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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌2月20日〜28日

20日(金) 雪が重い! 
 今冬は、むらの人誰もが「今年の雪は重い」と言う。たしかにそうだ。しかし、栄村の雪はもともと重いもので、私自身は今冬もことさらに重いとは必ずしも感じていなかった。だが、今日は除雪車が置いていった車庫の前の雪をダンプで移動させる時、「えっ!」と思うほどに重かった。まるで水を運んでいるような感じ。

 昨夜は日誌を書いた後も印刷や折り作業を12時近くまで続け、眠りに就いたのは午前1時すぎだった。朝が心配だったが、6時半には目覚め、最終的には7時に起きた。でも、まだ追加の印刷や折り、そして協賛者に配達する「復興への歩み」本紙と「配達日誌」2種(2月3日〜13日と14日〜19日各8頁)の3点をセットにする作業に10時頃までかかった。結局、出発は10時半頃だったのではないかと思う。それでも快調に飛ばし、夕刻までに107軒・116部を配達できた。ほとんど一日中、雪が降っていたが、水のような雪で道路に積もることもほとんどなかったのも一因。
 協賛者宅配達は10軒ほど残ったが、協賛者が100軒を超えていることに今さらながら驚き、感嘆する。

 平滝にすごい坂がある。雪がない季節でもやっかいな坂だが、その急勾配ぶりを写真でなかなかとらえられなかった。今日は工夫して撮影、下の1枚がかなり急勾配ぶりをとらえているのではないかと思う。



21日(土) 今日は快晴で、かつとても暖かった。午後、白鳥集落を廻った時はジャンパーを脱ぎ、さらに走行中は運転席の窓を全開にした。

 午前中は、まず、朝9時台に中条川鉄橋を走る上り列車を中条橋から撮影するなどして、飯山線の運行状況を伝えるブログをアップ。その後、昨日配布しきれなかった長瀬から奥の東部および原向を廻ったが、いろんなところを撮影しながら、のんびり進んだ。この冬は一度も行っていなかった長瀬の発電所があるところにも下りてみた。長瀬から原向にむかう長瀬坂と呼ばれるところの上から導水管が真っ直線に発電所にむかっておりてきているが、雪が減ったのでその姿がはっきり見える。



 午後は逆に、1時45分頃から3時半すぎまで一気に白鳥と横倉の102軒を廻った。2時間強での102軒はさすがに最後はきつかった。
 白鳥に“たね”に山の水を引く様子が素敵なところがある。何回か撮影したことがあるが、今回はシャッター速度を変えて撮ったので、雰囲気が出ているかと思う。



 天気がいいので、雪を片づける人が多い。もはや、「次の降雪に備えて、雪を飛ばす場所を確保する」というよりも、家周りなどをすっきりさせる、少しでも早く雪を消すという感じの作業が多いように思う。写真は横倉の渡辺利正さん。道路脇の雪の壁を削り落としておられる。道幅が広がって有難い。

22日(日) 神奈川の内山さんが今冬三度目の除雪手伝いに来て下さった。
 内山さんにあらかじめメールで作業内容をお伝えしてご了解を得たので、箕作の「樓蘭」の駐車場などの除雪・排雪を行なった。9時前から午後4時近くまで。途中、向かいの大工さん(屋号「いちいむ」)の作業所のダルマストーブで餅を焼いて昼食にしたが、二人とも4つずつペロッと食べた。焼き上がったところも撮ればよかったのだが、食い気が先に走って撮っていない。最高の焼き上がりだった。大工さん家の野沢菜漬も最高に惜しかった。



 これだけの時間、ほぼぶっ通しで除雪作業をするのは初めて。昼食でいったん休んだ後は相当にきつかった。

 駐車場の入り口向かいに水路が流れている。その水路の上に被っている雪を取り除けば、そこに雪を入れて消すことができる。ただし、昨日、1ヶ所に穴を開けて調べたところ、杉っ葉がかなりたくさん詰まっていて、流れが非常に悪くなっている。水路の上の雪をとったうえで、手を突っ込んで杉っ葉を取りだすことから始めた。


水路には雪で詰まって水が流れなくなることがないよう、
パイプ(黒色のもの)が入っている。その右に杉っ葉が見える。

 午前中の後半、雪の山の一部を崩すのを大工さんがロータリーを使って援けてくださったこともあり、相当に片付けができた。内山さんとの別れ際、「今日はいささかきつかったでしょう」と言うと、「そうですね」と。
 私はこの作業の後、箕作集落42軒の配達に廻って、その後、温泉に入ることができたが、内山さんは神奈川まで車で日帰り。さぞ、きつかったことと思う。
 

23日(月) 昨夜も就寝したのは0時を廻っていたと思うが、朝6時半に起床すると、昨日の作業による筋肉痛などはほとんどない。もう歳なので筋肉痛が出るのが明日以降なのかもしれないが。
 午前中は「お米のふるさと便り」の編集でずっと室内。配達は午後のみで、4時すぎで打ち止めとし、森集落の半分強と天代、坪野で54軒。

