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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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巨大クレーンの休日

 今日29日も2回、平滝を通った。朝、通った時、400t吊りの巨大クレーンのビームが延びていないことを現認した。今日は日曜日だから、現場は休み。
 昨日は東京行きで作業の様子を見られなかったので、午後、白鳥に用事で向かった時に、平滝の現場に立ち寄り、様子を撮影した。




 橋桁の送り出しがどこまで進んだかを確認した。27日に紹介した巨大なジャッキはすでに平滝側の橋脚の上に設置されていた。
主桁は27日と比べると、さらに1つ増え、工事計画の通り、主桁14、13、12、11、10がすでに載せられ、送り出されている。手延べ機の先端は平滝側の橋脚(P2)の上まで来ている。
 上記の説明に沿って3枚の写真を順番に示す。








 近代技術の粋というべきものが見られる現場だが、現場事務所の裏手には花が咲き、チョウが飛んで、のどかな雰囲気である。その対比が面白い。




 

神への祈りから始まる野々海の水番



 柏手を打った後、深々と礼をするのは月岡英男さん。
 頭(こうべ)を下げる向こうには野々海大明神が祀られている。
 5月29日朝の水番の始まりである。時は8時20分すぎ。





 水番小屋を開けた英男さんは慣れた足取りで斜めの堤の上を歩き、鍵を開けて金網の中の斜樋に入る。右写真には階段状に並んだ開閉器が見える。
 1段目、2段目にはすでに水がない。英男さんが立っているところが3段目で、すでに開栓されているが、この3段目からの取水ではもう足らないようで、4段目の栓のチェーンを引っ張って開け始めた。



 4段目の栓は全開にするわけではない。鉄棒を差し込み、栓の開き具合を調整する。



 栓から写真右上方へ鉄棒が見える。

 これより先、英男さんは野々海池に入る前に、平滝・横倉方面と森・青倉方面の分水点に立ち寄り、水路を流れる水の量を点検した。





 これが分水器の内部。手前が森・青倉へ行く水。真ん中上に見えるコンクリートの色が変わっているあたりまで水の高さが必要だそうだ。ここの様子を見て、野々海池の斜樋の栓をさらに開けるかどうかを判断する。

 この後、野々海池に到着して、池の様子を見た瞬間、私は驚いた。
 向こう岸に土が見えている。これまでの私の経験では早くても7月中旬を過ぎないと見られない光景である。



 下は5月15日の野々海普請の日の様子。



 平年だと、この時期は余水吐から水が流れ出していて、野々海池の水位は変わらない。
 かなりの雨が降ってくれなければ、7月いっぱいもたせるのも厳しいのではないだろうか。災害をもたらすような大雨は困るが、かなり降ってくれないと困る。今年の7月1日の「野々海開き」のお祭りは「雨乞い」の儀式としての性格をもつことになるかもしれない。
 水番の作業を始める前の英男さんの拝礼の意味の重さを感じる。
 

一口に「ジャッキ」と言うけれど、モノが違う! 〜27日の平滝架橋工事現場から〜



 われわれも日常の暮らしの中で「ジャッキ」を使うことはある。たとえば、タイヤ交換などのために車を持ち上げる時である。
新たな橋の建設で橋桁を架ける工事で、「ジャッキで橋桁を支える」というようなことを耳にすることがある。話だけ聞いていると、われわれが日常の暮らしで見るジャッキの大型版を想像するが、実際のモノはそんな想像をはるかに超える。
 上の写真が、平滝の現場で橋脚(平滝側のP2と呼ばれている橋脚)の上にこれから据えられるジャッキ4基のうちの1基。現場代理人さんに「ジャッキが見られるよ」と声をかけられ、見える場所に移動してビックリ!であった。
 これを橋脚P2の上へ運ぶのは、もちろん昨日設置された400t吊りの巨大クレーン。今日すでにジャッキを据える前段階の作業をしていた。



 手延べ機の先端の位置を見ると、今日、送り出しがまた進んだようだ。昨日、台に載せられた主桁11の位置が変わっていた(前へ進んでいた)。


今日27日


昨日26日

 平滝の現場へは1日に1回は見に行くようにしている。「バカか」と思われるかもしれないが、われわれの暮らしを支えるインフラがどのようにしてつくられていくのか。なかなか興味深く、かつ、大事なことだと思う。
 

