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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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梅雨の晴れ間に青倉を歩く

 毎月25日に青倉米を購入して下さっている方々に、お米ととともに、「お米のふるさと便り」というものをお送りしています。
 6月25日号を受け取った方から、「有難う。ふるさと便り、いい情景が続いていますね」というメールをいただきました。
 せっかくのアルバムですので、本ブログにもアップしたいと思います。



 6月22日、「3日後はお米の発送だな」と思いながら、「栄村復興への歩み」の配達に青倉集落に向かいました。午前8時20分頃でした。配達を始めた直後に強い雨。あるお宅でのお茶のみするうちに雨は上がり、花の写真を撮ったり、田んぼに出ている人と話したりしながら進み、最後は西山田の棚田へ。集落に下りてきたのは12時40分すぎ。4時間強ですね。今回はその写真記録をお届けしたいと思います。(上の写真は寺平下と呼ばれるところの田んぼから青倉集落を撮影)

 青倉の地図をご覧ください。


 
 写真を撮り始めたのは雨が止んでから。



 最初の1枚です。撮影地点は地図Aのあたり、屋号「せぎ」のお宅の前。
 じつに鮮やかで、きれいな花です。しかし、残念ながら名前がわかりません。
 後に出てくる「シモツケソウ」や「シモツケ」という花に似ていますが、違うもの。いろいろと調べましたが、葉の形が一致するものが見つかりませんでした。
 ご存じの方、おられましたら、是非、ご教示ください。開花前のつぼみはこんな様子です。



黄色のさまざまな花
 「せぎ」さんの後、9軒を廻った後、地図Bのあたりで見た花をつぎつぎと紹介します。











 いずれも黄色で、花の姿も似ていますが、でも、違う種ですよね。どれもこの時期、栄村でよく見かけるものですが、すぐ近くにこれだけの種類がずらっと勢揃いというのは珍しいと言えるかもしれません。それぞれの名前を調べる努力をしていますが、正確なところはなかなか判明しません。
 まあ、きれいな花を眺めるだけでも十分に心和むものですが…。
 午前11時10分すぎ、52軒の配達を終えて、集落の中にある田んぼ(「田原(たばら)」あるいは「居平(いでら)」と呼びます)に向かいました。

成長する稲



 地図Cのあたりの田んぼの稲の様子です。
 前号で田植えの様子を紹介した田んぼの稲です。5月24日の田植えからほぼ1ヶ月。稲は分げつが進んでいます。
 分げつとは、稲が茎を増やして大きくなっていくことを言います。分げつがあるからこそ、1粒の種籾から1000粒ものお米ができるのです。



 上の写真では、田んぼの水面に水の波紋が広がっています。1枚目の写真と同じ田んぼで、雨が降ってきたわけでもありません。
 水の波紋を生み出したものの正体は次の写真のもの。
 
 
 
 そう、オタマジャクシが動き回ると、水の波紋が広がるのです。
 
 この田んぼの様子を撮影している最中に、地図Dの方向で煙りが上がり、軽トラが停まっているのが見えたので、そちらの方に向かいました。寺(てら)平下(びらした)と呼ばれているところです。
 1頁の写真を撮影したところです。



チョウやトンボ
 最初に出迎えてくれたのはチョウとトンボです。
 


 
 
 田んぼでは、作業中の高橋簾子(れんこ)さんと立ち話。
 
 簾子さんと話し終わった後、私はすぐ近くのこんな川のそばで写真撮り。




 
 アザミにきれいなチョウがとまっています。おそらくウラギンヒョウモンというものだと思います。
 さらに川べりにある花が咲いているのを見つけました。
 
 
 
 シモツケソウ、あるいはコシジシモツケソウというものです。両者の区別が私にはまだできません。栄村でもこの花を見られるところは比較的限られています。
 この撮影をしていると、簾子さんが後ろから、「何を撮っているの?」と声をかけてこられました。
 比較的珍しいものだとお話すると、「へえ、そんな名前なの。あそこのお墓のところにも咲いていますよ」と。
 その場に行ってみると、なるほど、もう少し開花が進み、花がピンク色になってきたものを見ることができました。



 その近くの田んぼでは、島田繁雄さんが草刈りを終えられたところ。



 石垣で畦をつくった田んぼで、刈った畦草がきれいに集められています。
 そして、繁雄さんも簾子さんもそれぞれ一輪車を押して家路につかれました。時計の針は正午をさしていました。


 
 私は自分が軽トラで動いているので、簾子さんも車が通れる道を進まれるのだと思っていたら、お墓の横を通って畦道をどんどん進んでいかれます。お家は写真の右手に見えるもの。たしかに一輪車ならば畦道を進むことができて、近道ですね。



西山田の棚田へ
 私はこの後、西山田の棚田へ。地図のEのあたりに私が田んぼをしているところがあります。


 
 左は私がやっている田んぼの近くの法面(のりめん)ですが、ただ草が生えているだけのようにしか見えません。しかし、よく見ると、



 こういう花がたくさん咲き始めています。トラノオです。
 今日はまだ姿が見えませんでしたが、トラノオが全面的に開花すると、たくさんのチョウが集まってきます。
 
 西山田から集落に下る山道のそばでは、4つの花が見られました。



 背の高いもので、雑草の1つとしか見なされないものですが、こうしてクローズアップすると、なかなかのものです。
 2枚目はヤマアジサイです。



 標高の高いところで、これから7月にかけてたくさん咲きます。
 
 3枚目はクサフジ。まだ色づき始めですね。
 

 
 つぎはオオバギボウシの花。オオバギボウシの若芽はウルイとして知られる山菜です。


 
 梅雨の晴れ間の青倉歩きはこれで終わり。
 ちなみに、今回はご紹介できませんでしたが、青倉の田んぼに水を送る野々海池の周囲の沢はまだまだ雪がたくさん残っています。雪が残る野々海、春の花が咲く青倉から野々海への道、そしてすでに夏の花が咲く里と、三つの季節を同時に楽しんでいる今日この頃です。
                                         
        
お米のふるさと便り7巻9号(通巻80号)
発行日:2015年6月25日
発行者:NPO法人栄村ネットワーク
    〒389−2702 長野県下水内郡栄村大字北信3950-5
    電話080-2029-0236 FAX0269-87-2131
    ブログ: http://sakaemura-net.jugem.jp/ mail:aokura@sakaemura.net
振込口座 ゆうちょ銀行 普通口座 11120−12957551
     口座名義 特定非営利活動法人栄村ネットワーク
     電子振込の場合は、トクヒ)サカエムラネットワーク と書き込んでください。

青倉米についてのお問い合わせは、上記のmailまたは電話までお願いします。


アスパラ料理2点

  朝採りのアスパラを楽しめる時期も終わりが近づいてきましたが、最近、料理してみたものを2点、紹介します。
 18日朝、滝沢総一郎さんの朝採りアスパラを入手。
 


1つめは、牛肉とアスパラのガーリックライス。
にんにくチップは、にんにくを薄切りにして、少量の油で揚げるように焼きます。
アスパラは薄切り。
ポイントは、牛肉とアスパラを肉の色が変わる程度まで炒めた後、いったん取り出し、ご飯をパラパラになるまでよく炒めたうえで、牛肉とアスパラを戻して仕上げる。
朝採りのアスパラはあまり火を入れないこと。




