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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌6月11日〜20日

11日(日) 午前8時半すぎに家を出て、スキー場〜貝立山裏経由で野々海へ。帰りは平滝に下ったが、11時半頃。野々海の様子は「復興への歩み」No.309に書くが、スキー場の頂上、野々海までの途中コース、平滝への下り、それぞれにいろいろ素晴らしいものを見ることができた。いい写真もたくさんあるので、時間のある時に整理してみたい。
 下ってすぐに横倉でNo.308等が未配達の家12軒を廻った。横倉集落は4日の野々海普請をうけて、開田での田植えの真っ最中だが、飯山線の脇にある共同の作業所で上倉学さんご夫婦がお子さんと一緒に苗箱洗いをされていた(下写真)。なかなかいい光景。写真の左に写っているお子さんは末っ子で小6。震災直後に上倉さん一家が飯山の雇用促進住宅に避難されていた時、保育園児だったお子さんだ。歳月の速い流れに今さらながら驚く。

 


 午後、雪坪集落でも配達に廻ったが、森川价政さん宅の玄関にあったツツジの盆栽が立派。昨日、今日と直売所前で盆栽祭りが開催されている。

 


 夕刻4時すぎ、知人から「城ヶ館(じょうごだて)で土器がたくさん出ている」という電話をもらい、城ヶ館(青倉集落の山の田んぼがあるところ)へ。圃場整備が始まっているが、なるほど土器の破片が多数見られる。
 その場で話し込んで、気づくと6時半近く。山の上は急速に気温が下がり、最後はブルブル震えた。

 

12日(月) 栄村にとって空き家対策はきわめて重要かつ喫緊の課題。しかし、2月臨時議会での大久保空き家改修経費増額のための補正予算否決に見られるように、行政の補助金に依存して対応しようとすると、高額の経費がかかる。震災の折りにたいへんお世話になった中越の阿部巧さんにお聞きすると、「100万円程度で改修して活用している事例がたくさんある」とのことだったので、今日は阿部さんに案内をお願いして、川口(現在は長岡市の一部)の木沢地区の事例と、小千谷市岩沢地区の事例を知人二人と共に見学に行った。
 非常に勉強になった。「復興への歩み」でも一度きちんと議論したいが、今日の見学でいちばん強い印象をうけたことは、交流活動等で宿泊やミーティングのための施設を求める実際のニーズがあるところで空き家の改修が行われているということ。「空き家を壊したくない。なんとか保全・改修・活用したい」ということが先行し、その後でニーズを開拓するというのではうまくいかない。難しい問題だが、栄村での課題をなんとか打開していきたい。
 村に帰った後、知人に同行を願って、都丸幸郎さんが亡くなった場所の貝立山裏に行った。都丸さんが亡くなった場所では合掌し、さらに奥のブナ林に向かった。都丸さんが行きたかった場所だ。ブナ林に着くと、まだまだ雪がたくさんあり、コシアブラがたくさん採れた。山から下りた後、霊前にお供えいただくよう、息子さんにコシアブラをお届けした。

 

 


 この場所については、5月半ばすぎに都会から来た人たちを案内したところ、たいへん喜ばれたという話をお聞きしていたが、さもありなんと思う。来年は積極活用ができるようにプランニングしたい。

 

13日(火) 「復興への歩み」No.309の印刷、「配達日誌」の編集など、室内作業が主。途中、法面などの草刈りの新兵器の試用の様子を見に行き、写真も撮ったが、「まだ公開しない」とのことなので、今日は写真なし。

 

14日(水) 森と青倉でただひたすら配達。計127軒。
 その間に、5月24日に手植えされた広瀬敏男さんの田んぼの様子を撮影(下写真)。気温が低い日が多く、生育は遅れ気味だが、しっかり育っている。「そういう気で見るから」という面もあるかもしれないが、手植えでしっかり植わっている感じがする。

 


 アスパラを東京に発送。その関係で程久保に行き、その際に程久保7軒の配達も。

 

15日(木) 朝8時前に出発して、日出山線経由で秋山の全戸配達へ。
 朝の鳥甲牧場の様子を撮影してから屋敷へ進んで、屋敷→小赤沢→上の原→和山→切明の順で廻った。全部で92軒。正午過ぎに切明・雄川閣に着いているので、きわめて順調な配達だったといえる。鳥甲牧場と天池で撮影した以外はひたすら配達という感じ。
 上の原で空き家の解体作業が行われていた。震災直後には被災家屋の解体で見慣れた作業であったが、最近は滅多に見ない光景。どこか懐かしい光景だった。

 


 昼食の後、役場の現場作業の人たちが秋山林道の除草作業(といって、主には道路に突き出ている枝を払う作業)をしていると聞いていたので、その様子を写真に撮りたいと思った。切明から林道に進んで、奥志賀高原方向と屋敷方向に分かれる三叉路で屋敷方向に「除草作業中」の看板が出ていたので、「もう奥志賀高原方向は終わって、屋敷方向に向かっているのかな」とも思ったが、他にも見たいことがいくつかあったので、奥志賀方向へ。
 コミズの雪渓はきれいだったが、ミズノサワは雪渓の上に大量の土や木枝が載っていて見た目がまったくよくない。自然の現象とはいいながらも残念。昨夏、土砂崩れがあった奥志賀から5km手前の地点の様子も見てきた。大きな変化はなかったが、この箇所、県は今後、どのように対策するつもりなのか。一度、確認しなければならない。
 除草作業の人たちとは結局、切明〜屋敷間で出会った。私はその後、五宝木の5軒の配達へ。五宝木〜極野間は法面工事が始まって通行止め。結局、鳥甲牧場経由へと戻った。鳥甲牧場では畑の耕耘作業が行われていて、これはなかなか絵になる光景だった。その後、津南町の中子にも2軒、立ち寄る必要があり、すべてが終わったのはもう夕食タイムに近かった。
朝、出発時に満タンにしたガソリンが夕刻にはほぼ半分に。運転にかなり疲れた。

 

大鎌での作業。

除草作業の基本は草刈り機で行われるが、大鎌で作業する人の姿も見られた。いまや大鎌を使える人は少ないと思う。

 

16日(金) 議会6月定例会の初日。議会の内容については「議員活動報告」に書くので、ここでは触れないが、本会議の他に全員協議会、常任委員会もあり、夕刻4時頃まで。
 夜は「クマ対策勉強会」というものに参加。講師は松本市から来て下さったそうだが、とても勉強になる内容だった。村外からも多くの参加があった。役場の担当課長・職員が自主的に参加していたことはよかったが、村民の参加をもう少し多ければ、もっとよかったなと思った。
 

17日(土) 午前中、8時前から豊栄、西部地区で91軒の配達。
 途中、白鳥集落で、毎年秋に柿の木にクマがやって来る場所について、クマが千曲川を渡って、その柿の木までやって来るコースを写真撮影しながら、調べてみた。すでに草は伸びつつあるが、まだコースはよく分かる状況。このゾーンを刈り払い、電気柵を張ったら、クマを防除できるか。そういう実験を今年やれるといいなと考えている。