配達日誌5月11日〜20日

11日(水) 今日は朝から雨で、午前中は室内作業。
 午後、東部地区の笹原〜極野で60軒の配達。
 北野集落で出会った桑原虎一さん。釜で何かを湯掻いておられるところだったので、お尋ねすると、ゼンマイではなく、ワラビ。乾燥ワラビを作るための作業だ。
 「干しワラビはゼンマイにはないシャキッとした歯ごたえがあって、なかなかいいもんだ」。
 たしかに言われてみると、そのとおりだ。こういう作業をするズクと知恵・技が本当に大事だと思う。





 5時すぎ、ほとんど止んでいた雨が再び激しい降りに。そんな中、白鳥の月岡富士男さん宅にワラビをわけていただきに行った。「どんどん出てくるので採らなきゃならない。今年は田植えと順番が逆になって…」。毎日、夜遅くまでワラビの選別作業をされている。
 暗くなっても、雨は続き、気温はどんどん下がった。夜9時すぎ、あまりに寒くて、「今年はもう世話にならないだろう」と思っていたファンヒーターのスイッチを入れた。

12日(木) 昨日とは一転して好天。
 起床がやや遅く、9時半近くの出発で秋山へ。今日は9日に廻れなかった小赤沢での2回分の配達と、屋敷でのNo.284配達が主目的。
 しかし、日出山線を進んで、屋敷に下りる前に、布岩の近くにあるという隧道掘り(切明から発電用の水を運ぶもの)用に使われた「電車」路線の敷地跡というものを見に入った。先般、山田由信さんからそういうものがあると聞いていた。
 探し出すのに相当苦労するかなと思っていたが、意外とあっさり辿り着けた。その写真は、関連事項を少し調べたうえで、「復興への歩み」でいずれ紹介したいと思う。
 屋敷の配達過程で、3軒で結構話し込み、屋敷での配達が終わったのは午後1時半をまわっていた。4時までに宅急便に渡さなければならない荷物があるので、下におりて、小赤沢は明日もう一度出直すことにしようかとも思ったが、「とにかく廻れるだけ廻ろう」と考え直し、猛スピードで廻ったところ、43軒を1時間弱で終えられた。2時20分頃に小赤沢を出発、津南でちょっと用を足して、3時半頃に帰着できた。

 
小赤沢から下りる時に出会った光景。地域おこし協力隊の3人による田と畑の作業。

13日(金) 今日もいい天気。配達で東部(雪坪〜切欠、原向)、程久保、横倉を廻ったが(97軒)、真っ青の青空の下の景色等を多数撮影。午後、アルバム「5月13日の景色」を編集し、ブログにアップ。
 志久見で久しぶりに石沢チヱさんとおしゃべり。畑の草取りの手を休めて。こういう会話が楽しい。
 下写真は切欠。昨秋に続き、用水路の工事が行われていた。施工者は赤津組。



14日(土) 横倉、箕作、泉平、平滝、月岡で105軒を配達。
 朝、9時前のことだが、常慶院の横から泉平への道に入って間もなく、道路脇にクマを発見。子グマだ。クマが少し林の中に入り、周辺に親クマの姿は見られないことを確認してから、車を降りて、子グマの姿を撮影。同時に、役場に通報。
 白鳥出身で、現在は森の隣りの羽倉集落(津南町)に在住の久保田晋介さんという方がおられる。「トマトの国」の温泉仲間で、私が栄村で暮らし始めた初期からのお付き合い。その晋介さんが野々海の開拓に詳しいことが最近わかり、今日は話を聞くために、羽倉へ。田んぼに出ておられるとのことで、初めて羽倉の田んぼゾーンを訪ねた。圃場整備がされていて、眺めも素晴らしい、いい田んぼだった。
 


