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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村はやはり凄いところだ



 とても綺麗な景色でしょう。
 真ん中をR117が走り、バックには関田山脈が連なる。右手前には千曲川、R117沿いには栄村役場(写真左手)が見える。
 R117を走っている時も「いい景色だなあ」と思う地点だが、この写真に見える景色の美しさを見る機会は滅多にない。今冬の少雪ゆえに見ることができたものだからである。平年並みの積雪があると、近づけない地点からの撮影なのである。

 下の写真はR117の栄村役場前地点から千曲川対岸の断崖を撮影したものだが、上の写真、じつはこの断崖の上から撮影したものなのである。写真上方の左手に杉の木と思われるものが5〜6本見えるが、その右手に土の見える箇所がある。村道滝見線(冬期閉鎖)である。ここが少雪の今季は何らかの作業のために除雪されていて、到達することができたのである。非常に危険が大きい場所なので、真似をされないよう、コースへの進入路は記さない。




 撮影地点の様子、そこから見える別方角の景色を次に示す。





 この2枚が撮影地点の様子。

 下の写真の手前に見える雪は、滝見線から除雪された雪が千曲川にむかって断崖を落ちているもの。




 「この断崖の上の狭い道をよくぞ除雪するものだ」と感心する。しかし、平年であれば、ここに2mを超える積雪があるのを4月頃に除雪する。信じられないような神業だと言わねばならない。
 
 
  
 断崖上の撮影地点から撮った、もう一枚の風景写真。
 正面にスキー場、関田山脈が見える。
 写真右手に森集落を通過するR117が見え、写真左手の赤い橋=栄大橋へと進む。
 写真手前に赤い屋根の古民家などが見えるのは塩尻集落。村道滝見線から塩尻に通じる道路が除雪されているのが確認できる。
 
 
 秋山郷に通じる中津川渓谷沿いのR405も凄いが、この千曲川断崖上の村道滝見線はさらに凄い。
 やはり栄村はとてつもなく凄いところである。


栄村復興への歩み号外・小赤沢集落版



 15日、小赤沢の道祖神祭を撮影させていただきました。有難うございました。
 その様子を中心に写真アルバムを編みました。ご覧ください。
 
 
 
 袋入りラーメンが宙を舞う。
 みなさんの笑顔が素敵。



 元気な子どもたちの姿が印象的。
 長野県は「1月15日」を休日(少なくとも学校は休み)にしてほしいな、と思います。秋山小は「特別半日日課」で道祖神祭への参加が可能ですが、まず村が栄小を休みにすることから始めるといいなと思います。
 


 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 北信生コンの構内から鳥甲山を望む(1月13日午前)。
 
  
 13日午前11時半頃、山田義輝さんと出会い、写真を撮らせていただきました。
 大正8年3月30日生で今年97歳になられる。
 とてもお元気で、春や秋は田んぼのお手伝いもされるとのこと。
 感動です!






 上の写真は「名所」とされるところではありませんが、「よそ者」の私から言えば、「都会からの旅人」などが「素敵!」と思うものです。
 ここまでの2枚は13日撮影。
 


 保存民家の裏手を撮ったもの。15日午前。




 12月28日に山田一二三さんのお家の前で撮らせていただいたもの。
 私は昨秋10月14日に同じ場所でこんな写真を撮っていました。
 
 
 
 
 



 この少年、お母さんから「保育園に通っています」とお聞きしてビックリ。なんと力強いのだろう。
 この場所では秋にも1枚撮っていた。


 
 ほぼ同じ地点で1月15日午前にも1枚撮りました。



 他所の人が見たら、同じ場所だとは思えないで
しょうね。



 今回のアルバムはここまでです。
 これからも小赤沢の日常の風景を撮って、全国に発信していきたいと思っています。


 

お米のふるさと便り

 青倉米の産直で発行している「お米のふるさと便り」の1月25日発行号が今冬の栄村の様子を紹介する写真を多数掲載していますので、このブログにもアップします。





雪害救助員が今季初出動

 「雪が無い」が問題になり続けている今冬の栄村。21日未明〜朝に少しまとまった雪が降り、高齢者世帯などの除雪(屋根の雪下ろし、家の周りの除雪等)を行なう雪害救助員が22日、ついに今季初出動となりました。
 上の写真は、青倉の復興村営住宅で、落下式の屋根から落ちた雪をロータリーで田んぼの方へ飛ばす作業をしている広瀬明彦さんの姿です。 
 雪は昨冬のようにあまり降りすぎると災害ですが、あまりに降らないのも一種の災害。春の代掻き、田植えの水が足りるのか。いまから心配です。