 

クマだな(棚)がはっきり残っている

毎年のようにクマが現れる柿の木。新しい葉が出ているが、昨秋にクマが作った「たな」がはっきり残っている

 

 昼は天地でお世話になったが、新聞で天気予報を見ると、好天は今日までで、明日は曇り。野々海観察は今日しかないと考え、平滝午後1時半頃スタートで野々海へ。再び平滝を下ったのは4時半すぎ。往復には4〜50分を要するので、野々海で2時間強、いろんなところを歩き廻ったことになる。とくに野々海峠はまだ車では行けないので、信越トレイル野々海峠口と野々海峠の石像がある地点の間、かなりの急坂だが、徒歩で往復した。里はかなりの高温だが、野々海は過ごしやすい気温。ただ、この峠の上り下りは少々汗をかいた。
 野々海キャンプ場横の東窓湿地、今年は昨年よりもミズバショウの出がいいように思うが、残念ながら地面を這うように生える雑木が多くあり、ミズバショウの多くはその陰に隠れる形になる。こういう雑木をある程度伐採する方がよいのか。専門家の知見を尋ねてみたいと思う。

 

18日(日) 明日の議会一般質問の内容を推敲する一方で、今日もひたすら配達。泉平と東部を中心に108軒。
 極野に配達に行った際、村道鳥甲線(極野〜五宝木)の法面工事の様子を見に行った。13日から日曜日を除いて全面通行止めにされているが、今日行ってみたところでは、まだ工事の準備作業段階のようで、法面での工事は始まっていなかった。
 配達先の何ヶ所かで「花とモンシロチョウ」を見た。花も特別のものではないが、この組み合わせ、とても素敵だ。

 

 

19日(月) 午前10時からの本会議に先立って9時から議会運営委員会が開かれることになった。そのために9時に予定していたアスパラの発送の時間を繰り上げ、東部地区での25軒の「歩み」配達とアスパラ受け取り・発送を8時半すぐまでに終わらせた。
 議会は一般質問の日だが、午後3時半すぎまで。帰宅後は議会関係資料の整理などもあり、配達や撮影はなし。

 

20日(火) 議会の日程変更で、今日の議会は午後1時半開始。
 午前中は、議会関係文書類の整理・検討や、この間の写真データの整理など。
 議会は4時すぎ終了だったが、いろいろ考えるべきことが多く、就寝までとくに何かの作業をやるというのでもなく、思案をめぐらせる時間が多かった。


配達日誌6月1日〜10日

1日(木) 昨夜が早かったので4時頃に起床。原稿書きや配達物の折り作業などをやった後、秋山に向かったのは7時前だったと思う。雨模様で、日出山線などは靄(もや)がきつかった。
 10時半から苗場・鳥甲・佐武流三山の山開きで議員として参加なので、その前にできるだけの配達をと思って、上の原、和山へ。小赤沢での配達の途中で山開きへ。山開きの前に雨は止んだ。
 山開き神事とその後の祝宴が正午過ぎまで。

 

秋山の保存民家。「大棟」の改修が完成していた。


 その後、小赤沢の残りと屋敷での配達。当初計画では配達の後にミズノサワの様子を見に行くつもりだったが、雲が厚くて、あまりいい写真が撮れそうにもないこと、朝早くからの行動で少々疲れたことなどから、帰路につくことにした。鳥甲牧場の様子を見に 遠回りをして日出山線、そして中子での2軒配達の後に帰宅。
 夕刻に少し眠って、一昨日からの頭の重さがやっとぬけた。

 

2日(金) 今日も早めの起床で、No.308の仕上げ。さらに、飯山の土石流現場をちょっと見に行った。午前10時から取材受け。
 午後、都丸さんの出棺のお見送り。
 No.308も配達日誌も印刷できたが、今日は早めに仕事は終わり。写真撮影もなし。
 夕刻近くから気温が低下。この時期にこの寒さは困る。

 

3日(土) 久々にとことん配達に廻った。朝方に箕作、泉平、月岡で114軒。10時から森の開田で子どもたちの田植えがあるので、いったんそちらへ。田植え後のバーベキューも含めて、午後1時頃まで。
 その後、平滝、白鳥などで50軒。計164軒。
 「もっと廻れるか」と思い、昼間にNo.307、308、「議員活動報告」をそれぞれ印刷にかけておいた。結局、大半は夜に折り作業をやることになったが、朝の起き抜けの時も含めて、600部くらいの折り作業をやったことになる。(この作業が4日以降の苦しみを生むことになった。)
 白鳥を廻っていた時、新しい工事の看板が立っていたので、一昨年、昨年と白鳥川及び東川の砂防ダムが建設された現場へ。「砂防堰堤下流の渓流保全工事」というもの。これについては改めて記したいが、昨年までに完成した砂防ダムについて一言書いておきたい。
 砂防ダムというのは巨大なものである。この白鳥川の場合、川の規模と砂防ダムの巨大さが常識的な感覚では信じられないほどにアンバランスなのだ。

 

 

 上の写真は「渓流保全工事」の対象になっているまさに「渓流」と呼ぶべき小さな流れ。砂防ダムのすぐ下である。それに対して、下写真は砂防ダムの全景。スリット式なので水はそのまま流れている。白鳥川の水量は左写真の程度だということ。そこにこれだけの巨大なダム。

 


 これには「?」と思う方がまともな感覚だと思う。砂防ダムというものについて改めて考えてみたいと思う。

 

4日(日) 起床すると、雨で気温も低い。今日は野々海普請。「8時半にそれぞれの持ち場に現地集合」ということで、私は水番小屋・堤の現場を撮影することにしていた。
 燃料補給もして出かける直前に家に戻り、ズボン下を着用し、靴下も冬物を履き足した。上半身は薄手のセーターと早春期に着るジャンパーの上に雨合羽。
 野々海の現場はまるで冬。上記の装備でちょうどよかった。
 2号分水〜1号分水間の普請を終えて水番小屋にやって来た人たちも含めて一休みした際に、横倉の上倉誠一さんから昨秋のクマに襲われた事故の生々しい証言をお聞きした。ここには書き記せないほどのリアルな話。事故現場に居合わせた人たちの中でじつは、襲われ重傷を負った誠一さんがいちばん冷静だったように思われた。
 私はみなさんよりも早くに山を下りたが、3時頃、月岡英男さんから「手違いで横倉の開田にまだ水が届いていない」と聞き、横倉の開田へ。私が到着した時、ちょうど水が到達した。横倉の開田は野々海の水がやって来次第、代掻きができるように、すべてきれいに田起こしされていた。里の午後はきれいに晴れ渡り、開田からの眺めも素晴らしい(「復興への歩み」No.309の9頁に写真掲載)。
 そんなこんなで、今日は配達なし。

 

5日(月) 朝、まず、昨日の野々海普請で水が届くようになった横倉の開田の田んぼの様子を見に行った。

 