 羽倉の田んぼの一部。奥に宮野原地区(津南町)、さらに鳥甲山が見える

15日(日) 朝から野々海の普請の取材へ。スキー場〜貝立山裏のコースで向かい、8時には野々海に到着。月岡英男さんから昨年夏に教えていただいた隧道入口・出口などを2時間強歩き廻り、又右ヱ門堤(またえもんつづみ)の全景写真を撮ることなどができた。
 ここまでは最高。
 しかし、その後に、とんでもない事態が待ち受けていた。野々海(池)の由来を調べる関係で野々海峠に向かった。予想通り、信越トレイル出入口付近の林道の雪は消えていて、野々海峠のすぐ近くまで行けた。しかし、その先で無理をしたのがいけなかった。車が雪にはまった。四駆の調子が悪く、なかなか脱出できず、スコップで雪を除き、自分で車を押す。しかし、ギアをパーキングにしていたのではなかなか動かない。ギアを入れて、押したところ、ほんの少し動き、さらに押したら、車がドドっと一気に動き、あれよあれよという間に50m下の谷底へ。呆然としたが、谷を覗くと、途中に助手席に置いていた上着がひっかかっている。崖を下り、回収すると、その下にカメラバッグとメモ帳が…。回収し、崖を登った。その後、普請の人に携帯で連絡し、途中まで迎えに来ていただいた。いったん、下山し、平滝の駐在に事故を届け出て、現場に向かったところ、すでに新潟県警が7〜8人出動していた。
平身低頭、状況を説明し、交通事故ではなく物損事故としてその場での事情聴取のみで終わった。
 関係者のみなさまにはご心配とご迷惑をおかけし、申し訳ない。
 (大破した軽トラは16日夕、油科モータースさんに引き上げ・回収していただいた。)

16日(月) 朝一番は、新村長の初登庁の取材。役場前での職員等による「お出迎え」とホールでの就任式がメインだが、「出迎え」と就任式の間に少し時間があり、村長室でのメディアのいわゆる「ぶら下がり会見」ということになった。何社かはソファ席に座ってのものだったので、「ぶら下がり」という形容なあまり当たらないが…。
 新村長・森川氏の村政方針については別のところで言及していくことになると思うので、ここでは具体的な内容には触れないが、私の感想を一言。
 「ああ、この人は権力を取ったんだなあ」というものである。
 記者の「何から始められますか」という問いに、「特命対策室をすぐに設置します」という返答。選挙の間は彼の一つのアイディアの提示にすぎなかったが、今日からは森川氏が村長。彼が「設置する」と言えば、基本的にそうなるのだ。もちろん、予算措置等を伴うので、6月議会に関連議案を提出し、議会で承認を得なければ設置できないわけだが。「議会は行政をチェックする」ということの重みをひしひしと感じる。いまの議会が全体として、森川氏の強い意志と拮抗しうるだけのチェック力を有しているかどうかが、待ったなしの本番として問われる。
配達は昼前と夕近くに29軒。
 午後、ひょんなことから、知人の娘さんとそのお友だちを津南醸造まで案内。途中、津南の河岸段丘に上がったが、その景観に驚いておられた。ここは栄村の案内に組み込むことが絶対に必要なゾーンだと改めて思う。

17日(火) 昼頃の気温は14℃。同じ場所で昨日の午後3時頃の気温は34℃。体がついていかない。夜は暖房。
 配達は長瀬で24軒。午後、教育委員会事務局で資料室保管の『水内開拓史』を閲覧。
 銀座の店にアスパラのLサイズを発送。夜は総一郎さんからいただいたアスパラを『味郷』さん(津南町)で妻有ポーク巻きにしていただいた。気を利かせて下さり、普通のポーク巻きの他に、アスパラで作ったソースをかけた蒸し焼きも。これがとても綺麗で、美味。


アスパラソースかけの妻有ポーク巻き

18日(水) 今日はなんとも気持ちのいい五月晴れ。
 午前中は野々海へ。キャンプ場のところを左に曲がり、野々海峠に向かう林道の最初の大きく曲がるカーブの右横手にかなり広大なミズバショウ群生地がある。私は、昨年、初めて確認した。15日にすでにきれいに全面開花していたが、「帰路に撮影しよう」と思っていて、15日の項に記した「事故」のため、撮影できず。そこで、今日、もう一度訪れた。花はややピークを過ぎた感がなくもなかったが、現在の野々海では最大の群生地なのではないかと思う。沢のかなり奥まで上り、その全体像をほぼ捉えることができたように思う。


野々海のミズバショウ群生地で撮影の1枚

 野々海から下った後は、平滝の架橋工事現場。現場代理人から説明をしていただいた。明日から「送り出し」が始まるようだ。
 午後はまずアスパラ産直の出荷。長瀬出身の名古屋在住者へ。昨年に続き、2度目だが、職場で好評とのことで、今年は6kgを送った。その後、菅沢で宮川頼之さんご夫婦のジュース加工用トマトの定植作業の様子を撮影。
 配達は残っていた小滝13軒と大久保9軒の計22軒で、No.284の配達は789部となった。
 夜、今日のアルバムを作成して、ブログにアップ。

