時は気づかなかった。ひょっとすると私が坪野に行っている間に、この剥がれが生じたのだろうか。
この他、山の斜面の雪崩れの形跡を数多く見た。下方に人家や道路がなければ、とくに事故とか災害ということにはならない。栄村で冬を過ごすのは8回目だが、これまでこういうことに格段の注目はしてこなかった。今年は“雪の消え方”ということに注目して、写真で追っていってみたいと思う。
もうひとつ。坪野の斉藤秀男さん宅の玄関に瑞々しいキャベツが3つ置かれていた。村道から家に向かう坂の途中に雪が掘られた跡があった。天然雪室から掘り出されたのだ。
24日(火) 午前中は森、青倉、平滝を廻り、午後1時すぎになった。昼食の後、月岡を廻ったが、急にゾクゾク感が出てきた。どうも午前中、薄着過ぎたのかもしれない。早めに帰宅して一休み。まあ、大丈夫だろう。
雪を消す人の姿が目立つ。ある人は「見たら水が来ているので、雪を落とすことにしたの」と。
また、雪の山になったところにブルが入って雪山を崩す姿も目立つ。
こういう作業を栄村では「かんます」と言う。「かき混ぜる」という意味だ。これをやると雪消えが早くなる。もう春の準備が始まっていると言っていい。ある人が「お彼岸の頃にドカ雪が来ることもあるが、まあ春雪だからね」と言っておられた。これから降ることがあっても、もはや根雪にはならない。
25日(水) 一昨日だったと思うが、温泉(「トマトの国」)で知人から、「鳥甲が綺麗だったぜ」と聞かされ、非常に羨ましく思った。彼が秋山に行ったのは22日。快晴だった日だ。
今日の天気予報を見ると、午前中は晴れマーク。空を見ると薄曇りだが、「次第に晴れてくるのではないか」と勝手に期待し、「エイヤー」とばかりに秋山に行くことにした。
結果は残念。空が青くならない。今日のところは撮影ポイント探しと位置づけ、自分を納得させることにした。過去に撮影した記録を見ると、「3月15日」の日付。むこう1週間はあまり天候がよくないようなので、撮影チャンスは結局は3月中旬あたりになるのかも。下写真は上野原集落の中ほどあたりから。ここがいちばんいいのではないかと思う。
切明まで行ったが、途中、雪庇除去作業や雪に圧されて電柱が傾いている状況など、いろいろな場面に出会う。なんらかの形でレポートに反映させたい。
時間が戻るが、4時に目が覚めてしまった。しかたなく起きて1時間半ほど作業。しかし、寝たりないと感じたので、もう一度眠り、7時半に再起床。
秋山から戻ったのは12時半すぎだったか。とにかくお腹が空いていて、津南で昼食。その後、雪坪、志久見と廻り、鈴木喬さん宅を訪問。昨春、「もう来年は田んぼはやらない」と言っておられたので、「今年、どうされますか?」と尋ねるのが目的。ところが、「まあ、上がっていってください」と言われ、厚かましくもご馳走までいただき、1時間以上、いろんなお話を聞くことができた。とくに大収穫は志久見にある「頌徳碑(しょうとくひ)」の意味がわかったこと。これについては「復興への歩み」でレポートしたい。
また、喬さんは昭和3年生まれの87歳。S19〜20年冬の大雪の話を聞けたことも大きかった。森宮野原駅に「最高積雪記念標柱」があるが、当時のことを知る人に初めて出会えた次第。「戦争に勝たなければならない、そのためには飯山線を走らせなければならない」ということで、飯山線の除雪に動員されたという。驚きの話だ。しかも、弁当としてお握りを持参するのだが、塩が手に入らなかったとのこと。
帰り際、「これから、どちらへ?」と尋ねられ、「今日は志久見だけ廻って、もう終わりにします」と答えたのだが、なにかやる気が出てきて、結局、柳在家、切欠、長瀬、笹原、北野を廻り、今日は計110軒115部。No.245は累計554部配達となり、明日以降が楽になった。
どこを廻っても雪が大きく減っている。1例として、雪坪の事例を紹介しておく。
上倉健一郎さん宅。1枚目が今日、2枚目は1月9日撮影。