 坪野で驚くべき光景を目にした。
 集落のいちばん奥まで進むと、道路に崩れてきた雪の山。



 「雪崩の跡か」と思ったが、なにかが違う。現場を撮影した後、配達に廻った斉藤英喜さんに聞いて真相がわかった。「除雪が上の雪を落としたんだよ。毎年やっている。数日前にやったはず」。
 英喜さんの家よりも上に進んで、雪を落とした現場に行ってみた。





 上の1枚目が雪を落とした地点。2枚目が雪が落ちていった軌跡。写真では見づらいが、下方に坪野集落の奥の橋の姿が確認できたので、この地点で間違いない。

 天代集落の道路脇では法面の雪が剥がれているのを目撃した。天代→坪野→天代と進んだが、最初に天代を通った時は気づかなかった。ひょっとすると私が坪野に行っている間に、この剥がれが生じたのだろうか。



 この他、山の斜面の雪崩れの形跡を数多く見た。下方に人家や道路がなければ、とくに事故とか災害ということにはならない。栄村で冬を過ごすのは8回目だが、これまでこういうことに格段の注目はしてこなかった。今年は“雪の消え方”ということに注目して、写真で追っていってみたいと思う。

 もうひとつ。坪野の斉藤秀男さん宅の玄関に瑞々しいキャベツが3つ置かれていた。村道から家に向かう坂の途中に雪が掘られた跡があった。天然雪室から掘り出されたのだ。





24日(火) 午前中は森、青倉、平滝を廻り、午後1時すぎになった。昼食の後、月岡を廻ったが、急にゾクゾク感が出てきた。どうも午前中、薄着過ぎたのかもしれない。早めに帰宅して一休み。まあ、大丈夫だろう。

 雪を消す人の姿が目立つ。ある人は「見たら水が来ているので、雪を落とすことにしたの」と。



 また、雪の山になったところにブルが入って雪山を崩す姿も目立つ。



 こういう作業を栄村では「かんます」と言う。「かき混ぜる」という意味だ。これをやると雪消えが早くなる。もう春の準備が始まっていると言っていい。ある人が「お彼岸の頃にドカ雪が来ることもあるが、まあ春雪だからね」と言っておられた。これから降ることがあっても、もはや根雪にはならない。
  
25日(水) 一昨日だったと思うが、温泉(「トマトの国」)で知人から、「鳥甲が綺麗だったぜ」と聞かされ、非常に羨ましく思った。彼が秋山に行ったのは22日。快晴だった日だ。
 今日の天気予報を見ると、午前中は晴れマーク。空を見ると薄曇りだが、「次第に晴れてくるのではないか」と勝手に期待し、「エイヤー」とばかりに秋山に行くことにした。

 結果は残念。空が青くならない。今日のところは撮影ポイント探しと位置づけ、自分を納得させることにした。過去に撮影した記録を見ると、「3月15日」の日付。むこう1週間はあまり天候がよくないようなので、撮影チャンスは結局は3月中旬あたりになるのかも。下写真は上野原集落の中ほどあたりから。ここがいちばんいいのではないかと思う。



 切明まで行ったが、途中、雪庇除去作業や雪に圧されて電柱が傾いている状況など、いろいろな場面に出会う。なんらかの形でレポートに反映させたい。

 時間が戻るが、4時に目が覚めてしまった。しかたなく起きて1時間半ほど作業。しかし、寝たりないと感じたので、もう一度眠り、7時半に再起床。

 秋山から戻ったのは12時半すぎだったか。とにかくお腹が空いていて、津南で昼食。その後、雪坪、志久見と廻り、鈴木喬さん宅を訪問。昨春、「もう来年は田んぼはやらない」と言っておられたので、「今年、どうされますか?」と尋ねるのが目的。ところが、「まあ、上がっていってください」と言われ、厚かましくもご馳走までいただき、1時間以上、いろんなお話を聞くことができた。とくに大収穫は志久見にある「頌徳碑(しょうとくひ)」の意味がわかったこと。これについては「復興への歩み」でレポートしたい。

 また、喬さんは昭和3年生まれの87歳。S19〜20年冬の大雪の話を聞けたことも大きかった。森宮野原駅に「最高積雪記念標柱」があるが、当時のことを知る人に初めて出会えた次第。「戦争に勝たなければならない、そのためには飯山線を走らせなければならない」ということで、飯山線の除雪に動員されたという。驚きの話だ。しかも、弁当としてお握りを持参するのだが、塩が手に入らなかったとのこと。
 帰り際、「これから、どちらへ?」と尋ねられ、「今日は志久見だけ廻って、もう終わりにします」と答えたのだが、なにかやる気が出てきて、結局、柳在家、切欠、長瀬、笹原、北野を廻り、今日は計110軒115部。No.245は累計554部配達となり、明日以降が楽になった。
 どこを廻っても雪が大きく減っている。1例として、雪坪の事例を紹介しておく。
 上倉健一郎さん宅。1枚目が今日、2枚目は1月9日撮影。