2つめは、鶏もも肉とアスパラとエノキのスタミナ炒め。
鶏もも肉をにんにく、しょうがのすりおろし、塩、酒と一緒に袋に入れ、揉み込んでしっかり漬け込む。
鶏もも肉を両面に焦げ目がつくまでしっかり焼き、アスパラ、エノキを入れてからはさっと炒める程度にするのが、アスパラ、エノキのシャキシャキ感を楽しめていい。
エノキは「大庭君家のえのき」を使いました。やはり違います。
アスパラは、レシピ集では「細いもの」とのことでしたが、実際に使ったのはLサイズのやや太めのもの。でも、新鮮な朝採りでしたので、上半分を使い、穂先はそのまま、穂先の下は縦半分に切るだけで十分。さっと炒めるだけで充分に柔らかく、かつシャキシャキ感があって、アスパラの美味さがよく生きていました。


17、18日撮影の写真から



アスチルベという花のようだ。
東アジア、北米に約25種が分布し、日本にもアワモリショウマ、チダケサシなど6種が自生するという。
栄村では庭に咲いている人に尋ねると、「トリアシだよ」と言われたが、トリアシショウマと同じユキノシタ科に属す。Wikipediaでは「ショウマの別名をもつ」と紹介されている。

白色、赤色それぞれのクローズアップも。





近くにはピンクのものも。



 以上、いずれも2015年6月17日午前、大久保集落のあるお宅の庭にて。

ヤギの乳搾りの様子


6月17日夕。



ヤギの乳は飼育舎の中で搾ると、ヤギの体臭が移ることがある。飼育舎の外の広々としたところで搾乳。
搾っているのは上倉重平さん(平滝集落)。2年前からヤギを飼う。昨秋、交配に成功し、今春、2頭の赤ちゃんが誕生。5月から搾乳している。
母ヤギのピピーは搾乳中も黙々と草を食べている。


搾った後、濾し布で濾す。



搾れたのは牛乳瓶4本分。容器は牛乳瓶が最適。ペットボトルなどを使うと、容器のにおいが移る
この後、65℃くらいで加熱殺菌。
とても甘くておいしいミルクだそうだ。



搾乳中、子どもたちは近くで跳びはねたりして遊んでいる。
搾乳の後、飼育舎の戻すと、早速、2頭の子ヤギがおっぱいを吸う。






6月18日、青倉から野々海にむかう途上で観察した卵。この日はこの写真しかないが、10日撮影のものが次の写真。



ある人から、「サンショウウオの卵ではないか。クロサンショウウオの卵に似ている」と連絡をもらった。たしかに撮影地点の近くはサンショウウオが生息していると聞いたことがある。



平滝から上がる道と、青倉から上がる道とが合流する野々海の三叉路のそばの沼地。6月18日昼で、まだかなりの雪が残る。


写真の真ん中に見えるのは水中の雪。



沼地の周りにはミズバショウが開花している。



野々海峠にむかう林道温井野々海線の道路脇のミズバショウ群生地。すべて小ぶりなので一時はヒメカイウかと思ったが、花が咲き終わった後のものの葉が大きくなっていたのでミズバショウだろう。

上の写真の奥に見える雪の先にもミズバショウが続いていることを発見。




次は、深坂峠にむかう道路脇の沢のミズバショウ群生地。



ここで東京・青梅市から写真撮影に来られた人と出会う。
こんな写真も撮れた。



18日の野々海での撮影写真はまだまだあるが、ここでひとまずの区切りにする。


配達日誌6月9日〜20日

9日(火) 配達は小滝の12軒のみ。
 朝4時前に目がしっかりと覚めてしまい、そのまま起床。日誌やデータの整理をしたり、メールの返事をしたりして、田んぼの様子を見に行った後、7時頃に、頼まれたアスパラをいただきに、滝沢総一郎さんの作業所へ。選別作業の様子を見せていただく。

 起きた直後はバナナ2本とコーヒーのみだったので、9時半頃、トーストを1枚。これに塗ったのが雪下ニンジンのジャム。6日、加藤彰紀さんが届けて下さった。彼はいろんな料理にチャレンジされる。瓶の蓋を開けた時の見た目よりも、実際はずっとなめらかな感じで、美味。



 その後、横倉の共同作業の代掻きを取材したり、発送作業をしたりしていると、あっという間に夕刻。

 昨夕、ズッキーニをいただき、今朝はアスパラが手に入ったので、念願のアスパラと焼きズッキーニをトッピングで上に載せる夏カレーをつくった。赤い色もほしかったので、いままでやったことがなかったが焼きトマトにも挑戦。これが非常にマッチする。ブラックペッパーを少し振るのがポイントかもしれない。

10日(水) 今朝も4時すぎに目が覚め、そのまま起床。外はまだ薄暗く、やや肌寒かった。
 田んぼの様子を見に行ったのが7時すぎ。城ヶ館の上の農道斜面が崩壊して以降、西山田から貝立山の方へ直行できないので、貝立方面にご無沙汰になっていた。思い立って、いったん下におりて、スキー場から貝立方向へ上がった。
 貝立山登山口を越えて水路かけ口に向かうと、「期待通り」雪が結構残っている。
 野々海に通じる道路に軽トラを停めて、かけ口に歩いて向かうと、イワウチワの群生が目に飛び込んできた。少しでも花に近づいて写真を撮りたいと思い、雪の斜面を上ったが、下りが大変。下写真の手前に私の足元が見える。スパイクが付いている長靴だが、雪がけっこう硬くて、スパイクで雪を削れず、滑りそう。なんとか下りたが。



 かけ口手前の沼で下写真のものを「発見」。ここはモリアオガエルが木の枝などに産卵するところだが、今日見たのは沼の水中。モリアオガエルの卵とは別ものなのか。どなたか、詳しい方がおられたら、ご教示願いたい。



 これより前、スキー場のリフト中継点と最上部の間で、地滑り防止工事が二度にわたって行われた箇所の近くで、山アジサイの状況を見た。もう形がはっきり出ていて、1週間もすれば色づくものも出てくるかという感じ。だが、貝立水路のかけ口付近の山アジサイの群生場所はまだ雪に覆われてるところが多く、まったくその影も見えない。何百メートルもの標高差でないのに、ずいぶんと季節の進み方が違うことに感心。

11日(木) No.256の編集と11日分の印刷は前日に完了。ただし、折り作業が今朝になった。起床は早かったものの、折り作業で出発は8時を過ぎてからになった。

 初日の配達ゾーンに秋山を選んだが、国道405ではなく、日出山線で行くことにし、まず鳥甲牧場(跡)で福原初さんが進められている農地回復の作業の進展度を見せてもらった。到着はほぼ9時頃。前回、5月22日に訪ねた時と比べると大きく進んでいて、“農地だ!”という部分が広大に広がっていた。



 その後、5月22日には廻れなかった五宝木へ。山田政治さんと出会い、結局、家に上げていただいて、小1時間、いろんな話。話の後半は、「地震から4年間、ずっと通行止め。今年もですよ。いったい、どうなっているんだ」という怒りに満ちた訴えを聴く。そこで、「見てきます。いったいどんな状況になっているのか」と約束し、五宝木から極野に通じる道路を進むことに。落石、斜面崩壊等が見られる箇所を順次、写真を撮りながら進んだ。政治さん宅を出たのが10時2分、戻ったのが11時18分だった。

 この段階で「今日、秋山を全部廻るのは時間的に厳しい」と判断し、五宝木の6軒(政治さん宅以外)に配達した後、林道でいっきに切明に出ることに決めた。切明到着が12時28分。
切明に向かう途中、写真のように道路そばに大量の雪が残る沢を見た。