26日(木) 午前中、小滝での配達を終え、大久保に向かう途中、樋口和久さんの牛舎に寄り、共同牛舎の新築のことや、最近の畜産をめぐる状況などについてお話を聞く。その内容は「復興への歩み」次号に反映させたい。
原向では消雪用の炭が撒かれている田んぼと出会う。写真ではあまりその感じが出ない気もするが、1枚、示しておきたい。ここの高齢の男衆はよく仕事される。
午後、泉平の配達を終えて下におりてきた時、小箕作川の方への道がもう完全に割られているのを見て、途中まで軽トラで、そしてその後は徒歩で進んだら、千曲川の橋脚建設現場の対岸に出た。もう1本、箕作側に橋脚がたてられるのだ。詳しいことは「歩み」本紙に書きたいが、やはり1枚だけ写真を示しておく。写真左手は先日紹介した平滝側の橋脚建設現場、右手の黄色の重機は箕作側の橋脚建設現場で除雪作業中のもの。
平滝の国道から下の地域を廻った際、あるおかあさんと話した。「崖の雪の崩れは凄いけれど、落ちる時の音は聞こえますか?」、「そう、凄い音がするよ。あそこに松の木が見えるでしょう。あそこにお城があったらしい。見張り小屋程度のものらしいが。西大滝の飯山線のトンネルの上にもあったんだよ。それは子どもの頃、見た覚えがある。オマチ川の上流にもあったらしい。訪ねて来た人がいたんだけれど、オラは知らなかったんだよ」。むらの歴史の掘り起しと記録化が必要ですね。
千曲川右岸の上方の雪崩の跡
上の写真のやや左手の山の上に松の木が2本見える
27日(金) 朝7時の森宮野原駅の様子を撮影に。村の高校生が通学で乗車する列車だ。その後、当部、中野、極野の配達。中野で、高齢で体がきついにもかかわらず田んぼを懸命にやっておられる方を訪ね、いろいろお話を聴く。
その後、その人の田んぼの位置との関係で、北野天満温泉の吊り橋を訪れた。写真を2枚。
北野天満宮から道踏みされた坂道を下りながら撮影
吊り橋上から北野天満温泉を望む
昨日の樋口和久さんとの話で、「うちの肉はAコープみゆきで売っているよ」とお聞きしたので、飯山へ。「みゆき和牛」を手に入れたうえで、飯山の新駅の様子を見てきた。北陸新幹線開業の3月14日の開業まで「あと15日」。飯山市の受入態勢が大きく遅れている状況を見て、愕然とする。昨夏の市長選で現職が再選されたものの批判票が多かった理由の一端を見た気がする。
午後からは久しぶりに本格的な降雪。ただし、湿雪だ。夕闇迫る頃、野田沢と程久保を廻って、No.245の配達が完了。
28日(土) 今日、白馬村を訪れたかったが、No.246の編集等で村にとどまって作業することにした。
ブログの月間アクセス数が27日で1万5459件に達した。とくに昨日は「2月27日(金)の飯山線」のみのアップだったが、1日で1,391件のアクセス。震災直後を除けば「驚異的」な数字。やはり更新頻度がアクセス数に影響するのだと思う。1月18日から始めている「今日の飯山線」、雪との関係での運休がなくなればお休みにするつもりだが、「今日の栄村の1枚」というようなものだけでも連日アップしていこうかと思う。ちょっとした記事でも、写真の撮影・選定、編集、ブログへのアップ作業という一連の作業にはそこそこの手間がかかるが、栄村の情報発信力のアップのためには必要なことだと思う。(28日は昼までの日誌)
今冬は、むらの人誰もが「今年の雪は重い」と言う。たしかにそうだ。しかし、栄村の雪はもともと重いもので、私自身は今冬もことさらに重いとは必ずしも感じていなかった。だが、今日は除雪車が置いていった車庫の前の雪をダンプで移動させる時、「えっ!」と思うほどに重かった。まるで水を運んでいるような感じ。