 
26日(木) 午前中、小滝での配達を終え、大久保に向かう途中、樋口和久さんの牛舎に寄り、共同牛舎の新築のことや、最近の畜産をめぐる状況などについてお話を聞く。その内容は「復興への歩み」次号に反映させたい。

 原向では消雪用の炭が撒かれている田んぼと出会う。写真ではあまりその感じが出ない気もするが、1枚、示しておきたい。ここの高齢の男衆はよく仕事される。



 午後、泉平の配達を終えて下におりてきた時、小箕作川の方への道がもう完全に割られているのを見て、途中まで軽トラで、そしてその後は徒歩で進んだら、千曲川の橋脚建設現場の対岸に出た。もう1本、箕作側に橋脚がたてられるのだ。詳しいことは「歩み」本紙に書きたいが、やはり1枚だけ写真を示しておく。写真左手は先日紹介した平滝側の橋脚建設現場、右手の黄色の重機は箕作側の橋脚建設現場で除雪作業中のもの。



 平滝の国道から下の地域を廻った際、あるおかあさんと話した。「崖の雪の崩れは凄いけれど、落ちる時の音は聞こえますか?」、「そう、凄い音がするよ。あそこに松の木が見えるでしょう。あそこにお城があったらしい。見張り小屋程度のものらしいが。西大滝の飯山線のトンネルの上にもあったんだよ。それは子どもの頃、見た覚えがある。オマチ川の上流にもあったらしい。訪ねて来た人がいたんだけれど、オラは知らなかったんだよ」。むらの歴史の掘り起しと記録化が必要ですね。


千曲川右岸の上方の雪崩の跡

上の写真のやや左手の山の上に松の木が2本見える



27日(金) 朝7時の森宮野原駅の様子を撮影に。村の高校生が通学で乗車する列車だ。その後、当部、中野、極野の配達。中野で、高齢で体がきついにもかかわらず田んぼを懸命にやっておられる方を訪ね、いろいろお話を聴く。
 その後、その人の田んぼの位置との関係で、北野天満温泉の吊り橋を訪れた。写真を2枚。


北野天満宮から道踏みされた坂道を下りながら撮影


吊り橋上から北野天満温泉を望む

 昨日の樋口和久さんとの話で、「うちの肉はAコープみゆきで売っているよ」とお聞きしたので、飯山へ。「みゆき和牛」を手に入れたうえで、飯山の新駅の様子を見てきた。北陸新幹線開業の3月14日の開業まで「あと15日」。飯山市の受入態勢が大きく遅れている状況を見て、愕然とする。昨夏の市長選で現職が再選されたものの批判票が多かった理由の一端を見た気がする。

 午後からは久しぶりに本格的な降雪。ただし、湿雪だ。夕闇迫る頃、野田沢と程久保を廻って、No.245の配達が完了。
 
28日(土) 今日、白馬村を訪れたかったが、No.246の編集等で村にとどまって作業することにした。
 ブログの月間アクセス数が27日で1万5459件に達した。とくに昨日は「2月27日(金)の飯山線」のみのアップだったが、1日で1,391件のアクセス。震災直後を除けば「驚異的」な数字。やはり更新頻度がアクセス数に影響するのだと思う。1月18日から始めている「今日の飯山線」、雪との関係での運休がなくなればお休みにするつもりだが、「今日の栄村の1枚」というようなものだけでも連日アップしていこうかと思う。ちょっとした記事でも、写真の撮影・選定、編集、ブログへのアップ作業という一連の作業にはそこそこの手間がかかるが、栄村の情報発信力のアップのためには必要なことだと思う。(28日は昼までの日誌)
 

2月28日(土)の飯山線

 本日28日(土)の飯山線は、十日町〜森宮野原間で上下各1本の「計画運休」があります。
 
   <下り>
     12時32分長野発(戸狩野沢温泉13:40、森宮野原
     14:47の列車です)
   <上り>
     13時1分越後川口発長野行(十日町13:36、森宮野原
     14:48の列車です)
 
 昨日の栄村は久しぶりの雪。午後からはそこそこに積もり、今朝は道路除雪が入りました。今日は青空も見える天気になっていますが、明日はまた雪模様のようです。一直線に春にむかうとはいかないですね。
 
 北陸新幹線開業(3月14日)に伴い、新駅に映った飯山駅の様子をご覧ください。


15:22飯山駅着の長野行上り列車


飯山駅


飯山線改札口へはエスカレーターで2階へ。


飯山線改札口。ホームへは再び階段を下りる。
新幹線改札口はここを左手に進む

昨日の雪でお色直しした雪景色を2つ、ご覧ください。


27日夕刻の野田沢集落


常慶院の鐘楼と枝垂桜(28日朝)