田んぼに水が入った横倉の開田


 その後、白鳥と平滝で計63部の配達。その途中で桑名川まで足を延ばし、出川橋付近の土石流対策の進展状況を見てきた。その結果は夜レポート化。
 午後も引き続き配達の予定だったが、昼前から右腕がだるくてたまらず、接骨院へ。持病の血行障害の症状。40歳代に随分と苦しんだが、最近は滅多に症状が出なかった。右腕で単純動作を長時間繰り返すと症状が出る。昨日の大量の折り作業が影響したようだ。

 

6日(火) 午前は野々海へ。昨日、今日と天気がよく、スキー場の上の山を見ても空が真っ青なので、「4日とはかなり様子が違うかな。ミズバショウの様子も見ておきたい」ということで、10時少し前に平滝から上がった。
 野々海の三叉路から野々海池の様子が少し見えるが、もうこの段階で「池の雪がかなり消え、4日とは別世界」ということがわかった。野々海池(水番小屋、堤)、深坂峠、深坂峠手前のミズバショウ群生地、キャンプ場・東窓湿地、野々海峠に向かう林道脇のミズバショウ群生地の順で廻った。

 

6日午前の野々海池の様子(「復興への歩み」No.309の1頁の写真との対比を)


 平滝〜野々海間の道路脇には山菜採りに入っていると思われる村外車が相変わらず多数。
 野々海とスキー場を結ぶ道は開いたようだったが、軽トラが修理中で代車の軽乗用車だったので、無理をせず、平滝に下りた。
帰宅後、とりあえず写真データをパソコンへ。
 午後は2時45分に貝立橋で待ち合わせで、知人と共に、スキー場Dコース近くの、どうもクマの穴があるらしいという地点の調査へ。十分な警戒心をもって臨んだが、そろそろ調査を切り上げようという頃にクマの唸り声を聞き、撤収。
 帰宅後、このクマの件のレポートを作成し、山菜採りに来る人への警告看板設置の要請に行った。(役場は7日、看板設置を行なった。)
 夜は、野々海の様子のブログ記事を作成。
 そんな次第で、今日は配達はなし。

 

7日(水) 午前中は志久見、柳在家、切欠、小滝で計68軒。修理に出していた軽トラを引き取りに白鳥へ。
 昼食後、若干の配達の後、
 津南町結東の「萌木の里」で開催される秋山郷国道整備促進期成同盟会の総会出席のため、秋山へ。この期成同盟会総会については「復興への歩み」に記したいと思う。総会の後には懇親会もあって、温泉にぎりぎり間に合うような時間に帰宅。
 疲れがあり、早めに寝るつもりだったが、折り作業や電話対応などで就寝は遅くなった。

 

8日(木) やや疲れ気味で遅い起床。10時からの用件の前に配達する計画だったが中止し、スキー場内のクマ警戒の緊急警告立て看板の設置状況の撮影、さらに室内での書類整理作業など。
 午前10時から、栄村金婚式並びに栄村老人クラブ連合定期総会に来賓として出席(議会産業社会常任委員会委員長としての職務)。毎年この時期に開催されている金婚式だが、参加は初めて。なかなかいいものだなあと思った。
 老人クラブ連合の総会も初めて。この1年間で3つの地区での単位老人クラブの休止ないし解散が生じたとの報告。県全体の傾向でもあるそうだ。老人クラブというものの存在意義、これからのあり方について、一度、じっくり考えてみたいと思う。
 終了が0時半頃だったので、午後の配達は2時半頃からだっただろうか。原向を廻っていた2時50分頃に大粒の雨が落ちてきて、その後、激しい降りになった。かなり濡れながらの配達。久々のこと。原向、野口、天地、大久保で41軒。途中お茶のみしたこともあって、配達はこれだけで夕刻に。

 

9日(金) 朝方、長瀬、坪野の41軒で配達。坪野を廻っている時、横倉の上倉直人さんから「ササユリが開花していますよ」という電話をいただき、横倉に向かった。途中、天代坂で空(雲)があまりにきれいだったので、何ヶ所かで写真を撮りながら、9時半頃に横倉に着いて撮影(下写真)。

 


 10時からは議会の議会運営委員会。1時間強だっただろうか。
 人と会いながら軽い昼食を食べた後、国道405の改良整備の最新の写真を確保するために秋山へ。併せて、ミズノサワなどの最新の様子も撮影。
 「下(しも)」におりてから、北野、中野、極野で47軒の配達。
 夜は今日撮影の写真データの整理に結構の時間を要した。

 

10日(土) 朝、平滝で22軒配達の後、桑名川へ。避難指示が出ている4世帯の近くの土嚢設置状況や飯山線橋梁の様子を撮影。
その現場に向かう時、桑名川の人たちが県道沿いに花植え作業をされているのが目に入っていたので、帰路、その様子を撮影し、区長の鷲尾さんとお話もした。

 

くわながわフラワーロードの会のみなさんの植栽作業

奥に見える赤い橋は市川橋。重機が見えるが、千曲川の護岸工事を実施中。


 花植えは「くわながわフラワーロードの会」のみなさんによる作業。有志参加で50名くらいの人たちが参加されているそうだ。長野県アダプトシステム(「信州ふるさとの道ふれあい事業」)というものと協定を結んでいるもの。「アダプト」とは「養子縁組する」という意味の英語で、住民が道路などの公共スペースを養子のように愛情をもって面倒をみることに対してアメリカで命名されたもの。長野県では「信州ふるさとの道ふれあい事業」という名称で2003年から実施、桑名川地区は2010年秋から取り組みを始められたそうだ。すでに7年間に及ぶ長期の取り組みと、土石流災害による避難指示という事態の中でもこういう作業に楽し気に取り組まれている姿に感銘を受けた。
 野田沢、雪坪での配達の後、昼前からは森集落の「タケノコ汁の会」。
 午後は「復興への歩み」No.309の編集作業。
 

 

東部水路の堤(原向)。6月9日午前撮影。

 

 

<お断り>
「配達日誌」は次回からメール配信とブログ掲載のみとし、配達はなしとさせていただきます。
印刷したものをご希望の方は松尾までご連絡ください。


配達日誌5月21日〜31日

21日(日) 19日に発生したとされる飯山市の通称「だんご橋」の上流で発生して山腹崩壊。昨夕初めて知り、今朝早くから現地にむかった。
 その後、「No.305+No.306」のセットを20日に配る予定だった横倉、箕作、月岡の計82軒を廻る。横倉の集落内の田んぼの田植えがいっきに進んでいたのが印象的だった(下写真)。

 


 午後〜夜は、飯山市の山腹崩壊のブログ用レポートの作成と、No.307の執筆・編集。

 