19日(木) 午前中は、16日の村長初登庁・就任式を取材した際のメモの整理。さらに、「復興への歩み」No.285の原稿の一部を執筆。
 その原稿の関係で、急遽、秋山へ。地域おこし協力隊の木村敦子さんと会った後、屋敷の山田由信さんの田んぼ・畑へ。今日の午前中にすでに田植えを終えられており、お会いすることができた。発電所へ水を運ぶ隧道の建設のために布岩付近に「電車」が発していたという件について、さらに詳しい話を聞けた。山の岩を砕いて「電車」の軌道を敷いたとのこと。山が発破をかけて崩した箇所を由信さんら屋敷の人は「大発破」と呼んでいるそうだ。
 帰路は日出山線を通り、16日に協力隊の坪内さんがクマと出遭ったという地点を確認。その近くで水見に出てきた百ノ木のおかあさんとしばらく立ち話。大久保集落の生まれとのことで、親戚として栄村の私が知る人の名前が次々と出てきた。
 予定外の秋山行き、しかもその秋山で色んなところを走り回ったせいか、夜はかなり疲れが出た。


夕陽がきれいな百ノ木の田んぼ

20日(金) 夜中の2時半すぎに目が覚めてしまい、朝までPCにむかう。朝方はやはり眠くなり、2時間ほど仮眠。
 背中の張りがひどくなっているので、午前中は整体に十日町へ。
 みんなの関心が高い副村長公募問題などの最新状況を把握するため、午後1時半すぎ、村長室で取材(あらかじめアポをとった)。取材は30分程度。
 その後、No.285の編集をいっきに進める。書くべきことが多々あるが、8頁では3つのことしか書けず。やむをえない。
 「復興への歩み」では書ききれないことを、日々、ブログでは書いているが、村の人はネットを見られないという人が多い。どうするか? 村の人が集まるところ(温泉、診療所、直売所など)にブログ記事の見本を回覧できるように展示するか。
 今日はほとんど写真を撮らなかったが、下の1枚、いいのではないかと思う。森の開田で代掻きの後の「均(なら)し」をする広瀬敏男さん。




 スペースが残ったので、写真アルバムを少し。

イワカガミ3点


イワカガミの群生




白色のものは初めて見た。

いずれも5月10日、スキー場頂上の林の中にて撮影。


野々海への道、ケンノキ近くから北アルプス、妙高山(左)と火打山(右の真っ白な山)を望む(18日午前)

水道問題、一歩前進か〜質問書に役場から回答〜

 去る5月6日に私は村会議員の立場で、水道担当の役場産業建設課宛に「森集落水道に関する問い合わせ」を提出しました(同時に、「森水道に関する資料の提供のお願い」も提出)。
 なかなか回答が出ませんでしたが、昨24日、回答が出た旨の電話連絡をいただき、25日朝、議会事務局に設置されているメールボックスに入れられた「回答」を受け取りました(下写真)。



 「回答」のポイントは2点です。
 第1点は、地元森から水道委員3名(区長を含む)を選出して、役場と解決方法について検討すること。
 第2点は、「以前の水源(震災前の水源のこと:松尾注記)からの取水も視野に入れて検討したい」ということ。

 「震災前の水源から水を引くべきだ」という森集落の要望の実現にむかって一歩前進したと言える「回答」だと思います。

安心はできません。最大の難関は財源問題
 役場が「いったん復旧予算で新しい水源に変えた以上、元の水源に戻すことは不可能」と言っていた従来の状況からすると、役場の対応が変わり、一歩前進したことは間違いありません。
 しかし、あくまでも「以前の水源からの取水も視野に入れて」というにとどまっていて、元の水源に戻すことが約束されたわけではありません。
 最大の問題は財源です。
 私たちの思いはともかくとして、国や県が「もう復旧工事は終えた。復旧工事のやり直しにカネを出すことはできない」と言うのを覆すことは基本的に難しいと言わざるをえません。
 昨秋、開田用水の水路の修復工事を村単事業として実施した経緯を考えれば、中条川上流1号崩壊地脇の水源から水を引く設備を村単事業として実施することが絶対的に不可能だとは思いませんが、村の財政にさほどの余裕がないことは事実です。国ないし県から補助を受けられるものならば、それに越したことはないと思います。
 しかし、なんらかの国・県の補助金を得るには、まずは、村が説得力あるプランを練り上げ、国や県が新たな補助金を出せる話にしていかなければなりません。
 このプランづくりを役場任(まか)せにしてはならないと思います。それは「役場は当てにならない」という意味ではありません。住民自治のパワーを発揮すべきだということです。
 その意味で、「森から水道委員を出してくれ」という役場の「回答」はいいことだと思います。

