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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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今日も夕刻近くは雷雨、その置き土産は・・・

 

 上の写真は17時9分、自宅の窓から撮影したもの。
 大粒の雨粒がはっきり写るほどに激しい雨。
 雷が落ちる音に一瞬、身が縮む。
 告知放送で大音声の警報が流れたのは午後4時すぎ。その直後に気象庁のHPで見たレーダー情報が下のもの。

 


 本当に局地的。昨30日の場合、栄村で激しく雨が降っていた時、飯山市ではまったく降っていなかったそうだ。レーダー図で見るかぎり、今日もそうなのではないだろうか。
 私は激しい雨の中、人と会いに外出した。傘をさしたが、車に乗る瞬間にかなり濡れた。
 森宮野原駅近くで1時間ほど話し込んで外に出ると、雨はピタッとやんでいる。しかし、水路からは真っ茶色の水が溢れだしていた。
 その後、中条川の様子を撮影に行こうかと思って貝立橋まで行ったが、さほどの水量ではない。今夕も雲海が生じ始めていたが、昨夕と同じところで撮っても面白くない。そうして思いついたのがスキー場に上ってみること。
 

 次のものは午後6時51分、スキー場に上り始めて間もないもの。

 

 

 虹が出ているとはまったく想像もしなかった。
 虹にピントを合わせたので、山や雲の様子はぼやけた感じだが、…

 

 

 こちらは6時54分。もう中腹に近づいたとき。まだ虹が残っていて、その下端にはひときわ明るい茜雲。

 


 6時58分。中腹の眺望点にて。
 ある意味で「定番」的な構図なのだが、夕刻の雲海が浮かぶ様子をここから撮ったのは初めて。
 我ながら、素敵だなあ!と思う。
 ところで、画面左右で空の色に微妙な違いがあること、確認できるでしょうか。写真左が東(ないし東北東)になるが、まだ雲が厚い。十日町市あたりはまだ降っているのではないだろうか。

 目を南から西へと向けると、どうだろうか。

 


 左に見えるいちばん高い山が毛無山(野沢温泉スキー場がある)、右手が飯山市方向だが晴れていて、空は青い。
 「飯山市は今日も降っていないのでは…」という予想は当たっていたのではないだろうか。

 

 

 1時間くらいの激しい雨の間、さほど風が強かったわけではないが、こういう天候の後、山道を走ると、木の枝が道に落ちていることが多い。

 

 

 これはスキー場内のブナ林で出会ったもの。帰路に撮影したものだが、往復共に軽トラで突破した。

 危険に思えるかもしれない。事実、危ない。降雨量などを考慮に入れて、何処までは行っても大丈夫かを考えながら行動している。


この夕空は記憶に残しておきたい

 

 今日30日、午後3時から1時間ほど、激しい雨が降った。午後6時40分頃、温泉に向かうと絶景が目に飛び込んできた。
 残念ながら、カメラを家に置いてきていた。慌てて戻り、カメラを持って、もう一度温泉に向かった。景色は最初に見たものとやや変わっているように思ったが、中条・白山神社前、「トマトの国」の展望台から撮ってみた。
 1枚目は白山神社前からのもの。

 

 

 

 これは「トマトの国」の展望台から。

 

 約30分後、温泉から出ると、夕焼けは消え、夜空に変わりつつあった。

 

 


 雲海が見える景色への私の傾倒は、いまから遡ること約50年、高校3年生になる直前の春休みに友人二人と愛媛の奥道後温泉を訪れた時に雲海を見た時に始まる。
 この好みは死ぬまで変わることがないだろう。


ネジバナを見つける

 

 28日午後、野々海池に行った。16日以来、12日ぶりのことだ。
 青倉から山に上がる直前、空模様があやしくなった。野々海もあいにく小雨模様で、「爽やか」という感じではなかったが、後に平滝に下るにつれて、すごい蒸し暑さ。それと較べると、野々海はやはり涼しかった。
 そんな中、野々海池の堤でネジバナに出会った。たしか昨年も2〜3本見た。
 ところが、今日は堤の奥から出口に進むにつれて、何本も目に入る。「いったい、何本くらい咲いているのだろう?」。もう一度、野々海大明神のところまで戻って、1本、1本、確認し、かなりの枚数の写真を撮りながら進んだ。
 驚いたことに、堤の上だけで少なくとも72本を確認できた。水番小屋上の土手も含めると、80本を越えた。
 上の写真には少なくとも9本は写っているのだが、わかるだろうか。

 

 

 

 撮ったなかで花序が最もきれいにねじれているもの。

 

 

 