 上の方はあまり見えなかったが、和山から上野原に向かう途中、対岸にこの箇所が見えた。鳥甲山で沢に最も残雪が多いところなのだ。



 その後、和山、上野原を廻り、上野原からは苗場山3合目駐車場に通じる道路を通って小赤沢へ。小赤沢到着が14時27分。途中で少し立ち話などすることもあったが、小赤沢での配達終了が16時10分。
 その後、405を下り、途中で前倉集落を通る道路に入り、日出山線へ。百々木から前子、そして長瀬の中尾に通じる道路を体験通過して東部地区へ。少し写真を撮っておきたいところを廻り、18時頃から森集落のNo.255未配達宅をNo.256とセットで配達。終了は19時を過ぎていたと思う。
 夕食後、五宝木〜極野間の道路の写真データの整理を始めたものの、あまりの疲れで途中まで。
 
12日(金) 配達は協賛者宅を中心に75軒にとどまる。
 五宝木の道路の件で、北信地方事務所の問い合わせたり、役場を訪ねたり。予算カットで法面工事が中断されていることがわかった。
 配達時、まだまだ先だと思っていたシモツケソウ、シモツケ、タチアオイの開花に出会って、びっくり。

13日(土) 協賛者宅を中心に配達は102軒。
 極野の全戸を廻ったのは午前10時頃からだったと思うが、極野の配達が終わったところで、五宝木への道路の法面工事が中断になっている箇所の山の上の様子を確認したくて、極野から五宝木方面への道路に入った。
 
 昨年6月に軽トラで上がった林道を進む。間もなく、ナラの枯れ木が根から倒れて斜面が落ちたと思われる箇所に遭遇。すでに木も伐られて、片付けが済んでいたが。そして、法面工事が行われたところに辿り着いたが、非常におっかないところ。「復興への歩み」でも写真紹介するが、ここでは1枚。



 私が立っているのは法面工事が完了している箇所の突端。写真に赤線を入れたところが極野〜五宝木間道路。黄色マークは道路脇の送電塔。その道路にむかって
私が立っている地点からいっきに急斜面になっているのだ。
 おっかなかったが、法面工事がどんなところで行われ、また、工事が中断しているのか、よくわかった。
 
14日(日) 配達はなしにもかかわらず、超ハードな一日となった。
 4時起床で、5時から山フキとミズの採取とそのそうじ等。その後、程久保のアスパラ畑の撮影をして、9時から森集落の田休み・タケノコ汁会の準備のタケノコ皮むき。みなさん言っておられたが、むいてもむいても、皮をむいていないタケノコの数が減らない感じ。


みんなでひたすら皮をむく
 
 一同で般若心経を詠むという長瀬の「しつけ祭り」(「しつけ」とは一言でいえば田植えのこと)の様子を見たくて、10時50分頃に森の公民館を出て、長瀬へ。小1時間取材。その後、発送するタケノコやアスパラの受け取りに天地、程久保へ。そして、30kgのコメの精米、荷造り。        
 ここまでで午後3時。
 ここでもう動きをやめればよかったのだが、花のことでどうしても知りたいことがあって泉平、そしてスキー場へ。スキー場から下りてきて、青倉のお宮の近くの田んぼで、知人からメールで連絡をもらった「ホウネンエビ」というものの観察。
 温泉、夕食が済むと、もう9時を廻っていた。

15日(月) 昨日の超ハードな行動の疲れがぬけていないのか、朝起きても背中の上部が重い。たしか30歳代の頃に悩んだ低血圧症の時の症状とそっくり。こんな時に配達に出てもはかどらない。かといって、家にとどまれば、またPC作業で疲れを増幅してしまう。こういう時はいい景色を見るのが一番と考え、野々海へ。
 予想通り池の雪は消えていたが、沢にはまだまだ多くの雪。しかし、試してみたいと思っていた沢歩きは候補地に行ってみたところ、「これは足を踏み込んだら、川(水路)に足が落ちた」という箇所がありそうに思われる程度に雪の厚みが薄くなっていたので、断念。

 ミズバショウの様子を見に東窓に行ってみたら、多摩ナンバーの人がいた。話すと、その前に富山ナンバーの人が来ていたという。
 東窓のミズバショウは「まだまだこれから」という感じだが、一方で「湿地が徐々にダメになってきているのではないか」という感じも受けた。こういうところは専門家の定期的なチェックを受ける必要があるのではないだろうか。

 深坂(みさか)峠へは車では途中までしか行けないが、雪を上を歩いていて、これまでミズバショウの存在を知らなかった沢に群生があった。



 写真の沢の雪の先にミズバショウがかすかに写っている。群生の状況は「もの凄い」とまで言えるレベルではないが、野々海池周辺一帯の自然の豊かさを改めて強く感じた。こういう環境をうまく保全し、よりよいものしていく方法を学びたいものだ。
 この他、ヒメカイウらしきものの群生を道路脇で見つけたり、アカモノとイワナシを同時に見たり、さらに帰り道でチョウが群れ飛ぶのをみたりと、非常に収穫の多いドライブ。
 夜、「栄村つれづれ歩き」6月15日版を編集し、ブログにアップ。
 あまり休暇にはならなかったかもしれないが、楽しかった。

16日(火) 五宝木の道路通行止めの件、「五宝木の人は通行可にした」と聞いたので、一時は記事化を急ぐことはないかとも思ったが、やはり21日の定期発行を待たずに記事化することにし、朝から記事を書き、編集。昼前に出来上がり、「まずは話のもとになった政治さんに見せてから配ることにしよう」と考え、午後0時半頃に出発して、極野から五宝木に向かった。
 いまにも降り出しそうな空模様だったので、この道を進むことの危険性も感じたが、雨天時の様子の観察という意味も込めて進んだ。
 極野を通過したのが12:43、政治さん宅到着が13:06、途中で1回写真撮りをしている。やはりこの道路を通れば五宝木は近い。距離は11km。



 政治さん宅で話しているうちに、凄い雨音がしてきた。話を切り上げて帰ることにし、危険ならば戻ることにして、極野への道を進む。法面工事が中断されている箇所にさしかった時は傘なしで撮影できる程度の降りに変わっていた。その時の地肌がむき出しになった箇所の様子が上の写真。斜面の上方から雨水が滝状に落ちてきている。この日の雨はかなり激しいものだったが、強雨の時間はせいぜい10分間くらいだったのではないか。それで、こんな感じになる。甘く見積もっても時間30mmの雨の時などは通行不可だろう。そして、右のようなことが繰り返される中で、この水の通り道から次第に地盤が脆くなり、危険性が増していくのではないだろうか。
 やはり、「予算がつかなった」では済まされず、本工事はともかくとして、なんらかの措置をとることが必要だと思われる。
 五宝木から戻った後は種々の用件を済ませ、配達はほとんどなし

17日(水) 一度目が覚めたが再度眠り、起床は6時頃だったか。外は雨が降った様子だった。
 アスパラの予約を兼ねて程久保から配達をスタート。午前中で程久保、野田沢、大久保、月岡、箕作(半分くらい)を廻り、100軒。
 途中までずっと小雨模様だったが、それがあがり、11時頃から結構暑い感じ。