除雪作業の様子
 1頁の続きで、除雪作業の様子を少し紹介したいと思います。



 広瀬明彦さんの作業の表情をクローズアップしました。顔の表情から緊張感がひしひしと伝わってきます。
 ハンドロータリーという除雪機械ですが、これの登場によって除雪作業がずいぶんと楽になりました。しかし、操作は慎重のうえにも慎重を期さねばなりません。ロータリー操作時の事故は非常に多いのです。ロータリーは前進と後退を繰り返して除雪していくのですが、とくに後退時が危険といわれています。
 また、排雪筒にご注目ください。入っている雪がかなり水分を含んだものであることがわかります。こういう雪は詰まりやすく、作業が非常に厄介。詰まった時にはエンジンを止めて排雪するようにしないと、大きな事故につながります。



 上は21日に撮影した極(にての)野集落でのもの。ずいぶんと狭い道を大きな除雪車(タイヤドーザー)が下って行くところです。
 じつは「栄村復興への歩み」を配達していた私はこの坂道を軽トラで上がってきて、このタイヤドーザーと「お見合い」になってしまいました。写真右手前に見える雪の低くなっているところに私が軽トラを入れ、タイヤドーザーに通ってもらいました。その直後の撮影です。下はタイヤドーザーがどれほどの量の雪を押し出していくかを示すものです。前面の大量の雪の後ろに排雪板が隠れています。



グレーダーという除雪車



 写真はグレーダー(前方)とタイヤドーザー(後方)がワンショットに収まった珍しいもの。20日午後、国道117号線白鳥大橋から下る坂道です。
 除雪車にはこの他に雪を飛ばすロータリーがありますが、グレーダーは写真に見えるように重機の真下に排雪板があります。このため、重機の重さが加わり、路面に固くへばりついた雪をきれいに取り除いていってくれます。新潟県ではかなり前から導入されていましたが、長野県はこの10年ほどのことだそうです。これがないと、除雪した後の道路は非常にスリップしやすい状態になります。



 青倉集落の島田輝二さん宅での一コマ。
 写真正面が輝二さんですが、他の3名は雪害救助員。22日午前、今季初めて輝二さん宅の屋根の雪下ろしをしましたが、その後のお茶のみの様子です。
 輝二さんは奥さまと二人暮らしですが、雪害救助員の支援を受ける高齢者の多くは一人暮らし。みなさん、除雪支援とともに、救助員とのお茶のみをたいへん楽しみにされています。


さまざまな冬景色、その2
 前号で「さまざまな冬景色」をお伝えしましたが、今月も引き続き、冬景色をお伝えします。



 まだ雪が少ない12月26日午前の青倉・西山田の棚田(上)と、ツララ&雪の華(下、12月28日、坪野集落)








 中津川渓谷(1月13日)と鳥甲山連峰(1月2日)





 ソリ遊びする帰省中の親子(3日、青倉)と東部パイロットでの一枚(1月5日)。後者は平年並みの積雪であれば近づけないところ。






 道祖神祭。木に刺した団子を残り火にかざして焼き、食べる(左)。また、お餅やアルミ箔でくるんだサツマイモも焼く(下)。いずれも10日、森集落中条地区にて。左写真には私・松尾も写っています。
 団子を刺した木ですが、この団子は繭玉を模したもので、養蚕が盛んな頃はその年のお蚕さんがうまくいくように祈る大事な行事でした。





ホクホクのサツマイモと、雪をのせるナナカマドの赤い実(12日、
         泉平集落にて)



 中津川にかかる猿飛橋。江戸時代、秋山郷を訪れた文人・鈴木牧之が腹這いになり、冷や汗を流しながら、やっとの思いで渡ったと『秋山記行』に記しています。下は同書に挿入されている猿飛橋を渡る姿を描いた絵。






 崖面のツララ。
 猿飛橋を渡った先にある逆巻温泉旅館「川津屋」さんの近くにて。



 白樺林を飛ぶ野鳥カケス。13日午後、秋山郷・上の原集落にて。




 北野天満宮の手水舎とその前を進む除雪車。21日撮影。
 これは栄村以外の北野天満宮では見られない光景でしょうね。

 冬景色、いろいろと撮影していますが、膨大な量になり、なかなか整理できません。「お米のふるさと便り」の編集作業は、撮った写真をふりかえるいい機会です。


おひさまナポリタン


 前号でご紹介した「おひさまケチャップ」をたっぷりと使ったナポリタンです。
 食後感ですが、「これはもうナポリタンを超えた、ケチャップそのものを楽しむ一品だなあ」というものです。是非、お試しください。