22日(月) 4月23日の村議選で当選した議員から成る17期村議会の初議会。
 初議会は本来、「議会構成」だけでいいのだが、村長及び議会事務局に「村長提出の議案がなければ議会を招集できない」という誤認識があったようで、専決処分の承認案件などの審議、さらに村長提出の議会全員協議会もあって、長い昼休憩を挟んで、午後3時近くまでの長い初議会となった。
 昼休みが2時間近くあったので、いったん家に戻り、No.307の編集を完了させた。議会に戻る時、役場横の気温表示は31℃! 午後の議会は窓開けっ放しで開催。
 また、夕刻からは役場側主催の議員歓迎会があったが、議会終了後、その会までの間に「議員活動報告」に掲載する初議会の様子の記録をざっと書き上げた。
 帰宅は午後9時前だったか。明日の配達物の印刷や折り作業で結構遅くなった。写真撮影はなし。

 

23日(火) 今日の主予定は秋山での配達だったが、アスパラの出荷状況を滝沢総一郎さんにお聞きする必要があり、朝7時頃、総一郎さん宅へ。先週末からの気温上昇でアスパラの成長がようやく順調になったようだ。「まあ、少し持っていきないさいよ」と言って、随分たくさんのアスパラを下さった。何人かにおすそ分けしたが、私自身は秋山から戻った午後4時頃にさっと湯がいたもの3本分をマヨネーズをほんの少しつけただけで豪快にいただいた。これぞ“ザ・アスパラ”。美味い!
 宮川頼之さん宅にも立ち寄り、さらに青倉で1軒、上がって少し話。その後に秋山へ。
 頼之さん宅では、期待していた通りの場面に出会い、写真を撮らせてもらった。昨年誕生した育真(いくま)ちゃん。お母さん、じい・ばあがアスパラの出荷作業をされている所でハイハイ。素晴らしい子育ての姿だと思う。一哉さんそっくりだ。

 

 


 日出山線→鳥甲牧場→五宝木集落→天池→切明→林道経由で屋敷→小赤沢の順。途中で電話取材受けが入り、少し時間がおしてきて、上の原の10軒、和山の11軒は後日配達に変更し、秋山では75軒の配達。
 夕刻6時に十日町で「中越」の阿部巧さんと数年ぶりで会った。いわゆる「地域おこし(づくり)」に関わる若者がどのようにして一定の収入を確保するか、あまりお金をかけない空き家再生・活用について、「中越」で蓄積されてきた経験・知恵についてご教示いただいた。空き家については、6月に具体例を複数見せていただくことになった。こういう教示、経験や知恵の交流がとても大事だ。
 帰宅後、やはり印刷・折りなど。

 

24日(水) 5月の青倉米発送の一部発送と全体の発送準備。
 その中で、森の広瀬敏男さんご夫婦の約7畝の田んぼの手植え、また、小林昇子(のりこ)さんと広瀬トヨさんの2枚の田んぼの手植えを撮影。(写真左はトヨさんの手植えの姿。植えるのがものすごくはやい。写真右はトヨさん(左)と昇子さん(右)

 

 

 

 日中は予報されていたような雨は降らず、パラパラ。基本は曇天。4人共に「これが “田植え日和(びより)”」と言っておられたが、たしかにそのとおり。昨年6月初め、カンカン照りで汗をかきながら田植えしたことを思い出した。
 この田植えの撮影の合間に、敏男さんの田んぼのすぐ横、広瀬隆司さんの家のツツジを撮影した。昨年、撮影を頼まれた縁で、このツツジの存在を知った。いろんな写真を撮ったが、ここでは、お宅のすぐ脇のいちばん立派なツツジを紹介させていただきたい。

 


25日(木) 朝から午後3時すぎまで。青倉米の発送準備に没頭。何人かには急遽、アスパラも送ることになったので、その注文や受け取りに走ったことも時間を要した一因。
 配達はほとんどできなかったし、写真も1枚も撮っていない。
 疲れがたまったようで、夜、かなり早く寝ることにした。

 

26日(金) 朝7時半頃、平滝から野々海へ。野々海の融雪の状況を見ておきたいと思っての行動。野々海の雪はまだ多い。今年はとにかく雪が硬く、少々の気温上昇でもあまり融雪が進まない。
 でも、水番小屋の扉を開けられる状況にはなっていた。6月4日の野々海普請はなんとかなりそう。また、堤に下っていく道の脇の雪が、低くなっている(減っている)だけでなく、地面の方からも融けるようになっているのが確認できた(下の写真)。こうなると、これからの融雪のテンポは上がるかもしれない。

 


 平滝から野々海にかけて、山菜採りに入っている人が多い。地元の人間ではない。また、野々海に上がる時に「福岡」ナンバーの車を見かけ、不審に思った。帰路でも同じ車がいて、車に捕虫網が立てかけてあった。集落に近い地点であり、また近くに別の観光客集団もいたので、思い切って声をかけた。「何を捕るのですか?」と尋ねると、「言わなきゃいかんとか?」と博多弁ですごまれた。「はい」と言うと、それなりの返答。捕虫網を持っている人間に声をかけるのはかなりおっかない。臨機応変、声をかけるか・かけないか、的確な判断をしなければならない。
 また、「復興への歩み」でも取り上げるが、ブッポウソウの観察に観光バスが平滝の簡易水道場のところまで上がってきているのに出会って、驚いた。
 明日27日に東京・神田で、この2年、私がアスパラや山菜を持って行っていた「すずらん祭り」があるが、今年はさすがに行く時間がとれない。小滝におられた加藤さんが現場での販売をやって下さるので、宅急便で発送。午後はその作業でほとんどの時間を費やした。
 配達は横倉などで14軒のみ。

 

27日(土) 朝方、平滝・白鳥で48軒を配達した後、飯山市照岡の山腹崩壊・土石流の現場へ。
 今日は、震災の後、栄村をご支援下さった、現桑名川区長の鷲尾静雄さんなどに避難所でお会いできて、いろいろとお話をお聞きすることができた。

 

山腹崩壊が発生した箇所。21日に続き、2回目の撮影。


 帰村後、午後は東部を中心に55軒。
 夕刻から、飯山の山腹崩壊・土石流をめぐってレポート書き。
 今日午前10時開始の「すずらん祭り」に宅急便が間に合うか、ヤキモキしたが、午前10時20分過ぎ、加藤さんから「荷物が届いた」という連絡をいただいて、ホッと胸をなでおろした。山腹崩壊の現場に向かう途中だった。

 

28日(日) 朝方、20軒の配達の後、すずらん祭りに届けたワラビとタケノコをお世話いただいた天地の斉藤克己さん宅を訪ねて、少し話をしていると、「天地の山で行方不明者発生。道案内をお願いする」という連絡が克己さんに入った。
 役場職員と共に現場に向かう斉藤夫妻に同行。現場に着く直前、行方不明者を出したグループの車と出会う。「警察に電話したが、『道がわからないから、県道の天地入口で待っていてほしい』と言われた」とのこと。私が警察を出迎えに下りた。すぐに来るのかと思いきや、飯山署からの出動で30分ほど待った。
 警察官と共に現場に戻った。行方不明者とは携帯がつながっていたので、パトカーのサイレンを鳴らし、「聞こえるか」と尋ねたが、「聞こえない」という返答。携帯の充電が切れそうとのこと。斉藤勝美さんと共に沢に下った。たしかに良いタケノコが出ている。だが、行方不明者は見えず。かなり険しいところで、とくに林道に戻る時の登りがきつかった。(翌日、足の筋肉に張りが出た)
 行方不明になったのは須坂市の83歳男性。家族が捜索願を出して、消防団と警察ヘリが出動することに。消防団は午後3時天地集合。私はそれと入れ替わりに配達に戻った。間もなく、ヘリが発見。人騒がせである。斉藤克己さんお話では、「朝方、車が4台上がって行った」とのこと。クマの問題もあり、放置できない問題である。