2月27日(金)の飯山線

 本日27日(金)の飯山線は、「計画運休」はなく、ダイヤ通りの運行です。
 ただし、新潟県内のJR線では強風等によるダイヤの乱れが発生していますので、新潟方面に行かれる方はご注意ください。
 
 今朝7時の森宮野原駅の様子をご覧ください。


下り列車が到着

下り列車がホームに着くと、駅舎から高校生がたくさん出てきた。この高校生たちの大半は十日町の高校に通っていて、下り列車に乗り込む。


上り列車が入ってくる。

写真中央に見える乗務員は、昨夜は戸狩野沢温泉駅泊まり、1番列車で森宮野原に来て、この後、上り列車に乗務、長野駅まで行って、勤務明けとなる。


上り列車がホームに着くと、高校生のもう一つの集団が駅舎からホームへ。飯山の高校に通う村の高校生たち。飯山に通う村の高校生は次の横倉駅からも乗車する。


後から着いた上り列車が先に出発。

続いて、下り列車が発車。写真は待避線から本線に入るところ。


 今日の栄村は小雪が舞ったり、激しく降ったり、陽がさしてきたり、移り変わりがめまぐるしい天気です。

2月26日(木)の飯山線

 本日26日(木)の飯山線は、十日町〜森宮野原間で上下各1本の「計画運休」があります。
 
   <下り>
     12時32分長野発(戸狩野沢温泉13:40、森宮野原
     14:47の列車です)
   <上り>
     13時1分越後川口発長野行(十日町13:36、森宮野原
     14:48の列車です)

 春のような天気が続いていた栄村ですが、昨日25日の午後あたりから気温が下がり、今夜から明日、みぞれや雪が予報されています。たとえ降っても大きな積雪にはならないでしょうが、春への歩みはちょっと一休みという感じです。
 
 ところで、十日町〜森宮野原間で「除雪のための計画運休」が繰り返されることに、「?」と思われる人も多いのではないかと思います。もう1週間ほど本格的な降雪・積雪はないのですから。
 十日町〜森宮野原間を乗車したことが何回もありますが、たしかに線路環境が大変な区間があります。線路の一方には山が迫り、もう一方はすぐに信濃川というような箇所です(下写真は足滝駅のホームの裏側の様子。2月15日撮影)。



 雪崩や倒木の危険が大きく、単に軌道上の除雪をするだけでなく、雪崩や倒木への対処が必要になります。
 しかし、それには積雪時期に対処するだけでは不十分です。たとえば次の写真、やはり足滝駅で越後田中駅、十日町方向を2月15日に撮影したものですが、列車先頭部の右手前にやや線路側に傾いた木が見えます。



 保線の人は、「あれは嫌だね。集落側に傾いているのであれば問題ないが」、「雪崩や倒木の防止は、冬が来る前に対処しておかないとうまくいかない」と話しておられました。
  
 長野支社が管轄する豊野〜森宮野原間にも、新潟支社管轄の森宮野原〜十日町間と同様に厳しい環境の箇所がかなりありますが、「除雪のための計画運休」はほぼドカ雪の直後に限られています。
 やはり長野支社と新潟支社の温度差を感じずにはおれません。
 
 8〜9年前までの飯山線は「冬は止まるもの」と言われるほどに運休が多かったものですが、長野支社長が「冬の飯山線をとめない」という方針を打ち出して以降、大きく様変わりしました。ところが、その後、飯山線の管理が長野支社と新潟支社に二分割され、以降、森宮野原〜十日町間の冬の運行状況が思わしくありません。
 
 北陸新幹線の開業に合わせて観光列車「おいこっと」の運行も始まる飯山線(4月4日から)。
 関係者が本気で取り組めば「観光ドル箱路線」にもなりうる潜在力を秘めている飯山線。関係者の努力が求められていると思います。
 
 最後に、横倉駅から徒歩で5〜10分。千曲川に架かる百合居橋の写真を1枚(21日午後撮影)。




2月25日(水)の飯山線

 本日25日(水)の飯山線は、十日町〜森宮野原間で上下各1本、「計画運休」があります。

   <下り>
     12時32分長野発(戸狩野沢温泉13:40、森宮野原
     14:47の列車です)
   <上り>
     13時1分越後川口発長野行(十日町13:36、森宮野原
     14:48の列車です)