 こちらは見たなかで最も長かったもの。これはねじれていない。

 

 「ねじれた花序」がネジバナという和名の由来だが、ねじれないものもあり、また、ねじれには右巻きと左巻きの両方があるという。
 私がネジバナを初めてみたのは10年ほど前、青倉・城ヶ館の田んぼの畦道だった。そこでは、最近は見られない。野々海池の堤で増えているのだとしたら、嬉しいことだ。

 

 

 

 野々海池の水はかなり減っていた。でも、田んぼが水を必要とする9月上旬まで充分にもつ水位だ。

 

 

 

 こちらは野々海にむかってスキー場の中を上る途中の1枚。毎年、オミナエシ(女郎花)が見られるところ。2週間ほど前はまだ開花していなかったが、今日はもうしっかり黄色い花を見せている。そして、手前にはもう穂をつけたススキ。

 


中条川上流崩壊地工事現場見学会

 

 背景に雲海がたなびいていますね。
 27日(水)午前10時から、中条川上流1号崩壊地で森区民を対象とする「中条川合同見学会」というものが開催されました。上写真は参加者が勢揃いし、崩壊斜面を見上げている場面。
 1号崩壊地の崩壊斜面にモルタル吹付をする工事と、1号崩壊地と2号崩壊地で建設が進む6号谷止工、この2つの現場を見学するものです。
 見学会の始まりの頃はまだ時折、小雨が降る空模様で、6号谷止工の現場に向かう道は下の写真のように雲の中にあるような状況でした。

 

 

 

 

 説明会の場所から崩壊斜面を見上げる。写真左上に注目。断崖の上に重機が見えます。

 

 

 重機は無線操縦。人は乗っていません。モルタル吹付の準備作業として、崩壊斜面上部のオーバーハング部分を落としています。 写真には大きな石が猛スピードで斜面を転がり落ちてくる様子が捉えられています。


 今日の説明会では、モルタル吹付工の工事概要の説明、6号谷止工の現場案内の後、希望者のみ、工事用のモノレールで崩壊斜面の上まで案内して下さるとのこと。“モノレール”とは言っても、凄い急坂を上っていく工事用のもの。下写真がそれです。崩壊斜面のいちばん上まで上がるのに約10分かかります。実際にモノレールで崩壊斜面の上まで上がったのは、村役場建設係長の藤木利章さんと私、北信地方事務所林務課の人たち。

 

 

 

 

 モノレールで上がる途中、座席から撮影したもの。先頭に施工者・フクザワコーポレーションの篁(たかむら)さんが座り、モノレールを操作されています。
 運転者以外の定員は2名。座席には横への転落を防止するロープがあるのみ。手すりを掴み、体を支えます。なんとか手を放して、カメラを構え、撮りました。

 


 途中、進行方向右手に突然、人の姿が! 重機の操作に関わる人たちです。私たちがモノレールで上り下りする間、作業が中断され、待機しておられたのです。

 このモノレールで上がる間に木の切れ間から絶景が…。
 

 

 すごい急坂を上がっていたときなので、カメラを水平に構える余裕もなし。
 正面が三ツ山、その左、雲に覆われているのが鳥甲山でしょう。
 写真下部には中条川の流れが見え、栄大橋も写っています。

 


 これもモノレール上から撮ったもの。
 手前に見える茶色の地面は崩壊斜面頂部のオーバーハングがすでに削り取られた箇所。

 

 

 

 モノレールから降り、最頂部(下写真の赤丸地点)に立って眺めた景色。

 

 

 崖っぷちに寄って、真下を見ると…

 

 

 

 最頂部で目を野々海方向に転じると、なんと不動滝が眼下に見えました。

 

 

 


 最頂部でおっかなびっくり、カメラを構える藤木利章さん。

 

 最頂部は素晴らしいブナ林がひろがっています。

 

 

 

 後続の林務課の人たちがモノレールで上がってくるところ。

 

 

 モノレールは下りのほうがおっかなかったですね。
 下りは、運転席が後ろ。私が先頭座席になるところに乗りましたが、必死で手すりに?まっていないと前へ落ちそう。
 その中でなんとか片手で撮った1枚。

 

 

 

