18日(水) 今朝は早く、7時前に配達に出かけた。昨日あまり配達できなかった分を取り戻そうという動機からだが、東部の奥に向かう途中で「朝のスクールバスの様子が撮れるな」と思い立ち、当部、北野、極野と廻る中で、極野でシャッターチャンスが訪れた。最近の世の中、子どもをめぐる事件が多く、子どもの姿を撮影するのには気を遣うが、子どもがすくすく育つことができる環境という問題も取り上げていきたいので、気を配りながらも、ある程度は撮らなければならない。
知り合いのお孫さんに声をかけると、「お兄ちゃんは今日、卒業式だから、お母さんと一緒に後から来るの」と。そうか、今日は小学校の卒業式なのだ(後に昼食時、「樓蘭」で式を終えた親子連れが礼服姿で食事する姿も見た)。
その卒業式を迎えるという「お兄ちゃん」、じつは極野のお祭りのサイトリ舞の舞い手。「じゃあ、サイトリ舞もお兄ちゃんが引退で、君がやるのかい?」と尋ねると、「うん、僕がやるの」と。今夏の祭りが楽しみだ。「お兄ちゃん」がサイトリ舞を初めて舞い、私が撮った写真を記念に欲しいと頼まれたのはたしか震災の年。子どもが大きくなるのは早いなと思う。
その後、いったん家に戻り、診療所に向かおうとしたが、車がおかしい。降りて点検すると左後輪がパンク。ガソリンスタンドにソロソロ運転で行き、修理してもらったが、小さな金属品のかけらが刺さっていた。スタンドの人に言わせると、「この時期は除雪車の部品のかけらなどが刺さってパンクが多い。豪雪地の特徴ですよ」とのこと。
診療所で通常の診察の後、「H26年度中に65歳になる人は対象」という肺炎球菌ワクチンを接種してもらったが、その後、なにか体がだるくなってきた。単なる寝不足なのか、ワクチン接種のゆえか。月岡で39軒を廻り、昼食の後、休憩することにした。1時間ほど眠ったが、その後も室内での取材済み記事の原稿書きをして、午後は配達せず。
夕刻、本を1冊買いに飯山へ。
19日(木) 天代、坪野、原向、程久保、野田沢、小滝と廻り、No.247の配達が完了。
原向の野口で雪害救助隊が斉藤ハルさん宅への長い道の除雪作業を行っているのに出会った。ここは家まで100mほどが道踏み支援の対象で、日頃からロータリーを使って道をつけてくれているが、その下の雪は深い。村の各所では雪融けが進む中、こういう所は除雪というか排雪というべきか、この種の作業をやってもらえないと、なかなか道が出てこない。ハルさん宅近くの斉藤百江さん宅への道は前日に作業されたようで、きれいに開いていた。写真が少しぼけて見えるのは霧がたちこめているため。今日は各所で霧が濃かった。
野田沢〜大久保で断水。どこかで漏水が発生したようだ。程久保で給水車の存在に気づいた。野田沢にも給水タンクが置かれていたが、「高齢者は運べないだろう。困っている人がいたら運んであげなければ」と思い、2軒で声をかけた。1軒は「うちは井戸があるんですよ」、もう1軒は「息子が地震の後に買っておいてくれた水溜め用のタンクが2つあって、それに水を溜めたから大丈夫」とのこと。住民は震災を教訓化して、いざという場合に備えておられるようだ。
小学校は今日から春休み。いろんなところで外で遊ぶ子どもたちに出会った。
20日(金) 今日は「復興への歩み」No.248の原稿書き・編集を一気に終えるつもりだったが、17日に行った秋山の写真アルバムを制作し始めてしまい、昼過ぎまでその作業。午後はNO.248の編集を始めたが、写真アルバム制作ですっかり疲れてしまい、No.248編集はあまり進展せず。
やはり、配達や撮影で外を廻っているほうが体の調子がいい。パソコンに向かうと姿勢が悪いこともあって、肩が凝り、非常に疲れる。
雪が減り、数日前から夜も車を車庫に入れず、外に停めるようになった。そして、今日の夕刻に温泉に行く時、村内では3か月半ぶりに普通の靴を履いて出かけた。配達の際はまだ雪のあるところに入らなければならないので、いましばらく長靴の世話にならなければならないが。
少しスペースが余ったので、私が住む家の周りの雪消えの様子を紹介しておきたい。
雪が多いのは2月10日撮影。雪消えの様子は今日20日夕刻。
家の裏側は大家さんがロータリーで懸命に雪を飛ばして下さって、ようやく2階の窓に達する雪を1階上まで下げていたが、いまはどんどん減っている。表側は一時は2階の窓まで塞がったのに、もうほとんど雪がない。
21日(土) 予定を大幅に遅れて、昼頃にようやくNo.248の編集を終えた。
背中がバリバリという感じで、久しぶりに整体を受けることにし、湯滝温泉にむかった。その行き帰りに戸狩野沢温泉〜西大滝の各駅とその周辺を撮影した。最後に撮影に行った西大滝駅で驚く出会いがあった。
