11日(金) No.264と「日誌」9月1日〜10日の編集を午前中で終えたが、午後、「本格的なフォトアルバム」作りを試してみようと考え、その作業をしたので、配達はなし。
「フォトアルバムが簡単に作れますよ」という宣伝文句にのせられて、試してみたが、その手のものではあまりいいものはできそうにないとわかった。印刷会社の人で、アルバム作りなどに精通している人にも話をお聞きしたが、簡単ではなさそう。
しかし、栄村のさまざまな資源を活かしていくには、写真アルバム的なものは必要不可欠だと考えるので、その方策をさらに追求していきたい。
12日(土) 朝から猛然と配達。写真アルバム「白鳥のお祭り2015年」を配達して以来、ご無沙汰になっている白鳥集落の全戸を廻り、さらに一定地域の協賛者宅も廻って、今日は170軒、183部。
午前中は久しぶりの快晴だった。気持ちがいい。下は、今日撮った写真の中で空の青さと稲の黄金色のコントラストが最も鮮やかなもの。白鳥集落の国道より千曲川よりの田んぼから撮った。見えている山は野々海方面。
あるかあちゃんと畑のそばで立ち話。先日、お家でお茶のみに寄せていただいた時の話の続きで、西大滝ダムから津南町の鹿渡の発電所までをつなぐトンネルが1930年代に建設された折の話。当時のことを知る人は少なくなってきた。いわゆる強制連行ではないが、朝鮮人労働者が多く作業に従事し、危険な作業で重傷を負い、亡くなった人も多いと聞いている。そういう歴史をいまのうちに記録しておくことが必要だという考えで一致した。
13日(日) 今日は日曜日なので、本来は休みとしたいところだが、発送作業などもあって、そうもいかず。一日、なにかバタバタしているうちに過ぎた感じ。
まあ、配達は基本的になしにしたので、そこそこの休養にはなっているのかもしれないが。
14日(月) 今日はフル稼働。午前中に協賛者宅を57軒廻った続きで、昼過ぎに極野から五宝木〜屋敷と進み、屋敷、小赤沢、上野原で86軒を配達。
小赤沢で「秋山ならでは」という感じのはぜ掛けの準備に出会った。上の写真だが、斜めの支え棒が一段下の土地から立てられている。集落全体がいわば階段状になっている小赤沢ならではの光景だと思う。
作業中のおとうさんに話を聞いたが、「もう20年くらいやっている」とのこと。稲を掛ける横棒は竹が望ましいが、今年からパイプに変えたとのこと。「稲刈りは20日過ぎかな」ということで、できればはぜ掛けの時に訪ねてみたいが…。
上野原で配達を終えたのが3時半頃。これでおとなしく帰れば、どーということもない一日の終了だったが、切明から志賀高原にぬける秋山林道、奥志賀栄公園線の紅葉の始まり具合を確認しておきたくて、そちらに向かった。
今日の秋山は地元の人の言葉では「朝からずっとぐづついている」とのことだったが、切明を越えて秋山林道を進むと、小雨が降り、霧がかかって前方がよく見えないような状況。
雑魚川沿いの遊歩道の清水小屋付近に行ったが、期待したような紅葉の始まりは見られず。下が雑魚川で撮った1枚。
秋山から下におりたのは6時半頃。上野原での配達を終えてから約3時間、ほとんど山道を運転し放しで、疲れたというか、おなかがペコペコ状況になった。
15日(火) 天気予報では今日は晴れ。先日来、知り合いに誘われていたカヤノ平での笹葉採りの現場の模様を撮影しに行くことにした。
カヤノ平の現場まで栄村・森集落から1時間半かかる。7時にヤマザキショップ前に集合ということで、笹葉採りに行く人たちを乗せたハイエースの後を軽トラで進んだ。現場の林道のゲートを通過したのが8時15分。笹葉採りのみなさんと別れて、私がゲートを出たのが10時5分。2時間弱の滞在だったが、笹葉採りの現場は初体験。どういうところなのか、想像がつかなかったが、驚きの世界だった。記録を何かの形にまとめたいと思う。
カラマツやダテカンバに絡みつく蔓が紅葉し、とてもきれい
この後、私は志賀高原に廻った。やはり紅葉の具合を確かめたかったからだ。昨夕に行った雑魚川沿いの清水小屋近くは、じつはカヤノ平の笹葉採りの現場から4km程度のところ。2日連続の奥志賀栄公園線ということになる。
結果からいえば、志賀高原でも紅葉はほとんど始まっていない。
志賀高原から中野市に下り、途中で昼食のラーメンを食べて、そのまま野々海へ。こちらは紅葉が相当に進んでいる。秋山や志賀高原で紅葉がほとんど始まっていないのに、野々海は紅葉が進んでいるというのは、いったいどういうことだろう?よくわからない。
野々海から戻ったのは午後3時半頃。山道の運転の連続で相当疲れたが、やはり配達を少しでも進めたいので、天代、坪野、天地、大久保を廻った。わずか28軒だったが、距離はかなり長い。