 今日の栄村は晴れと曇りの予報ですが、午前8時現在は薄曇りです。

 写真は、平滝駅付近と月岡集落です。
 まず、平滝駅ホームから左手に跨線橋が見えますが、その上から撮影したものです。

 平滝駅方向を見ると、



少し角度を変えて、駅とスノーシェッドをクローズアップしてみる。




 スノーシェッドの上にかなりの積雪。この積雪の上から駅方向を眺めたものが、18日に紹介した写真(再掲)。



 最後に、白鳥、飯山方向を眺めたもの。



 栄村では、昨日紹介した排雪作業の一環ですが、道路脇などに巨大に積み上がった雪を「かんます」作業が行われています。「かんます」とは「かき混ぜる」というような意味。これをやると雪が早く減り(消え)ます。24日の月岡集落での様子をご覧ください。



 主にブルでやりますが、こんな状態になります。






配達日誌2月14日〜19日

14日(土) 朝は5時すぎに目が覚め、起床。昨日、取材仲介の依頼があり、横倉駅長の上倉直人さんに会うべく、7時すぎに横倉駅へ。
 その後、いったん家に戻り、ブログのアップ作業をしているとき、屋根の雪が落ちるギシッ、ギシッという音が激しくする。窓から雪が落ちる様子が見える。連続写真で撮れば面白いだろうなと思うが、いつ落ちるか、あらかじめ分かるわけではないので難しい。

 午前中、主に白鳥集落を廻る。留守家の前の雪を、道を挟んで向かい側の人が除雪しておられたので、「ご親戚ですか?」と尋ねると、「いいや。壁になると嫌じゃない。だから、ちょこっとやっておくの」とのご返事。こういうのって、いいですね。

 その近くで、月岡健治さんが管理・除雪されている留守家の周りの撮影をしていたら、飯山線の踏切警報機が鳴りだした。カメラを飯山線側に向けると、目の前を列車が通り抜けていく。



こういう写真は偶然でないとなかなか撮れない。

 昼食の後、2時少し前から森宮野原の隣駅・足滝駅を撮影しに出かける。雪のない季節には何度も足を運んだことがあるが、雪の季節は初めて。町道から駅に入る道が見当たらない。出会った集落のばあちゃんに尋ねる。「足滝の駅は冬は閉鎖ですか? どうも道が塞がっているように思うのですが」、「わたしゃ、足が悪いので足滝の駅は使わず、タクシーで森の駅まで行くので、よくわからない」。次に出会ったおやじさん(どうも集落の人ではないらしい)に尋ねると、「あそこに見えるいちばん端の家のむこうに道がつけてあるはずだよ」。
 あった、あった。



 これはよほど気をつけないと気づかない。写真の舗装道路の左側に細い坂道がある。これを上がっていくのだ。駅まで上がって撮影。その結果は別途、レポートしたい。乞うご期待。

 この後、冬の間、森集落にある五宝木住宅で越冬しておられる山田政治(まさじ)・セキさんご夫婦を訪ねた。先日いただいてとても美味しかった栃のあんぼと天ぷらの調理の秘訣を尋ねるのが主目的。
 政治さんは84歳だがお元気で、毎日、家の周りの除雪をやっておられるとのこと。私が訪ねて間もなく、近所の人が来られて、とても賑やか。いつもそういう感じだという。

 4時すぎに家に戻り、家の周りの積雪の様子を撮影したり、写真データの整理など。

15日(日) この冬は疲れが激しいのか、睡眠安定剤を飲んで眠ると、朝の除雪の音で目を覚ますことはほとんどなかったが、今朝はあまりに賑やかな音に目を覚まし、時計を見るとちょうど5時。家の前が国道と中条の集落通から除雪した雪を溜めて、ロータリーで国道反対側の谷に飛ばす場所になっているので、かなり長い時間、大きなエンジン音が鳴り響くのだ。まあ、目が覚めるということは疲れがぬけてきたということを意味しているようで、いいことなのだが。
 もう一眠りして7時に起床。8時半頃、配達に出かける。

 出かける前に車庫前の除雪をしたが、水気の多い重い雪であるうえ、なにか汚い。後で出会った人たちの話すと、みなさん、同じ感想。どうやら黄砂が来ているのだ。

 朝一番は箕作で配達するつもりで横倉踏切を渡ろうとすると、踏切脇で三脚を立ててカメラを構える人が。声をかけてみようと、踏切先の自販機のところに車を停めた。そこに件(くだん)の人の車も停まっていたが、なんと「三河」ナンバー。昨夜遅くに栄村入りし、一泊されたそうだ。震災直後にも来られたことがあるようで、「このあたりの風景が気に入っている」とのこと。紹介いただいたHP「鉄路の彼方へ」によれば、この車、「走る寝床」だそうです。



 この人と話しているところへ、福原初さんがプラスティック製の雪かきを持って現れ、「これ、潰れている」と自販機横のゴミ箱にのしかった固い雪を取り除く。積雪の重さ・圧力恐るべし。