西大滝集落には何度も行ったことがあるし、飯山線に乗車して西大滝駅を通ったことも何度もあるが、西大滝駅そのものを訪れるのは初めて。随分と小さな駅だ。
その駅前に軽トラで着いた途端に駅舎から一人の男性が姿を現わし、私に「地元の人ですか?」と尋ねてきた。「いえ、隣りの栄村の者ですが。何か?」と返事すると、「ビールを売っているところはないですか?」と。
話を聞くと、「いま、山を越えて来たんですよ」言われる。私はポカーン。意味が理解できない。説明によると、関田山脈の栄村とは反対側にあるキューピッドバレースキー場から雪山をスキーで越えて西大滝に下り立ったというのだ。もうビックリ。
「ここは1つの集落ですから、酒屋が1軒くらいはあるんじゃないかと思いますが」と答えて別れたものの、駅から出た後、集落の中を走った感じでは酒屋はなさそう。そこで、隣の白鳥まで走り、滝沢商店で500ml缶のビール1本とつまみ代わりのポテトチップを買って、西大滝へ戻り、集落内を歩いている男性に「差し入れです」と言って、手渡した。山越えの危険度は私にはよくわからないが、こういう人は大事にしなければ、と思った次第。
帰村後、「さかえ雪ん子まつり」の様子を撮影して、一日が終わった。
22日(日) 今日は白馬村で被害が一番ひどかった堀之内区の総会。8時半の開会に間に合うように、村を6時15分出発で白馬に向かった。
総会での議論を聞かせてもらったが、4年前の地震当日から半年間くらいの苦しかった時期のことを思い出した。地震から今日でちょうど4ヶ月。間もなく雪が消えれば、ある意味では地震直後よりも酷い状況がみなさんの眼前に現れる。大変だが、なんとか踏ん張ってほしい。情報発信を軸に出来うるかぎりの支援をしたいと思う。
区長を退任された鎌倉宏さんに拍手を送るみなさん
総会は正午頃に終了。午後は和歌山県大地町からやって来た人たちとの交流会が予定されていたが、仕事の進行が遅れている私は総会終了後、栄村に戻ることにした。
帰村後、「お米のふるさと便り」の編集準備に入ったが、ある写真に写っている人たちのお名前を聞くために、あるお家を訪ねた。そこでお茶のみになり、いろんなものをいただいたうえに、さまざまなお土産も。
温泉に受付終了間際にかけこみ、帰宅後、ブログのアップ作業等。
温泉で植物博士の石沢先生に出会った。「先生、お車は助手の方が運転ですか?」とお尋ねすると、「いや、自分で」とのこと。新潟市からの走行。今年80歳になられる。なんともお元気だ。
23日(月) 昨日までの好天と高温はどこへやら、朝から雪模様。今日からはNo.248の配達を本格化。
上の写真、枯草の上にうっすらと雪がのっている。これだけ見れば初雪の景色。でも、今日、配達に出た直後、中条で撮ったもの。この場面の上の方まで一緒に撮ると、下の写真になる。
配達は昼過ぎまで。95軒113部。
昼すぎに国道117栄大橋を通る時、飯山線の中条川鉄橋の工事が川の増水の中で効果をあげているかどうかを見るために、カメラを持って橋の下を覗いた。
すると、線路脇にカモシカの姿! あまり大きくは撮れなかったが、カモシカが飯山線を渡るという非常に珍しい姿を撮ることができた。その写真はさっそく明日24日朝にアップする「3月24日(火)の飯山線」に使うことにした。「復興への歩み」でも紹介したい。
森のヤマザキショップに立ち寄った際に平滝の橋脚建設現場の監督さんに出会った。昨日、もの凄い増水で、出来上がった今工期分の橋脚の大部分が水に浸かった様子を見ていたので、そのことを話すと、「仕事になりません。今日はみんなでお茶のみでするしかありません」とのこと。昨日までの高温で融雪が進み、川がものすごく増水しているのだ。昨日の様子を紹介しておきたい。
午後から夜にかけては「お米のふるさと便り」の原稿書きと編集。
24日(火) 今日は一日中雪の予報。そんな中で、極野、坪野、原向、大久保といったいちばん大変なところを廻った。昨日廻りきれなかった北野、極野等の協賛者宅に行かねばならなかったのだが、今週は26、27日の配達を休まなければならない事情があるので、「山の上の方を廻るのは1回にしよう」と考え、極野〜大久保の全戸に配達することにしたのだ。
上の写真は原向の登渡(とど)地区で撮影したもの。何を撮ろうとしたのかといえば、「朝から誰も通っていない道路」。やはり原向あたりは雪が深い。午後3時頃、国道117沿線に下りたが、除雪がいらない程度の積雪。
夜はある仕事をやろうと思い、温泉も夕食も早目にしたが、体力なし。印刷などはしたが、基本的にグダグダと過ごした。
