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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村復興への歩みNo.278

秋山郷が動き出している!!
 
 2月20日(土)午後、秋山の「とねんぼ」で「秋山郷の未来を語ろう会」が約40名の人たちの参加で開催されました。秋山の20代〜40代の若者15人が昨年末に結成した「GO会」の主催によるものです。



 写真は、「GO会」の会長・山田裕樹(ゆうき)さんからの「活動計画について」の報告と福原直樹さんからの「スノーエンジョイふぇすていばるイン秋山」の提案をうけて、3つのグループに分かれてのフリートークが大いに盛り上がっている一場面です。

ワケショが意気込みを語る⇔年輩者が知恵と思いを伝える
 フリートークは3つに分かれて行われましたので、取材に訪れた私はすべての話し合いの内容を聞き取れたわけではありませんが、非常に印象に残ったのは、ワケショの熱い意気込みを受けて、年輩の人たちが秋山郷に引き継がれてきた色んな知恵などを語り、ワケショがそれに熱心に耳を傾ける、そういう若者と年輩者のやりとりでした。
 これまで村内で開催されたワークショップを数多く体験してきましたが、若者と年輩者の間でのこれほど活発で熱いやりとりを目にしたのは初めてのことです。


熱く語る島田福一さん(右端)、食い入るように話を聞く阿部豊和さん(左端)

大事な地域行事は守られる
 「語ろう会」が開催された20日の午前中は秋山小グラウンドで第26回秋山校区合同雪上運動会が開催されました。大盛会でしたが、秋山小は今年3月末で閉校。「来年以降、雪上運動会を続けられるのか」という心配がありましたが、GO会がその継承を力強く宣言しました。
 また、夏の盆踊り大会になかなか人が集まらないという問題もフリートークで出ました。打開の妙案がすぐに浮かんできたわけではありませんが、ワケショと年輩者が知恵を出し合う活発な議論が行われました。
 人口減少の問題もあります。しかし、週末には秋山に帰ってきて地域行事に熱心に参加する若者やそのお子さんの姿も多く見られます。「外に出ている仲間」と手をつなぐということは非常に大事なことだと思います。「GO会」が平素は秋山以外のところで暮らす秋山育ちの若者も含めて結成されていること、「仲間をどんどん増やそう!」、「出られる時に無理なく参加!」を「決まり事」としていることも、地域の伝統行事の継続に大きな力を発揮するでしょう。


写真は長野市で暮らす関大輔さん。秋山の行事では姿をよく見ます。お子さんも参加しておられました

秋山郷での子育て環境の形成への大きな第一歩
 「語ろう会」でもう一つ、重要なテーマとして語られたのは「秋山郷で子育てができる環境づくり」です。
 「秋山で子育てをしているが、子どもが熱を出した時、すぐ近くにお医者さんがいないので不安」という切実な声も出ました。また、「語ろう会」には1月に福原一男さんと結婚された千鶴さんが参加され、さらに地域に根づこうとしている地域おこし協力隊のメンバーも議論に熱心に耳を傾けていました。
 秋山郷での子育てには、親が秋山郷で仕事をして稼げるということが大前提。これについて年輩者からもいろんな知恵・提案がありました。
 すぐに何かの産業が育つというわけではありませんが、課題解決にむかっての大きな第一歩が踏み出されたというのが私の感想です。


写真真ん中が福原千鶴さん。左は地域おこし協力隊の木村敦子さん

 後日、「語ろう会」参加者の顔ぶれについて詳しい説明を関係者からお聞きしましたが、「GO会」のワケショだけで森林組合に勤める人が少なくとも二人おられるんですね。また、広い意味で山に関係する仕事を担っているワケショもおられます。秋山の最大の資源はなんといっても山です。栄村一般ではなく、秋山地区の山をめぐる森林政策(狭い意味の林業だけでなく、山菜の活用や山を活かす観光の問題も含めて)を形成していくことが仕事創出のうえで大事なのではないかという感想を抱きました。
 また、「秋山郷という名はよく知られるようになったが、アピール(情報発信)が少ない」という声が多く聞かれました。ささやかですが、「復興への歩み」等でも秋山郷の情報を増やして、協力したいと思います。
 秋山郷で始まった大きな動き、今後も取材・報告を続けていきます。