16日(水) 12日からNo.264の配達を始めているが、かなりの世帯はNo.263とのセットでの配達になっている。もともとは8月の発行を2回に減らし、お盆行事などに対応できるようにしていたのだが、「白鳥のお祭り2015年」、「さかえむら子どもまつり」、「建森田神社のお祭り」(森集落)の3件について写真アルバムを制作し、白鳥集落全世帯、お子さんのいる世帯、森集落の全世帯への配布を行ったため、通常号の配達に大きなしわ寄せが生じた次第。
今日、東部地区を中心に130軒を配達し、2号セットの配達をほぼ終えることができた。12日からの累計は494部。No.264は19日までに配達を完了できる展望がようやく出てきた(ただし、五宝木、切明、和山の秋山3集落は8日に行っていて、次は早くて21日にしか行けないのだが)。
今日の写真は笹原の関沢義平さんがモチ米のはぜ掛けをされている様子。小布施から手伝いに来ているお孫さんが投げた稲束をはぜの上で義平さんがキャッチする瞬間。
シャッター音を「カシャカシャ…」と響かせていると、「そっけに(たくさん)撮るほどのもんじゃねえよ」と義平さんから言われたが、こういう“瞬間”を確実に撮影するには普通にシャッターを押しているのでは撮り逃すので、連写モードを使用する。すると、「カシャカシャ…」というシャッター音が響くことになるのだ。お祭りで獅子の動きなどをうまく捉えられるようになったのも、この連写モードの使用にかなり慣れてきたからだ。
17日(木) 朝から小雨模様だが、午後は「集会」に行かなければならないので、平滝、森でせっせと配達。家が比較的まとまって所在しているゾーンだったので、10時前に110軒の配達を完了。
倒伏した稲だけを手刈りして、はぜ掛けした上倉重平さんのはぜ
その後、ある災害対策工事の不備をめぐって、相談というか、手助けがほしいという依頼が人を介してあり、そのお宅に伺う。1時間ほどお話を聞き、現場も見せていただいた。「復興への歩み」でいきなり書くというのではなく、関係役所等に丁寧に聞き取りなどを行なって話を詰めていきたいと考えるが、じ
つに杜撰(ずさん)な工事で、そのツケを住民にしわ寄せするというひどい話である。話を仲介された人は「大手メディアに訴えようかとも思ったが、取り上げてくれなさそう。そこで松尾さんのことが思い浮かんだ」と言っておられた。地域メディアとしての役割を発揮しなければならないと思う。
午後は、振興公社が3億円事業をめぐって開催する「3年間の事業報告会」(正式名称は「地域づくり勉強会」となっているが、実質は事業報告会である)に参加。
詳しいことは「復興への歩み」で取り上げようかなと思うが、「1部 JTB中部による生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業の事業報告」という名の「報告」は本当にひどいものだった。私は、「黙って、ただ『報告』だけ聴いて帰ろう」と心に決めていたが、会場からの質問への公社幹部の返答があまりに役人然としたひどいものだったので、黙っていられなくなってしまった。「堪(こら)え性が無いなあ」と我ながら思うが、まあ、怒(いか)るべきところで怒(いか)らなければ、私が私でなくなるかなとも思う。
「2部」で講演された江崎貴久(きく)さんは手慣れたもので、休憩時間を入れ、ガラッと雰囲気を変えてその後のお話を進めて下さったのが救いだったが。
その後、温泉に入りに行った時、公社メンバーとJTB関係者が「宴会」中である場面に遭遇し、ますます複雑な心境になった。
18日(金) 天気予報とは違い、午前中は青空が広がる好天気。私の住まいの大家さんは「もうけものだ。田んぼの四隅だけ手刈りしてはぜ掛け。来年の道祖神に使う藁が確保できる」と。
写真右奥に稲束を軽トラに積み込む奥さんの姿が見える
午前中は、15日のカヤノ平での笹っ葉採りの写真アルバムと、野々海の紅葉のアルバムを制作。
大量の写真データをPCで見つめ続けたせいか、目が痛い。
でも、昼食の後、箕作などで67軒を配達。
さらに一休みの後、原向に向かった。出かける時は薄暮状態に入りつつある時間帯だったが、小雨が降っていて、暗くなるのが早かった。
67軒の配達が終わった後、直売所に立ち寄り、「明日からのシルバーウィークの間のウリは何?」と尋ね、野菜・果物やPOPを写真撮影。先日の土日、直売所情報をFBやtwitterで発信したが、「それを見て、買いに来た」というお客さんがおられたとのこと。明日も発信したい。
19日(土) 最初に目が覚めたのは午前5時台だった。睡眠時間としては足りているかなと思ったが、起きる気持ちにならず、もう一度眠った。すると、目覚めたのは8時少し前。ここ1〜2ヶ月、体が求める睡眠時間が以前よりも長くなった気がする。
室内作業を少ししたうえで、10時少し前、直売所の様子を見に行き、撮影したものを使って、すぐにブログにアップし、フェイスブック、ツイッターでの告知を行う。
早目の昼食後、月岡、小滝の配達へ。月岡の大巻の千曲川沿いの田んぼに入り、いつもとは違うアングルで大巻の田んぼを撮った。その後も、いろんな田んぼの様子を撮影しながら、計43軒で配達。