 タチアオイが花を咲かせているところが急速に増えた。写真は月岡の保坂照夫さん宅の横。ここは4〜5日前から咲き始めていたが、開花の本数がいっきに増えた。いまのところ、ここは群を抜いて本数が多い。色も鮮やか。この写真には写っていないが白の花もある。これで青紫系統の色があれば申し分ないのだが。
 じつは、昨年まではタチアオイをあまり好んでいなかった。昨春から配達時に花を強く意識して観察するようになってから好きになった。今年は「タチアオイ・コンテスト」みたいなことをやってみたいと思っている。

 ところで、タチアオイは栄村ではいま頃から夏本番にかけて、かなり長期にわたって花を咲かせるが、5月末だったか、気象情報のTV番組の中で静岡のタチアオイの映像が流れ、「入梅前の花として知られる花」として紹介された。意外な話だった。先日、泉平で武田文子さんと花談義をしたとき、その話をしたら、文子さんからは「栄村では『タチアオイが咲いたら梅雨があける』と言われている」とのお話だった。各地に同じように咲く花でも、その地の気候の違いによって季節性、花にまつわる格言が変わるのだ。
 
 今日から五宝木道路の問題を記したNo.257を配布しているが、山田政治さん・セキさん夫妻をよく知る人が、お二人の写真を見て、「五宝木に帰ると、顔がちがうね」と言っていた。やはり、環境が豊かで、暮らし慣れた五宝木が一番なのだな、と思う。

 夕刻、平滝での配達途中で上倉重平さんが手を振って合図して下さった。ヤギの搾乳だ。乳搾りに要した時間は15分間ほどだったろうか、全過程を見せていただいた。「栄村つれづれ歩き」などで詳しく紹介しようと思うが、ここでは1枚だけ紹介しておく。



 この日の搾乳量は1ℓ弱だったが、それでも牛乳瓶4本分になった。

18日(木)午前中、箕作、横倉などで配達した後、昼前に野々海にむかった。ある稀少植物の所在を見たかったからだが、残念ながら、その目的物は発見できず。

 ただ、深坂峠にむかう道路に八王子ナンバーの車がとまっていた(積雪で車が進めなくなる地点)。そして、15日にはじめてミズバショウの群生を確認した場所(沢の下)から人の声が聞こえるので、そちらに向かった。二人連れの男性で写真を撮っておられた。話を聞くと、7〜8年前に訪れたことがあり、その時の記憶を頼りに再び訪れたとのこと。


先日、道路脇に群生を見たところ。沢の奥まで群生が広がってい
ることを新たに発見

 さらに、夕刻、村内に宿泊のお客さんから村内観光について話を聞きたいとのことで出かけた。この人たち(3人連れ)はすでに今日の午後、野々海を訪れておられたが、私が今日撮った野々海の写真を示しながら話すと、「こんなにミズバショウがたくさん、いろんなところにあるのは珍しい。明日、もう一度行ってみよう」ということになった。          
 野々海の価値は大きい。その保全と活用をもっともっと考えなければならないと強く思う。
 
19日(金) 明日の講演の準備等で配達はなし。
 写真データのPCへの取り込みで不具合が発生し、知人に応援を頼み、津南町へ。
 疲れが出ているのか、体調がよろしくない。

 午前中には友人が畦草刈りをするというので、連写でかなりの枚数を撮った。整理ができ次第、なにかの形で紹介したいが、ひとまず、まず1枚だけ。



 村ではよく見る、ありふれた光景で、何の変哲もないものだといえるが、一つ、畦畔草刈りに関する重要な原則が映し出されている。法面に対して写真のような位置関係で立ち、自分が法面で下向けに転んだ時に草刈り機の歯の部分に体が重ならないように心がけること。私が村に来て、畦畔草刈りをするようになった時、村の人から最初に厳しく教え込まれた基本原則である。被写体になっているのは大庭光一さんだが、彼は靴にスパイクを付け、足が滑らないように安全確保を徹底している。大事なことだ。






20日(土) 安曇野市穂高の公民館で「震災にどう備えるか」で話してほしいという依頼を受け、現地へ。開会前に軽トラで現地を20分ほど走り回ったが、穂高に隣接する池田町(昨年7月に訪問)とはまた地理的・社会的条件がかなり違うように感じた。震災にどう備えるか――昨今では防災マニュアルが各地で作られているが、地域特性をふまえたものは少ないように思われる。
 ひとつ、非常に印象的だったこと。講演会の会場の穂高会館は公民館と体育館が1つになった、かなり大きな建物。最近、耐震化工事が完了したそうだ。バスケットのコートが2面とれる体育館はかなり広い。観客席も500人くらいは収容できる規模ではないかと思う。わが村のかたくりホールよりもかなり広い。広いだけでない。帰り際、バスケットの練習が行われていたが、音の反響が凄まじい。静謐(せいひつ)さというものを確保できる空間ではない。
 仮に災害発生−避難となれば、ここも当然避難所になるのだが、天井の高い、そして音がもの凄く響く巨大空間に大量の人が毛布2〜3枚だけを与えられて収容されるかと思うと、ゾッとした。
 
 帰路、安曇野インターから長野道に入ったが、インターに入る前、「更埴JCT〜長野間、火災、通行止」の表示が。「まあ、その区間に近づく頃には解除されているだろう」と思って高速に入ったが、更埴JCT(ジャンクション)でやはり通行止め。一般道へ下された。料金所で聞いたところ、「JCT内でマイクロバスが燃えている」とのこと。
 一般道(国道18号)は南長野総合運動場の交差点まで渋滞。長野インターから上信越道に入ったが、ほとんど走行車なし。更埴までかなりの数の車が長野道を走っていたが、長野ICで下りる車がほとんどということなのか。では、長野以北の高速道は不要ということになるのか? いや、そうではないと思う。もうこの40年以上、一般国道の本格整備はほとんど行われず、「自動車道」という有料の高速道路だけが整備されている。東北の被災地を訪れるために磐越西道を走った時、そのことを痛切に感じた。それがいつまでも有料というのは納得できない。
 
 安曇野に行く前、地元の中条と白鳥の一部で配達をしていったが、中条の屋号「ほいさま」のソヨさん(93歳か)。自宅横の作業所の前で仕事をしておられたが、作業所の中のツバメの巣の様子を紹介してくださった。写真に2羽のひなが見える。ここで誕生したひなである。



 ツバメが玄関先に巣をつくるのは厄介なことであり、ネットを張ってツバメを入れないという措置も理解できるのだが、ひなの成長を温かく見守る人もいる。ツバメの巣の様子を楽しげに紹介して下さったのは、ソヨさんが今季二人目。これはこれで大事なむらの暮らしのあり方ではないかと思う。




栄村復興への歩みNo.257

「地震から4年間ずっと通行止め、どういうことですか」
――五宝木住民の怒りの声


 6月11日朝、新しく出来上がった「復興への歩み」No.256を持って、まず五宝木集落を訪れました。
 以前からお知り合いの山田政治(まさじ)さん・セキさんご夫婦にお会いし、お茶のみをしながら、暮らしの様子など、さまざまな話を楽しくさせていただきました。



 小1時間ほどのお茶のみでしたが、話の後半で政治さんが怒りの表情を込めて話し出されました。
 
   「ここの道路は地震から4年間ずっと通行止めなんですよ。
    1年や2年ならわかります。でも、4年も経っているんで
    すよ」
 
 私はハッとしました。私も、「今年こそは極野から五宝木へぬけることができる」と思って春を迎えたのに、今春になっても通行止め。でも、その原因を深く追求することなく、この日も日出山線を走り、旧鳥甲牧場を通り抜けて五宝木に向かっていました。
 政治さんは、「私らがここで暮らしていることを忘れているんじゃないの」という趣旨のことも言われたと記憶しています。
 私は決断しました。
 「政治さん、わかりました。いまから道路の状況を見に行ってきます。かなり危険なところがあるかもしれないけれど、とにかく行ってみます」
 そこで見てきたものを写真入りで報告します。