 今日のところは、崩壊斜面最頂部の体験報告。
 最先端の工法が採られている工事の内容は、もう少しよく勉強したうえで、改めてレポートしたいと思います。


配達日誌7月11日〜20日

11日(月) No.287、288の配達を昨日でなんとか完了し、今日はNo.289の編集・制作。
 野々海池の大明神、大きな石が「ご神体」として祀られているが、その「大石」は昭和46(1971)年に堤の下の野々海川付近から人力で運び上げられた。このことは、6月初めに久保田晋介さんからお聴きしていた。当時の写真もお借りできた。その後、その写真のスキャニングなどができていなかったが、No.289で野々海築堤のことを書くので、朝からデータを取り込み。そのうえで、晋介さんのアルバムに貼り付けられていた築堤工事当時の写真のデータも欲しくて、午前中、晋介さん宅を訪問。草刈り中だったが、すぐに対応して下さり、No.289に掲載した写真などのデジタルデータ化ができた。

 

大明神の「大石」を運び上げた人たち


 午後は、ぎっくり腰症状はおさまったものの、腰が非常に不安定な状況なので治療へ。
 その帰路、青空がある程度見えるので、「切欠の集落と田んぼ」の夏バージョンを撮影するチャンスだと思い、長瀬〜原向間の県道の撮影ポイントへ。
 No.289の編集は12日へずれ込むことに。

 

12日(火) No.289と配達日誌7月1日〜10日の編集は昼前に完了。
 朝、起床した頃は室内にいても、半袖ではちょっと肌寒い感があったが、午前11時頃から大気が急にムッとしてきた。その後、夕刻まで暑い!  30℃を超えた。
 午後3時半すぎから、森、横倉、泉平、箕作、平滝で協賛者宅を配達。後半はかなり涼しくなった。今日の配達は62軒71部。
久しぶりに平滝の架橋工事現場に立ち寄った。「明日、検査が入る」とのこと。箕作側には次の工事を行う「綿半」さんが入ってきており、これまでの橋桁の送り出し工事は完了となり、発注者・県建設事務所の竣工検査が入るのだ。平滝の現場が閑散としていて、なにか寂しい気もする。
 今日はなぜかまったく写真を撮っていない。


13日(水) 朝から協賛者宅を中心に113部を配達。順調だ。
 先日、滝沢総一郎さんのアスパラ畑の立茎作業の様子を撮影したが、今日行ってみると、もうすっかり葉が出ていて、花のつぼみも見えた。

 


 北野〜天代間では土合橋の橋桁設置工事について現場事務所を訪ねた。
 平滝の架橋工事とはまたまったく違う工法。ひととおりの説明をしていただき、帰宅後、Webの説明記事も読んで、自分自身ではいちおう理解できたが、まだ人に説明できる段階ではない。ひとまず写真だけ示しておく。現在、橋台と橋台を結んでいるものは橋桁ではなく、橋桁を架けるための装置だそうだ。

 

 

14日(木) 天気予報を見ると、日中はお日様マークが出ているので、「晴れの日に高原シャトル便のコースを走ってみる」という計画を実行に移した。
 木島平村に向かい、「高原シャトル便」の出発点となっている木島平村観光交流センターに行こうとしたが、場所がなかなかわからない。私に木島平村の土地勘がないのが最大の要因ではあるが、そのことを自覚しているので、まず木島平村役場を訪ね、観光案内地図を手に入れた。ところが、その地図では主要道が県道何号線なのかは記されていず、道路を走ると、道路標識は県道何号線ということを知らせるものがほとんど。「観光交流センター」の在り処を示す道路標識が出てきたのは、同センターの近くになって初めて。

 

木島平村観光交流センター 職員の対応がとてもよかった


 木島平村は前村長が「農村文明塾」をやったり、今年度は木島平村主導で地方創生加速化交付金を獲って「高原シャトル便」を実験運行することになったりということで、栄村より進んでいるのかと期待したが、まったくの期待外れ。
 「高原シャトル便」のコースはたしかに素晴らしい。完成は夜遅くになったが、ブログ記事「涼しい!! カヤの平から切明温泉へ」を編集し、アップした。それだけの値打ちがあるコースである。しかし、本年度の実験運行は「地方創生交付金」という補助金での無料運行。そのためか、自前で運行した場合に採算ベースに合う誘客ができるだけの工夫はまったく見られない。お客はただバスに乗って木島平〜カヤの平〜切明を往復することしか出来ないのか? 切明で2時間ほど、〈温泉に浸かる、昼食を食べる〉ということはできるが、秋山郷の景色を充分に堪能できるわけではない。
 「補助金が人や自治体をダメにする」という説があるが、たしかに一理ある。木島平村の観光当局者や栄村の観光協会関係者と一度じっくり話してみたいと思う。

 