「語ろう会」の資料。








4枚の写真は雪上運動会の様子です(かんじきリレー、暖をとる人たち、くねくねフープ、ノルディックの前走をする斉藤充子先生)。
 

深刻な森集落の水道問題――震災復旧・復興の大きな試金石

 「森集落の水道問題」といってもピンとこない人も多いと思います。「復興への歩み」でもこれまで報じてきませんでしたので、その反省も含めて、まず問題の経緯・概要を説明します。

森集落の水道問題の経緯
  ・森集落の水道の水源は震災前、中条川(東入沢川)上流にあり
   ましたが、中条川上流の山腹崩壊で使えなくなりました。
  ・震災直後の緊急措置を経たうえで、2012年、中条の白山神社近
   くに新しい井戸が掘られ、そこに配水池も新たに建設され、20
   13年5月から給水が開始されました。
  ・ところが、2014年2月頃、森区住民から「水道水から黒いものが
   出る」という苦情が役場に出されました。調査の結果、井戸から
   汲み上げている水に基準値を上回るマンガンが含まれていることが
   原因と判明。
  ・役場は、2014年6月、新しい井戸を掘ることを決定。また、消火栓
   による排泥清掃を実施しました。
  ・「トマトの国」の下で新しく掘った井戸からの水の給水試験を2015
   年11月17日から開始。しかし、11月24日、水位が低下。12月18日
   から新井戸8㎥、既存井戸4㎥の水での給水を開始しました。
  ・配水池から集落内に張り巡らされている水道管にはマンガンが付着し
   たままになっています。役場では今年1月、マンガン由来の水の濁り
   をめぐってSCOPE(スコープ)工法という洗管を実施した実績がある
   安曇野市に赴き、研修。同工法による洗管を検討中。       


マンガンの付着で真っ茶色になった水道部品

安全・安心な水道水の安定供給はまだ見通しがたっていない

 上記の経緯をふまえ、現在の問題点は大きく言って2つあります。
 第1は、最低限必要な水道水12㎥の確保・供給が危ういということです。
 現在8㎥を汲み上げている「トマトの国」下の新井戸で8㎥を確保し続けられるという保証がないのです。2月21日に開催された「森新井戸稼働状況説明会」の席上では、「水脈にあたっていないのではないか。あそこは崩土だ。井戸で汲み上げているのは浸み出ている水でしかないのではないか。だから、汲み上げを始めると水位が低下したのではないか」という声が数多く上がっていました。
 ちょっと補足説明が必要でしょう。「トマトの国」前の駐車場の前に広場があり、その一角に井戸は掘られました。しかし、江戸時代後期の善光寺地震の際の土石流は現在の「トマトの国」のあたりを下り、膨大な崩土が溜まりました。「広場」はまさにその崩土が溜まったところなのです。
 21日の説明会でも住民から出た声ですが、「ただ井戸を試掘して、水が出たというのではダメだ。きちんとした水脈調査ができる専門業者に水脈調査をしてもらうことが必要」なのです。そうしなければ、水道水の安定供給は保証できません。


新井戸から配水池への導水管設置工事(2015年8月28日撮影)
「トマトの国」から下る坂道が見えている

 第2は、マンガンが多量含まれる水によって配水管の中に溜まったマンガンを除去することです。
 役場は上述のSCOPE工法での洗浄を研究中で、工法が定まり次第、新年度補正予算を組むとしていますが、それがうまくいったとしても、それだけでは問題は解決しません。水道の配水本管から各家庭に入る配水管、さらに各家庭の水道設備(台所、風呂場等々)に溜まったマンガンをどう除去するかという問題が残ります。現に、水道栓の故障で最近、部品を交換した家庭では、部品が真っ茶色になっているのが見つかっています(5頁の写真参照)。
 同様の問題が発生した安曇野市のケースを見ると、行政が洗浄措置を行なったのは水道本管のみで各家庭の水道設備については各家庭任せになっています。
 このように事態はきわめて深刻です。
 
開かれた体制で根本策の探求を
 21日の説明会では住民から厳しい意見が続出しました。
    「震災から5年も経っているのに…」
    「水のないところに人間は住めない」
    「掘削機械を据えやすい所を掘っているだけではないのか」
    「震災前の水源を活かす方法を考えるべきだ」