今冬の雪崩で道路が塞(ふさ)がれ、電柱も倒壊
 五宝木から極野方向に道路を進み、山間(やまあい)の地帯に入っていくと間もなく、道路にそんなに大きくない落石が散在する箇所があります。そして、今冬期間中に雪崩等で土砂が道路へ流出したと思われる場所に遭遇しました。


写真1


写真2

 後に取材してわかりましたが、この地点の雪崩で電柱が倒壊したそうです。
 そして、その電柱が撤去されたのが、私が現場に行った日の前日、6月10日(水)のことだったそうです。雪が消えてからずいぶんと日数が経(た)っています。五宝木の人たちが森集落にある冬期間用の住宅を出て、五宝木に戻られたのは5月の連休の頃。それから1ヶ月強の日が経過しています。

 13日に2度目の現地調査に行った時に注意してみると、電柱が1本なくなった分、電線が低くなっていて、隣接する電柱とワイヤで結んで引っ張ってあるのが見えました(下写真。左手の黄色の線が電線。写真中央上から真ん中やや右へワイヤが貼られているのが見える)。


写真3

 この雪崩箇所は、電柱を含む倒壊物や流出物が撤去されたことで通行の障害はなく、また、よほどの大雨等がなければ、雪崩が発生した沢で土石流等がすぐさま発生する危険があるようには思えませんでした(もちろん、詳しい専門的調査は不可欠です)。
 
地震災害復旧の法面大規模工事が予算カットのため中断

 写真1の地点の後、2ヶ所ほど、道路面に雪の力で土砂や倒木が道路に流出したと思われる箇所が2ヶ所ほどありましたが、私が息をのんだのは次の写真4の場面に遭遇した時でした。


写真4

 見た当初に思ったことは、「1つの山が完全にぬけている。これじゃ、いつ大災害になるか、わからない。とても通行止めは解除できないな」というものです。誰が見ても、そう思うのではないでしょうか。
 この付近でかなりの枚数の写真を撮ったりして、極野方面にさらに進んだところで、周囲の状況等から、写真4の地点が昨年、法面工事が行われていた場所であることに気づきました。

 そこで、12日朝、県北信地方事務所の林務課に電話し、栄村の震災復旧工事等でよく存じ上げている職員の方からお話を聞きました。
 そこで、以下のことが判明しました。
   1. 法面工事は昨年度、今年度の2年にわたる計画
   2. 今年度、県が国に申請した予算が7割しか認められず、
    南木曽、御嶽山関連、昨年11月の神城断層地震関係の対
    策を優先させた結果、この箇所の今年度工事費用が確保で
    きなくなった。
   3. 今後の補正予算等での復活をめざしているが、現在のとこ
    ろ、予算確保の見通しはたっていない。

 工事が途中で止まってしまったのです。
 しかし、2年連続の工事を前提として、斜面はすでに木がなどは伐採され、地肌はむき出しになっています。
 私は、県林務課と電話で話した後、村役場の人とも話しましたが、この箇所について村役場が打つ手はありません。

 私はさらに、2つのことをしました。
 1つには、13日に再び写真4の現場に行きました。昨年6月30日に法面工事現場の山の上へ行った経験をふまえて、写真4の地点の山の上に行ってみました。


写真5


写真6

 写真4のいちばん上の方に芝を貼ったような緑の部分が見えますが、それよりも上の部分(写真4では見えないところ)では上の写真5のような工事が完成していました。これは今冬の大雪でも損傷を受けた様子はありません。この箇所を下り、写真4の急斜面の間際まで進んで撮ったのが写真6です。怖くて、これ以上は覗き込めませんでしたが、この下が写真4の地肌?き出しの急斜面です。
 また、極野〜五宝木間の道路に戻ってから、ある地点から見ると、写真6の右にあたる地点の山の上にブルーシートが張られているのが見えました。


写真7

 もう1つは、この法面工事に携わった方の意見を聴くことです。
 その方は、「もちろん危険です。大きな石が落ちる危険がある」と言われました。

さて、どうすべきか
 14日段階で私が確認したところによれば、村役場は、12日に道路に残る土砂等をきれいに片づける作業を行うとともに、担当者が五宝木地区を訪ね、「五宝木の人は通行してもらって結構です」と伝えてこられたとのことです。
 私も、晴天状況が続いているならば、落下している石に注意するなどすれば、通行はできると思います。また、13日に極野から五宝木にむかって車を走らせてみて、日出山−鳥甲牧場経由のコースよりも短い距離、短い時間で五宝木に行けることを改めて確認しましたので、なんとか「通行可」としたいと思います。
 しかし、法面工事が中断し、地肌が?き出しになっている写真1の地点に大いなる危険があることは否定できません。少なくとも、一定の雨量を超える時は通行止めにしないと安全は確保できないと思います。
 いちばんよいのは、なんとかして予算を確保し、工事を完成させることです。
 しかし、すぐにそうはならない現状では、県林務課、村役場、工事関係者、専門家等で充分に調査・協議してもらい、当面の安全確保策(降雨時の通行止めにする基準等を定める等)を決めてもらうことが最低限必要だと思います。

居住者少数の周縁集落を大事にする――村政の急務
 ひとまずの対策は上に書いたとおりですが、今回の五宝木の道路問題はそうした当面の対策を超えて重要な問題を突き出していると思います。
   居住者が少数で、しかも高齢化が進んでいる。そういう村の
   周縁に所在する小規模集落を村はどのように守っていくのか
という問題です。
 五宝木だけではありません。山田政治さんの口からは「坪野」の名前が何度となく出ました。「復興への歩み」では坪野集落の問題を何度となく取り上げてきました。役場にはそういうつもりはないかもしれませんが、震災後の対応では坪野は「忘れられた被災地」として扱われてきたことが事実の問題として否定できません。上水道の復旧工事が1年以上遅れた事実だけをとっても、そのことは明白です。
 そして、今回の五宝木、役場が五宝木を直接に訪れたのは政治さんらの声が役場に届けられてからです。
 これは個々の担当者の問題ではないと私は思います。
 村政、行政において、五宝木や坪野のような周縁・高齢化・少数世帯の集落に目が向けられていない(あるいは、目の向け方が非常に弱い)という問題だと思うのです。

 村民のみなさんも真剣に考えていただきたいと思います。
    「栄村は将来どうなるんだ? 人が減り、村はいずれなくな
     るんじゃないか」
 最近、村の人が集まる場でよく聞く会話です。
 事態は周縁地区から始まります。
 行政が行政としてなすべきことを充分にせず、さまざまな問題が個々人に委ねられてしまうとき、個々の人はあまりに大きな問題に対応しきれなくなり、個々が村を離れるという形でしか対応できなくなります。人数はまだ少ないですが、そういう事例を私は見ています。
 いまが、こうした問題に対処できるギリギリのタイムリミットなのではないでしょうか。


五宝木にたつ開拓記念碑(昭和21年4月入植とある)
 