15日(金) 午前中、大久保・天地・野口・原向で配達。
 朝方、飯山線が雨の影響で大幅に遅れたとのこと。その関係で、飯山日赤まで人を送迎することになったが、飯山駅で事情を尋ねると、「替佐の駅の水位計が警戒水位超となったため」とのこと。昨夜、ほんの一時、強い雨の音がしたことがあったが、局地的にかなりの強雨になったようだ。千曲川がかなり濁っている。
 飯山の往復は「曇り」の予報とは異なり、青空も広がって気温もグングン上がったが、帰路、貝廻坂を上がると、妹木あたりからだったろうか、小粒の雨が降り、原向まで行くと、止んでいたものの路面が濡れ、水溜まりも。東部へ下ると、長瀬の路面は乾いていて、柳在家から下は路面が濡れていた。上郷のガソリンスタンドでは、「何処で降っているの? ここはまったく降っていないが」と尋ねられた。その後、箕作で配達を初めて間もなくポツポツを降り始め、箕作〜平滝間の架橋工事現場の箕作側の現場に写真を撮りに行くと、1〜2分で服がぐっしょり濡れるほどの雨(下写真)。帰宅後、17時頃の雨雲レーダーを見ると、中越で2ヶ所、激しい降雨の模様。本当に不安定な天候である。

 

箕作の架橋工事現場。雨が写っている。(17時撮影)


16日(土) 朝の涼しい時間帯に白鳥で配達をスタート、50軒を廻ったが、8時半頃から暑くなってきた。9時頃、平滝に移動する時に見た国道117の気温表示が27℃。
 この間の降雨で野々海池の水位はかなり保たれているだろうと思ったが、その確認の意味も込めて、野々海に向かってしまった。平滝集落の人が耕作している最も標高の高い田んぼ、標高600mあたりから涼しくなった。

 


 長野県側の空には青空が見られるが、新潟側は霧でまったく見えないという不思議な天候(上写真。左手=長野県に青空、右手=新潟県は霧)。野々海峠手前の信越トレイル出入口付近で柏崎から来られたという二人組と出会った。深坂峠から歩いて来られたそうだ。トレイルの入口には新潟ナンバーが1台停まっていて、この車の人はトレッキング中だそうだ。深坂峠では弁当を広げるご夫婦に出会った。
 三叉路の池は、先日はモリアオガエルの卵の塊が分解し、池に白いものが点々と浮かんでいる状態だったが、今日はもう白いものは見えず、代わりにモリアオガエルの鳴き声が聞こえた。
 午後は森集落を中心に廻り、今日は計113軒。
 夜、ブログに「野々海高原はまるで初秋のような感じ」をアップ。

 

17日(日) 昨日までで累計404部配達し終えたが、「20日までに約800部」ということからすると遅れている。青倉、横倉、月岡、箕作で計112軒を廻った。
 昨日、「道の駅」前の国道117号線を通った時、森集落の人たちが水路の改修工事をやっている姿を見たので、今日の午後、その様子を撮影に行った(下写真)。

 


 作業をやっている人の中には、平素の仕事が建築関係という人もいるが、他の人は普通の元勤め人であったり、農家であったり。平滝・横倉の野々海水路の改良工事もそうだが、こういう工事を自前の技でできることが、栄村の1つの底力だと思う。都市部で、「費用は出しますよ。原材料も支給しますよ」と行政が言っても、市民が道路改修工事などを自らやることは基本的に不可能であろう。

 

18日(月) 「野々海のガイドマップ」(あるいはガイドブック)が必要だという思いが強まり、午前中はその制作。「栄村復興への歩み」の次号を「観光ガイドマップ」の見本として制作するという趣向。
 午後は、中条川関係の工事の様子をチェックしておきたいと思ったが、1号崩壊地は「今日は落石の危険がある作業をしている」ということなので断念。そのかわり、「トマトの国」の裏から中条川に入り、上流の方にむかって歩いてみた。降雨の直後などは危険だが、水の流れが安定していることを確認してのこと。
 流れの中の石をつたって左岸から右岸へ、右岸から左岸へ、と2回渡り、2号谷止工のえん堤や減勢工の上にも初めて上ってみた。
とくに1号崩壊地直下のすぐ手前には、土石流で運ばれてきた巨大な岩がまだゴロゴロしている。
 中条川問題を一度、きちんと整理しなければならないと思う。

 

減勢工(セルダム)の上から下流方向を見る

 

1号崩壊地が目前に見える。
手前に見える大きな岩は土石流当時のままなのだろう。

 