昨夜は日誌を書いた後も印刷や折り作業を12時近くまで続け、眠りに就いたのは午前1時すぎだった。朝が心配だったが、6時半には目覚め、最終的には7時に起きた。でも、まだ追加の印刷や折り、そして協賛者に配達する「復興への歩み」本紙と「配達日誌」2種(2月3日〜13日と14日〜19日各8頁)の3点をセットにする作業に10時頃までかかった。結局、出発は10時半頃だったのではないかと思う。それでも快調に飛ばし、夕刻までに107軒・116部を配達できた。ほとんど一日中、雪が降っていたが、水のような雪で道路に積もることもほとんどなかったのも一因。
協賛者宅配達は10軒ほど残ったが、協賛者が100軒を超えていることに今さらながら驚き、感嘆する。
平滝にすごい坂がある。雪がない季節でもやっかいな坂だが、その急勾配ぶりを写真でなかなかとらえられなかった。今日は工夫して撮影、下の1枚がかなり急勾配ぶりをとらえているのではないかと思う。
21日(土) 今日は快晴で、かつとても暖かった。午後、白鳥集落を廻った時はジャンパーを脱ぎ、さらに走行中は運転席の窓を全開にした。
午前中は、まず、朝9時台に中条川鉄橋を走る上り列車を中条橋から撮影するなどして、飯山線の運行状況を伝えるブログをアップ。その後、昨日配布しきれなかった長瀬から奥の東部および原向を廻ったが、いろんなところを撮影しながら、のんびり進んだ。この冬は一度も行っていなかった長瀬の発電所があるところにも下りてみた。長瀬から原向にむかう長瀬坂と呼ばれるところの上から導水管が真っ直線に発電所にむかっておりてきているが、雪が減ったのでその姿がはっきり見える。
午後は逆に、1時45分頃から3時半すぎまで一気に白鳥と横倉の102軒を廻った。2時間強での102軒はさすがに最後はきつかった。
白鳥に“たね”に山の水を引く様子が素敵なところがある。何回か撮影したことがあるが、今回はシャッター速度を変えて撮ったので、雰囲気が出ているかと思う。
天気がいいので、雪を片づける人が多い。もはや、「次の降雪に備えて、雪を飛ばす場所を確保する」というよりも、家周りなどをすっきりさせる、少しでも早く雪を消すという感じの作業が多いように思う。写真は横倉の渡辺利正さん。道路脇の雪の壁を削り落としておられる。道幅が広がって有難い。
22日(日) 神奈川の内山さんが今冬三度目の除雪手伝いに来て下さった。
内山さんにあらかじめメールで作業内容をお伝えしてご了解を得たので、箕作の「樓蘭」の駐車場などの除雪・排雪を行なった。9時前から午後4時近くまで。途中、向かいの大工さん(屋号「いちいむ」)の作業所のダルマストーブで餅を焼いて昼食にしたが、二人とも4つずつペロッと食べた。焼き上がったところも撮ればよかったのだが、食い気が先に走って撮っていない。最高の焼き上がりだった。大工さん家の野沢菜漬も最高に惜しかった。
これだけの時間、ほぼぶっ通しで除雪作業をするのは初めて。昼食でいったん休んだ後は相当にきつかった。
駐車場の入り口向かいに水路が流れている。その水路の上に被っている雪を取り除けば、そこに雪を入れて消すことができる。ただし、昨日、1ヶ所に穴を開けて調べたところ、杉っ葉がかなりたくさん詰まっていて、流れが非常に悪くなっている。水路の上の雪をとったうえで、手を突っ込んで杉っ葉を取りだすことから始めた。
水路には雪で詰まって水が流れなくなることがないよう、
パイプ(黒色のもの)が入っている。その右に杉っ葉が見える。
午前中の後半、雪の山の一部を崩すのを大工さんがロータリーを使って援けてくださったこともあり、相当に片付けができた。内山さんとの別れ際、「今日はいささかきつかったでしょう」と言うと、「そうですね」と。
私はこの作業の後、箕作集落42軒の配達に廻って、その後、温泉に入ることができたが、内山さんは神奈川まで車で日帰り。さぞ、きつかったことと思う。
23日(月) 昨夜も就寝したのは0時を廻っていたと思うが、朝6時半に起床すると、昨日の作業による筋肉痛などはほとんどない。もう歳なので筋肉痛が出るのが明日以降なのかもしれないが。
午前中は「お米のふるさと便り」の編集でずっと室内。配達は午後のみで、4時すぎで打ち止めとし、森集落の半分強と天代、坪野で54軒。