                         

猛烈に寒い朝

 おはようございます。
 今朝は猛烈に寒いですね。NHKのニュースによれば、隣の飯山市の今朝の最低気温は−15.6℃とのこと。一般的に言って、気温は飯山市のほうが栄村よりも低い傾向がありますが、栄村も−10℃以下だったのだと思います。
 6時すぎに起床しましたが、私の住居では水道が凍結。ヒーターで部屋を暖め、さらにポットにあった水をガスで沸かして、ようやく7時20分頃に水道が出るようになった。



 7時20分頃に撮影したものです。東方向の山から太陽が上がってきました。写真手前の国道117号線は路面が凍結していることもはっきり確認できます。
 スキー場方向を眺めると、これまた、冷たいものの清々しい空気が流れ、今日は好天になりそうな雰囲気です。
 
 
 
 
 昨日はほぼ一日、屋内での仕事だったため、写真は撮れず。
 午前9時台〜10時台が最も激しい降雪だったように思います。
 じつは、昨日、村のあるお家でお葬式がありました。
 激しく雪が降る中、式場のお寺に向かう貸切バスを待つ人たちの様子を拝見しましたが、雪国の大変さを改めて感じました。ただ同時に、豪雪の地で生まれ、育ち、生きて来られ、天寿を全うされたおばあちゃんの野辺の送りには、雪が激しく降る日こそがふさわしいのかな、などとも思いました。
 午後もある程度の降雪が続きましたが、夕刻には小雪もほとんど収まり、夕焼けに近い景色を楽しむことができました。


昨夕5時20分頃、「トマトの国」から眺めた鳥甲山、三ツ山の山並み。

 今日26日はきっと、いい天気になるのでしょう。
 私は「栄村復興への歩み」で、できれば秋山郷に向かいたいと思っていますが、道路の凍結が予想されますので、やや遅めの出発のほうがよいかもしれません。
 
 
 
 
 
 

午後の2時間半余は栄村らしい吹雪

 午後1時20分頃、木が揺れ、木に積もっていた雪が飛ぶ。そんな強風が合図で、1時半すぎから4時頃まで猛烈な吹雪。
 その間、カメラを持たずに出先で仕事をしていたので、その時の写真はなし。
 3時半すぎに大雪警報が出されたが、すると間もなく吹雪はやんだ。「警報が出ると、雪がやむ」という「法則」のとおり。
 
 夕刻5時半に帰宅した時の車庫前の様子を1枚。



 出かける時に一度、車庫前の雪を片づけているので、これが2時間半余の積雪。



 
 こちらは6時50分頃、温泉から帰ってきた時に撮影したもの。
 昨冬は、夜に帰宅した時、積雪でこの坂を上がれないことが3〜4回あった。その時は、スノーダンプで自力除雪。
 この坂を上がるコツは加速して一気に上がること。ビビったら上がれなくなる。とにかく一気に上がりきってしまうこと。


 
 国道117は自分が走った感覚でも、そんなに滑らない。今日の午後の雪は乾雪で、サラサラ。
 
 天気予報では今夜も雪になっているが、実際のところ、どうなるのだろう。
 明朝は早くから出かけなければならないので、あまり降ってほしくないが。ただ、人間というのは脆いもので、平年であれば、この程度の雪はどうってことないのだが、少雪の今冬はこれくらいの雪で、「たいへんな雪だ」と思ってしまうのが情けない。まあ、「来るなら来い!」ということか。

 
 

やっぱり栄村の天候は予測つかない



 鳥甲山がきれいに見える。昼12時半すぎ。
 8時〜9時台の吹雪はいったい何だったのだろうか。10時頃にやみ、その後、青空が広がってきた。
 北九州の駅伝大会が中止になるなど、全国的に荒れているが、栄村は晴れ。本当にわからない。「信州やわらか天気」さんは「いまは晴れている所も多い長野県北部ですが、夜からは本降りの雪になる見込みです」とツィートされていますが…。
  
 下が上の写真の撮影地点。「トマトの国」に上がって行く途中、白山神社手前のカーブのところです。
 
 
 
 
  
 11時頃にスキー場方向を望んだもの。
 
  
 12時40分頃の千曲川(青倉から)。
  
 千曲川の撮影は道路除雪で雪が押し出されてたところのてっぺんから。
 
 
 
 
 
  
 中条川の谷止工(上)と1号崩壊地(下)。
 中条川の水は多くない。1号崩壊地は地肌が見えるが、積もった雪が落ちると、不安定な土砂も落ちていると思われる。
 
 
 