 役場の担当部署の人たちは懸命にやってくれていると思います。しかし、1つには、震災の後、災害復旧工事の査定を受けるために、十分な検討ができずに応急復旧、さらに新井戸の掘削・新配水池の建設に着手せざるをえなかったという問題があることは否めません。
 2つには、森の水道の井戸試掘・掘削に関わっている業者が1社に固定していて、発注はすべて随意契約であり、住民にはこの業者固定化に対して根深い不信感があります。
 
 私は、従来の復旧策の延長線上で弥縫策を繰り返すのではダメだと思います。震災満5年目を迎えるいま、従来の震災復旧策を根本的に点検し、不適切なものは不適切であるとはっきりさせ、抜本的解決策に転換する必要があります。
 森集落の人たちには「震災前の水源から水を引いてほしい」という強い願いがあります。
 それに対して、役場は、「災害復旧で新しい配水池をつくった以上、それを放棄して元の水源から水を引くようにすることは二重投資になり、認められない」という見解です。
 元の水源から水を引くことは、本当にダメでしょうか。私はそうは思いません。災害直後の復旧は緊急事態の中でやることですから、少し時間を経て、落ち着いて検討したら、「実施した復旧策には問題がある。やり直しが必要だ」というケースが出てきてもおかしくありません。それを、「一度復旧したのだから、問題があっても我慢しろ」というのは無茶な話です。


写真は震災前の水源から流れ出る美味しい水。2012年8月、山腹崩壊地点見学会で森の人たちがペットボトルに水を汲んだ。
 
 この問題の根っ子には、1つ、重要な問題が隠されていると思います。復旧・復興に関わる事業の進捗状況を不断にチェックし、問題点があれば、事業計画の見直しをするために設置するとされた「復興推進委員会」が機能していないということです。「栄村震災復興計画」で決められた「復興推進委員会」は、本来、第三者的な専門家を含めることを想定していました。ところが、いざ設置という段階になって、「村内の人間だけで構成する」とされてしまい、専門的知見を排除したのです。そこに、復旧・復興事業をうまくチェック・修正できない根本原因の1つがあります。
 今からでも遅くはありません。ひとまず、森集落の水道問題について、第三者の立場にある専門家、そして地元森集落住民を含めて、問題の現状と抜本策を検討する場を設けるべきです。そうすることによってこそ、本当に安心して安全に暮らせる村を取り戻すことができるのだと思います。
 

写真アルバム:保育園児たちの雪遊び

 2月24日、保育園の子どもたちがさかえ倶楽部スキー場で今冬2回目の雪遊びを楽しみました。
 園児のおかあさんから教えていただき、撮影に行きました。途中、吹雪になる時もありましたが、吹雪きも何するものぞ、園児たちは元気いっぱいで遊びまわっていました。スキー場の係の人がスノーモービルを出してくれるサービスもありました。
 スキー場での雪遊び。栄村ならではのことです。こういう栄村の自然を活かす取り組みがさらに増えるといいですね。こういう保育が素晴らしいということで、栄村への移住を考える若いご夫婦もきっと出てくると思います。

雪の山にのぼる園児たち
かなり高い山ですが、子どもたちはずんずんのぼります。


雪の山から滑り降りる


雪上相撲で先生を懸命に押す子どもたち


スノーモービルが颯爽と登場


年少さんの二人が先生と共に乗った時は吹雪

 
満面の笑み
 

SLの飯山線運行、そして「土木観光」という新しい試み

SL運行をめぐる最近の動き
 26日午後、JR東日本と「飯山線沿線地域活性化協議会」の2回目の連絡会議が開催されました。詳しい内容はまだ知り得ていませんが、いろいろと準備が進んでいるようです。
 1月末の1回目の会議で、栄村村内の踏切各所に村が配置する警備員の人数についてJR側から具体的な要望があったようです。また、新聞報道で「ビューポイントについて自治体からの提案をJRが求めている」という話がありましたが、鉄道ファンの人たちがSL運行の様子を撮影するのにいい地点を自治体側から提案してほしいという趣旨だそうです。
 このビューポイントについては、私も商工観光課に参考意見を提出させていただきました。いわゆる「撮り鉄」(鉄道ファンのうち、写真撮影に熱心な人たちのこと)の中にはマナーが悪い人がいる一方、沿線の村に宿泊して、じっくり楽しむ人もかなりいると聞きます。後者の人たちは村におカネも落としてくれるわけで、栄村の観光の発展につながるものとして歓迎すべきでしょう。
 ビューポイントについて具体的な記述は避けますが、集落内のかなり広いゾーンが「ビューポイント」になりうるところもあります。「うちの集落は歓迎するよ。そのために警備・案内もするよ」とか、「うちの田んぼの畦道は写真撮影にいいそうだが、立ち入りはお断りにしたい」とか、みなさん、具体的に考えてみてください。