坪野で驚くべき光景を目にした。
集落のいちばん奥まで進むと、道路に崩れてきた雪の山。
「雪崩の跡か」と思ったが、なにかが違う。現場を撮影した後、配達に廻った斉藤英喜さんに聞いて真相がわかった。「除雪が上の雪を落としたんだよ。毎年やっている。数日前にやったはず」。
英喜さんの家よりも上に進んで、雪を落とした現場に行ってみた。
上の1枚目が雪を落とした地点。2枚目が雪が落ちていった軌跡。写真では見づらいが、下方に坪野集落の奥の橋の姿が確認できたので、この地点で間違いない。
天代集落の道路脇では法面の雪が剥がれているのを目撃した。天代→坪野→天代と進んだが、最初に天代を通った時は気づかなかった。ひょっとすると私が坪野に行っている間に、この剥がれが生じたのだろうか。
この他、山の斜面の雪崩れの形跡を数多く見た。下方に人家や道路がなければ、とくに事故とか災害ということにはならない。栄村で冬を過ごすのは8回目だが、これまでこういうことに格段の注目はしてこなかった。今年は“雪の消え方”ということに注目して、写真で追っていってみたいと思う。
もうひとつ。坪野の斉藤秀男さん宅の玄関に瑞々しいキャベツが3つ置かれていた。村道から家に向かう坂の途中に雪が掘られた跡があった。天然雪室から掘り出されたのだ。
24日(火) 午前中は森、青倉、平滝を廻り、午後1時すぎになった。昼食の後、月岡を廻ったが、急にゾクゾク感が出てきた。どうも午前中、薄着過ぎたのかもしれない。早めに帰宅して一休み。まあ、大丈夫だろう。
雪を消す人の姿が目立つ。ある人は「見たら水が来ているので、雪を落とすことにしたの」と。
また、雪の山になったところにブルが入って雪山を崩す姿も目立つ。
こういう作業を栄村では「かんます」と言う。「かき混ぜる」という意味だ。これをやると雪消えが早くなる。もう春の準備が始まっていると言っていい。ある人が「お彼岸の頃にドカ雪が来ることもあるが、まあ春雪だからね」と言っておられた。これから降ることがあっても、もはや根雪にはならない。
25日(水) 一昨日だったと思うが、温泉(「トマトの国」)で知人から、「鳥甲が綺麗だったぜ」と聞かされ、非常に羨ましく思った。彼が秋山に行ったのは22日。快晴だった日だ。
今日の天気予報を見ると、午前中は晴れマーク。空を見ると薄曇りだが、「次第に晴れてくるのではないか」と勝手に期待し、「エイヤー」とばかりに秋山に行くことにした。
結果は残念。空が青くならない。今日のところは撮影ポイント探しと位置づけ、自分を納得させることにした。過去に撮影した記録を見ると、「3月15日」の日付。むこう1週間はあまり天候がよくないようなので、撮影チャンスは結局は3月中旬あたりになるのかも。下写真は上野原集落の中ほどあたりから。ここがいちばんいいのではないかと思う。
切明まで行ったが、途中、雪庇除去作業や雪に圧されて電柱が傾いている状況など、いろいろな場面に出会う。なんらかの形でレポートに反映させたい。
時間が戻るが、4時に目が覚めてしまった。しかたなく起きて1時間半ほど作業。しかし、寝たりないと感じたので、もう一度眠り、7時半に再起床。
秋山から戻ったのは12時半すぎだったか。とにかくお腹が空いていて、津南で昼食。その後、雪坪、志久見と廻り、鈴木喬さん宅を訪問。昨春、「もう来年は田んぼはやらない」と言っておられたので、「今年、どうされますか?」と尋ねるのが目的。ところが、「まあ、上がっていってください」と言われ、厚かましくもご馳走までいただき、1時間以上、いろんなお話を聞くことができた。とくに大収穫は志久見にある「頌徳碑(しょうとくひ)」の意味がわかったこと。これについては「復興への歩み」でレポートしたい。
また、喬さんは昭和3年生まれの87歳。S19〜20年冬の大雪の話を聞けたことも大きかった。森宮野原駅に「最高積雪記念標柱」があるが、当時のことを知る人に初めて出会えた次第。「戦争に勝たなければならない、そのためには飯山線を走らせなければならない」ということで、飯山線の除雪に動員されたという。驚きの話だ。しかも、弁当としてお握りを持参するのだが、塩が手に入らなかったとのこと。