  
 今冬はくりかえし田んぼの法面が顔を出した、私の住家の裏手もようやく本格的な積もりになってきた。
 
 いま、午後1時20分すぎ。空が少し暗くなってきた。
 さて、これから天気はどうなるのだろうか。

 

今日24日はどんな天気になるのやら〜今朝の日の出の様子と23日の風景から



 7時20分頃、日の出が鮮やか



 朝陽に照らされ、輝くスキー場

 朝から、西日本各地の積雪の様子がTVに流れ、暴風雪への警戒が呼びかけれている今日24日。
 栄村の天候はどうなるのか? 今日も配達に出るつもりなので、気になるところだが、「TV等で暴風雪が騒がれいる時は栄村ではあまり雪が降らない」ということがよくある栄村。
 きれいな日の出の直後、7時半すぎからは雪が降り始めたが…。


飯山線は午後、上下各1本が部分運休
 朝6時半すぎ、村内告知放送で飯山駅からのお知らせが流れ、十日町〜森宮野原間で、森宮野原午後2時20分前
 後に発着の上下各1本が除雪作業のため、計画運休となることが伝えられた。
 森宮野原〜長野間は、平常運転。


昨日23日は本格的な降雪はなし
 昨日23日は、午後3時頃から小雪が落ちてきたが、本格的な降雪はなし。24日朝の道路は薄っすらと白くなっていたので、未明〜夜明けの間にほんのわずかな降雪があったようだ。
 以下は、23日の栄村の様子。
 
 
 雪の中を元気に突進するリック。
 平滝のあるお家のかわいい犬で、場所は野々海池に通じる道路の脇。






 白鳥11時45分発の飯山線下り列車と除雪に励む人。
 白鳥踏切のすぐそば。
   「駅に停まっている時から警報機が鳴っていて、うるさいでしょう?」
   「ええ、朝は4時頃から」
   「あっ、除雪車が来るんですね」
   「いや、今年はそれだけでなくて、始発の列車を森宮野原に停めておけ
    ないらしくて、朝4時頃に飯山の方から走ってくるの」
   「だいぶ積もりましたね」
   「ええ。でも、まだまだ。こんなもんじゃないわ」






 踏切での撮影の少し前、ある留守家の屋根に雪下ろしの人の姿が見えた。当初、管理を頼まれている人がやっているのかと思ったが、どこか不慣れな雰囲気を感じた。
 家の前まで行くと、乗用車が1台。
 県内に住む息子さんが除雪に来られているのだ。
 写真に見えているのとは反対側の屋根にも人の姿が見えた。どうやら息子さん家族4名の総出動の模様。
 季節、季節に必要な作業(家周りの草刈りなど)にきちんと来られている方だ。




   「おかあさん、がんばりますね」
   「今年は雪が少ないから、たすかっているよ」
 泉平で午後2時半すぎ。




 真っ白な雪ばかりの画像なので、見づらいかもしれない。
 平滝のある留守家。
 息子さんが定期的に来られているので、ポストに「復興への歩み」を入れておく。
誰も入っていない新雪の中に踏み入れての配達。膝まですっぽりと入る。

 
  
 雪がない時は、この家の横で車をターンできるが、いまは積雪で無理。国道に通じる急坂を下る。
慣れない頃はおっかなかったが、もう慣れた。




 この一枚、画像を見ただけではなんということもないものだが、写真に見える広場状の場所が、「雪の下にじつは地面がない」と言えば、驚かれる人も多いだろう。
 道路から除雪された雪がタイヤドーザーによって押し出され、固められていき、こういうふうになる。雪がしっかりある間は、車をターンさせるために、車を入れても大丈夫。冬の間、村内の各所にこういう場所がかなり出現する。今冬は昨日あたりから、そういう場所が出てきた。
 
  
 平滝の野々海に通じる道路の除雪最終地点。
 今冬はまだこの程度の積雪。平年であれば、背丈をはるかに超える積雪で、奥の道路はみえないものだ。
 
  
 原向の堤。
 ようやく池が積雪で見えないようになった。23日午後に撮影。
 
再び、いま
 ここまで編集し終えて、外に出てみた。



 8時54分撮影の国道117号線の様子。
 1時間前から降り始めた雪はいっきに積もってきている。
 今日はどうやら本物の荒天になりそうだ。
                                           (9時5分脱稿)


おお、栄村だ!