25日(水) 最近は朝が早いが、今日はちょっと遅めで、6時半に起床。新聞を取りに外に出てびっくり。ばっちりと積もっている。下は家の前に停めていた軽トラの朝の模様。昨夜の車にはいっさい雪はなかった。
除雪車も入っていて、7時半頃に森宮野原駅まで飯山線の運行状況を確認しに行くために、久々に家の前の雪片付け。
雪は夜まで断続的に降り続け、今日だけで少なくとも40cmは降っただろう。「寒の戻り」どころの話ではない。でも、明日から晴れて気温が上がれば、この雪はすぐに消えるだろう。
午前中は書類作りの仕事が主。昼前から配達に出て、116軒。No.248の累計は338部で、まずまずの調子。これで明日の午前の早い時間帯に少し配れば、明日の半分と27日に配達できなくても、No.248の配達はなんとか31日までにできるだろう。
26日(木) 今日の午前中に廻した書類づくりの完成・送信の作業が意外と時間がかかり、配達はほとんどできないまま、京都へ出かけるため、飯山駅へ。
飯山12:44発の「はくたか」の乗車の予定だったが、駐車場に不安があったので時間に余裕をもたせておきたかったのと、昼食を食べる時間も必要だったので、11時半頃に飯山駅に着くようにした。
駅の市営駐車場は駅前から入って行くコースが未完成で駅の裏側にぐるっと廻らなければならない。辿り着き、「平面駐車場」に入ろうとゲートに行くと、「しばらくお待ちください」の表示。「何だろう?」と思ってよく見ると、その横に「満車」と書いてある。やむなく立体駐車場(下写真)へ。ここはスムーズに駐車できた。ただ、駐車場から駅への案内表示はよくない(写真右手の通路が斑尾口への通路)。
駐車場からは、「斑尾(まだらお)口」というところから駅舎に入る。駅1Fの案内所などに行こうとすると、いったん2階に上がり、そのうえで1階にもう一度下りないと行けない。駅の1階を飯山線が走っているので、こういう構造になるのだが、いささか不便。
駅1階のそば屋へ。自動ドアが故障していて、店に入るのに一苦労。「生めん使用の特上」と「普通」の2種があり、「特上」の「山菜かき揚げそば」というのを注文したが(「特上」とはいっても500円前後だったと思う)、汁が辛くて困った。飯山線長野駅の立ち食いそばの方がはるかに美味い。
その後、2階の交流スペースにある喫茶ルームのようなところへ。ケーキ的なものと同時に笹寿司がおいてある。飲み物はコーヒー中心なので、変な取り合わせ。
文句ばかりで恐縮だが、よーく考えると、こんなことなのではないかと考えた。とてもおしゃれで綺麗な駅ビルなのだが、建物に人が馴染んでいなくて、なにかよそよそしい雰囲気が漂っている。そこを埋めるヒト(開業初日にイベントをやって駅を賑わせた人たちなど)が不在で、初めて駅を訪れた者はなにかゆっくりと滞在できる雰囲気を感じられないのだ。これは時間の経過が解決する問題なのだろうか?
この駅の最大のウリは駅からの眺めなのではないだろうか。とくに山々が雪を抱いているいまの季節はよい。駅舎2階に展望スペースという場所があるのもうなずける。
27日(金) 北陸新幹線で夜7時22分に飯山駅に戻った。
駐車場は係員一人がいたが、その他はまったく人の出入りがなく、寒々しい感じ。
駐車場から出た後の市街地への道の案内が悪く、変な道に出てしまった。とにかく駅・新幹線開業に準備が間に合っていないところが多々ある。
国道117を走って村に戻ってきたが、117の夜の暗さを初めて感じた。湯沢で新幹線を降りた場合はあまり道の暗さを感じたことがなかったが。
23〜25日の雪はすでに消えている。
28日(土) 午前中は「北陸新幹線乗車体験記」を作って、ブログ等にアップ。
一昨日、昨日はたいして体を動かしていないが、やはり移動距離の長さで疲れが出るのか、今日は体がけだるい。配達はやめておこうかとも思ったが、天気がとてもよく写真だけでも撮ろうと午後から出かけ、結局、106軒に配達した。
雪坪で正面に見える山がとてもきれい(鳥甲山か、上写真)。雪坪から志久見、柳在家と廻る中で同じ山を引き続き撮影しようと思っていたが、次第に正面には見えなくなる。加用か百ノ木(津南町)あたりから正面に見えるのではと思い、配達後、長瀬経由で加用へ。ついでに日出山線がどこまで開いているのかを知ろうと、道を奥へどんどん進んだ。下日出山の少し先まで開いていた。百ノ木から下日出山まではかなりの距離。津南町の道路除雪は大変なんだと実感した。
今日は平滝でも村の東南方向に見える山々がとてもきれいだった。雪本番の季節よりも、いまの時期がいちばんきれいなのではないだろうか。写真アルバムでもつくりたい気分だ。