 

29日(月) 東京・駒場の保育園の父母に5月〜9月、月1回野菜を直送という仕事を今年から引き継ぎ、今日がその発送日。
 その仕事にとりかかる前に、「スキー場頂上部の林のイワカガミの開花状況を見ておこう」とスキー場へ。「そろそろ一斉開花か」という予想は当たっていて、いい写真が撮れた(「復興への歩み」で紹介の予定。スキー場頂上からの眺めの写真は次頁)。
が、野菜発送に要する時間の判断に狂いがあって、夕刻4時の宅急便回収に間に合わない荷物が出てしまった。結局、その分を運んで飯山市木島のクロネコヤマトの営業所まで行くことになってしまった。
 帰路、桑名川に立ち寄ったところ、「土石流の危険」で通行止めになっていた県道の出川橋の通行止めが解除になっていた。4世帯への避難指示は継続。飯山線は運休を続けているが、飯山線の鉄橋は出川橋よりも安全な状況。JRの判断には疑問をもつ。
 配達はできず。

 

スキー場頂上からの眺め(午前9時45分撮影)

 

30日(火) 起床は早かったが、「議員活動報告」の印刷と別原稿の執筆中の午前9時すぎ、村内放送で「森の都丸幸郎さんが行方不明」という放送。朝6時にも放送があったが、その時は氏名非公表。都丸さんの名前が出たので、役場に電話し、私は青倉の山へ。
姿は見えず、青倉・西山田の農道とスキー場内の村道との三叉路から下る途中に警察官と出会い、「貝立山にはこの道を進めばいいのか?」と尋ねられた。たしかに「この道を進めばいい」のだが、土地勘がないと感じたので、私が道案内役をかってでた。
 結局、ご遺体で発見することになってしまった。毎年、山菜採りによく行かれた場所だった。残念な結果になったが、山村・栄村で暮らしてこられた都丸さんらしい最期とも言えると思う。ご冥福をお祈りする。
 午後遅くから森と青倉で62軒の配達。少し立ち寄り先で話をしたりして、夜6時半すぎに温泉へ。
 なお、今朝5時すぎに起きた時は寒くてストーブをつけた。午前中は雪の上にいたので暑さを感じなかったが、午後、里では猛烈に暑かった。

 

31日(水) 朝は5時から6時の間の起床。メール送信やブログのアップをした後、「野々海の様子を見ておこう」と考え、8時頃に平滝から上がった。
 見ておきたかった様子というのは、1つは残雪状況だが、もう1つは無断での山菜採りなどでの状況の把握。
 残雪は相変わらず多いとも言えるが、6月4日の普請がある程度出来る状況にはなっていた。
 無断の山菜採りはやはり多い。関東圏のナンバーも見える。そのうえで、今日最も驚き、「困ったな」と思ったのは、信越トレイルの天水山越えをするというグループ(10人ほどで女性が多かった。東京方面から)に出会ったこと。夕刻までに遭難騒ぎは聞いていないので松之山口に無事下りたのだとは思うが、まだまだ雪が多いこの時期に天水山越えというのは無謀としか言いようがない。それ以上に困ったのは、「私は地元です」と名乗った案内役。「地元って何処ですか?」と問い返すと、「斑尾」とのこと。これは「地元」ではないと私は思う。野々海に人を案内してくる飯山方面の人はほとんどの場合、自分のことを「地元」と主張される。  「栄村がしっかりしていないのが悪い」と言われれば、それまでのこととなってしまうが、私は納得し難い。
 そんな次第で午前10時半過ぎに下に下りたが、暑い! 頑張って配達をしたが、昼すぎから強烈な眠気。これは寝不足の結果というよりも、熱中症の1つの症状ではないかなどと思った。あまり無理すべきではないと考え、午後は4時頃、散髪へ。
 夜は早く就寝。

 

 最後に写真を3枚。

 

タニウツギと高倉山・青空(28日午後撮影)
栄村ではタニウツギはあまり好まれないようだが、原因は「火事を呼ぶ花」と言われたことなどだと思われる。だが、綺麗な花だ。「田植え花」という別名もある。

 

秋山郷・白沢近くの不動滝
(5月23日午前撮影)

 

天池から眺める鳥甲山
(5月23日午前撮影)


栄村復興への歩みNo.309(6月11日付)

 

 

野々海池の1ヶ月の間の変化を見る
 今号は少し変わった企画で、野々海池のこの1ヶ月間の変化の様子を写真で紹介することから始めます。
 1枚目の写真は5月9日に撮影したもの。野々海池への道はまだ開いていず、歩いて行って撮影したものです。他方、2枚目は6月11日午前の撮影。池にはもうほんの一握りのものを除いて雪はありません。
 

 野々海池を撮影しているアングルは様々ですが、変化の様子をご理解いただくことは可能だと思います。

 


 5月9日には芽吹きがまったく見られなかった野々海池ですが、5月17日午後に訪れると(この日はもう道が開いていました)、池はまだ雪で覆われているものの池を取り巻くブナの樹々はかなり芽吹いていて(上の写真)、さらに20日朝には青空が広がる中、とてもきれいな一斉芽吹きを見ることができました。

 

 

 そして、この5月20日、私はこの春初めて、野々海のミズバショウ群生地を訪れました。

 

 

 この場所はもうかなり多くの人がご存じなので位置を書きますが、深坂峠の少し手前(深坂峠に向かう場合の左側)です。
 5月20日、野々海キャンプ場〜深坂峠間の道路はまだ開いていなかったので、キャンプ場横の大きな湿地(=東窓)の雪原を突っ切り、沢を上ってこの場所に向かいました。
 かなり広大な群生地なのですが、この時点ではまだほんの一部しか雪は消えていません。それから約3週間後、6月21日には下のような様子に変わっています。

 


 まだまだ雪は残っていて、ミズバショウの群生はさらに拡がります。
 ミズバショウのクローズアップを1枚ご紹介しましょう。

 

 

●6月4日の野々海普請はまるで真冬の中の作業
 私は5月9日以降、17日、20日、26日、31日と何回も野々海池を訪れました。それは、ミズバショウの開花情報の提供という意味もありますが、なによりも6月初めに予定されている野々海普請にむけて野々海の状況を把握することにありました。道は開いたものの、今年は融雪がなかなか進まず、「この様子では普請は大変だなあ」と思っていたところ、普請当日の6月4日は雨が降る悪天候。気温は2℃か3℃くらいで、指先が痛くなるほど。まるで真冬のようでした。