 箕作では常慶院に向かう途中、箕作の人に「お寺で耳団子いただきましたか?」と声をかけられた。「そうか、今日はお釈迦様の命日なのだ」。常慶院を訪れたところ、奥さまから「松尾さん、キリスト教徒ではないですね。じゃあ、本堂に涅槃図が飾ってありますから、どうぞ。フラッシュを使わないなら写真もいいですよ」と言われ、本堂へ。その後、地炉のところで近所の方々と共に、お茶、漬け物などをいただいた。



 箕作全戸を廻った後、まだ半数ほどの家が未配達の横倉へ。復興住宅の横の雪山(タイヤドーザーが雪を押し出したところ)の先端まで上って写真を撮っていると、森方向から除雪車が雪を飛ばしながらやって来た。ラッキーだ。

 また、横倉では留守家にむかったところ、前回と異なり、家の前の雪がすっかり取り除かれている。ひょっとして息子さんが来ておられるのかと周囲を見渡すと、ダンプで家からかなりの距離のところ(田んぼの上)まで雪を運び出しておられるところ。これまで2〜3度、顔を合わせ挨拶したことがあったが、「いつも読ませていただいて有難うございます」と言って下さり、多額の協賛金カンパを下さった。昨日、今日と手渡しの協賛金カンパを多くいただく。

 横倉で配達を終えたのが11時すぎ。昨日撮影した足滝の駅で実際に列車が発着する様子を撮影したくて足滝へ。11:52にまず上りが来て、その後、12:04に下りが来る。余裕をみて出向くと、11時半頃に着いてしまい、寒いホームで30分ほど待つことに。上りは7分ほど遅れてきた。列車から降りてこられた保線の人に尋ねると、「ほくほく線との待ち合わせで遅れた」そうだ。



 この保線の人、上りに乗って新潟方面に戻られたが、上りが来るまでの間、除雪状況について話を聞いた。その中でたいへんな約束をすることになった。「夜の3時20分に大きな除雪車が来ますよ。森宮野原駅に3時30分です。今夜は私が乗っています。できたら来てみてください」。昼間に見る除雪車とは大きさが違うそうだ。

 午後は雪坪、志久見、柳在家、切欠へ。雪坪で、「たまにはお茶にでも寄っていきなさいよ」と声をかけられ、お茶のみ。耳団子が出てきた。こちらのお家では青豆入りのものだった。おかあさんによれば、塩加減もそれぞれの家で微妙に異なるそうだ。「私が子どもの頃は、学校の帰りに同級生の家々で耳団子を2つずつ貰い、それをお寺(林秀庵)に持っていって、地炉で焼いて食べた」。「昔はガキ大将がいて、いじめなんて無かった。私も2〜3年、ガキ大将をやらせてもらった。山に行って栗を拾ったり、志久見川にも入った。事故になるようなことはなかった」。

 昼頃は晴れていたのに3時前後から時折り激しい降雪。夕刻、温泉へ。いい湯に入れた。
 今日は113軒。明日一日でNo.244の配達を完了できる。「1」の日の定期発行に戻れそう。
 
16日(月) 今日は激しく動きまわった。
 昨夜は、足滝駅で出会った保線の人の話をうけて、午前3時に目覚ましをセットして11時頃に就寝し、3時に目が覚めるもウトウトしてしまい、気づくと3時20分すぎ。大急ぎで着替えて車に飛び乗り、森宮野原駅へ。なんとか間に合った。最初の1枚を撮ったのが3時37分。「おう、来ましたね」と声をかけられた。42分には折り返し、新潟方面へ出発した。



 家に戻り、撮影した写真の整理、ブログへのアップなどした後、平滝の配達へ。残っている24軒を廻りながら、いろいろと「遊んだ」。

 1つは、途中で頼まれて清水河原のスノーシェッドから見える千曲川を撮影しに行ったこと。

 2つは、飯山線の上に乗ったこと。線路に下りるということではない。雪除けのためにセットされた半円形のネットの上に道路除雪された雪がうず高くなり、歩いて行けるのだ。下の写真に平滝駅と線路が見える。



 その線路をまっすぐ写真手前方向に延ばしたところの上から撮ったものが上の写真なのだ。冬にしか体験できないことだ。

 3つは、野々海への道を進めるだけ進んだこと。平滝の水道タンクがあるところまでは除雪されていると確信して雪の壁の中を進んだ。ブナの木々を間近に観察できた。芽がすっかり赤くなっている。
 平滝の裏山を望んだとき、山の雪崩れの跡を初めて鮮明に見た。



 平滝での配達を終えた後、「箕作大橋」の橋脚工事現場へ。許可をいただき、現場を撮影。川底を深く掘っての工事現場は足がすくむおっかなさだった。詳しくは別途レポートする。