19日(火) 朝9時から「議会報編集委員会」というものに初めて出席。1時間ほど。そこで思ったことは「議員活動報告」に書こうかと思う。
 昨日、配達できなかったので、かなり焦りながら、午前中は長瀬、笹原、当部、北野、中野、極野、天代、野田沢、小滝を廻り、116軒。草刈りをする人が多い。極野のある人は、「草刈るのに忙しいよ」と。今年は草の勢いがすごい。
 朝から暑いが、カラッとしていて気持ちいい。昼頃に「梅雨明けだ。気象庁はしばらく梅雨明け宣言しないだろうが、間違いない」と思い、夏空の写真を狙う。
 数日前から頭髪がうるさく、17日に散髪しようと思ったら、17〜18日、理髪店は連休。そこで、今日の昼食後、散髪へ。
 すっきりしたところで、泉平の配達をして、今日は全部で139軒。累計655部で、あと一息というところまで来た。

 夜、ブログに「勝手に梅雨明け宣言」をアップ。


 

 ブログに掲載した写真。空にピントをあわせた。泉平にて、16:07撮影

 

20日(水) 起床した時、あまり体がすっきりしていなかったが、今日は踏ん張りどころ。6時台に配達スタート。まず、雪坪、志久見、柳在家、切欠の49軒を廻ったところで8時半すぎ。9時20分から頼まれた用事があるので、いったん配達を中断。
 午前10時半頃のスタートで秋山へ。往きは日出山線コース。
 慌てていて、「下(しも)」でガソリンを補給するのを忘れていたので、まず、小赤沢のガソリンスタンドへ。栄村暮らしも10年目になったが、秋山での給油は初めて。(昨秋か冬か、一度、入れようとしたが、燃料の配達中でスタンドが留守だったので、給油できなかったことがある。)
 日出山線から屋敷までの林道を走っている間は涼しかったが、小赤沢の集落の中の配達時は暑い!43軒の配達を終えたところで、「少し涼みたいなあ」と思い、考えついたのが苗場山1合目の大瀬の滝に行ってみること。これは大正解だった。夜、「滝涼み」というタイトルでブログ記事にした。
 苗場山3号目に向かう道路から上の原に下る道も涼しくてドライブコースとしてよかった(下写真)。屋敷、五宝木でも配達し、五宝木〜極野線を通って「下」におりたのが午後3時半すぎ。

 


 4時頃、他の用件で泉平に向かった時に関田山脈に見えた雲の様子が素晴らしかった。山脈全体が雪山のような感じになった。しかし、残念なことに用件で他人の車に乗っていたので、カメラを持たず。二度目のチャンスがあるかどうか、わからないが、夏の待機中の水蒸気が多い日の夕刻近くには平素見られないような景色が関田山脈に見られるのではないかと思われる。

 

国道117・矢垂橋近くにて

 


栄村復興への歩みNo.290

 今号は、いつもの号とはまったく異なる編集です。

 秋の紅葉観光をみすえ、「野々海池ガイドマップ」というものを制作し、それを「栄村復興への歩み」No.290としたのです。

 内容は、実際に野々海を訪れた方々から、「こういう情報が欲しい」と言われたことにお答えすることを心がけて構成しました。

 

 そこで、今号は、実際にお配りするパンフレットの現象形態を写真で見ていただき、その後に、本文内容や写真を掲載するようにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野々海池ガイドマップ

A:三叉路、B:野々海池入口、C:キャンプ場、D:東窓湿地
E:県境、信越トレイル、F:野々海峠、G:ブナ林散策路

 

 

 

紅葉の野々海池

 

 野々海池の紅葉の最盛期は、平年、10月23日頃。ただし、ここ2年は1週間ほど早まっています。9月下旬〜10月初頭に最盛期の時期が予測可能になりますので、ネット情報にご注目ください(情報アクセス案内は8頁をご覧ください)。
 野々海池は、1頁地図のA地点からB地点に進み、そこで車を降りて、坂を下ります。赤い屋根の水番小屋の上のあたり、さらに坂を下って堤まで下りた地点などがビューポイントです。水辺ぎりぎりまで接近するのは危険ですからご注意ください。
(B地点への道は砂利道。狭い道なので離合にご注意ください。B地点で車をターンできます。)

 


B地点

 

池へ向かう坂道 (この頁の写真はいずれも2014年10月12日撮影)

 

 野々海に向かうコースは、国道117号線沿いの平滝集落から上がるコース(舗装路、野々海まで車で約20分)と、青倉集落・さかえ倶楽部スキー場から山道を上がるコースの2つがあります。
 スキー場からのコースは作業用道路で普通車での走行はかなり困難です。観光の
お客さまは平滝コースをお進みください。

 

三叉路(地図A地点)の紅葉風景

 

 

 野々海にはいろんな見どころがあります。

 下写真は東窓(ひがしまど)という湿地。1頁地図のD地点です。C地点のキャンプ場から入れます。

 