築かれてきた暮らしの知恵・技に学ぶ、本当に創造的な村づくりを

 6月7日のことだと思いますが、冬の間、森集落の五宝木住宅で暮らす政治さんらとお付き合いがある森の人たちが五宝木を訪れ、政治さんの案内で山菜採りをされたそうです。
 五宝木の山菜の豊かさは栄村の中でも屈指のものでしょう。政治さんは90歳を超えられ、もう深い山に入ることはしないようにされていますが、最近まで山菜採りで随分と稼いでこられました。私が聞くところでは、とても良い山菜を採る知恵と技をお持ちだったことに加え、販売先として「いいものを、きちんとした値で買う」という販路の問題も自ら解決されていたようです。
 五宝木は冬は栄村の中でもいちばん厳しいものの、その名に「宝」という漢字が入っているように、恵み豊かな土地です。私はこの宝を現代にも活かせると思うのです。
 要は、村の中での位置づけ、施策のあり方です。たとえば、「復興支援員」や「地域おこし協力隊」の制度を村が使うのならば、少なくとも1人(1家族が望ましいが)、「五宝木の宝を活かすことに挑戦する」という募集をするというような発想法があって然(しか)るべきだと思います。


キャラブキ(セキさん手作り)


タケノコ、手作りコンニャク、揚げの煮物(セキさんの手作り料理)

被災地の5年後、10年後を総合的に見守るシステムが必要             
 もう1つ、提起しておきたいことがあります。 
 五宝木への道路の法面工事が予算カットで中断に追い込まれたのは、震災から5年目を迎え、少なくとも国にはもはや栄村を被災地として見る眼がなくなっていることの現れだと言わねばなりません。

 話が飛ぶようですが、中条川で現在行われている災害復旧工事の多くは、「平成25年度台風災害の復旧工事」であって、4年前の地震による山の崩壊・土石流の発生に対する復旧工事ではありません。地元ではそういう区別なく、災害復旧工事として受け止めていますし、県の担当者も予算の確保方法としてそのように命名しているだけという面もあるかもしれませんが、震災からの復旧(復興)を5年、10年の単位で見るという考え方が国にはないことは明瞭です。県もまた、「栄村の震災復旧は基本的に済んだ」という見方であり、いま、県に栄村の震災復旧(復興)問題を総合的に検討する場はないといってよいのではないでしょうか。村では、「震災復興計画」でそういう総合的な検討をする場として「復興推進員会」(仮称)の設置を求め、そういう名称の委員会はたしかに設置されましたが、「復興計画」が求めた機能を果たしているとは言い難い現状です。
 震災のもたらしたダメージは4年、5年を経る中でじわーっときいてくるもののようです(ボクシングのボディーブローのような感じ)。五宝木の道路問題はそういうことも突き出していると思います。


 今号は五宝木の道路問題を知って、「1日、11日、21日の定期発行」のスタイルを崩して16日付で発行しました。内容は五宝木の道路問題だけで、字数も多く、ちょっと読みづらいという方もおられるかもしれません。時にはこういう号もあるものとご了解ください。
 最後に、15日に野々海で撮影した写真をご紹介します。


池面の雪は消えました。


ミズバショウの開花が進んでいる東窓の湿地です。


イワナシの花です。その左下に「小さなナシ」のような実も見えます。
(前号で「イワナシ」として紹介したものは正しくは「アカモノ」(別名イワハゼ)でした。お詫びし、訂正します)


<次号の発行予定について>
 16日付号を発行しましたので、21日の発行はありません。次号を7月1日とするか、それよりも早めるかは未定です。

栄村つれづれ歩き6月15日版



 今日は6月のちょうど真ん中、15日。「今日は少しのんびりとドライブ」と決めて野々海に行った私。沢にはまだいっぱいの雪。そして野々海池の裏手を通って野々海峠に向かおうとして、二度も雪につかまり、車を押す羽目になったのに、まさか帰りがけにこんなにたくさんのチョウに出会うなんて、夢にも思っていなかった。
 昨年も貝立〜野々海でたくさんのチョウに出会ったが、それは7月25日の話。1ヶ月以上先である。


チョウを撮ったところのそばの沢にはまだ雪がたくさんある

 いま、チョウの名を正確に調べる作業はしたくないが、昨年の経験からすると、ウラギンヒョウモンというチョウではないかと思う。
 しかも、今回はとまっているチョウではなく、飛んでいる状態のものを撮れた。撮影途中からスポーツモードに切り替えたおかげ。
 ここでは、もう1種類のチョウも1匹、元気に飛び回っていた。それが静止している様子は下の写真。後述の理由で名前調べは後日にまわす。


 ところで、チョウたちが群れていた白い花を咲かせる木。先日、Webで見つけた記憶があるが、いまは見つからない。でも、チョウはこの白い花が好きなようだ。6月5日に白鳥の山(月岡富士男さんの田んぼ)に上がった時も、この木(花)に素敵なチョウがとまっていた。おそらく同じ種類のチョウだ。


 
 今日、チョウに出会った場所は、野々海池手前の三叉路から貝立山の裏を通ってスキー場・青倉に出る道の途中で、三叉路から車で5〜6分下ったところ。

ヒメカイウ?
 さて、つぎの写真をご覧いただきたい。



 ご覧になった方は誰もが「ミズバショウだ」と思われることと思う。しかし、私は、これはヒメカイウではないかと思うのである。
 今日、野々海のいろんなところでミズバショウに出会ったが、この写真のものはすべてがことごとく小さい。ヒメカイウは「外観は小型のミズバショウといった形態をしている」と言われる。以前に、1〜2度、ヒメカイウとはっきりしているものを見たことがあるが、その記憶と合致する。「花が咲き終わった後、ミズバショウのように葉が大きくならない」と言われているので、しばらくしてから、花が咲き終わった頃に様子を見に行くことにしようと思う。
 
 以前にヒメカイウを見た場所は、希少種であるヒメカイウの保護のためにいっさい紹介していないが、上の写真の場所は道路に面しているところなので公開した次第。

アカモノ、イワナシ
 6月5日付の「つれづれ歩き」で「イワナシ」と紹介したものは間違いで、正しくは「アカモノ」(別名イワハゼ)だった。栄村ご出身の方からご指摘をいただいた。
 今日は、野々海でその両方を見ることができたように思う。
 まず、アカモノから。野々海池の堤にむかう道の脇に群生しているが、まだ開花に至っていない。だが、もうアカモノの花の特徴をうかがうことはできる状態。次の写真がそれ。昨年、これが開花している様子を撮影していて、その写真からアカモノだと判断した。




下写真がイワナシの花だと思う。



 上写真の花の左斜め下に見える部分を別に撮った写真で拡大してみると、



花が枯れた後に、「ナシのような実」がたしかに成っている。

 この近くで、イワカガミも見たが、まだ蕾の状態。



ホウネンエビ
 話は昨日14日のことになるが、森集落の田休み・タケノコ汁の会の準備でタケノコの皮むきをしている最中に、青倉の島田裕(ひろ)水(み)さんから携帯にCメールが入った。「『ホウネンエビ』って、見たことありますか? お宮の隣の道路沿いの田に大量発生。1cm位の可愛いやつです」というもの。
 昨夕、その田んぼに行ったが、よくわからない。近くで水見をしていた高橋稔さんに尋ねると、「ああ、裕水が瓶に入れたのを公民館に持ってきていたな」ということで、教えてもらった。写真を撮ったが、Webで調べたものには紹介されている「エビの尻尾のような部分」というのが見えない。
 そこで今日、野々海から青倉に下ってきた時に撮影に再挑戦した。今度はバッチリである。