 さらに11:45白鳥着の飯山線下り列車が西大滝〜白鳥間のトンネルに入り、トンネルから出てきて千曲川の上方を走る姿を連続写真に撮るべく、東大滝橋へ。橋の上で10分ほど待ったが、そこでおっかないものを見た。「法面の根固め工事」というもの。地震で大きく崩れた東大滝橋横の法面の工事が震災の年に行われたが、その法面の川に近い未工事の部分の工事だ。下の写真の崖面に2人の人がいることが確認できるだろうか。一人は木の根元近く。もう一人はブルーシートの近くに黄色のヘルメットが見える。いくらトビの本職さんとはいえ、こちらは橋の上に立っているだけでも怖いのに…。作業内容について互いに会話されているのが聞こえた。飯山線の撮影結果は別レポートする。



 いったん家に戻り、頼まれた写真のプリント作業などをしたうえで昼食へ。昼食後は箕作で道路除雪でできた雪の山を崩す排雪作業の様子を撮影。そして、4時すぎ、青倉公民館に立ち寄って、かあちゃんたちの編み物の様子を撮影させてもらった。

 今日出会った人たちからは、「3時起きで昼寝はしないのか」と聞かれたが、昼寝をせずに突っ走り、結局、就寝は11時頃に。

17日(火) やはり今朝は起床が遅くなった。「ああ、よく眠った」という感じで目が覚めたのが2時半すぎ。もう一度眠りにつき、目覚めたのが8時。ちょうど朝ドラが始まったところ。ところが、朝ドラの画面が突然、「津波注意報発令」のニュース画面に切り替わった。朝から騒がしい一日になった。午前中は各種の写真レポート作り。

 昼食時に出かけ、配達ではなく、写真レポートを関係者に渡したり、除雪の様子の撮影、聞き取りなどをして、3時頃に家に戻る。そこから次号の原稿書き。気がついたら6時で、慌てて温泉へ。



 上写真は青倉の西山田の斜面。「ここの雪が雪崩れて落ちてくると春だ」という。54年前の大規模雪崩の被災者の話だ。82歳の人で車庫裏の除雪をされているのを見かけて声をかけたところ、54年前の状況を話して下さった。以前、「雪崩のときのことはお話されたくないのですか」とお尋ねしたら、「うん、そうだ」と言っておられたが、今日はいろいろと話してくださった。「あなたはいろいろ取材をしてモノを書く人だから」とのこと。今日お聞きしたことはメモにするが、正確を期すために改めてお話を聞ければと思っている。

18日(水) 午前中、天代と坪野に配達に行き、その後、「食べ処案内」の取材を兼ねて北野天満温泉でそばを食べた。午後、ある人たちに、味や店の雰囲気、接客などについていろいろ話しすると、「そりゃ、ミシュランだね」と言われた。べつに「ミシュラン」なんていう気はさらさらないが、店や料理を人に薦めるとなると、やはり当方の責任というか、それなりのモノの見方が求められると思う。
 午後は森集落で未配布の57軒を廻る。
 
 ところで、私はたくさんの写真を撮る。震災の年に一眼レフを使うようになった後、知人に「露出が“普通”と“暗め”、“明るめ”の3通り撮れるようにセットするとよい」と教えていただいて、そのようにしているので、多い日には1500枚くらいを撮る。そして、いつもカメラを持っているので、村外の人に出会った場合など、「カメラマンの人ですか」と尋ねられたりすることもある。
 しかし、今でも私は「カメラ・写真が趣味」ということはない。色んなこだわりは出てきているが、それは栄村のさまざまな資源を活かしたいという気持ちからだ。だから、14日のように道もよくわからないところへ出かけもするし、16日のように夜中にも出かける。「復興への歩み」No.245の1頁目に掲載する西大滝〜白鳥間を走行する飯山線の列車を撮るためには東大滝橋の上で10分間待ち続けた。

 そして、この冬は先に触れたのと同じ知人から、「冬は白一色でコントラストが効かないから、少し修正をかける方がいい」というアドバイスをいただき、雪模様の写真などは私の現在のパソコンで間に合うソフトで可能な範囲で少し修正をかけている。

 また、水の流れなどは「シャッター速度を遅くするとよく見えるようになる」と偶然読んだ雑誌で知ったので、挑戦してみたいと思っていた。ただ、私は配達の合間に撮影することがほとんどで、撮影対象などをあらかじめ決めておいて、時間的余裕をもって撮影するというわけではないので、カメラの機能をいじくっている間がない。
 今日は、いつも「きれいだな」と思う川の流れに出会う機会があったので、シャッター速度を変えるという操作を初めてやってみた。対象がいまひとつの状況だったので、出来栄えはさほどではないが、やはり水の流れがいつもと違う感じで撮れているように思う。その写真を1枚、載せておきたい。