「土木観光」って、聞いたことがありますか?
 「土木観光を考えるシンポジウム 信州の土木を考える」という企画が2月15日、長野市であり、参加してきました。
 旅行業界での用語としては「インフラ・ツーリズム」と言うようですが、土木工事の歴史的遺産や、現に工事が行われている現場を訪ねる旅行です。
 いくつかの事例が紹介されましたが、たとえば小谷村(おたりむら)では砂防ダムを見て廻る企画が人気を呼んでいるそうです。とくに若い女性の参加者が多いといいます。

 シンポジウムの主催者、「土木・環境しなの技術支援センター」が一昨年に制作した「信州の土木 魅力のマップ」というものをいただきました。栄村からは「堂原の一里塚」と「白鳥大橋」が紹介されています。一里塚は江戸時代に築かれたものですね。白鳥大橋は「千曲川の懸崖(けんがい)を克服」ということが評価・紹介された理由です。懸崖とは「切り立った崖」という意味ですが、白鳥大橋はたしかに凄いものですね。私は11年前、栄村を初めて訪れた時、飯山方面から走って来て白鳥大橋を見て驚いたことを記憶しています。


素晴らしい姿を見せる白鳥大橋

 白鳥大橋が出来る前、樽坂の難所を通るために使用されていたスノーシェッドともども、栄村の観光の名所とすることが充分に可能です。
 このように観光資源は栄村に無限にあるといって過言でありません。それらをもっともっと活かしていきたいものです。
 

白鳥大橋と百合居橋付近で行われている工事の紹介

 2月25日から白鳥大橋で片側通行規制が行われています。
 白鳥大橋の補修工事が行われているためです。今回の補修工事は震災等の災害復旧ではなく、いわゆる「インフラ(道路、橋など)の長寿命化工事」です。最近、メディアでもよく報道されていますが、高度経済成長時代以降に造られた道路や橋でコンクリートのひび割れなどの経年(けいねん)劣化(れっか)が生じてきています。そこで、新しい道路や橋を造るのではなく、現存の道路や橋を補修して、もっと長く使えるようにするための工事です。下写真は白鳥大橋の下で、特殊な装置を使って、橋脚のコンクリの中の鉄筋の状態を調べている様子です。



 他方、百合居橋近くの千曲川左岸では護岸の補修工事が行われています。作業用のバックホウは対岸から千曲川を渡って現場に入っています。また、工事資材は百合居橋近くの県道からクレーンで降ろされています。



 いずれも私たちの暮らしにとって大事な工事。ご注目ください。

<お知らせ>
次号発行は3月11日付となります。
 

2月23日という日



 2016年2月23日の1枚は、平滝集落の山の方を走る村道の道割りの様子。
 国道117の白鳥大橋手前、オマチ川の近くに設置された藤巻建設の現場事務所での取材を終えて、外に出たところで偶然、目に入った。
 日常の暮らしで使われることはなく、農作業に入る人だけが使う道。こんな時期の道割りは今までにないことなのではないかと思う。
 この後、この道に入ってみたが、雪は多いところでも1mなかった。



 2012年2月23日は、なぜか1枚も写真がない。当時は、私は「復興への歩み」を執筆・編集していたが、配達は自分ではしていなかった。そのため、カメラを持って村内を巡ることがない日もあったわけだ。現在との活動内容・形態の違いが自分でもよくわかった。
 2013年2月23日は、やはり病気で写真がない。


2014年2月23日



 この日は撮った写真があまりない。
 数少ない中の1枚がこれで、月岡集落大巻から小滝集落にむかう道路脇の崖面を撮ったもの。
 震災の日、このあたりは雪崩が通行が不能となり、小滝集落の人たちは京都市消防局のヘリで北信小学校(現在の栄小学校)に避難したのだった。
 今年2016年は少雪で、雪崩防止柵から溢れ出んばかりの積雪はない。