 1枚目は大量発生している様子。緑色の小さなものがホウネンエビ。左に田植えされた稲の根元が見えるので、それを基準にして、大きさを理解されたい。
 そして、下の2枚目がホウネンエビの全体像。
 なるほど「エビのような尻尾」がある。また、両眼もはっきり確認できる。
 田植えの直後に姿を現わし、間もなく消えるらしい。Web上のある記事では、「除草剤を撒くとすぐに消える。だから水質にも敏感なのか」とあったが、卵を産み落とし、その卵が田んぼの土中で1年間を過ごして、また姿を現わすようだから、除草剤で死に絶えるわけではなさそう。
 青倉では高齢の方がホウネンエビのことをご存じだったとのこと。昔は多かったのかもしれない。

シモツケ、シモツケソウ、キョウカノコ

 先週終わりから追跡しているものがある。じつは昨年の続きなのだが。
 まず1枚の写真から。



 とても綺麗な花である。名前をシモツケという。
 そのことは昨年の開花期に調べて知った。



 咲いている全体状況は上のとおりだが、やや遠くから見ると、同じように見えるものに、次の写真のものがある。



 ところが、近づいて花をよく見ると、花が違う。
 

  
 こちらはシモツケではなく、キョウカノコあるいはシモツケソウという。
 
 Webで調べると、シモツケはバラ科シモツケ属の落葉低木、それに対して、シモツケソウ、キョウカノコは同じバラ科でもシモツケソウ属で、木ではなく草である。
 ただ、Web上の記事でも「花の咲く季節は一緒で花色も似ている。シモツケソウといわれる所以(ゆえん)もそこにある」と記されている。
 
 さて、上で「キョウカノコあるいはシモツケソウ」と書いたが、この花が見られるのは泉平集落の武田文子さん宅(ズッキーニを紹介した武田充俊さんの奥さん)。昨日、文子さんに改めて確認したところ、「キョウカノコです」と言われ、「飯山のお寺であった何かの集まりの時に売られていたものを買って植えた」とのこと。キョウカノコは茶花として好まれると言われていて、また一説には「シモツケソウを園芸種に改良したもの」との話もあるので、文子さん宅のものはキョウカノコで間違いないのかもしれない。
 ところが、昨年、「栄村復興への歩み」で紹介したが、スキー場内の道路沿いにシモツケソウが自生している場所がある。昨日、今日と、2日続けて見に行ったが、残念ながらまだ花が色づいていない。ただ、シモツケとシモツケソウを識別するメルクマールの1つとしての葉の形の違いははっきり確認できた。

 シモツケソウの葉は下の写真に見られるように、掌(てのひら)状に5〜7裂している。



 他方、シモツケの葉は下の写真に見られるように、切れ込んでいない。
 
 
 
 ところで、キョウカノコとシモツケソウの相違点として、「キョウカノコの葉は中裂、シモツケソウの葉は深裂」という説明がある。しかし、文子さん宅で見た葉と、スキー場で見た葉にそんなに相違はない。文子さん宅で見たものを「キョウカノコあるいはシモツケソウ」と書いたのは、以上のようなわけで、まだキョウカノコとシモツケソウの区別がつかないからである。
 
 最後に、気になっていたのが「シモツケは落葉低木」という点。シモツケは原向集落の当部新田にある関沢可子(かこ)さん宅の庭で見たもの。私はてっきり草花だと思っていた。
 今日、可子さん宅を訪れて、この点の疑問が氷解した。
   「去年、木を伐ったのに、今年もまた咲いてきた。強いね」
 可子さんの言葉である。
 そこで、根元の写真を撮らせていただいた。



 たしかに木から枝が出ている。
 可子さん宅の庭にシモツケがある由来を尋ねたら、「崖にあったのを庭に移した」とのこと。これで「落葉低木」ということが完全に納得できた。
 
 なお、可子さん宅のシモツケのそばに次のような花が植えられていて、間もなく花が咲く。



 同じものが、原向集落・野口の斉藤幹男さん宅の庭にもあり、幹男さんの奥さんも可子さんも共に「あれはトリアシだ」と言われる。Webで「トリアシ」を調べたが、「トリアシショウマ」しか出てこない。トリアシショウマの花は左写真のものとは姿・形が異なる。「季節の花300」というHPにシモツケに似た花として「穂(ほ)咲(ざき)下野(しもつけ)」というものが紹介されている。蕾の写真が左写真と酷似。昨年、シモツケと似た花を咲かせていた記憶がある。間もなく花が咲けば、この疑問も解けるだろう。
 
 今日は昨日の疲れが激しく、休養日とした。この「つれづれ歩き」に記したような観察が骨休めになる。


栄村復興への歩みNo.256

なんという豊かさ!


 水飛沫(しぶき)を激しく飛ばしながら、滝を落ちる貝立水路。
 スキー場内の道路と青倉・西山田からの農道が交わる三叉路のすぐそば。
 
 スキー場内の道路をどんどん上がり、貝立山の裏側にある水路のかけ口付近に辿り着くと、そこはまだ雪が残る世界。



 青倉・西山田の棚田では、この雪が融けたばかりの水で今日も田植え。
 
 
 この3枚はいずれも6月10日の朝撮影。

 一方、里に近い畑ではアスパラの収穫が始まってもう1ヶ月になろうとしています。5日、6日は気温が低かったが、7日、8日と気温が上がり、滝沢総一郎さんの畑では9日朝、コンテナ10個分の収穫がありました。



 さらに、6月8日夕には泉平の武田充俊さんの畑でズッキーニの収穫が始まりました。



 そして、雪融け水で育まれたお米とこれらの野菜を食材にこんな美味しいものを食べられます。



 アスパラ(さっと湯がいただけ)、ズッキーニを焼いたもの(プラス焼きトマト)をトッピングした初夏カレー。
 
 食べものだけでありません。花々もきれいで、目を楽しませてさせてくれます。


 
 いま、村内のあちこちに咲いているムシトリナデシコ。「配達日誌」の記録を振り返ると、昨年6月8日にその名前を探しあてています。
 ムシトリナデシコほどに多くはありませんが、こちらもかなり見かけることが多いクリンソウ。



 この他、色とりどりの花が咲き乱れるようになってきていますが、標高の高いところに行くと、「もう今年は終わった」と思っていた花に出会ったり、里の近くでは近年ほとんど見られなくなった花が咲いていたりします。


イワウチワ(10日、貝立山裏)


イワナシ(イワゼコ)(5日、白鳥の山)

 そして、ミズバショウ。野々海のそれは今週末〜来週、相当出てくるでしょう。


 
 なんとも豊かで、贅沢な栄村の自然の恵みです。
 これも冬が厳しいものであるがゆえの、自然からのご褒美(ほうび)といってよいのかもしれません。
 この豊かさを豊かさとしてはっきり意識し、村外の人たちにアピールしたり、説明したりできるようになれば、自然のみならず、人との付き合い、そして経済においても豊かな栄村にどんどんなっていくのだと思います。




田植えの共同作業を見る

 前号で泉平集落営農組合の田植え共同作業の様子を1枚ご紹介し、「次号でレポートします」と約束しました。
 その後も取材を続け、圧倒されたのが横倉営農改善組合の代掻き作業です。
 9日午前から本格的な代掻きになると聞き、横倉の開田を訪ねました。