 今日はひとまずの速報的なお知らせということで、ここまでとしますが、日を改めて、森水道問題を打開・解決するための総合プランの試案を提案したいと考えています。

 

やっぱりデカい



 平滝の架橋工事現場に今日26日、400tを吊ることができる巨大クレーンが入ると聞いていたので、「午後イチ」で撮影に行ってきた。
 国道117から現場に下って行った時は、さほどに大きく感じなかったが、いま箕作側で稼働している220t吊りのクレーンを見た後に改めて見直すと、やはりデカい。
 ブームというようだが、クレーンの腕の太さ、長さがやはりまったく違う。
 上の写真は、平滝側に置かれている長さ30m、重さ80tの橋桁とワンセットで写っているものにしたが、クレーンの大きさがわかろうというもの。近々にこれを持ち上げて、橋台〜橋脚間に設置する作業をするわけだ。

 以下、いくつかの部分をクローズアップしてみる。








 この大きさ・長さのままで国道を走って来ることはできない。この現場で組み立てられた。その作業は今日の午前中に行われたが、私は議会出席中で組み立て作業は見られなかった。


 箕作側で行われている橋桁の送り出し作業のほうは、今日の午前中に主桁「11」がクレーンで台の上に載せられたようだ。望遠で覗いたら、昨日までよりも主桁が1つ増えているのがわかり、現場代理人さんに確かめた。



 昨日の写真と比較してもらえば、写真右側に主桁が1つ増えているのがわかるだろう。


 今日の現場の全景は、昨日のものとそんなに変わらない。


橋桁が送り出されている!〜5月25日の平滝架橋工事現場の様子〜



 今日25日午後3時45分頃の撮影。
 午前10時頃、平滝の現場事務所に立ち寄り、今日の工事予定を尋ねると、「午後、橋桁を送り出す」とのこと。2〜3時間かけて10mほど動かすもので、「ああ、動いているな」と見て分かるものではないそうです。
 「作業は午後イチで始める」とのことだったので、上記の時刻に現場を訪れた。
 上の写真を、昨24日撮影のものと見較べていただきたい。



 これが昨24日にほぼ同一場所から撮影したものだが、赤丸でマークしたところに小箕作(こみつくり)川に架けられた工事用仮設橋が見える。これが今日25日午後撮影のものでは青色の手延べ機の陰になって見えない。それだけ、手延べ機が平滝側へ伸びてきているということだ。
 さらに橋桁に注目すると、24日の写真にピンク色でマークした橋桁の最後尾の位置が今日25日撮影のものではやはり変わっている。平滝側にむかって押されているのだ。

 昨日、現場代理人さんから「写真も出しましたよ」と紹介された現場事務所前設置の看板の内容を紹介しよう(下1枚目写真が看板の全体像)。





 ここで「来週」と記されているのが5月23〜28日のこと。
 「施工済」では、主桁13と14しか描かれていないのが、「来週予定」では12、11、10が加わっている。今日25日の時点では主桁の14、13、12が見えているわけで(12は昨24日、私が撮影に行く直前にクレーンで台に載せられたようだ)、明日以降、11と10が台の上に載せられるのだろう。今日午後の時点では、11と10の主桁はまだ地面上にも見えなかったので、今日の深夜から明朝にかけて運び込まれるのだと思われる。

 最後に、看板に貼られていた「5?20ドローン撮影」という写真を紹介しておこう。


 

平滝の架橋工事現場、5月24日



 今日24日午後4時頃、平滝側から撮影。
 現場に入ったのは21日(土)の夕刻以来。日曜日は作業休みだが、昨日23日と今日の朝からの作業で青色の手延べ機が、工事関係者の間ではP2と呼ばれている平滝側の橋脚に届くかと思うくらいに延びてきている。そして、手延べ機の向こうには橋桁が3ブロック見える。次の写真で19日(木)午後、21日夕からの変化を確認していただきたい。


21日夕6時半。


19日昼すぎ。



橋桁部分をクローズアップ。


橋桁内部に入れられると思われる三角形状のものがクレーンで運ばれる。

 「ここは撮影に入ってよい」と言われている地点で、ここまでの写真を撮ったところで、後方から「お疲れさま」の声。振り返ると、現場代理人の島田さんの姿。
 いろいろと説明してもらった。
 第二名神の建設現場でまた橋桁の仮受け台が倒壊する事故があったことを話題にすると、「国関係、NEXCO関係の橋桁送り出しの工事は全部ストップしている。ここは県発注なので、ここだけが工事が行われている」とのこと。