 

水番小屋の扉を開ける


 野々海池の雪に大きな変化が生じたのは、その「まるで冬」のような6月4日の翌日〜翌々日。どんどん融け出したのです。

 

●6月11日の野々海はすごい人出
 6月11日は前日の強風・雨から一転、朝から快晴。スキー場を上がり、貝立山の裏を通って野々海に向かいました。1ケ所だけ道に雪がありましたが、強引に突破。9時半すぎに着きました。
 10時すぎくらいからでしょうか、次々と車が上がってきます。タイプは2種類。1つは山菜採りです。雪消えがかなり進んだので、野々海池近くにまで山菜採りが来始めています。群馬ナンバーで軽トラというのも見ました。もう1つはミズバショウを見る、雪のある景色を見るというドライブ。こちらも首都圏ナンバーがかなりありました。
 前号で「山・自然資源の管理・保護・活用」という問題を提起しましたが、平滝からの道の途中にゲートを設けることも検討するべきです。エリアへの入場を有料化しようということでは必ずしもありませんが、ひとまず野々海への人びとのアクセス状況を把握することが必要だと思うのです。カメラを設置してエリア入場状況を確実に把握するというのでもよいかもしれません。また、野々海のミズバショウをはじめとする自然資源の把握と保護への取り組みを強化することも求められています。信越トレイルの取り組みとの連携の強化も含めて検討するとよいのではないかと思います。


秋山国道405号線の改良整備の進展

秋山郷国道整備促進期成同盟会第41回総会に参加して

 

 6月7日、「秋山郷国道整備促進期成同盟会」の第41回通常総会(於:「萌木(もえぎ)の里」、津南町結東(けっとう))に公務として出席しました。いろいろと学ぶところがありましたので、ここにレポートすることにしました。まず、進展著しい国道405号線の改良の現況について紹介します。

 

●道路の幅を広げる工事などが進展

 

写真イ

 

 写真イは屋敷・上野原間で道幅を広げる本年度工事(380m)のうち、フクザワコーポレーションが担当する区間。写真から現在の倍の道幅になることがわかると思います。
 この写真は屋敷側から上野原方向を撮影したものですが、この工事箇所の先は昨年度に拡幅されています。

 

写真ロ

 

 写真ロはやはり屋敷・上野原間ですが、屋敷に入る村道との三叉路のすぐ近くです。こちらはマツナガ建設という会社が担当しています。
 この写真イ・ロの区間はとても狭く、とくに冬期間はアイスバーン状態になっていることが多く、私などは「ちょっと滑ると谷底へ」という恐怖を感じることがあります。
 国道405号線は国道ですが、国管理ではなく、県管理になっています。そのため、栄村の区間は長野県北信建設事務所が、津南町の区間は新潟県十日町地域振興局地域整備部が管理し、それぞれが管理区間の拡幅工事等を担当しています。したがって、写真イ・ロの工事は北信建設事務所の担当です。
 それに対して写真ハ、ニ、ホは新潟県の担当箇所。

 


写真ハ

 

写真ニ

 

写真ホ

 

 写真ハは清水川原付近。スノーカーテンというものを設置する工事です。すでに昨年度に施工された箇所もあり、写真ニがそれです。
 写真ホは、見玉の2車線区間が終わり、清水川原まで狭い1車線区間が始まるところ。ここで道幅を広げる工事が進められています。これは一昨年度からの継続工事です。


 ここまで写真を付けて紹介したもの以外にも種々の改良工事が進められています。
 直接的な背景としては、新潟県管理区間では平成18豪雪での見玉・結東間の通行止め、長野県管理区間では2011年の震災があります。これらによって国の各種交付金が交付されたのです


●期成同盟会の41年間にわたる努力の成果
 私は総会に出席し、総会資料に「第41回通常総会」と記されているのを見て、「?」と思いました。すると、総会が始まって間もなく、「41年前に期成同盟会を結成して以来…」という話がされて驚きました。なんと期成同盟会の歴史は1977年(昭和52年)にまで坂遡るのです。現在、期成同盟会の役員を務める福原和人氏などのお父さんの世代からの活動が今日まで引き継がれているのです。
 しかも、期成同盟会の運営のしかたが、道路の新設・改良をめぐって各地でつくられている「○○期成同盟会」というもの一般とは少し違うというのです。総会に提出された決算・予算を見ると、年額50〜60万円になっていますが、収入源の第1は栄村と津南町の秋山郷に暮らす各世帯が拠出する年間500円の会費なのです。第2は、秋山郷での道路工事や道路除雪に関わる地元建設業者等からの寄付金です。
 総会で議決権を有する人の多くは秋山郷の各集落の区長さん。寄付金を拠出している業者は来賓として総会に出席し、同盟会から質問等が出されれば答えますが、議決権は有していません。
 また、北信建設事務所や十日町地域振興局はトップが総会に出席し、前年度の事業実施状況、今年度の事業予定を説明し、また、地域からの質問・要望に丁寧に答えます。
 秋山郷における住民自治の実践という意味合いが非常に濃い期成同盟会なのだというのが私の感想です。と同時に、私は村議会の議員として、「平素、議会では秋山郷の道路改良等について、ここまで詳しく報告を受けたり、議論したりすることはない。議会の役割を十分に果たせていないのではないだろうか」という思いも強くしました。
 なお、この期成同盟会の結成の出発点には「未開通区間(切明〜群馬県)の開通」という願いがありますが、今日の時点で切明〜群馬県間の開通が必要かどうかという点に関しては、私自身は「貴重な自然を保全する方が望ましい」という観点を重視して検討すべきだろうと考えています。
 秋山郷国道整備促進期成同盟会については学び始めたばかりですので、今後、さらにいろんな方々からお話を聞いて勉強し、みなさんに改良工事の進展状況とともに報告していきたいと思います。


風景写真四点

 本号は12頁版。次の8〜9頁は栄村各地の写真グラフです。

 

 

夕陽に照らされる田植えから間もない田んぼ
 村ではごくありふれた景色かもしれませんね。でも、一瞬の間しか見られないものでもあります。
夕陽はあと数分で山の向こうに消えていくでしょう。田んぼの水面に山と夕陽が映るのを見られるのは田植えから間もない時期に限られます。
 6月9日午後6時近くに北野集落で撮影しました。

 

 

5月28日、青倉にて
 田んぼに映る雲と田んぼの脇に咲く花が気に入りました。島田輝二さん宅横。
 花が花菖蒲(ハナショウブ)なのかカキツバタなのか、区別がつきませんが…。

 

 


横倉の開田
 6月4日午後。この日の午前中は「まるで真冬」の野々海での普請。この景色、まるで別世界のように感じました。

 

 