19日(木) 今日はほぼ一日、原稿書き、編集作業。書く材料が多すぎて8頁では書けない。次号まわしにすると、また次号が窮屈になるので、「号外」でも作るしかないかと思う。
 清水河原のスノーシェッドに関する記事を書くにあたって、信毎の記事をもう一度読み直し、17日に撮った写真を見ると、どうもいいものが撮れていない。結局、撮り直しに出かけた。
 最終稿は夕刻になってようやく出来上がった。数時間で出来る時もあるが、書きたいことがたくさんあると、こういうことになってしまう。

 「復興への歩み」No.245の1頁に掲載した16日撮影の飯山線の写真。じつは連続写真になっている。見せた方からは好評をいただいた。そのままにしておくのは惜しいので、この日誌の最終頁にそれを掲載することにした。
 写っている列車は戸狩野沢温泉11時28分発の十日町行。撮影地点は東大滝橋上で撮影時刻は11:45〜46分。


写真の左側は西大滝集落。写真中央に小さく列車が見える。

その列車がトンネルから出てきた。

写真の手前は西大滝ダム下流の千曲川。









 列車は白鳥方向に進み、再び姿を消す。この後、もう一度トンネルをぬけて、白鳥集落の西端の境川を越えて旧善光寺街道沿いに白鳥駅に向かう。
 

2月24日(火)の飯山線

  本日24日(火)の飯山線は、「計画運休」はなく、ダイヤ通りの運行になっています。
 
 栄村は、昨23日は一日中、小ぬか雨が降り続いていましたが、今日は朝から曇りないし晴れです。21、22日の好天と気温上昇、23日の雨で積雪量はググッと減ってきたな、という感じです。
 村内の各所では重機を使用しての排雪作業が行われています。

 
 森宮野原駅から北野天満温泉に向かう県道沿い(切欠集落付近、23日午後)
 
 また、家周りや田んぼの雪を早く消そうと作業する人びとの姿も多く見られます。

 
 21日、箕作集落にて

 さらに、山の斜面の積雪の変化も観察すると面白いです。飯山線の車内からも観察できるのではないでしょうか。

 
 23日、天代川沿いの山の斜面

 

2月23日(月)の飯山線

 本日23日(月)の飯山線は、十日町〜森宮野原間で上下各1本、「計画運休」があります。

   <下り>
     12時32分長野発(戸狩野沢温泉13:40、森宮野原
     14:47の列車です)
   <上り>
     13時1分越後川口発長野行(十日町13:36、森宮野原
     14:48の列車です)

 今日の栄村は前夜からの雨。予報では間もなく雨は上がり、曇りということになっていますが。
 下り列車が信濃白鳥駅を出て1つ目の踏切をこえ、2つ目の踏切「鍛冶屋敷踏切」に近づくところ、そして踏切を通過する様子をご覧ください。
 列車は信濃白鳥駅14:04の越後川口行です。



白鳥踏切をこえると、列車は3軒の民家と山の崖面の間をぬけていきます。

車窓にはお茶を置き、のんびりと旅する人の姿が…




鍛冶屋敷踏切を通り過ぎる。

 この踏切を越えた先には写真に見える1軒だけ。その先は、「白鳥」集落の名の由来を伝える神話で、ヤマトタケルノミコトが野々海の山で迷ったときに1羽の白鳥が彼を導いて里まで案内されたとされる白鳥沢に入って行きます。

 

2月21日(土)の飯山線

 本日21日(土)の飯山線は久々に「計画運休」がありません。ダイヤ通りの運行です。
 ただし、今日は朝から快晴。気温も上がるでしょう。飯山線沿線でも雪崩の心配があります。とくに森宮野原より新潟・十日町間ではその懸念がありますので、ご利用の場合は駅等で運行状況をお確かめください。

森宮野原9:06発長野行列車が中条川鉄橋を走る様子を連続写真でご紹介します(本日撮影)。













写真上方に見える赤い橋:国道117栄大橋上から撮影されるファンは多くおられますが、この撮影ポイントはあまり知られていないと思います。青倉集落への入り口・中条橋上です。


森宮野原駅。写真手前の真ん中、周りよりもいちだん低いところが飯山線の線路にかけられた雪除け金網の上部です。(9時22分撮影)


左に見えるのは貝立山。

栄村復興への歩みNo.245




 上の写真は足滝駅を出発した飯山線列車が森宮野原にむかって寺石トンネルに入るところ(15日午後0時1分)、下は戸狩野沢温泉11:21発の十日町行列車が西大滝〜白鳥間のトンネルから出てきて、千曲川が見えるところを走る姿です(16日11時45分)。





 足滝駅に置かれている「駅ノート」に書かれた訪問客の思い出記帳。昨年の正月に訪れた人たちが書かれたもの。冬の足滝駅は雪深い坂道を徒歩で上らなければ行けません。それが「秘境の駅」として人気になっているのです。
 3月14日に北陸新幹線が開業し、飯山線には4月4日から観光列車「おいこっと」が走りますが、栄村とその近辺には観光スポットがいっぱいあるのですね。