 「安全が確保できる時でいいんですが、箕作側からの撮影を許可してもらえませんか」と尋ねると、「どこまで入りたいの?」、「あの工事用道路が下におりてくる手前のところまで」、「ああ、あそこまでだったら、ヘルさえ着用していたら、いつでもいいですよ」というやりとりになり、「では、行かせてもらいます」ということで箕作側へ。
 その場に行ってみると、なんと、私が撮影のために立った場所は、今年もすでに田植えが行われた田んぼの畦であった。

 逆光で見づらいが、田んぼとセットの写真を1枚。




箕作側から見た全体像。




 どういう役割を果たすものか、私にはわからないが、1つの部分材がクレーンで引き上げられ、橋桁で待ち受ける作業員のところに送り込まれた。
 連続写真でどうぞ。














 とにかく凄い工事だ。
 明後日26日には、平滝側に400tのものを吊り上げられる巨大クレーンが入るようだ。
 

夕陽、5月24日



 夕刻6時、野田沢集落から県道に出たところで、きれいな夕陽が見えた。
 この写真でも見えてはいるが、さらにクローズアップすると、先日、定植を終えた宮川頼之さんのトマト畑がよく見える。



 見えている屋根は妹木の牛舎。

配達日誌5月1日〜10日

 1日(日) 午前中9時20分〜10時頃は頼まれ仕事で月岡へ。その後、11時前から森宮野原駅で取材。
森宮野原駅での取材は、「復興への歩み」No.284に掲載するが、「おいこっと」の走行車内で「さかえ田植唄」の踊りを披露するという取り組みを撮影するもの。4〜5日前に関係者から連絡をいただいた。こういう連絡がいただけると、「新聞」としての機能を高めることができる。私も「おいこっと」で津南駅まで移動したので、愛好会の人たちと津南駅で昼食を食べた後、上り列車で森宮野原に戻った。
 その後、平滝の架橋工事現場での撮影と白鳥での配達。2時半頃から、1件、インタビュー取材。これは議員活動でもある。さらにその後、雪坪、志久見、柳在家、笹原、当部、極野で配達。これでNo.283のみならず、No.282も未配達だった世帯は解消できた。
 印象的だったのは、平滝の現場が今日から連休で工事は休止であるにもかかわらず、警備員が配置されていたこと。たしかに相当に危険度が高い現場。神戸の橋桁落下事故の影響もあるかもしれないが、施工管理がしっかりしている現場というのはこういうものなのだろう。警備についていたのは、かなり年配のおじさんだったが、“人”が大事なのだと思う。“人”の存在を効率性・合理性の阻害要因として扱う「経済」の論理が安全を危うくする。


巨大な橋桁鋼材が見える現場の右端に1台の軽自動車。警備員さんの車だ。

2日(月) 朝4時半起床、少し原稿を書いた後、6時半に出発、長野市の篠ノ井へ。車の免許更新だ。3月29日の誕生日から1ヶ月後の4月29日が期限であることに28日夜に気づいた。29日は休日、30日は土曜日、1日は日曜日で、今日2日が「29日」と読み替えられ、今日中に更新手続きを終えればセーフ。
 7時半すぎに免許センター一番乗りで午前10時すぎに無事、更新完了。今回は5年有効の免許証なので、次は2021年。その頃はそろそろ車を乗り回すことも考え直さなければならない状況になっているかも。
 この時期、飯山の国道117を走ると、道路脇の菜の花がきれい。帰路の途中、1枚だけ写真を撮った。



 朝、長野に向かう時は車中暖房。帰りの車内は高速を走るために窓を閉めると暑くて冷房が必要。夕刻はまた寒い。風邪は薬を飲み続け、なんとか抑え込んでいるが、まだ完全にはぬけきっていないようだ。
 今日は午後、「復興への歩み」No.284の編集を進めるつもりだったが、「議員活動報告」を書くのに時間がかかり、夜までかかった。途中、補正予算の内容を把握するため、役場に聞き取りへ。本当に補正予算の中身を理解しようとすれば、相当に走り回ったり、現場取材をしたり、本などを読んで勉強したりすることが必要。「復興への歩み」との二足の草鞋を履くのが困難なほど。議員の報酬は月額12万9千円で、議員数は12名(来年の改選からは10名)。まともな議員活動を前提にしていないと言わざるをえない。