  激しく雪が降り、相当に見にくい画像だが、森宮野原11時59分発長野行上り列車が青倉橋下の千曲川沿いを走る姿。前方に見えているのは青倉〜横倉間のトンネルの入り口。
 
  
 今日22日は夜間の積雪はほどほどにあったものの、朝方はそれほどの降雪という感じではなかった。だが、日中も降り続き、午後はいっきに積雪量が増えた。
 
 
 
 私が午後1時すぎから家の前に停めていた軽トラの午後3時すぎの様子。荷台のシートの上の雪は2時間弱で積もったもの。
 
 
 
 2階の雪除けシートの様子を室内から撮影したもの。
 例年であれば珍しくないものだが、雪が吹きつけて、こんな感じになったのは今冬は初めて。




 午後4時少し前、大久保集落の様子。



 同じく大久保集落で、阿部家住宅の様子。
 阿部マスミさんに「栄村復興への歩み」を届けた後に撮影。




 これは午前中の撮影だが、青倉集落で雪害救助員が今冬初出動。
 別の家では屋根の雪下ろしも行われていた。





 午後7時前に帰宅し、車を車庫に入れた後、車庫内から撮影。
 森集落では雪はやんでいたが、私は写真に見える坂からバックで曲がりながら車を車庫に入れなければならない。国道117から車庫前へはカーブの急坂で、昨冬は自力で除雪しなければ上がれないことが3〜4回あった。今夜は「ギリギリ上がれた」という感じだった。




 午後6時すぎ、天地〜野口間にて。
 夕刻にも除雪された様子だったが、除雪直後の道路は滑りやすい。
 この後、野口にむけて下り坂になるが、かなり緊張した走行になった。



 野口からは原向を経て長瀬に下るコースではなく、天代坂を選んだ。正解だと思う。


  “栄村らしく”なってきた。ただし、明日23日の天気予報は「一日中雪」から「昼間は曇り」に変わった。日曜は厳しい寒気が入るが、火曜日からは気温が上がるという。そうなると雪崩が心配になる。秋山行きをいつにするか、悩んでいる。



配達日誌1月10日〜19日

10日(日) 今日は道祖神祭り。わずか6世帯の中条地区は、午後の森集落の道祖神祭りに先行して、午前、独自の祭り、どんど焼きを行なう。つい4〜5日前、「点火役は隣組長だ」と言われた。
 朝8時、喪中で欠席の1世帯を除き、5世帯の男衆5人でどんど焼きの準備。雪が少ないので柱を立てるために土を掘らなければならないかと思っていたが、会場の田んぼには意外と雪があり、土は掘らずに立てられた。
 10時半すぎに点火。青空の天にむかって白い煙がむくむくと立ち昇る。そして、10数分後、柱の周りに縛り付けられていた茅、藁がパカッと3つに割れ、紅蓮の炎をあげた。



 どんど焼きは毎年見てきたが、こんな素晴らしいのは初めて。

 正午少し前に終わったが、お神酒をいただいていたので、一休み。10分か20分はうつらうつらした。2時すぎくらいからか、久しぶりの配達に出た。72軒81部。配達開始からしばらくは、本当に久しぶりの配達だったので、なにか変な感じがあったが、いつの間にか、普通のペースに戻っていた。
 平滝での配達の途中、国道のカーブの先に大きな白煙が見えた。平滝のどんど焼きだ。つぎに、白鳥でも白煙が視界に。そして、あるお家に配達に行った時、会場の全体像が見えた。そして、「みかん撒きだぞ」という声が耳に届いた。
 いいものだ。
 白鳥のどんど焼きの様子はあえて遠景の写真を示したい(下写真)。



 
11日(月) 8時55分スタートで配達に出た。
 配達が休みだった間は、朝、寒くてなかなか布団から出る気になれない日があったが、配達再開となると、そんなことはもうない。寒くてもすくっと起き上がれる。
 朝から雪が降る中で、東部から廻り始め、坪野、原向、天地を経て、西部、さらに青倉という順で進んだが(全戸周りは坪野、天地、大久保、程久保、野田沢の5集落)、やはりと言うべきか、極野は他と較べてやや積雪量が多いなという印象だった。
 ひたすら廻り、今日は計160軒。昨日と合わせて241部で順調な滑り出し。
 一定の年齢以上の人は、それぞれに「SLの思い出」を持っておられる。積極的に引き出していきたい。SLの定期運行の最後が昭和42年(1967年)。当時、カメラを持てる余裕があった人は少ないだろう。写真を入手するのは相当の努力が必要と思われる。とにかく、SLを大きな話題にしていくことが鍵だと思う。
 