2015年2月23日



 切欠集落の横の県道のカーブのところでの排雪作業の様子。
 2014〜15年の冬の雪はやはり凄かったのだ。
 
  
 坪野集落のいちばん奥、天代川に架かる橋の手前。当初は「雪崩か」と思った。
 坪野の人に尋ねると、写真右に見える崖の上の集落内道路の雪の壁を落としたものだそうだ。私は初めて見るので驚いたが、毎年、この時期になると行われることだとのこと。でも、栄村内の人でも、こういうことを知る人は少ないと思う。
 
 

2月24日という日



  今日2016年2月24日は激しく雪が降る時間帯もあったが、さかえ倶楽部スキー場では北信保育園の雪遊び。今冬2回目だそうだ。雪の山に登り、それから滑り降りる。
 子どもたちのパワーは凄い。付き添う先生方、大変ですが、まさに栄村ならではの保育。
 山は下の写真に見られるように、かなり高いもの。



 ある園児のおかあさんからお知らせをいただき、撮影に出向いた。
 写真はたくさん撮ったが、子どもたちの顔がわかる写真はまず保育園に提供し、保護者の方の許可を得たうえで公開する予定。


2012年2月24日



 「2月22日という日」の「2012年2月22日」で青倉〜四ッ廻り間の道路の道割りを紹介したが、その道割りを進めた先で雪に埋もれていた復旧工事現場事務所を掘り出す作業。横倉沢橋の復旧工事だったと記憶している。
 おそらくコンテナハウスだと思われるが、一冬の雪の重みによくぞ耐えたものだと感心したことを覚えている。



 上の写真の撮影地点の少し先、横倉沢橋。この橋を渡って左に折れると、青倉集落の四ッ廻りの田んぼゾーン。


2013年は2月24日も写真なし。


2014年2月24日



 なんということもない写真だが、森集落にある高齢者総合福祉センター横の道路の様子。
 凄い雪の山ができている。この山は、写真中央に見える狭い道の雪から押し出されてきたもの。
 13年12月から自分自身で村内配達を行なうようになり、村内のそれぞれの道路がどんなふうに除雪されるのか(雪を飛ばす先、押し出す先がないと除雪できない)、いろいろとわかるようになってきた。この1枚はそのことの記念のようなもの。
 
  
 この日、「復興への歩み」の配達で大久保集落を廻った私は、阿部家住宅の阿部マスミさんをお訪ねしたようだ。マスミさんがご覧になっているのは、阿部家住宅を訪れたことがある京都の大学生からの年賀状。2014年にはすでに結婚していて、「今春、出産の予定です」と書かれていた。その人はその後、2015年秋、お子さんを連れてマスミさん宅を訪れた。


 
 菅沢農場の一角にある堆肥センターの畜産農家・樋口和久さんが牛糞を搬入されているところを撮影。
 牛糞を主原料とする堆肥は栄村の循環型農業にとって不可欠のもの。震災で畜産農家が1軒だけになり、ピンチ。
 この年の春、阿部長野県知事が樋口和久さんの牛舎を視察したことが大きな転機となり、牛舎の規模拡大、震災前まで畜産農家だった人の畜産復帰への道が拓かれることになる。
 
  
 これまでに2回ほど紹介した小滝の古民家保全。
 雪の中で、外壁がはられていく。


2015年2月24日

  
 森集落の広瀬忠雄さん。
 農作業用の資材などを入れてある建物(写真右上に屋根が見える)の前の除雪。
 もうこの時期になると、百姓をする人は春の農作業の段取りを考えて、いろいろと動き出す。
 
  
 国道117を走る排雪作業のダンプカー。2015年はすごい台数だった。今年2016年はほとんど見かけない。除雪に関係する人は今冬、稼ぎがない深刻な状況。
 
  
 中条川に架かるスキー場に向かう道の橋・貝立橋から撮影。
 1台のミニバックホウが除雪作業。
 青倉集落が中条川から水を取り込む大堰(おおせぎ)の災害復旧工事の再開のため。
 この復旧工事、直接には2013年9月の台風18号災害の復旧工事とされているが、元を辿れば、震災の中条川上流の山腹崩壊・土石流災害が大元。
 でも、災害復旧工事においては、震災との関連づけはされない。国の災害復旧工事の問題点の1つだ。