東窓


 湿地帯の中に木道が敷かれています。湿地を保護するため、木道以外のところには入らないでください。
 木道を進むと、小川があり、そこから先はブナ林。小径(こみち)をさらに進むと深坂(みさか)峠の手前に出ます。
 東窓の上のような紅葉風景は、野々海池の紅葉よりも1〜2週間早く見られます。

 

野々海高原内のドライブコース

 野々海池や東窓を散策するともに高原内をドライブするのも最高です。

 

 


野々海峠から見える日本海と棚田


 標高1000mの野々海高原に行って日本海を眺めるというのは想像外のことかもしれませんね。地図C点で左折し、野々海温井林道をF地点まで進みます。F地点の目印は大きなブナの木とその根元の石塚。
 野々海池の裏側のブナ林の中を進むドライブコースです。途中、E点が信越トレイルの出入り口で、このあたりは長野県最北端。

 

霧の中を進む
 日本海が望めるのは晴れて大気が澄んでいる日。でも、雨模様の日も捨てたものではありません。
 雨に濡れた落ち葉を踏みながら、霧にかすむ紅葉のブナ林はとても幻想的です。

 

 

(野々海峠から先に進むと上越市旧菖蒲村地区に出ます)

 


深坂峠
 C地点を直進すると、深坂峠(みさかとうげ)に出ます。
 とても展望がよく、晴れた日には弥彦山や八海山を望むことができます。

 


 深坂峠には眺望のいい小高い丘があり、お弁当をひろげるカップルやグループをよく見かけます。

(深坂峠から大巌寺高原〜松之山にぬける道は残念ながら落石復旧工事のため閉鎖中です)

 

平滝〜野々海間も最高のドライブコース
 ドライブコースとして楽しめるのは、野々海高原に着いてからだけではありません。
 平滝集落で国道117号線から野々海への道に入り、10分も進むと、紅葉の真ん中を進むことになります。平滝〜野々海間は「野々海池の紅葉はもう終わり」という時期に紅葉本番を迎えます。
 そして、往きと帰りで景色の印象が大きく異なるのも、このコースの特徴のひとつ。とくに日暮れが迫る時刻に野々海から下るとき、真正面に北アルプス方向の夕焼けを望めます。

 

 

 

ちょっと難度の高い散策コース

 ガイドさんを確保できたら(8頁参照)、あまり人が近づかないブナ林の散策を楽しむのが最高。

 


 上写真は、野々海では晩秋の10月23日に撮影したもの。落葉が進んでいますが、ブナの落ち葉をカサカサ言わせながら歩むのもまた楽しいものです。地図のGのコースです。往復小1時間程度。ガイドさんにお願いすれば、往路と復路に異なる道を辿ることも可能です。
 また、このGコースの先をさらに進むと、白鳥集落にむかう野々海水路の脇を下って、素晴らしいブナ林に出会えます。ただし、往き30分、帰路はずっとかなり急な上り坂で40分。チャレンジの価値は大いにあります。

 

 

落葉しきった野々海池にはまた別の楽しみ
 10月末〜11月初旬、すっかり紅葉が終わった野々海池を訪れる人の姿が見られます。手にはカメラと三脚。初雪までのほんのわずかな期間だけ見られる風景です。

 

 

野々海池の歴史

 北信州の山々の多くは元を辿れば海の中の火山。それが隆起して現在の関田山脈になっています。
 野々海池の起源は火口湖です。しかし、池の西側が浸食されて水が流れ出し、湿地に変わりました。
 現在の栄村の千曲川の左岸(北側)の人びとは水が無く、田んぼを作れずに困っていました。そこで江
戸時代後半から悲願となってきたのが、野々海湿地の西側に堤を築いて、毎冬7〜10mに達するといわれる雪の雪融け水を溜め、麓への水路を引くこと。
昭和24〜29年の足かけ6年をかけて築堤に成功。さらに隧道を掘り、麓まで水路を通しました。水路の完成は昭和34年のことです。

 

人力だけで堤を築いた難工事。昭和29年撮影の写真

 

 

春から初夏の野々海
 野々海はミズバショウ、さらにイワカガミの群落地です。
 ミズバショウなどの開花は5月初めから6月中旬までの間で、その年の積雪量、雪融け時期によって時期が異なります。今年は雪融けが早く、左の写真は5月4日撮影です。

 


 場所は深坂峠の少し手前の左手。道路からはほんのわずかしか見えません。道路脇に駐車スペースがあるところから雪の上を歩いて湿地に下ります。
 湿地の周りの雪の上を歩き、湿地そのものには立ち入らないように注意してください。長靴の用意が欲しいですね。