夏まで残る残雪
 秋山林道のコミズで6月9日に撮ったものです。
 これからの気温の推移にもよりますが、この沢にはおそらく7月末近くまで雪が残るでしょう。奥に見える山は鳥甲山連峰の「小水(こみず)の頭(かしら)」です。


JRの対応に疑問と大きな憤り――飯山市桑名川の「避難指示」をめぐって

 最近、毎朝・毎夕、村内放送から「JR飯山駅からのお知らせ」が流れてきます。「避難指示のため飯山線の運行を見合わせ」というものです。
 6月5日からは代行バスが運行されているとはいえ、飯山線運休の打撃と損失はとても大きいものです。「本当に運休はやむをえないのか?」という疑問が湧き出てきます。さらに、現在のJRの対応では運行再開の見通しはまったくたたないという問題も指摘せざるをえません。

 

●避難指示世帯周辺での大型土嚢補強は進んだ
 

 

 上は6月10日撮影の桑名川地区・出川左岸の様子。右手に避難指示が出ている4世帯のうちの2軒が見えます。写真中央には県が対策工事の柱として位置づける〈大型土嚢の積み上げとその裏側にコンクリート・ブロックの設置〉が見られます。
 しかし、地元住民のお話では、「避難指示解除」の見通しはまったく出されていません。この地点よりも上流にある桑名川砂防ダムが流木等で埋め尽くされていて、これを取り除けないためのようです。技術的に相当に困難があるだろうことは推察できますが、緊急対策への踏み込みが弱いという印象を禁じえません。県等に問いかけてみたいと思います。

 

●JRは見通しと独自対策を明確にすべきだ
 下の写真は、JR飯山線の出川橋梁の様子を上流側から見たものです。橋梁そのものは川の中に流れ込んだ木の陰になって見えませんが、写真中央に見える茶色の土面が橋梁すぐ横の線路敷地の法面です。

 


 土石流が発生した場合、土石流がこの法面を直撃することは明らかですが、補強はほとんどされていません。また、橋梁直下、その前後について、今後起こりうる土石流が下流へ流下しやすくなるように、既発生の土石流によって堆積した土砂等を除去するなどの措置もされていません。
 このままでは、JRが「飯山線の出川橋梁が危険」とする状況は、出川右岸の4世帯への避難指示が解除される状況になっても変わらないのではないかと思われます。
 JRは今後、どうするつもりなのでしょうか。「運行再開の見通しはまったくたたない」ではあまりにも無責任です。

 

●飯山線は信州DCの対象から外すのか?
 7月1日にはJRが主導する信州DC(デスティネーション・キャンペーン)が始まります。秋山郷−苗場山など飯山線沿線の山岳観光地は今回の信州DCの最重要ポイントの1つです。
 しかし、飯山線運休では飯山線での秋山郷への旅は不可能となります。それでは、「おいこっと」やSL運行でこの数年間に積み上げてきた飯山線沿線の観光発展の努力はすべて水泡に帰してしまいます。
 JRには、今回の飯山市照岡での山腹崩壊・土石流災害に主体的に、そして積極的にどう対処するのか、責任ある対策方針の打ち出しが求められています。


クマの所在の確認と対策の措置

 6月7日、村は下写真に見える緊急警告看板をスキー場内の村道の一角に設置しました。

 


 「このすぐ近くでクマの巣が発見されました。ここのスキーコースに立ち入っての山菜採りは危険。ただちにこの場を離れて下さい」というものです。
 これは、5月2日に地元住民がクマの穴と思われるものに遭遇した地点付近を6月6日に私を含む2名で再調査し、クマの巣の所在が確認されたため、役場に申し入れをして設置してもらったものです。
 今年は、昨年よりも1ヶ月以上早い時期からクマの目撃情報が相次いでいます。村は6月初旬の全世帯への配布文書でクマへの警戒、目撃情報の役場への集中を呼びかけました。
 クマ対策は待ったなしの緊急課題になっています。警戒と情報の集中を心がけてください。


直売所かたくり、さらに多くの村民の参加を

「入会金1万円」の回収はけっして大変ではありません
 直売所かたくりは、5月〜6月も快調で、「売上額1日30万円超え」はもはや珍しいことではなくなっています。
 お客さまの来店数だけでいえば「売上年間6〜7千万円」も夢ではないと言っても過言ではないでしょう。
 問題は、お客さまの来店数・需要に対応できるだけの品物の量・種類を確保できるかどうかです。すでに組合員となっている人が出荷量を増やして下さることと、さらにもう1つ、新たに組合に入って下さる村民が一人でも二人でも増えることが重要です。
 そこで問題となるのが「入会金1万円」。「その元手の1万円を回収するのは大変じゃないか」と思われる人が多いようなのですが、そんなことはありません。比較的最近に入会されたおかあさんは、乾燥ワラビなどを少量ずつ出店されているのですが、5月の売上げは4万円を超えたようです。
 「入会金1万円」はけっして高くありません。新入会へ、是非、一歩踏み出してください。

 

 今号は12頁版。次号発行は、議会6月定例会出席の関係で、7月1日付発行(12頁版)となります。よろしくお願いします。


飯山市照岡の山腹崩壊・土石流の6月5日段階の状況と、JRの対応への大きな疑問

 飯山市照岡の山腹崩壊・土石流で4世帯への避難指示がだされたままになっている桑名川地区には2〜3日に1回程度の頻度で様子を見に行っています。
   (私が居住しているところからは車で15〜20分くらいを要しま

    すが、栄村のいちばん西の地区・白鳥集落からは車で5分強で

    出川橋に至ります。)

 

避難指示地区での大型土嚢補強の作業が進み始めていました

 

写真0605−1

 

 この写真は5日午前9時15分に出川橋から撮影したものです。
 これまでになかった黒い袋の大型土嚢が積まれ、「仮側堤」は嵩上げされています。また、「土嚢の裏側にコンクリートブロックを設置する」という工事のためでしょうか、鉄板を敷き詰めた工事用仮設道路ができています。(対照写真として5月29日のものを掲載しておきます。下写真です)

 

 

 3日の記録は手許に残っていないのですが、2日朝にはこういう状況は見られなかったので、ここ1〜2日の新たな動きだと思います。避難指示の解除のために必要不可欠な措置ですので、「一歩動き出したもの」として評価・歓迎したいと思います。
 6月1日のレポートで写真27−12−1〜4で示した出川橋周辺よりもやや上流の部分でも同様の作業が進められていました。

 


写真0605−2

 

 この他、出川橋より下流の状況、コンクリートブロックの設置について書いておきたいことがありますが、いま、ある意味で最も深刻な問題とも言えるJR東(長野支社)の対応の問題を先に取り上げたいと思います。

 

JRには主体的な対応が見られない
――代行バスの運行では事態は打開できません

 

 5日のTV,6日の新聞では、JR飯山線戸狩野沢温泉駅〜森宮野原駅間の運休に伴う代行バスの運行開始が大きなニュースとして取り上げられていますが、JR飯山線運休の深刻さと問題の根本を把握していないニュース報道と言わざるをえません。
 そもそも、土石流による6月22日の運休からすでに2週間を経てからの対応。あまりにも遅すぎます。(この間、地元の通学生のための「救済バス」というのは出ていましたが)