 


2月22日という日



 今日2016年2月22日の1枚はこの写真にした。
 栄村の人でもあまり見慣れない景色かもしれない。平滝集落から明石(あかいし)(野沢温泉村)を撮影したもの。バックホウが2台見え、除雪作業をしている。普通の道路除雪とは異なる光景である。復興交付金で建設される箕作〜明石間のバイパス道路の一環で、平滝〜明石間に架けられる橋の橋台建設のための除雪作業。先日、明石で見た看板によれば、工事は進捗率45.2%。
 このバイパス道路は、「栄村震災復興計画」の柱の1つ、「災害に強い道路ネットワークづくり」の重要な環をなすものだ。しかし、これで充分ということではない。国道117の平滝〜森間が災害で通行不能となった場合を考えると、「災害に強い道路ネットワークづくり」には栄村村内の道路網のより深い検討が必要。村は「復興計画」に基づいて、具体策を考えなければならないのだが、「復興計画」策定後から3年半、その作業を進めていない。


2012年2月22日


  
 青倉集落から四ッ廻りに通じる道路(旧国道)の道割り作業の様子。
 平年はもっと雪が減った4月以降に行われる作業。震災翌年の2012年は復旧工事のために、写真に見るようなすごい作業が行われた。
 
  
 こちらは仮設住宅の集会所横での除雪作業の様子。




 ある高齢者世帯の内部を見せていただいたもの。
 崩れた壁に合板などをガムテープで取り付けてある。震災から1年の段階で、こういう状態の家は高齢者世帯を中心にまだまだたくさんあった。
 
  
 凄い積雪だが、青倉集落の一角。
 この場所がこの年の秋にどんな様子に変わっているか。この「5年間を思い出す」シリーズがその時期になったら紹介しようと思う。
 


 「2012年2月19日」で紹介した坪野の空き家の除雪作業のその後。
 斉藤秀男さんの作業に頭が下がる。


2013年は2月22日も写真なし。


2014年2月22日

 
  
 この日はあまり写真を撮っていなくて、この1枚。
 原向の中村正文さん宅の積雪計。積雪2mを示している。


2015年2月22日


午前9時36分。


午後3時56分。

 この日は、除雪ボランティアの人ともに、大雪で除雪が間に合わなくなっていたところの除雪作業をした。手作業でそこそこに除雪が進んだ。

 

2月21日という日



 「5年間を思い出す」は今日で5日目(第5回)になるが、会合の写真をTOPに置くのは初めてだ。今日2016年2月21日午後2時から森公民館で開かれた「森新井戸稼働状況説明会」の様子である。
 詳しいことは「復興への歩み」等で説明したいが、震災・中条川上流の山腹崩壊によって森集落の簡易水道の水源からの水の供給が不能になった。その後、森集落中条地区の白山神社近くに井戸が掘られ、2012年夏に新しい水道給水施設がつくられた。しかし、その後、水道から黒い水が出るという苦情が続出。水道水にマンガンが多量に含まれていることが原因であった。昨年、その対策として新しい井戸が掘られたが、その後の経緯が地元住民にきちんと説明されていない。そこで、森区(集落)が役場に説明を求め、今日の説明会に至った。
 会合では、長老クラスの人たちから厳しい声があがった。「震災から5年経っても、この状況。何をタラタラやっているんだ!」という弾劾も。
 村長は「復旧は終わった」と言うが、復旧すら充分ではないという現実。
 満5年目を前にして、深刻な問題が露呈してきた。私自身のこれまでのレポートの不充分性の反省を含めて、問題の根底にあるものを徹底的に解明していきたいと考えている。



2012年2月21日



 2012年2月12日はわずかな枚数の写真しか撮っていなかった。
 「2012年2月20日」で紹介した平滝のある家での除雪のボランティアがこの日も活動を続けて下さっていた。