12日(火) 森、泉平などで121軒、130部。累計371部で、配達は快調。
 昼すぎ、泉平から箕作へ下るとき、こんな1枚を撮った。見えているのは平滝集落。なかなかいい景色だと思うが、どうだろうか。




13日(水) 今日は天気予報で晴れそうだったので、秋山行きを予定していた。そのとおりに行動したが、大しくじりをしてしまった。
 清水川原手前の猿飛橋、逆巻温泉というところを一度も訪れたことがないので、往路の途中で立ち寄ろうと思った。見玉〜清水川原間の国道405には雪もなく、いつになく走りやすかったので、深い思慮なしに405号から右へ、猿飛橋への曲がりくねった坂道に入った(下写真。この写真は帰途に撮ったもの)。入った直後に「しまった!」と思った。道路が完全に凍っていてツルツル。最初のカーブでなんとか車を停めることができて、ほんのわずかの距離をバックで戻ろうとしたが、まったくバックできない。すぐに「無理」と判断した。さあ、どうするか? 前へ進めば、相当の距離の曲がりくねった坂道が続く。無事に下れるという保証はまったくない。しかし、さらにバックを試みる方が危ないという気がした。


これが猿飛橋への坂道(撮影は氷が割られた後)

 結局、前へ進むことにした。結果として無事に下りきり、猿飛橋に辿り着くことができた。                 
しかし、それはもう恐怖という次元を超えたものだった。もう必死だったと言うしかない。

 さて、猿飛橋を渡ったが、「どうやって405に戻るか?」である。坂道を上がることはできない。
 猿飛橋を渡った先に1軒の民家があり、訪ねた。80歳を超えるというおじいさんが出てきて下さったが、酸素ボンベをひいている人で、「私が動ければ、なんとかしてあげたいが、こんな状態なので…」というご返事。
 携帯で知人と連絡をとり、相談した。「猿飛橋の先の坂道を上がって、川津屋さんまで行って援けを求めるしかないでしょう」。
 さらに坂道を進むことは怖かったが、他に方法はない。幸いなことに川津屋さんへの道は凍結しているところもなかった。そして、川津屋さんに着くと、玄関前にご主人の姿。「どうされました?」、「坂道が凍結していて、405に戻れないのです。なにか方法はないでしょうか。」、「ええ、水が充分に来ていないのです。午後にも直しに行こうと思っていたところです。」、「わかりました。私が氷を割りましょう。」
 川津屋のご主人、吉野さんがタイヤドーザーに乗り込み、「中に入って待っていてください」と。


タイヤドーザーに乗り込み、出発して下さる吉野さん

 私は気を取り直して、周辺の写真などを撮っていたが、猿飛橋の方からタイヤドーザーの音が聞こえる。
 間もなく、ご主人が戻って来られ、通れるようになったとのこと。心からのお礼を申し上げ、少しお話させていただいた後、氷が割られ、水が流れる坂道を上がって、405号線に戻れた。ただただ感謝!!である。
 冬道は怖い。
 
秋山ではお二人の人と話し込み、配達はほとんど進まず。もう一回行かなければならない。夕暮れ迫る中で秋山を出て、津南町の中心部に着いたのは6時半頃。反省しきりの一日であった。

14日(木) 朝からほぼ一日中降雪。しかし、ほとんど積もらない。
 昨日の信毎によれば、白馬村は「寡雪対策本部」を設置したとのこと。なるほど“寡(か)雪(せつ)”という言葉があるのか。たしかに「少雪」という言葉では言い表しきれない異常な少なさだ。
 雪が舞う中で平滝、白鳥、箕作、横倉などで140軒を配達。軽トラを降りて、ポストまでの間に距離がある場合は袋に入れるが、それ以外の場合は、「歩み」が濡れないように車から玄関までダッシュ。履いているのは長靴だが、足元にほとんど雪がなく、凍ってもいないので走れる。普段の冬場にはありえないことだ。


これは少雪だからこそ見られる良き眺めかもしれぬ


午後3時頃の家の裏の田んぼの法面
昨日の段階でどれほど雪が少なくなっていたか、そして今日の雪がほとんど積もらないことがわかる一枚だろう
                               
15日(金) 13日の秋山行きではほとんど配達ができなかったので、雪が降ってはいたが、秋山の配達に行くことにした。
 屋敷、小赤沢、上の原、和山の順で計74軒を廻った。