 さて、最大の問題は、JRの飯山線運休が妥当な措置なのかどうかということです。

 

1.「 避難指示が出ているから」は妥当な理由か?
 JR東(長野支社)は、飯山線戸狩野沢温泉駅〜森宮野原駅間の運転見合わせ(運休)の「理由」として、同線が通過する桑名川地区の一部に避難指示が出ていることを挙げています。
 これはおかしいと思います。避難指示はあくまでも住民に対して出されているもので、屋内にいて外の様子がわからない時に土石流が発生する、あるいは夜間就寝時に土石流が発生し、逃げる余裕がないケースなどを想定しているものと思われます。
 けっして交通機関に対して避難指示が出されているわけではありません。現に県道408号線の出川橋(通称「だんご橋」)は5月29日から通行止めが解除されています。もちろん「100%安全」ということではなく、常時、警備員が配置され、上流の土石流センサーが作動した場合にはすぐに通行止めの措置がとれるようにされています。また、降雨量が多くなった場合などは、予防的に通行止め措置がとられることもあると思われます。
 出川に架かる飯山線の橋梁は出川橋のすぐ近くにあります。置かれている環境・条件等に大きな違いはないと思います。
 私は現場に幾度となく足を運んでいますが、橋梁付近でJR関係者(JRが委託する警備員を含めて)の姿を見たことがありません。
 「避難指示」を理由として「運転見合わせ(運休)」を説明することは困難だと考えます。

 

2. 県による土嚢設置補強に合わせてJRも橋梁の安全確保策の独自検討の必要がある
 県が避難指示を解除できるよう、大型土嚢の補強等にのりだしていることは上述のとおりです。
 この県の措置の結果、桑名川地区の4世帯に対して出されている避難指示が解除された場合、JR飯山線は運行を再開するのでしょうか。あるいは、もっと正確に言えば、運行を再開できるのでしょうか。
 私は「否」だと考えます。
 次の写真0605−3をご覧ください。

 

写真0605−3


 この写真では、飯山線橋梁と、非難指示対象世帯家屋及び設置されつつある大型土嚢との位置関係がわかります。大型土嚢の設置が完了すれば、土石流が出川左岸を越えて民家の方に出ることはなくなり、基本的に河道に沿う形で流下することになります。その結果、JR飯山線橋梁に到達する土石流の高さは、土嚢未設置時に比べて高くなる可能性が出てくるでしょう。
 そうした場合にJRはどう対応するつもりなのでしょうか。

 そして、次の写真0605−4をご覧ください。

 

写真0605−4

 

 こちらは橋梁のすぐ上流を撮影したものです。写真右真ん中隅に写真0605−3の土嚢が少し見えますので、位置関係がわかると思います。
 出川は橋梁のすぐ手前で湾曲しています。勢いのある土石流は河道にしっかり沿って流れるのではなく、まっすぐ進もうとして橋梁の十日町方面側の盛土線路部分を直撃するのではないでしょうか。
 そうした事態による線路及び橋梁の被害を防ぐには、まず、この盛土部分を土石流の直撃から守る何らかの補強が必要ではないかと思います。これはおそらくJR敷地内のことになるでしょうから、JRが独自に対応しなければならないことだと考えます。(土嚢を少し積んでいるようですが。)
 また、次のことは県との協議、県の対応を求めることでしょうが、写真0605−4の川の湾曲部分の右岸側にかなりの量の土石流で運ばれてきた土砂の堆積が確認できます。この土砂を浚渫・除去し、河道のスムーズな流れを確保することは当然とるべき措置だと考えます。

 

3. 中条川の際に見られた迅速な対応がなぜとれないのか
 ただただ「避難指示のため、運転見合わせ」ということだけを繰り返すJRに私が苛立つのは、2011年3月12日の栄村を襲った大地震と中条川での山腹崩壊・土石流、さらに2013年9月の中条川での再度の土石流に際しては、JRが今回とはまったく異なる迅速かつ的確な対応をしたことを知っているからです。
 まず、2011年3月12日の大地震と山腹崩壊・土石流。
JRは、中条川に架かる飯山線の橋梁のすぐ横手で線路が宙づりになった事態をうけて、3月14日か15日の時点で、「4月下旬には運行再開できるようにする」と宣言し、すぐに被災現場に通じる工事用仮設道路の建設に着手しました。この段階では、国や県による中条川対策はまだ実相把握と対策の基本方針の検討段階です。そして、4月29日には列車運行を再開しました。
 また、中条川に沿って存在する森集落中条地区では7月頃まで避難指示が解除されませんでしたが、JRは独自の安全確認手段と基準を設け、列車の運行にあたりました。
 2013年の土石流は、飯山線の中条川橋梁を直撃し、橋梁の基礎部分に危険が生じました。JRは国・県の中条川土石流対策とは別に、自らの予算で橋梁と橋梁周辺河床の補強工事を行い、飯山線の運行に支障がないようにしました。
それだけのことがJRにはできるのです。
 なのに、今回はどうして無策なままなのでしょうか。
 「栄村地震−中条川土石流に対する迅速かつ的確な対応はやはり宮中ダム対策(+寺石踏切人身事故)だったのか」という思いが出てきてしまいます。
   (注)JRは、首都圏の電車を走らせる電力を発電する小千谷

     水力発電所に送る水を取水する宮中ダム(栄村の隣、新

     潟県十日町市)で違法取水していたことが発覚し、水利

     権をはく奪された。
     JRは地元新潟県・関係市町に謝罪金を支払う、全国紙に謝

     罪広告を出す等の対応をし、水利権回復にこぎつけた。
     また、寺石踏切は栄村・森宮野原駅と新潟県津南町・足滝

     駅間の踏切で、2011年の地震の約1ヶ月前、JR職員の誘導

     ミスで乗用車が列車にはねられ、1名が死亡する事故があった。


 今回の桑名川地区は栄村のすぐ隣ですが、新潟県の新聞・テレビでは長野県のようには今回の山腹崩壊・土石流のニュースは流れず、また、飯山線の森宮野原駅〜十日町駅間は列車が運行されているので、新潟県から批判される心配があまりないのかもしれません。
 こういうことはあまり言いたくありませんが、あまりの無策ぶりを見ていると、こういうことも言わざるをえなくなります。

ましてや、7月1日からはJR自身が主導する「信州DCキャンペーン」が始まります。山岳観光を1つの主テーマとしていると聞いていますが、山岳観光のポイント・秋山郷の最寄り駅は飯山線森宮野原駅です。
 その森宮野原駅までの運行を見合わせたままで「信州DCキャンペーン」は成り立たないと思うのですが、JRはどのように考えているのでしょうか。
 長野支社だけでなく、JR東本社がどのように考えているのか、尋ねてみたいと思います。


 冒頭に書いた出川橋よりも下流の状況は機会を改めてレポートしたいと思います。