 上の写真では3枚の田んぼに3台のトラクターが見えますが、訪れた時に最初に目にした光景は下の写真のもの。1枚の田んぼにトラクターが2台入っているのです。



 私はまったく理解ができませんでした。というのも、1枚の田んぼに2台ものトラクターが入って代掻きする姿を目にしたのは初めてだからです。村の人でも、「えっ、2台?! そんなの互いに邪魔になるのじゃないの?」と言います。
 しかし、ずっと見ていると、じつにコンビネーションよく、うまく代掻きが進められていきます。渡辺利正さんに尋ねると、「事前にしっかり意志疎通しているから大丈夫さ」というお答え。納得です。

 横倉の開田はご存じの方も多いでしょうが、6月初め(今年は7日)の野々海の水路普請が終わらないと水が来ないので、例年、この時期の代掻き−田植えになります。
 開田だけで7haほどありますが、交代制で人が出て、3日間くらいで代掻きを完了するそうです。改善組合の結成−共同作業は開田の圃場整備がきっかけ。苗作り、田起こし・代掻き・田植え、稲刈りが共同作業です。
 渡辺さんら関係者と温泉でよく会い、いろいろお話を聞きますが、共同作業の後の一杯飲みが非常に盛んなのが特徴の一つだと思いますね。結束の強さの秘訣なのかも。

森集落のやや複雑なシステム
 森集落も田んぼの共同作業が盛んで、しっかりしていますね。
 今年、私が隣組長をしている関係で、昨年までは見たことがなかった「回覧」物を見る機会がありました。「平成27年度開田水見番の開始について」と題する「水路班長 廣瀬敏男」さん発、森農家組合員宛ての文書です。森の開田の田植えは5月下旬に行われましたが、6月1日から8月31日まで3名体制の水見番が配置されます。1本の水路で開田の上の田んぼが水をかけると、その間、下の田んぼは水が来ないので、水を農家組合水路班で一括管理するようになったそうです。

 それに対して、田植えなどの共同作業は森農業改善組合によるもので、村が集落営農を呼びかけたことに対応して発足したそうです。そして、私の大家さんはその共同作業の中心的メンバーのお一人ですが、この田植えの季節の到来を心待ちにされていて、胸をワクワクさせながら共同作業に出ておられるなあといつも感じます。


森の開田での田植えの共同作業。壮大な景色。オペレーターは広瀬隆司さん

 森でも高齢化に伴う耕作不能化の田んぼが出てきていて、その問題を全面解決はできていないように見受けますが、共同作業(あるいは集落営農)の根幹に据えるべき精神のようなものが、森の農家組合、そして共同作業の中にあると思います。

泉平営農組合、箕作営農組合
 共同作業(集落営農)には集落毎の歴史があり、泉平のそれは栄村の中で長い歴史を誇るものの1つです。関係者は「今年で24年目」と話しておられました。


オペレーターは武田由一さん

 営農組合長は24年間、保坂長司さんがずっと務めておられるとのこと。役員の後継者をどう確保するかという課題があるようですが、他方でこういう興味深い話も聞きました。
   「村に戻ってきて、田んぼもやりたいなあという人がいるんだ。
    その人に共同作業に参加してもらえば、自然に田んぼのやり方
    がわかるようになる。」
 たしかにそうですよね。定年帰村(Uターン)される人にとって、自分一人で稲作のイロハから学ぶのは厳しいでしょう。でも、集落営農があれば、一人で課題を抱え込む必要はないのです。



 上写真は5月28日夕刻の箕作営農組合の田植え作業の一コマ。
 田植え機のオペレーターは大庭光一(てるかず)さんですが、その横にもう一人乗っておられるのが結構珍しい光景。この方、箕作の組合の田植え主任を務められる倉科繁一さん。
 箕作の組合は今年で11年目と比較的新しい組合ですが、倉科さんは組合スタート時からずっと田植え主任を務められているそうです。倉科さんの存在があればこそ、オペレーターが交替制であっても、作業の平準化や共同使用機械の保守が成り立っているようです。結成当初からのリーダーで現組合長の大庭栄一さんとともに、箕作営農組合にとって欠かせぬ存在です。
 箕作の場合、共同化のきっかけは圃場整備ではなく、高齢化に伴う委託の発生に伴う諸問題(たとえば、田んぼが集落外の人に委託されると、水路普請の担い手が減少する)への対処にあったようです。
 
 ここまで4つの共同作業・集落営農を見てきましたが、私はまだ深く取材できたわけではありません。ただ、強く思うことは、これら集落ごとの共同作業(集落営農)の現実・経験をもっと互いに交流させることが大事なのではないかということです。互いに学ぶ点も多いと思いますし、また、「自分の集落だけが抱える問題」と思っていたものがじつは多くの集落に共通する課題であることがわかり、相互討論から解決策が見いだせるようになるということもあるかと思います。
 ひとまず今秋の収穫期までを1つの区切りとして、随時、さまざまな集落の共同作業の様子を取材していきたいと考えています。



ヤマニンジンでした

 前号で写真を紹介し、名前をみなさんにお尋ねした花、ヤマニンジンだとわかりました。
 横倉の上倉直人さん宅に配達した日の夕方、温泉で出会った直人さんから「ヤマニンジンに似ていると思う」とのお話を伺いました。さらに、7日に月岡に配達した直後、秋山小に勤務されている斉藤充子先生から、「あれはヤマニンジンと呼ばれています。秋山では花が咲く前の新芽のときに天ぷらにして食べます。今年、たくさんいただきました。美味しいですよ」というお電話をいただきました。


たしかに葉っぱがニンジンと似ていますね

学名はシャク
 セリ科シャク属の多年草で、学名はシャク(Anthriscus sylvestris)というそうです。
 充子先生が教えて下さったとおり、新芽を山菜として天ぷらにして食べる他に、お浸しにするレシピ(葉・茎とも)もWebで見ました。
 薬草としても使われ、「山菜薬草図鑑」では効能として「解熱、鎮痛、鎮咳、去痰など」が挙げられています。秋山では根は採らないと秋山住人のお一人から聞きましたが、Webで調べると、根も使われるようです。

毒ゼリとの間違いに要注意
 ひとつ困ったことは毒ゼリと似ていること。毒ゼリは名のとおり有毒で、とくにワサビの根に似た根茎は猛毒だそうです。
 秋山の人たちは区別できるようですが、素人は勝手な判断をしない方がよさそうです。秋山の人たちは、どのあたりに出るのがヤマニンジンで、どこに生えるものは毒ゼリということを経験的にご存じだとのこと。まず、秋山の人たちに教わることですね。
 来年は是非、秋山でヤマニンジンを味わう機会を得たいなあと思っています。

 

いりんな工事

 村内のさまざまな箇所で工事が行われています。今回は3つ、紹介します。
 1つめ。北野から天代・坪野に通じる道路、その北野天満温泉入り口手前にある土合橋を新しい橋に架け替える工事が始まっています。くねくねと曲がっている道が一部、直線的になるようです。



 2つめ。白鳥沢の砂防工事は以前に紹介しましたが、白鳥沢よりも一つ平滝寄りの「上ノ山」というところでも砂防えん堤工事が行われています。飯山線よりも山手に石垣の棚田があるところです。小さな沢ですが、工事がかなり大規模です。



 3つめ。青倉の千本塚から中条川に水路が滝になって落ちるところ。崩壊の心配を指摘した箇所ですが、栄大橋下の護岸復旧工事の関連で少し手が入るようです。川と接している部分の護岸をし、上部の方も一定の吹き付け工を検討しているそうです。



充分なものかどうか、注視したいと思っています。