 屋敷では、昨秋に「屋敷集落を歩く」、「布岩巡り」という写真アルバムを編集した(ブログにアップ)ことをふまえ、その冬版を作りたいなと思い、2時間ほどかけて写真を撮りながら、廻った。降雪の中での撮影で、やはり布岩が鮮明に見えるものは撮れなかった。
 そんな中、屋敷から五宝木方面に向かう道路が除雪されていることに気づき、慎重に進んでみた。布岩直下の近くまで行けた。布岩直下の撮影ポイントへは歩いて行けそうだったので、歩を進め始めた途端に雪が猛烈な横殴りの降り方に変わった。危険を感じ、布岩直下に進むことは断念した。


11時35分撮影の布岩。横殴りの雪の中、望遠で撮影。見えるか、見えないかという感じの、こういう写真もそれなりにいいのではないだろうか。

 午後1時半すぎ、上の原での配達を終えた頃、青空が見え始めた。白樺の木の上で、「ギーギー」と鳥が鳴くのが聞こえた。鳥の姿をカメラで捉えることができた。私は鳥の名前はさっぱりわからないので、後日、鳥に詳しい人に照会してみようと思う。

 上の原の配達が終わる頃から背中に疲れを感じ始めたが、ふんばって和山の配達へ。そして、午後3時頃、小赤沢まで戻り、「さあ、今日はこれで帰ろう」と思ったところで地域おこし協力隊の木村敦子さんに出会った。「今から道祖神祭。3時に屋敷で点火、小赤沢は4時」とのこと。躊躇なく屋敷に向かった。1時間弱、撮りまくった。4時からの小赤沢は「どうしようかな。帰り道が暗くなるな」と少し躊躇したが、「やはり小赤沢も撮らなければ」と思い、小赤沢の会場へ。
 ここでも徹底的に撮り、最後の「みかん撒き」の終盤でカメラのメモリカードが一杯になってしまった。こんなことは2011年7月の東北・三陸海岸訪問時以来のこと。今日の撮影枚数は2,549枚
 
16日(土) 午前中は中野市の耳鼻科に出かけた。年末にひいた鼻風邪から鼻炎を起こしたのだ。8日に受診して、抗生物質の投与などを受けて快方にむかっているが、15日に秋山に行った際、薬を持参せず、半日以上、薬を服用しなかったら、ちょっと具合が悪くなったので、念のための受診。
 着くと、駐車場は満杯。近くの薬局の駐車場に停めさせてもらったが、医院に入ると、座る席がない。結局1時間半待ちだった。いっぱいの患者さんがいたにもかかわらず、雪長靴は私の他はもう一人だけ。外は青空で、雪とはまったく無縁の世界。

 村に帰ってくると、国道が真っ白。集落内道路はかなり積もっている。知人に言わせると、「この冬初めて、栄村らしい降り方だった」とのこと。


16日午後1時40分すぎの大久保集落付近

 午後は原向などで配達。計39軒にとどまったが、価値ある39軒。雪の中で、車から降りてかなり歩かなければならない家が多い地域での配達だからだ。
 原向の登渡地区で切欠堤への道に車が入った跡があるので、そちらに向かった。途中で車は進めなくなったが、歩いた跡(新しいもの)があったので、長靴が埋まるほどの深さの中を進み、冬の切欠堤の様子が撮影できた。
 極野集落では“たね”の写真などを撮り、夕刻、「雪国と水」というブログ記事を編集してアップした。反応はいい。
 
17日(日) 朝、気温がぐっと下がり、路面の凍結が厳しいと思い、配達への出発時刻を遅めにし、9時少し前に出かけた。
 まず、雪坪集落を廻ったが、いい写真が撮れないかなと思って、村道滝見線(冬期閉鎖)の方に行ったら、除雪がされていて、猟犬を伴った人から「塩尻まで行けるよ」とお聞きした。進んで行くと、奈免沢(なめざわ)の方にも行けそう。奈免沢川の橋まで進み、道はさらに開いていたが、そこでターン。千曲川を挟んで役場の対岸からスキー場方向などの写真が撮れた(下写真)。この時期にこんな写真が撮れるなんて、やはり極端に雪が少ないのだ。



 東部や月岡、小滝などで計146軒を廻り、No.274の配達を完了。10日午後から配達を開始したとはいえ、「7」の日で配達完了とは速いペースだ。例年の積雪があれば、ありえないスピードだ。
 