その後、再び直売所を訪れた。「しょうにいも」がよく売れているそうだ。
駐車場はほぼ満杯。その一角にツーリングの集団の姿が。高速のSA(サービスエリア)などでツーリング集団と出会い、ヘルメットを外した姿を見ると、相当の年輩グループだったということがよくあるが、今日、直売所近くで出会った人たちはかなり若い。「写真、撮らせてもらっていいですか」と声をかけて、撮影。多摩ナンバーだったので、「多摩のどちらですか?」と尋ねると、「武蔵村山ってご存知ですか?」、「ええ、栄村とは姉妹都市ですね」、「えっ、知って下さっているんですね」、「直売所で姉妹都市ってことで、武蔵村山の小松菜、売っていますよ」、「ありがとうございます」という会話に。
この後、月岡富士男さんの白鳥の山の上の田んぼを訪ねた。ちょうど富士男さんも来ておられて、少しお話。富士男さんは、別の所で使われなくなったU字溝を復活利用して、水路の修復作業。
以前に「直売所に出すために野菜を数種類を植える」と言っておられた畑の様子も拝見。キャベツや白菜が元気に育ちつつあった(写真は育ちつつあるキャベツ)。「今日は初めてカボチャを直売所に出しました」とも。直売所が村民主体の運動になってきていることの1つの事例だ。
最後に、直売所に今日出されたリンゴ、シナノドルチェを夕刻に食べたので、その写真を掲載しておきたい。
Webで調べると、「多少酸味があるため、爽やかな味わいが楽しめる」とあったが、食べた感想はそのとおり。一口噛んだ時、やや酸っぱさを感じる。だが、その後、サッパリ感を感じる。なかなかいいと思った。是非、一度お試しを。
大型連休中の種々のスケジュールの関係で20日中に「復興への歩み」No.265(9月21日付)を編集したいので、今回の「配達日誌」は19日で打ち止め。紙幅に余裕があるので、雑感を記しておきたい。
1つは、体調のこと。最近、配達時に出会った人から、「体、大丈夫?」と声をかけられることがよくある。私が「配達日誌」に体調不良時のことなどを書くので、心配して下さっているようなのだ。
そういうお声をかけていただいた時にもこのようにお答えしているが、大丈夫です。
ただ、「1年前にはできたことが今年はできない」ということがしばしばあることは事実。
村では「65歳なんて、まだまだ若い」と言われ、また、それはそのとおりだと私も思うが、しかしまた、65歳を迎えて無理が効かなくなってきたのも事実。
年々、少しずつ、これまでは出来たことが出来なくなることを前提にして、自分の行動についてのプランニングをしなければならないと思う。
2つは、気候のこと。
「猛烈な暑さだったのに、急に秋の気配になった」。東京圏の人たちからもそういう声を聞く。たしかにその通りだ。しかし、私はまだ暑かった頃から、いろんな人との会話の中で、「今年の夏の暑さは本物の夏の暑さではないのではないか」と言い続けてきた。どこかで書いたかもしれないが、言いたいことは、つぎのようなこと。
夏の暑さというのは、太陽が私たちの真上からギラギラ
と照りつけ、それで私たちが暑さを感じるとともに、地
面が熱せられて、気温が上昇していく、というものだ。
だから、村では夏でも朝は爽やかな空気で、太陽が高い位
置に上がってくるにつれて気温が上がる。時刻でいえば、
せいぜい午前8時頃にならないと暑くはならない。
ところが、今年は朝の6時半頃ですでに暑い。太陽がギ
ラギラ照りつけて、というのではなく、なにか熱風のよう
なものが吹き込んできて気温が上がっていく感じがする。
以上は、私の主観にすぎないかもしれないが、今年の夏に明確な異変事象があったことは事実。
いくつかの事象を指摘しておきたい。
・ アゲハチョウがほとんど見られず、山や野々海に行って
もチョウが非常に少なかった
・ オニヤンマが異常に多かった。野々海では7月半ばは平年
通り赤トンボが群れていたが、下旬以降はオニヤンマに圧
倒され、その姿が非常に少なくなった。赤トンボの姿が再
びよく見られるようになったのは、お盆過ぎに涼しくなった
後だった。(オニヤンマの餌になると言われるアブが非常に
多かった)
・ 山で夏の花があまりきれいに咲かなかった(山でチョウが
少なかったことの一原因かもしれない)。
・ 野々海では、8月中旬になってもエゾアジサイが元気に咲い
ていた。そのかわり、昨年7月下旬にチョウが大量に群れてい
た白い夏の花がほとんど咲いていなかった。
・ 夜、電気の明かりに集まる虫が少なかった。涼しくなった8
月下旬になって、車のライトに浮かび上がる虫が増えた。
以上のことも、私の主観が入り交ざったものかもしれないが、これまでと違ったのは間違いないと思っている。
大変な災害が続いているが、“気候変動”ということが顕在化してきているのだと思う。
科学的な研究も大事だが、自然と共に暮らす村びとが、日々の暮らしの中で感じとる事象が、今後の気候を考えるうえで重要な意味をもつのではないかと思う次第である。