3日(火) 「復興への歩み」No.284を編集しなければならないが、追加取材の必要もあり、いろいろ出かけた。No.284の編集は少ししか進まなかった。
 今日、いちばん衝撃だったのは野々海の“混雑”。これについては「復興への歩み」に書く。
 程久保の滝沢総一郎さんのアスパラ畑の様子を見に行く途中、月岡でたくさんの軽トラが停まっているのが目に入り、視線を転じると、苗間にたくさんの人(下写真)。気温が高くて、「苗が伸びすぎる」ということで、苗箱にかけたシートを外していた。どの集落の苗間でも、苗の伸びすぎが話題(問題)になっている。



 直売所にも立ち寄ったが、とても賑わっている。厨房で月岡の女しょがお結びや山菜天ぷらをつくり、販売していた。いい取り組みだ。



 今日は30℃に達して暑かった。今年初めて、かき氷を食べた。

4日(水) 今日は友達が栄村に遊びに来てくれて、丸一日、案内。
 昨夜遅くから朝まで雨が降り、天気が荒れたが、朝9時頃から青空も見え始め、いいお天気になった。
 「GWらしい一日」を過ごしたと言えるだろうか。来村した友達にも栄村のよさを充分に堪能してもらえたと思う。
 夜、眠気とたたかいながら、ブログ記事「野々海のミズバショウ、スキー場のイワカガミ・カタクリ」を編集し、アップ。今年は野々海も春が早いが、やはり野々海まで行くと、ほぼ1ヶ月前の季節に戻れる。これは栄村の自然環境の特性。観光に活かしたいものだ。
 下写真は野々海池の西窓方向。湖面にはまだ雪、なのに芽吹きも始まっている。野々海ならではの景色だ。



5日(木) 世の中はGWの最終日。
 来客が2件あった以外はずっと「復興への歩み」No.284の編集。結局、12頁版になった。写真も活かしたいし、やむをえない。
田んぼの作業が随所で始まっている。


森・中条にて。草を刈っているのは広瀬多喜二さん。
 
 夜、印刷を進めていると、トナー切れのサイン。あいにく在庫がなくなっている色。連休の前に手をうっておくべきだった。明朝、発注をかけるが、7日(土)に手に入るかどうか。

6日(金) 午前中、中条と青倉の全戸配達。
 「復興への歩み」以外に「議員活動報告」もあり、前号と合わせて配達の家には多い場合5種類の配達。受け取られた方も読むのが大変だと思うが。
 青倉の圃場整備工事が始まっている。施工業者のフクザワコーポレーションの現場事務所はGW前に設置されていたが、今日、配達途中で作業員の人と立ち話。その人は下請けに入った千曲商事の人。今日の作業内容は着工前の現場写真の撮影が主。「地元の人には工事の様子を見ていただいたほうが有難い。工事が終わりに近づいた段階で、いろいろ注文を出されても困るので」と。私もそのように思う。


田んぼの随所に杭打ち資材が置かれている

 午後は、4月28日の臨時議会に提出された補正予算の内容、森の水道問題をめぐって、質問書などを持って役場廻り。
夕刻、平滝の架橋工事現場、その後、まとめ洗濯。

7日(土) 起床時刻は覚えていないが、起床してからそんなに間がない時に見たスキー場の山がとても綺麗だった。もう山の上まですっかり緑になっているし、朝の光線の影響だろうが、今までに見たことがない色合いだった。その時に撮ったものを掲載しておく。午前5時40分撮影。



 朝早くに出て、東部地区の協賛者宅をぐるっと一周。坪野から野口に出た時に撮った写真の撮影時刻が午前8時すぎになっているから、かなり早く出たことになる。
 昨日、発注をかけたトナーが今日の午前中に届くことになったので、家に戻り、待機。10時すぎに届き、そこから印刷。早く届いたのには訳があった。昨日、リコーの配送センターから電話があった時に、とても急いでいることを強調したが、先方が利用する宅配便を変更したのだ。いつもは栄村への配送は私のところへの便以外にはない某運送会社が長野市から持ってくるのだが、今日はヤマトが持ってきてくれた。東京のいつもの配送センターからヤマトに荷出されている。ヤマトも使えるのなら、今後は常にヤマトにしてもらおう。
 午後は森の全戸など98軒を廻り、今日は計134軒。順調。
 夜、ウェディングケーキをつくる現場を見せていただき、撮影。