18日(月) No.274の配達が完了しているので、15日に秋山で撮った写真のデータ整理をしながら、途中、森宮交通の取材や、直売所の様子を見に行ったりした。また、午前と午後の2回、雪の様子をブログにアップ。
 雪は朝9時から午後4時頃までずっと降っていたが、たいした積雪にはならず。国道や「トマトの国」への道は除雪車が出たが、集落内道路は出ず。
 15日の屋敷と小赤沢の道祖神祭の写真は、よさそうなものをピックアップしただけでも296枚。写真は撮れるだけ撮るほうがいいのだが、そのデータの整理がとてつもない大仕事になる。悩ましいところだ。
 
19日(火) 予報では一日中ダルマのマークだったが、朝起きると快晴。午後からほんの少し降ったが、積もるようなものではない。夕刻に長野地方気象台から栄村に大雪警報が出されたが、本当に降るのだろうか。

 昨夜、嬉しいメールが届いた。飯山線をSLが走る写真が送られてきたのだ。東京の知人からで、ご主人が「鉄道マニア」で、高校生時代に飯山線で撮られた写真があるというのだ。
 天気がよいので、朝9時すぎの列車が通る瞬間を狙って、横倉集落の千曲川沿いの現場へ。例年並みの積雪があれば、この時期には近づけない場所だ。いい写真が撮れたと思う。


飯山線撮影地点近くから横倉駅方向を望む

 現場周辺の様子に71年当時と較べて微妙な違いがあったので、横倉の渡辺利正さん宅をお尋ねした。やはり圃場整備で少し変化があったようだ。利正さんはお婿さんで野沢温泉の出身だが、奥さんのうめ子さんからのSL時代の思い出をお聞きすることができた。
 森宮野原駅に転車台(機関車の向きを変える設備)があった当時の写真もいただいたので、その現場も撮影してきた。撮影された場所はどうも線路と線路の間のようで、列車が来ない時間に撮影に入ったが、飯山方面からロータリー車が入って来て、慌てた(撮影のためにいた場所はロータリー車が走行する線路とは関係なかったが)。いただいた写真には、今はもうない古い家も写っていて、昔を知る人たちにお話を聞きに廻った。           
 それ以外はNo.275の編集作業。
 
*1月1日〜9日は配達をやすんでいたので、「日誌」はなし。その間に撮った写真を数枚、掲載しておきたい。


降雪の中、天池付近を歩く(1日)

  
上の原のあるお家にて(2日)。このロータリーは私と同世代のかあちゃんが操作しておられる。


ソリ遊びする島田きみ子さん(青倉)のお孫さんたち(3日)


家の近くでナラの木を伐り倒し、薪用にチェーンソーで切る斉藤克己さん
例年のこの季節では考えられない作業(5日)。


車が入った跡があったので東部パイロットに入ってみた(5日)

久々に「積もったなあ」という感じ


北野天満温泉「学問の橋」(昼12時半頃)


 今日21日の朝、午前4時すぎに除雪車の音で目が覚めた。久しぶりの賑やかさ。
 ただし、私はそれで起床したわけではない。昨夜は0時すぎに、雪が降っていないことを確認してから寝たので、もう少し寝なければ…。結局、6時には起きたが。
 
 
 上は午前9時半頃に家の窓から撮影したもの。
 作業所の屋根で、落下式の住宅の屋根よりも雪が落ちるのが遅いので、今朝の雰囲気をよく伝えていると思う。
 
  
 同じく9時半すぎに撮影。国道117号線の歩道を除雪する小型の除雪車。
 国道を走る車はライトを点けている。




 極野の集落内道路を除雪し、県道へ雪を押し出してくるタイヤドーザー。昼すぎの撮影。



 タイヤドーザーは極野集落のこんな坂道を下りながら除雪していた。



 
 正午少し前、切欠集落にて。
 除雪作業する人の姿が写真の左側と右側に見える。
 ロータリーで雪を飛ばしている人は結構若い人だが、スノーダンプで除雪している人は、日頃、「膝の具合が悪い」と言っておられる高齢の方。その頑張りに頭が下がる。
 
 
 
 
 「学問の橋」を撮影した地点の雪の深さは膝上まであった(上写真)。
 
 
 日中は陽がさす時もあったが、雪は断続的に降り続いた。でも、昼間の雪はほとんど積もらず。



 上は午後4時すぎ撮影。
 「予報通り、夜も降り続ければ、積雪はかなり増えるだろう」と思ったが、夕暮れとともに雪はやんだ。
 
 あまりに雪が少ないと、村の経済もピンチになる。「もう少し降ってくれよ」と思ってきたが、いざ降ると、それはそれで厄介。今日は坂を歩いて下る時に滑って転ぶアクシデントがあった。気をつけているが、「まさか」と思うところでのことだった。さらに気を引き締めて、明日以降も頑張っていきたい。