2013年2月21日はやはり写真撮影なし。


2014年2月21日



 小滝集落の古民家「隣りの家」の修復工事のために、大雪の中、毎日、小千谷市から通って下さった星野工務店の人。



 屋根に迫る積雪の中での大変な作業であった。


 基礎の土台が2つ見える。
 元々は丸い石に柱をのせる古民家のつくりであったが、古民家の修復・保全にはその基礎を造り直すことが必要だった。
私はこの頃、修復資金の確保に不可欠の作業として、日々の修復作業の様子を写真撮影するために1日に2回くらいの頻度で小滝集落に通っていた。この頃の写真データを見ると、「これでもか、これでもか」と言わんばかりに古民家修復作業の写真が出てくる。


2015年2月21日



 国道117号線の栄大橋の下に飯山線の中条川橋梁があり、列車が走る姿を撮影している。
 2015年の2〜3月、私は飯山線の冬期の列車運行状況を知らせる記事を毎日のようにブログにアップしていた。私がこの秋に予定されるSLの飯山線運行を「復興への歩み」で大きく取り上げているのは単なる趣味の問題ではない。栄村の復興にとって飯山線の存在、その活用が非常に重要であることを、この5年の歩みの中で強く感じてきたからである。


 飯山線の列車の様子を撮影すると同時に、そのすぐ近くの中条川崖面の様子も捉えている。



 写真右手に水が落ちている箇所が見える(雪が消えているところ)。青倉集落から水路の水が中条川に落ちるところである。そこの崖面が崩れてきている。別の日に撮った写真のほうがその様子をもっとクローズアップしているが…。
 この崖面崩落箇所は2015年、県が行なった栄大橋下の中条川護岸復旧工事の一環として対策工事が行われ、崩落の危険はひとまずなくなった。しかし、この問題、村は県まかせで、村としては無対応であった。
 冒頭の森水道問題において、震災前の水源の復旧を、「山腹崩壊対策の治山工事(県が実施)が行われていて、水源復旧は無理」とする村の対応と、根っこにおいて共通するものを私は感じている。今後、「復興への歩み」において深めていきたい。
 


2月20日という日



 今日2016年2月20日は、「春の嵐」が予報されていたが、日中はなんとか天気がもち、秋山では「秋山小校区合同雪上運動会」が開催された。
 写真は、雪の積み上げ競争で、肩車に乗って雪を積み上げる少年。
 
 秋山郷では引き続き午後、ワケショが立ち上げた「GO会」の主催による「秋山郷の未来を語ろう会」が開催された。
 今日の集まりの最大の特徴は、「年寄り」が秋山郷の色んな文化や伝統を語り、ワケショがそれに熱心に耳を傾け、地域の伝統行事を継承しつつ、秋山郷の未来を担っていこうという真摯な姿勢。
 そんな雰囲気を伝える1枚を紹介したい。
 
 
 
2012年2月20日



 2012年は2月20日もボランティアの人たちが除雪支援に来て下さっている。写真は平滝集落のあるお宅の裏手。雪の量が半端じゃない。



 この写真も平滝で撮影したもの。
 国道117号線沿いの千曲川側に6軒ほどの家が並んでいるが、その裏手の法面の復旧工事の様子。この箇所で法面の工事が行われたことははっきり覚えているが、積雪の多いこの時期に行われていたことは忘れていた。
 「5年間を思い出す」作業はやはり大事なことだと思った。


2月20日も2013年の写真はない。


2014年2月20日



 青倉のかあちゃん4人のお茶のみの様子。
 「お米のふるさと便り」(青倉のお米の産直の月刊ニュース)のために撮影させていただいたことを記憶している。
 撮影場所は、復興村営住宅の一室。4人のうち3人までがそれぞれ一人暮らしで復興村営住宅に住んでおられる。住宅の場所は震災前の住居とほとんど同じ場所。
 震災からほぼ3年、日常の不通の暮らしが戻って来ていることが実感できる。
 
 
 
 これは栄村公民館による移動図書室のサービス。やはり青倉で撮影。
 このサービスも震災から2年以上が経過してから復活したのだと記憶している。


2015年2月20日

  
 最近では家の新築現場などに行っても、大工さんが鉋(かんな)を使っている姿を見ることはほとんどない。
 この写真で鉋をかけている人は大久保集落の阿部貞夫さん。
 
 
  
 配達の途中で、貞夫さんの作業場に立ち寄った。
 もうご高齢だが、最近では一輪挿しを直売所に出されるなど、お元気に活躍されている。