8日(日) 今日の午前中は集落の普請。久しぶりに草刈り機を使い、2時間強、ほとんど刈りっぱなしだったので、右腕のつけ根内側がしんどい。夜、温泉に入って、ややましになったが。
 普請は思ったよりも早く、10時半すぎに終了。その直後から配達に出て、48軒。昼食に中子の「ひがし」さんでカレーをいただく。自分で作らないと、なかなか気に入ったカレーが食べられないが、「ひがし」さんのカレーは私の好みのものにかなり近い。今日は昼を「ひがし」さんにしてラッキーだった。
 その後、森の農家組合が午後1時半から開田水路の普請を行なっている現場へ。かけ口、すなわち中条川上流山腹崩壊地に着いたのは2時を少し廻っていたが、2号崩壊地付近での谷止工の工事が始まっていて、崩壊地の様変わりに驚いた。
 かけ口を開けに入っている農家組合の人たちは軽トラで行っているはずなので、私も軽トラで崩壊地に入ったが(じつは初体験)、これまでの工事用道路はすでに閉鎖され、昨年切り開かれた新しい工事用道路へ。まさか、ここを自分が車で通ることがあるとは想像もしていなかった。
 崩壊地の様子は別途にレポートする。
 かけ口に着いた時に目に飛び込んできた眺めはすごかった。その衝撃の大きさを写真では再現できないことを承知のうえで、1枚、紹介しておきたい。滝から落ちる水の幅の広さ、迫力がいままでに見たことがないものだった。



 今日は「トマトの国」が臨時休業なので、温泉は湯滝温泉へ。

9日(月) 午前中は秋山での配達。
 日出山線でむかったが、途中、鳥甲牧場の様子を見るために立ち寄ったり、経路の景色がきれいで、何回も写真を撮りに停まったりしたので、今日予定していた上の原、和山、切明、小赤沢のうち、小赤沢には廻れず。
 4月中旬にひいた風邪がようやくぬけたようだが、風邪をひくと副鼻腔炎が起こるという昔からの癖がぶりかえし(昨年末の風邪から)、午後は中野市の耳鼻咽喉科へ。しばしば「過疎地の医療」が問題になるが、栄村で暮らしていて、風邪などの日常的な病気については村の診療所があり、また、津南病院や飯山日赤も車30分圏内にあるので、「医療の過疎」ということはさほどに感じない。しかし、こと耳鼻咽喉科に関しては非常に不便だ。最も近いところでは十日町市中里の上村病院に耳鼻咽喉科があるが、週2回程度、東京の医大からの出張で、患者が「痛くてたまらない」というような場合には間に合わない(飯山日赤も同様)。平日皆診療は中野市の開業医だけ。子どもは中耳炎などを起こしやすく、子育て中の家庭は大変だと思う。
 耳鼻科は、今日は空いていて、すぐに終わり、その後、中野市内で別件を1つ。夕刻に帰村。
 今日の1枚はこれを掲載しておきたい。五宝木での一枚、満開の八重桜と芽吹きの爽やかな緑のコントラストがいいなあと思う。



10日(火) 午前中、「スキー場のカタクリはどんな状況だろうか」と、スキー場の頂上へ。
 カタクリは、最後まで雪が残っていたくぼ地の部分が全面開花。しかし、5月初めに開花していたゾーンはすでに終わり。スキー場の頂上の「広場」一帯がカタクリで埋め尽くされるという光景は残念ながら、今年は見られなかった。
 当初は、カタクリの様子だけ見て、山を下り、配達にむかうつもりだったが、「せっかくだから、林の中のイワカガミの様子も見ておこう」と思って、林に入ってみてビックリ。一面、“イワカガミの海”と言っても過言でない状況。どんどん中へ進み、何枚も写真を撮った。これは、ちょっと遅くなるが、なんらかの形で紹介したい。
 その後、野々海の様子も見ようという気になり、貝立山の裏をまわって、野々海へ。途中、青倉の貝立水路のかけ口にも立ち寄った。沢の雪融けがほぼ終わったのか、かけ口の水量の激減に驚く。やはり、今年は早々に野々海の水が必要になる。そして、その野々海池はもうすっかり雪が消えていた。野々海の普請が半月強早められて、15日に設定されたのは正解であった。


水が減った青倉・貝立水路かけ口
下は同じ場所の4月30日の様子



 結局、午前中は以上の行動で終わり。
 午後、白鳥を中心に68軒で配達。