 その5月4日の野々海池はまだ雪で真っ白でした。

 

 

イワカガミの花

 野々海でイワカガミを見られるのはミズバショウの後。雪消えが早かった今年の場合で5月下旬〜6月初頭でした。
 見られるのは深坂峠のそば、野々海峠にむかう道の脇など。栄村で最高の群生地はスキー場の最頂部の奥の林の中です。

 

お泊り先で地元の人とお友だちになるのが野々海を楽しむコツ
 野々海を十二分に楽しむには栄村で一泊していただくのが望ましいですね。一泊すれば、野々海と同時に秋山郷を楽しむ時間も確保できます。
 お泊りは中条温泉「トマトの国」(0269−87−3030)や森宮野原駅前「吉楽旅館」(0269−87−2705)がお薦め。
 その宿泊先で地元の人と友だちになれば、ガイドを頼むこともできます。「トマトの国」の温泉に浸かりながら、毎夕お湯にやって来る地元の人に話しかけてみる。ちょっとシャイな方は、「トマトの国」の支配人・広瀬春美さんや、「吉楽旅館」の女将・吉楽里美さんに紹介を頼むのもいいと思います。

 


滝涼み

 

 

 

 滝壺はエメラルドグリーン。

 

 滝壺から頭上を見上げれば、

 

 

 

 今日20日の日中は秋山での配達。
 「秋山は涼しい」とは言うものの、小赤沢の集落の中は暑かった。「ちょっと涼みたいなあ」という気分。
 そこで思いついたのが“滝涼み”。
 そんな言葉があるのかどうかはわからないが、滝壺のそばに佇むと、別世界!
 場所は苗場山1合目近くの大瀬(おおぜ)の滝(たる)。
 滝の全体像は

 

 

 足もとに気をつけながら、滝壺のすぐ横まで下りるのがポイント。

 


勝手に梅雨明け宣言

  • -
  • 2016.07.19 Tuesday

 12:53、妹木(いもとぎ)にて。


 午前9時から議会の仕事があって、10時すぎから配達開始。
 朝から晴れていて、気温は30℃近くまでグングン上昇。でも、つい先日までの「蒸す」という感じはほとんどない。
 正午すぎ、「梅雨明け」を確信した。そして、撮ったのが上の1枚。

 

 さらに、その近くの宮川頼之さんのジュース用トマト畑では、定植がいちばん早かったところで期待通りに真っ赤になったトマトを見ることができた。

 

 

 

 16:07、泉平にて。青空にピントをあわせて撮ったもの。

 午後は、気分一新、散髪をして、午後3時半頃から配達再開。

 

 18:53、スキー場から。夕焼けを撮ろうと思ったのではない。夕刻の空がなにか夏っぽい感じがしたのだ。

 

 19:01、「トマトの国」の温泉に入る前に、今日最後の1枚。
 三ツ山〜太次郎山の方向を望んでいる。

 

 

 「勝手に梅雨明け宣言」には「科学的根拠」はないが、私の感覚がそう感じている。
 暑いことは暑いが、清々しい感じの一日だった。


野々海高原はまるで初秋のような感じ

 

 野々海池の裏側、野々海峠に通じる林道(下写真)を走ると、随所で山ブドウの蔓の葉が色づいているのが目に入る。
大気はじつに涼しく、爽やか。

 


 野々海高原に上る前、下界は午前8時半頃から空気がムッと暑くなり、9時には27℃に達した。しかし、平滝から野々海にむかい、標高700mを過ぎる頃から空気が変わった。

 

 

 何の木なのだろうか。クローズアップしてみよう。

 


 この木は、目に入るものすべて、このように葉の半分近くが色づいている。昨年までは気づかなかったものだ。

 

 

 ナナカマドの葉は真っ赤に色づいているものがある。

 


 ナナカマドの葉は例年、けっこう早く赤くなるものが見られるが、それにしてもやや早いように感じるが…。

 

 

 

 予報は一日を通して「曇り」だったが、青空も見られた。上写真は午前9時45分、野々海の三叉路での撮影。
 野々海峠、深坂峠に行ったが、新潟県側は霧で真っ白。なにも見えない。

 


 深坂峠では霧の中で中年のご夫婦がお弁当をひろげていた。素敵な雰囲気だった。
約2ヶ月前に可憐な花を咲かせていたイワカガミの葉は赤くなっている。

 

 

 いたるところでアキアカネに出会う。
 飛んでいる姿を撮るのは難しいので、とまっているところを1枚。

 

 

 

 