帰り際、「これから、どちらへ?」と尋ねられ、「今日は志久見だけ廻って、もう終わりにします」と答えたのだが、なにかやる気が出てきて、結局、柳在家、切欠、長瀬、笹原、北野を廻り、今日は計110軒115部。No.245は累計554部配達となり、明日以降が楽になった。
どこを廻っても雪が大きく減っている。1例として、雪坪の事例を紹介しておく。
上倉健一郎さん宅。1枚目が今日、2枚目は1月9日撮影。
26日(木) 午前中、小滝での配達を終え、大久保に向かう途中、樋口和久さんの牛舎に寄り、共同牛舎の新築のことや、最近の畜産をめぐる状況などについてお話を聞く。その内容は「復興への歩み」次号に反映させたい。
原向では消雪用の炭が撒かれている田んぼと出会う。写真ではあまりその感じが出ない気もするが、1枚、示しておきたい。ここの高齢の男衆はよく仕事される。
午後、泉平の配達を終えて下におりてきた時、小箕作川の方への道がもう完全に割られているのを見て、途中まで軽トラで、そしてその後は徒歩で進んだら、千曲川の橋脚建設現場の対岸に出た。もう1本、箕作側に橋脚がたてられるのだ。詳しいことは「歩み」本紙に書きたいが、やはり1枚だけ写真を示しておく。写真左手は先日紹介した平滝側の橋脚建設現場、右手の黄色の重機は箕作側の橋脚建設現場で除雪作業中のもの。
平滝の国道から下の地域を廻った際、あるおかあさんと話した。「崖の雪の崩れは凄いけれど、落ちる時の音は聞こえますか?」、「そう、凄い音がするよ。あそこに松の木が見えるでしょう。あそこにお城があったらしい。見張り小屋程度のものらしいが。西大滝の飯山線のトンネルの上にもあったんだよ。それは子どもの頃、見た覚えがある。オマチ川の上流にもあったらしい。訪ねて来た人がいたんだけれど、オラは知らなかったんだよ」。むらの歴史の掘り起しと記録化が必要ですね。
千曲川右岸の上方の雪崩の跡
上の写真のやや左手の山の上に松の木が2本見える
27日(金) 朝7時の森宮野原駅の様子を撮影に。村の高校生が通学で乗車する列車だ。その後、当部、中野、極野の配達。中野で、高齢で体がきついにもかかわらず田んぼを懸命にやっておられる方を訪ね、いろいろお話を聴く。
その後、その人の田んぼの位置との関係で、北野天満温泉の吊り橋を訪れた。写真を2枚。
北野天満宮から道踏みされた坂道を下りながら撮影
吊り橋上から北野天満温泉を望む
昨日の樋口和久さんとの話で、「うちの肉はAコープみゆきで売っているよ」とお聞きしたので、飯山へ。「みゆき和牛」を手に入れたうえで、飯山の新駅の様子を見てきた。北陸新幹線開業の3月14日の開業まで「あと15日」。飯山市の受入態勢が大きく遅れている状況を見て、愕然とする。昨夏の市長選で現職が再選されたものの批判票が多かった理由の一端を見た気がする。
午後からは久しぶりに本格的な降雪。ただし、湿雪だ。夕闇迫る頃、野田沢と程久保を廻って、No.245の配達が完了。
28日(土) 今日、白馬村を訪れたかったが、No.246の編集等で村にとどまって作業することにした。
ブログの月間アクセス数が27日で1万5459件に達した。とくに昨日は「2月27日(金)の飯山線」のみのアップだったが、1日で1,391件のアクセス。震災直後を除けば「驚異的」な数字。やはり更新頻度がアクセス数に影響するのだと思う。1月18日から始めている「今日の飯山線」、雪との関係での運休がなくなればお休みにするつもりだが、「今日の栄村の1枚」というようなものだけでも連日アップしていこうかと思う。ちょっとした記事でも、写真の撮影・選定、編集、ブログへのアップ作業という一連の作業にはそこそこの手間がかかるが、栄村の情報発信力のアップのためには必要なことだと思う。(28日は昼までの日誌)