 野々海池大明神の横で、久々にチョウの群れに出会った。
 チョウがとまる花はネコノメソウ(ユキノシタ科)。
 大明神の左手のエゾアジサイも素敵だった。

 

 

 野々海池は少し水が減ったものの、「満々と水を湛える」と言ってもいいほどに、まだまだ水はたっぷり。

 

 

 

 

 野々海三叉路の小さな池の周りも少し色が変わってきている感じ。

 

 

 帰りはスキー場〜青倉に下る山道を選んだ。

 

 

 山を下るにつれて、気温が少しずつ上がるように感じられたが、ブナ林の中は気持ちがいい。

 そんななかで出会うヒヨドリバナの類。今年見たものの中で淡紅紫色が最も鮮やかだった。

 

 

 

 

 ヤブデマリと思われるが、ガマズミ属の樹の実は、かなり山を下っても、もう赤くなっている。
 この赤い実が高原の景色を7月初めとは異なるものしている。

 

 

 

 スキー場の最頂部近くで津南町の河岸段丘を撮影してみた。いままでになく鮮明。
 写真手前は栄村森集落で、村役場の建物が見える。

 

 さらに望遠を効かせたものの一部を切り取り、拡大すると、中子の池、「農家民宿ひがし」さんが見える。

 

 

 

 今日の最後は、スキー場内の道路脇で今年初見のヤマユリ。

 

 


野々海築堤工事等の写真記録

 ここに掲載する写真は、久保田晋介さん(旧姓は月岡さん、白鳥。現在は津南町羽倉在住)が保存されている写真をお借りして、画像をデジタル処理で復元したものです。
 これらの写真をきっかけとして、野々海築堤・開拓についてのみなさんのご記憶・思い出などを聞き取りしたいと考えています。また、ここに収録した写真以外のものをお持ちの方がおられましたら、是非、ご紹介いただきたいと思っています。
 ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
                                                       松尾 真

 

 

 昭和29年8月、築堤工事完了の直前に撮影されたと思われる写真です。
 元の写真が小さなサイズのものであるため、これが拡大の限界かと思います。お一人、お一人のお顔を確認するのは難しいと思いますが、「これは私だ」、「私の父だと思う」ということがあれば、是非、教えてください。

 

 「栄村復興への歩み」No.289にも掲載したものですが、「私はこんな作業をしたよ」というような思い出があれば、お聞かせください。

 


 「復興への歩み」No.289掲載の「余水吐放水路工事」の写真と一緒に保存されていたもので、昭和29年撮影と思われます。

 

 

 


 いずれも野々海からの水路をつくっているところですね。カーブの具合などから、私も「あそこかな?」と見当をつけたりしていますが、見覚えのある方、おられますか?

 


 上の2枚とともにアルバムに貼られていたもの。
晋介さんによれば、「現場で賄いをしてくれていた女衆。左は白鳥の月岡りん子さんのお姉さんのはず」とのことです。

 


 これもアルバムの同頁に貼り付けられていました。
 右は『水内開拓史』編集責任者を務められた江口一雄氏。左は久保田晋介氏。

 


 これ以降は、久保田晋介さんのご記憶では昭和46(1971)年に行われた野々海大明神に祀る大きな石を運んだ時の写真です。

 


 運搬作業が終わった後の記念集合写真。
 久保田晋介さんによれば、
 前列:左は島田義太郎さん、右は小口哲二さん(横倉、屋号「石屋」)
 中列:左端・広瀬重平さん(森、重信さんの父?)、左から2番目・半藤さん(白鳥)、右から3番目・横倉の屋号「長坂」さん(夏八木さんのお宅)、右端・島田丹右衛門さん(青倉、一松さんの父か?)
 後列:左端・斉藤さん(西大滝)、左から2番目・広瀬一郎さん(森、求さんの父)、真ん中・広瀬喜一郎さん(横倉、屋号「沖」)、右から2番目・月岡勇さん、右端・上倉さん(平滝、現在の「居酒屋野の海」の父か?)
とのことですが、いかがでしょうか。

 


 左から、久保田柳治さん(羽倉)、小林栄市さん(羽倉)、久保田晋介さん。
 羽倉のお二人は水路の請負などで野々海の工事に携わっておられたそうです。

 

 右から2番目は丹右衛門さん。

 

 

 先頭は丹右衛門さんと小口さん(「石屋」)さん。

 

 

 右上端の鉢巻姿は小林武夫さん(白鳥)、手前後ろ向きは晋介さん。

 

 真ん中に座るのは半藤さん(白鳥)。

 

 

 

 

 


小林武夫さん(左)と月岡勇さん。